ヨシダ宣言
※このお話はフィクションです(令和四年六月一日修正)。
日本国は激怒した。
必ず、この邪智暴虐の王は除かねばならぬと、決意した。
端的に言えば、玲和四年(西暦二〇二二年)のロシア連邦によるウクライナ国への全面戦争ーー当事国であるロシア連邦は「特別軍事作戦」と称していたーーに対する日本国の反応はそうなる。
日本国は、アメリカ合衆国という超大国に飼われる犬ではあったが、けれども時に飼い主に噛み付きもする、歴とした独立国家である。
日本国にとってウクライナは、有り体に言えば、中華人民共和国に廃空母を売るなどして神経を逆撫でしてくるような、潜在的には敵と言っても差し支えないような関係の国であった。
然し乍ら、判官贔屓の気質が日本人にあることを差し引いてもーー同じくロシア連邦と国境を接する独立国家として、次は我が国かもしれない、という恐怖がそうさせたのかもしれないーー、係争地以外も含んだ全正面で戦争を仕掛けるというロシア連邦の行為に、擁護の余地など無い、というのが日本国の結論であった。
第二次世界大戦の帰結として牙を抜かれ、軍国主義国家から平和主義国家へジョブチェンジした日本国には、軍事大国の理屈は分からぬ。
分からぬけれども、係争地以外の全国境で戦争を始め、非戦闘員に攻撃を加えることを躊躇わぬ連中が邪悪であると言い切ることに、些かの躊躇いもなかった。
これが開戦前の「識者」の見解通り、軍事大国ロシアがウクライナを早期に撃破していたのなら話は別であっただろうが、直前の支持率実に二〇パーセントの低さであった、ウォロディミール・チェレンコフスキー大統領率いるウクライナは善戦した。
首都キーウや東部ハルキウ、東南部マリウポリでの戦いに代表されるように、非軍事拠点さえ含んだ無差別攻撃に対し、決して挫けることなく、頑強に抵抗して見せた。
であるならば、このロシアの非道を決して座視してはならず、我が事のように嘆き、悲しみ、怒らねばならぬ。
然るに、ウクライナを最も効果的に支援する方策を日本国は検討し、そして当事国と幾つかの重大な通信が交わされ、決定された。
時の日本国内閣総理大臣、吉田武雄は、玲和四年三月五日未明の記者会見で、こう述べた。
「我が国は本年二月二十四日に始まるロシア連邦によるウクライナ侵攻について、ウクライナ国大統領ウォロディミール・チェレンコフスキー氏との電話会談の結果、次の通り結論いたしました。
一、ウクライナ国はソビエト社会主義共和国聯邦の継承国である。
二、ウクライナ国最高議会はソビエト社会主義共和国聯邦最高議会を継承した唯一の立法機関である。
三、現下のロシア連邦によるウクライナ国侵攻は、以後、ウクライナ国構成国であるロシア連邦による叛乱行為であるものと定義する。
四、日本国はソビエト社会主義共和国聯邦の継承国であるウクライナ国への編入を切に望む。
五、本日只今の発表を以て、我が国は自主的にウクライナ国の一部としての行動を開始するものである。
以上であります。
従ってウクライナ国の一部であるロシア連邦による戦闘行為は、只今を以て我が国に於ける内乱罪に相当する行為となりますので、日本国政府は直ちに自衛隊に対し、治安出動を命じるものであります」
何を言っているんだお前、と思った貴方の感覚は正しいので、是非ともその感性を保っていてほしい。
が、これは歴とした日本国の公式声明である。
後に「ヨシダ宣言」と呼ばれることになるそれは、法学的に正当性も正統性もあったものではなかったが、先に言い出して貫徹してみせた者こそが勝者であリ、そして実際、その通りになった。
吉田武雄がそう述べた瞬間から、日本国自衛隊はウクライナ国国家親衛隊にジョブチェンジし、ウラジオストクとペトロパブロフスク・カムチャツキーに対し、陸上攻撃機へジョブチェンジした多数のPー1哨戒機やPー3C哨戒機による、奇襲飽和攻撃が実施された。
言っては難だが、ロシアにとっては、アジア太平洋地域の橋頭堡であること以外は、僻地オブ僻地である両市を拠点としていたロシア海軍艦艇は、冷戦最盛期のソ連海軍を基準に鍛え上げられた対艦ミサイルの飽和攻撃を受け、港を枕に尽く討ち死にすることとなった。
また、日本海や太平洋を彷徨き追跡されていた潜水艦の尽くが、人知れず深海に葬り去られた。
この奇襲攻撃に対し、ロシア連邦は、
「我が国は歴とした独立国である」
「このような卑劣な奇襲攻撃に対し、断固とした措置を執る」
などの声明を発表し、実際に「断固とした措置」として高出力核弾頭を搭載した弾道ミサイルを、幾度となく日本へ撃ち込んだが、待ち構えていた対弾道ミサイル戦対応イージス艦により敢えなく撃墜された。
また、奇襲攻撃直後から宗谷海峡を挟んで航空撃滅戦が行われたが、装備と練度、密度と拠点からの距離の、何れでも勝る航空自衛隊に撃滅された。
更に、火山噴火に見舞われたトンガ王国への国際緊急援助隊に派遣後、いつの間にか所在不明になっていた輸送艦艇や、空路進出した空挺部隊が、択捉島やユジノサハリンスクを奇襲占領し、薄弱な抵抗の後に守備隊を降伏せしめ、剰え鹵獲した戦術弾道弾の類をハバロフスクに撃ち込んで見せる始末だった。
こうした日本国の卑劣な国際法違反に対して、国際社会の最初の反応は、一様に宇宙を背負った猫のような顔をすることだった。
今まで観念的に戦争反対を唱えてきた平和ボケした国が、いきなり国家存亡の危機を戦う戦時国家への編入を自発的に宣言したかと思うと、核攻撃を受けることも覚悟の上で敵性国家に切り込んでいったのだから、その反応もさもありなんではあった。
しかしそもそもその国は、七十五年前は周辺国家または主要国全てに戦争を仕掛けた(そして無惨にも全土を焼かれ無条件降伏させられた)キチガイ国家であるという点を、皆が都合良く忘れ果てて居たとも言えるだろう。
ともあれ、西でウクライナとロシアが全面戦争を戦っている隙に、いっそ火事場泥棒と言って差し支えない行為に及んだ日本国に対し、国際社会がロシアに対するそれと同様の制裁を加えたかと言えば、そんなことは無かった。
日本国の奇襲攻撃は、国際社会の経済にも及んでいたからである。
具体的には、ヨシダ宣言が為された瞬間から、日本円とウクライナ通貨であるフリヴニャとの交換レートを、十対一の固定相場制に移行した。
と言うか、宣言の瞬間からウクライナの法定通貨が日本円に定められた。
その原資は日本国が保有していた外国債だったが、日本国財務省は保有していた外国債を全て売却して資金調達し、それでも足りなくなると内国債が起債され、日本銀行が日本円を無制限に供給した。
結果として全世界で為替と株の動きが乱高下し、各国政府は対応に追われた。
事実上の戦時体制に突入しつつあった欧米各国は、空気を読めない(意図的に読まなかった可能性もある)日本の為替操作に若干キレそうにもなったが、脇目も振らずにロシア極東軍の撃滅に走る日本の様子を見て概ね黙認した。
誰しも、自分へ向く筈のヘイトが他所へ向かうなら、そのままそっとしておきたいものである。
唯一、パラリンピック一色になるはずだった話題を掻っ攫われた、中華人民共和国だけが文句を言い立てたが、言い立てただけだった。
あまりに一方的な戦いに、恐れ慄き腰砕けになった、とも言う。
話を日本とロシアの戦いに戻すと、開戦から一週間足らずで極東地域の長距離攻撃戦力を剥奪ーー日本国は某空戦ゲームを参考にしたかのように空中給油を惜しみなく使って、作戦行動半径を拡張し、極東全域のロシア軍戦力を破壊して回っていたーーされたロシアは、ウクライナと極東という二正面作戦を強要された。
移動に時間がかかる陸上戦力と、戦力の再生に時間がかかる海上戦力は脇に置いておくとして、移動が比較的容易な航空戦力を、侵攻速度が捗々しくないウクライナ戦線の打開のために投入するか、それとも卑劣な奇襲攻撃で奪われた極東地域の奪還のために投入するか、の二択である。
前者を選べば極東地域の被占領地拡大を許すことになり、後者を選べば相対的に圧力が軽減したウクライナが息を吹き返し、欧州諸国からのヨーロッパ・ロシアに対する軍事的圧力が増大する。
全盛期(全盛期が過去のものであるとは言っていない)のアメリカでもないと実現不可能な、二正面作戦を強いて戦力を分散させることこそ、ヨシダ宣言を発した日本国の狙いそのものだった。
やっていることは火事場泥棒に他ならなかったが、物は言い様である。
一方的に侵攻を受けたウクライナに対する救援活動という錦の御旗を掲げた日本は、ごく僅かな反感を、その御旗で以て切って捨てた。
そうして、開戦から二〇日の間に、日本は千島を取り返し、樺太島全域を手中に収めたところで、一旦進撃を停止した。
政治の時間がやってきたからである。
コーラと精神安定剤でラリった頭で書いた。今では反省している。




