合衆国崩壊
中華人民共和国が凄絶な内戦状態に突入していったことで、第四次世界大戦の行く末は、残る当事国であるムリーヤ国とアメリカ合衆国の手に委ねられることになった。
とは言っても、ムリーヤ国の方は、
「殴られた分は、殴り返した。後は示談交渉するだけ」
と、戦力を積み上げながらも外交交渉に精を出すだけだったのに対し、アメリカ合衆国は悲惨の一言に尽きた。
かなり無理筋の大義名分で戦争することがあるとは言えども、アメリカ合衆国は世界最大の自由民主主義国家である。
つまり、行政府の行動は国民と、選挙を通じて国民の信任を受けた議会から監視を受けているのであり、その行政府が軍事行政の一環として行った戦争が、殆ど一方的(当事者目線)に負けて帰ってきたのだから、当然乍らそれには説明責任が必要だった。
そしてこの場合、その責任を負えるのは、対ムリーヤ開戦の命令書にサインして執行を命じた、大統領その人以外になかった。
「いやいや、これだけの戦争行動は議会の承認なくして無理だろ何を言ってるんだお前らは」
というのが、ムリーヤ国側から見た場合の意見だったが、現実は非情だった。
果たして大統領弾劾裁判が行われる予定だった合衆国議会議事堂に、一体誰が持ち込んだのかは、戦災により資料が散逸してしまったため定かでない。
定かでないが、合衆国議会に、
「水中で開けることを推奨される缶詰」
が投げ込まれて爆発し、それを以て合衆国の崩壊が始まったことは、確かなことである。
缶詰の爆発によりパニックに陥った議会では、缶詰の中身をモロに被った大統領その人を放り出し、人々が挙って逃げ出すパニックが発生した。
そして大統領が身罷ったという誤報が流れ、政権中枢に関与しておらず、この日も大統領に代わって別の場所で執務をしていた副大統領氏が、その場で大統領就任宣誓を速やかに執り行い、エアフォース・ワンに乗って、敗北に抗議するデモ隊でごった返すワシントンを離れ空中退避した。
これに対し、遅れて無事が確認された大統領がホワイトハウスに戻って、指揮権を取り戻そうとエアフォース・ワンと連絡を取り、隠れ親日家だった元副大統領(現推定大統領)との間で言い争いに発展した。
そしてその言い争いの最中、死んだ筈の大統領が生きていると知ったデモ隊の一部が暴徒と化してホワイトハウスに乱入。炎上したホワイトハウスから命からがら脱出に成功した大統領(旧)は自らの地元テキサスに入ると、国家緊急事態の布告と、合衆国全軍による武力を用いた事態収拾を命じた。
国民の虐殺も厭わないと宣言したに等しいその態度に叛旗を翻した一部の合衆国軍が、エアフォース・ワン(推定)の方の、
「決して国民に向けて発砲してはならない。不当な大義名分で戦争を吹っかけ、無惨に負けても負けを認めず大統領の椅子に固執している人間は大統領ではない」
という言い分を容れて現推定大統領の指揮下に入り、その状況を把握したアメリカ合衆国全国知事会も、ほぼ南北でどちらを支持するかが分かれた。
その状況がマスメディアやインターネットを通じて人々に伝わると、全米が騒乱状態に陥った。
最早統一された国家主権などそこにはなく、第四次世界大戦の開戦責任を問える相手が誰なのかも、定かでなくなってしまった。
それが、第四次世界大戦の幕切れだった。




