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チカコ一世陛下治世の平和

 ムリーヤ国初代皇帝ムリーヤ・ノ・チカコ一世陛下の二十年余りに亘る治世は、世界的に見て、平和な時代であったと言える。


 列強の言い換えであるG20が音頭を取って、暴力に対する積極的で節度ある武力行使を躊躇わなかったことは、当事者にとっては平和ではなかったかもしれないが、誰しも現代的国家同士が、国家ないしは地球文明そのものの存亡を賭けて、破滅的な国家総力戦を戦うよりは、間違いなく平和であったと言えるだろう。

 後の時代の人々は、チカコ一世陛下の在位期間を指して、


「パクス・チカコ(りき)


 と表現し、当の本人を大いに赤面させたのだが、話の本筋ではないので割愛する。


 チカコ一世陛下の在位期間中、ムリーヤ国は国際連合を中心とした多国間協調主義を採用し、一貫して軍縮、特に核兵器の削減と、係争の対話による解決に取り組み、第三次世界大戦で失った信用と信頼を取り戻すことに腐心した。

 ムリーヤ国は自国の命脈が、偏に世界大戦を終結に導いたチカコ一世陛下への信用と信頼によって保たれていることをよくよく理解しており、チカコ一世陛下が平和活動家に肖って掲げた基本理念である、


「世界絶対平和万歳」


 を裏切るような真似は決してしなかったし、させなかった(その為に流血を厭った、ということも無かったが)。

 他国から猜疑の目で見られても、長々と嫌味を言われても、時には流血沙汰になることがあっても、粘り強く最終的には対話を以て解決を図り続けた。

 やがてその努力は、第三次世界大戦の激戦地の一つであるウクライナ地方の都市ハルキウでの、平和の祭典であるオリンピック開催国という栄誉という形で報われることになった。

 西暦二〇四四年に開催されたハルキウ夏季五輪は、そうしたムリーヤ国の人々の、不断の努力の結晶であり、時代の節目でもあったが、オリンピックに続きパラリンピックを終えると、俄に政治の季節がやってきた。


 その目玉は何と言っても、チカコ一世陛下の譲位の詔(宣言)だった。


 政治的にも身体的にも精神的にも健康で、「働き盛り」と言って差し支えない年齢での譲位宣言は、国の内外に相応の衝撃を以て受け止められたが、皇室について多少なりとも知識のある人なら、誰しもチカコ一世陛下の祖父である、第百二十五代日本国天帝の譲位に倣っての宣言だろうと思い至っただろう。

 建国当初の政治的不安定さが除かれ、国家として揺るぎない世界平和への道を歩み始めたのなら、心身共に健全で皇帝としての責務を全う出来る内に、十分に育った若い世代へ国を委ねるのも、また為政者の務めである。

 祖父帝がそうしたように。

 ムリーヤ国初代大統領(政府首班)、ウォロディミール・チェレンコフスキー氏が、一期でその任を終えて政界からも身を引いたように。


 チカコ一世陛下は譲位の意向を明らかにすると同時に、それまで皇位の推定相続人に過ぎなかった長子アレクサンドラ・エリコ第一皇女殿下を、改めて皇太子に定める旨を示した。

 アレクサンドラ・エリコ第一皇女殿下こと、後のムリーヤ国二代皇帝ムリーヤ・ノ・アレクサンドラ・エリコ一世陛下は、チカコ一世陛下が儲けた皇子・皇女の中でも、身内贔屓や皇女として徹底した英才教育が施されたことを差し引いても、飛び抜けて優秀なことで有名だった。

 どれぐらい優秀だったかと言うと、齢十五にしてムリーヤ国の最高学府である皇立野星大学国際言語学部英文学科を卒業後、アメリカのジョーズ・パンプキンズ大学に留学し、様々なコネクションと共に、


「辛口に評価しても優秀と言わざるを得ない」


 という稀有な評価を得て卒業し帰国する程度には優秀だったし、学友からも


「皇族だからと威張ることもなく、かといって謙虚に過ぎることもなく、他人の心にそっと寄り添う思いやりの心を持つ、理想的な人品を備えたらこうなるという感じの方」


 と、学業だけに秀でた御方ではないという評価を勝ち得る程だった。

 斯様に凡そ非の打ち所のないアレクサンドラ・エリコ第一皇女殿下が、何れ皇位を襲うであろうことは、誰の目にも明らかなことだったが、いざそれがチカコ一世陛下によって近々に定められると、方々で多少の混乱を引き起こすことになった。

 例えば、半ばチカコ一世陛下の威徳に服していると言っても過言ではなかったムリーヤ国政府などは、第五代大統領ヴラディミロヴナ・プルティナの、


「突然のことで非常に驚いています。しかし、陛下の御意向には政府一同理解を示し、これからの円滑な譲位の実現に鋭意努力していきたいと考えます」


 などの極めて率直な感想に代表されるような、


「飽く迄もチカコ一世陛下の言うことだから」


 という態度を隠しもしなかったので、アメリカや西ヨーロッパのマスメディアから


「アレクサンドラ・エリコの治世、早くも暗雲か?(※原文ママ)」


 などと書き立てられた。


 一番気の毒なぐらい気を揉んだ反応は、衰退しつつも依然として世界最大の経済大国にして軍事大国であり超大国の座を占めるアメリカ合衆国のそれで、世界第二の経済大国にして軍事大国であり将来の超大国の座を占めるムリーヤ国が政治的に混乱すると見て、オフレコでデフコンレベルを一時的に一段階上昇させるという醜態を晒した。

 幸いなことに、他ならぬアレクサンドラ・エリコ第一皇女殿下が留学中に培ったパワー・コネクションを経由して、アメリカが思った程ムリーヤ国の政治的混乱が少ないことが伝えられると、事態は概ね沈静化した。

 しかしそのヒステリックな反応は、超大国の威信を大いに損なうことになり、それが遠因となって第四次世界大戦の号砲を撃ち鳴らすことになろうとは、まだこの時は誰も予想などしていなかった。


 当の、本人らを除いては。

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