皇紀九九九九年の世界(1)
「皇紀」という紀年法の開始点を何処に定めるかについては諸説存在するが、下記の二説が一般的である。
ムリーヤ朝の始祖帝、ムリーヤ・ノ・チカコ一世陛下の即位を開始点とする説。
或いは、そのムリーヤ朝の前身とも言える日本国帝室の、神話で言うところの初代天帝即位を開始点とする説。
ムリーヤ国は厳密な法的定義上は、自らを第三次世界大戦を終結に導いたムリーヤ・ノ・チカコ一世陛下により興された、としているので、それに基づけば前者の説が有力となる。
然し乍ら、ムリーヤ朝に権威性を求める人々からは、後者を採用する向きが多いのも事実である。
その辺りを、ムリーヤ国皇室は、
「その定義は、後世の人々にお任せします」
と曖昧にして、日本国帝室から連続した皇朝であるかどうかの公式見解を明らかにはしていない。
明らかにはしていないが、皇室の私的行為である宮中祭祀的には、日本国帝室を継承したものとして扱われていることが学者により詳らかにされており、その点を批判する声は、決してゼロではない。
尤も日本国帝室は、男系相続であるという法を最終的に改正することなく、日本国のムリーヤ国への発展的解消を以て、法的には消滅した(ムリーヤ国は法的に日本国帝室を皇室には厳密には含まなかったし、その地位を態々法的に定義はしなかった)ので、日本国帝室の女系子孫に当たるムリーヤ国皇室を、日本国帝室から連続した皇朝として見るのはやや無理があるし、皇室の私的行為として国家予算は用いずに行われるそれを以て、日本国帝室から連続した皇朝であると定義するのも、やや無理があるというものだった。
ともあれ、ムリーヤ国皇室が、日本国初代天帝の即位から九九九九年が経過した時間軸を、
「皇紀九九九九年」
と定義して私的に記念祭を催しても、人々は特に違和感なく受け容れたし、その二六八四年後のムリーヤ国政府がその年を、
「皇紀九九九九年」
と定義し、翌年を皇紀一万年の節目として記念祭を計画しても、人々は特に問題なしとして受け容れた。
そもそも現代に於いて、ムリーヤ国以前の政体が存続していた時間より、ムリーヤ国が興ってからの経過時間の方が圧倒的に長いのだから、そのような議論の必要性自体が学者先生以外には乏しかったのだから、皇紀の始まりを何処かに求めること自体、無意味なことだったとも言える。
他ならぬ始祖帝の末裔の一人である、勝柄・美雪も、そう思う人々の一人だった。
勝柄・美雪は、その先祖にムリーヤ国初代皇帝が居ることを除けば、一〇〇億を優に超える、一般的なムリーヤ国民の内の、一人である。
地球と月の共鳴軌道上に浮かぶ宇宙島群の一島、「こすもす」に生まれ、同地で育った。
遺伝子的に言えば「北欧系」の血が濃く、その上、厳重に宇宙線の被曝線量を管理される環境に暮らす故の、全体的な色素の薄さが、彼女をその名前が示すものに、より近付けさせていた。
その、見る者が思わず近寄るのを躊躇うような硬質な白銀色を、アジア人的な柔らかさを備えたやや垂れ目の「たぬき」顔が緩和している相貌が、彼女の外見的魅力だった。
或いはそれは、遥か昔、ムリーヤ国の宇宙時代の幕開けを告げた存在である第三代皇帝、アタナシア・コスミカ・リコ陛下の生き写しであることが特徴だった、と言い換える事が出来る。
本人もそれを自覚していた。
何しろ、本人自身が「自分の気が狂っているのでなければ」、第三代皇帝アタナシア・コスミカ・リコとして生きた記憶があったので。




