番外3 故郷で最後に見た、浜辺の夕日
本編開始の数年前、フェリア達3人が大陸に来る前の、ラージェ視点のお話です。
辛い、重い、耐えられない。
アタシには…やっぱり無理だ。
皆のようになんて、アタシはなれないよ…。
強い潮風が吹く砂浜を、少女が駆ける。
走るその少女の周囲には誰も居ない。前方にも後方にも人影は無い。そこにはただ…だだっ広い砂浜が、海岸沿いにずーっと広がるばかりだった。海の向こうには何も見えず、かといって内陸も岩がゴロゴロしている漆黒の荒野が広がるばかり。
少女は一定速度で、黙々と砂浜を走る。
季節が夏の初めではあるものの、少女はその浅黒い肌に汗一つかいていない。爬虫類のような尻尾を揺らしながら、ただひたすらに走る。表情も涼しげな彼女だが、その橙色の瞳は…どこか弱々しい印象だ。
その少女の前方に、人影が2つ見えてくる。
遠くの人影に気付いた彼女は、余力で一気に速度を上げる。殆ど倒れているような前傾姿勢で力強く砂を蹴り、その体躯に似つかわしくない異様な速度で駆けていく。そして彼女は、前方の人影の所に辿り着く。
「ラージェ、君が2着だよ!」
走って来た少女を出迎えたのは、獣人の青年と紅髪の少女だった。紅髪の少女は満面の笑みで、全速力で駆けて来た少女に抱き着く。
走って来た褐色肌の少女…ラージェは、しかし浮かない表情だ。
「…フェリア姉さまはやっぱり速いね。アタシじゃとても追いつけないよ」
ラージェに抱き着く紅髪の少女…フェリアは、自信に満ち溢れた笑みをラージェに向ける。フェリアの金の瞳は、爛々と輝いている。
「ふふん、僕だってまだまだ君には勝ちたいよ?」
「そうだね、姉さま」
しかしラージェは終始、フェリアと目を合わせない。
「ラージェ様、流石です。しかし…もしや、途中まで手を抜いておられたのではないですか?」
走り終えたラージェに、豹のような獣人の青年が声を掛けてくる。彼はフェリアとラージェよりだいぶ年上のようだが、2人に対して恭しく接している。
「…そんなこと無いよ」
「しかしラージェ様…息も切らしておられませんし、お疲れの様子でも無いですよね…?確かにラージェ様にはこんな徒競走、軽い運動にしかならないのでしょうが…」
俯くラージェ。
「…アタシなんかが頑張っても意味無いよ」
「そうは言いましても…」
「それに、そもそもこんなこと無駄だし…」
それを聞いて、口を尖らせるフェリア。
「えー?ダメだよラージェ、君も頑張らないと。それじゃ僕も張り合いが無いしさ。やっぱこういうのって、競争する相手がいないとじゃん!?」
「…」
ラージェは砂浜に座り、黙り込んでしまった。
結局…ラージェの後方から後続の子供達が到着するまで、彼女が口を開く事は無かった。
デルゲオ島。
ここは、魔族が住む島。
不毛の荒野が広がる…厳しい土地だ。
かつてこの島は無人島だった。
この島に魔族がやって来たのは…だいたい200年前の事だ。大陸で人間との戦いに敗れた魔王が、僅かな残党と共にこの島へとやって来たのだ。
この島は…ろくな場所では無かった。地質の関係で島の至る所に有毒性の泉が湧いており、海鳥ですら避けて通る。島を埋め尽くす黒い岩塊は金属を多く含んだ代物で、苔の1つも生えやしない。
このような土地が島の大半を占めており、森どころか植物すら珍しいほどだ。しかし他に行く当てのない魔族は、活用できる僅かな土地を開墾し、なんとかこの島で暮らしていた。
魔族の長…魔王トワナグロゥは、龍を思わせる姿の魔族だった。彼はこの厳しい島を、魔族の永住の地にする気はさらさら無かった。彼は再び人間と戦い、大陸にあった魔族領を奪還するつもりだった。
そしてその尖兵となる候補が、フェリアやラージェ達なのだ。
石造りの小部屋で、今日の“授業”が行われる。
「シュレンディア王国は、かくも悪辣な存在である」
ここはデルゲオ島東部、一段と小高くなった場所にある町だった。木の貴重なデルゲオ島の建物は大半が石造りで、この“学校”らしき建物もその通りだった。その部屋の中には…10歳を過ぎたくらいの子供が10人と、蜥蜴を思わせる魔族の大男が1人。
そしてその子供たちは例外無く…10人全員が魔族と人間の混血だった。
「そもそも…我々魔族が大陸に居た時代、魔族はシュレンディアと友好的に関わっていた。かつて滅びの寸前まで追い詰められた魔族…それを救ったのが、偉大なるシュレンディア王ローブル・アルデリアスだ。故に我等はローブル王の大恩に応えるべく、シュレンディアの為なら血も流した」
子供達は、大男の話を静かに聞いている。この話は子供達も、耳にタコができるくらいに何度も聞かされていたが…彼等の表情は真剣そのもので、誰1人として不真面目な態度の者は居なかった。
…いや、不真面目な子が1人だけ居た。
「偉大なるローブル王により、100年間はシュレンディアと魔族の平和な時代が続いた。しかし…その平穏をシュレンディアが壊した。あの愚王…アソッド・アルデリアスが、シュレンディアと魔族の友好を破ったのだ…!」
大男の語りに、熱が入る。
子供達は、良い子に黙ってそれを聞く。
「魔王様とシュレンディア王家の姫…その間に産まれた御子がロディエル様だ。ロディエル様は異能こそ発現しておられなかったが、弱冠15歳にしてシュレンディアとの親交大使を任されるほど聡明なお方だった…。シュレンディア王家からしてもロディエル様は親類になるため、これほどの適任は無いと皆が思っていた」
大男の語りは熱を増していく。
しかし子供の一人…ラージェだけが、空虚な表情で空を見ていた。
(…この話はもう聞き飽きたよ、父上)
子供達の教育係であるこの蜥蜴の大男・ユゥランジェは、ラージェの父親だった。彼は350年以上生きているという大老であり、魔王の右腕であり、このデルゲオ島では魔王トワナグロゥに次ぐ地位を持っていた。
そしてその娘であるラージェも、周囲からは敬われていた。
「ロディエル様は、シュレンディアに駐在している間に異能を発現された。しかし愚かなシュレンディアの奸臣アルヴァナが、あろうことかロディエル様を殺めたのだ!彼奴はロディエル様が異能で創造した“魔法陣”に目をつけ、それを奪い取ったのだ!!結局…魔法陣はほとんどアルヴァナに奪われ、我々にはその一握りしか伝わらなかった…!」
(…この話も、どこまでが本当なんだろう…?)
父の語る“シュレンディアの悪行の歴史”について、ラージェは冷めた表情で聞いている。ラージェはこの語りを一種の“洗脳”として受け止めており、真面目に聞く気はさらさら無かった。
「我等は当然、アソッド王にアルヴァナの処断を求めた。しかしアルヴァナはアソッド王の愛人だったのだ!そして…アルヴァナ可愛さに、アソッド王は愚かな選択をした!あろうことか“ロディエルが反乱を起こそうとしていた”などと嘯いたのだ!!」
(なんか都合の良い部分だけを聞かされている…そんな気がする)
ラージェはこっそりと、周囲の子供達を見回す。
並ぶ石机の最後列に座る彼女には、父の話に聞き入る皆の姿が良く見えた。ユゥランジェの語りに熱心に耳を傾け、シュレンディア王国への怒りに燃える彼等の姿は…ラージェから見れば異様だった。
ユゥランジェの語りが過熱する。
「アソッド王は逆に“魔族反乱”という疑いで、魔族を攻撃し始めたのだ!あの愚王は魔族と人間の町ワルハランで魔族の迫害をし、ローブル王が安堵した魔族の地フィズンへの侵攻を開始した!魔王様は最後まで対話を求め、アルヴァナの厳罰も諦めたのだが…アソッド王は聞く耳を持たなかった!そして遂に我等はシュレンディアとの決別を選んだ…おいラージェ!!!」
「わっ!!?」
父の怒号に、ラージェはハッと我に返る。
「お前どこを見ている、儂の話を真面目に聞かんか!!」
ラージェがボーっとそっぽを向いていたのが父に見つかってしまったのだ。呆れたように彼女を睨む父に、ラージェはただただ平謝りをする。
「ご、ゴメンナサイ…」
「全く、お前が不真面目でどうするのだ…!フェリア様とお前は、魔王様が特に期待をしておられるのだぞ!?」
「はい、父上…」
不真面目な自分に雷を落とす父に対して、ラージェは終始項垂れていた。そして他の子供達の殆どが、そんなラージェに白い眼を向けてくる。
ラージェの父ユゥランジェは、雷を落とす。
これは…決して比喩などでは無い。
ラージェの父は、“雷を呼ぶ異能”を持っていた。
人間には無くて、魔族だけが持つもの…それが、異能。
魔族の血が流れる者は例外無く、異能に目覚める資質を持っている。その目覚め方や能力は個体毎によって全く異なり、当の魔族の間でもはっきりとしたことは分かっていなかった。
ただ、これだけは広く知られていた。
異能を目覚めさせるのは…強い“意志”の力。
強い意志を持つ魔族に、強い異能が宿るとされていたのだ。
蒼天の下、広大な砂浜で子供が飛び跳ねる。
砂浜には10人の半人半魔の子供達…それと、豹獣人の青年。
その中の2人の子供が、砂浜の上で戦っている。
「やぁっ!!」
「だッ!」
2人の子供は、流木の木刀を武器に激しい打ち合いをする。
片方は、青い髪の少年。気迫全開で木刀を振り回す。
もう一方はラージェ。冷静に正確に2本の木刀を動かし、防御をする。
(…面倒臭い、けど手を抜くと怒られる)
8人の子供と1人の青年の視線を浴びながら、ラージェはぼんやりとそんな事を考える。青髪の少年は必死にラージェを追うが…それをラージェが防ぎながら、2人で同じ場所をぐるぐるしている。
「おいラージェ逃げんな!お前も打って来いよ!!」
(うるさいなぁ…カルェフ)
青髪の少年カルェフは、戦闘技能においてラージェに劣っていた。というよりもこの10人の子供の中で、単純な戦闘技能においてラージェより優れた子は居なかった。
魔王の娘フェリアですら、異能込みでもラージェの相手にすらならないのだ。
(『ヴァンガード』候補の仲間同士で争うのは、やっぱりアタシは嫌だな…。どうせならみんなで仲良く遊んだりできたらいいのに)
『ヴァンガード』候補。
それは、この10人の子供達の事。
魔王が推し進める大陸侵攻の…尖兵候補達だ。
「こ、このヤロー!」
逃げに徹するラージェに痺れを切らしたカルェフ。
そして彼は、遂に“奥の手”を繰り出す。
「くらえ、<インフェルノ>!!」
カルェフが手を翳す。
次の瞬間。
彼の手から、赤黒い炎が噴き出した。
赤黒い炎は、意志を持っているかのようにうねりながらラージェを追う。
(カルェフの異能は怖いね…)
そんな事を考えながらも、ラージェは一気に動く。
彼女はカルェフの炎を逆利用し、死角となる位置に入り込む。
「えっ!?」
ラージェを見失うカルェフ。
次の瞬間、ラージェの低い体当たりでカルェフがふっ飛ばされる。
“自分の番”を終えたラージェは、次の戦いを見学している。
ヴァンガード候補の仲間達が、それぞれの異能を武器に互角の戦いを繰り広げている。そんな仲間達を尻目に、ラージェは自分の異能について考える。
(異能か…アタシには無いからわかんないや)
この10人の子供の中で、異能を発現していないのはラージェただ1人だった。
ヴァンガード候補は魔王の娘フェリアを筆頭に、皆が強力な異能を持っていた。既に11歳だというのに異能を発現しないラージェは、魔族の中でも劣る部類だったのだ。
(…まあアタシは、異能なんて要らないけどさ。アタシは尖兵になんてなりたくないし、そもそも能無しのアタシは選ばれないでしょ)
このように、ヴァンガード候補同士で競う理由。
それは、大陸侵攻の尖兵を選ぶためだ。
デルゲオ島に魔族が逃れた約200年前、シュレンディアを見限って魔族と共に海を渡った人間達が居た。彼等の子孫は今だに健在で、ヴァンガード候補の片親もその末裔だ。
そして魔王の意向で、一部の人間がシュレンディアに潜入し諜報活動に勤しんでいる。これは既に100年程前から行われており、魔族による大陸侵攻の大いなる足掛かりとして期待されていた。
そして15年前、彼等からある情報がもたらされた。
『次のシュレンディア王になるカイン・アルデリアスは、半魔族を重用しようと考えているらしい』
約200年前に魔族が大陸へ置き去りにしてきた半人半魔の末裔…シュレンディアに迫害され差別される彼等を、次王カインはなんとか救おうとしているとの事だった。
魔王はこれに目を付けた。
半人半魔は、デルゲオ島でも産まれる。
要するに魔王は“優れた半人半魔の子供を大陸に送り込み、カイン王に取り入らせる”という策を練ったのだ。
「ラージェ様」
「ふぇっ!?」
ヴァンガード候補同士の戦いをボーっと見ていたラージェは、背後から突然声を掛けられて思わず変な声を上げてしまう。
「ふふふ…他所見していると怒られますわ、ラージェ様♪」
「な、なんだマリィルか…」
声の主は…ヴァンガード候補の1人、マリィルだった。
彼女は仲間の中でも一際小柄で、身体能力も最下位という落ち零れだった。元来このヴァンガード計画では、魔族の実力者の子を使う予定であり…マリィルは偶然歳が近いという理由でここに居るだけで、元は普通の子だった。
不真面目なラージェは、そんなマリィルと親しい。
「マリィルが試合うのは何番目?」
「5番目です。相手はメーザですよ♪」
「…頑張ってね。大変だろうけど…」
マリィルの異能『ムーンフォース』は夜にしか効果の無い代物で、対するメーザの異能『スカイジェット』は衝撃波を纏って飛行する強力なものだった。マリィルは魔法の才能に優れるが、それだけでは実力不足を補えない。
元よりヴァンガード候補の中で3人しか居ない少女のうち、最も胸の発育が良いマリィルは動きがどうしても鈍い。きっと飛び回るメーザを捕まえられない…とラージェは思う。
しかし、当のマリィルはやる気満々だった。
「頑張って勝ちたいですわ…!」
「え、マリィル本気?夜ならともかく昼じゃきついよ」
「いえいえ、私…どうしてもヴァンガードに選ばれたいんです!」
目を輝かせるマリィル。
呆れたように肩を竦めるラージェ。
「大陸に行く尖兵に選ばれなくとも、残りの7人はフィズン奪還の先鋒になれると決まっているじゃん。それじゃダメなの?」
「駄目です。フェリア様のお傍でなくては」
「…そんなにフェリア姉さまと一緒が良いの?」
そのラージェの問いで、マリィルに火がついてしまう。
「もちろんです!フェリア様が尖兵に選ばれるのは決まっているようなものですから!私も頑張って、フェリア様と共に大陸へ行くのです!」
マリィルの勢いに、ラージェは気圧される…。
「そ、そっかぁ…」
「ねえラージェ様知ってます?フェリア様の眼はお月様なのです♪」
「え、なにそれ」
「魔王様もですよ♫」
「ちょ、アタシわかんない…」
「真っ黒なお体に、金の瞳。私魔王様に初めて会った時に、“魔王様の眼はお月様みたいだな”って思ったんです」
「…?」
「ヴァンガード候補の中で一番駄目な私にも、魔王様は優しくして下さって…期待しているとも言って頂けました。私、誰かに期待されたのが初めてで…魔王様が眩しくて…魔王様の眼が頭に焼き付いてしまいましたの♪」
「へ、へー…」
「うふふふ、フェリア様も魔王様と一緒ですよ。弱い私にフェリア様は“僕と一緒に行く尖兵はたぶん君になると思う、勘だけど”って…!私嬉しくって嬉しくって…♪」
「わ、わかったからマリィル…」
実の両親にすら才を見限られているというマリィルは『月神信仰』を心の支えにしており、また彼女は自身を認めてくれた魔王とフェリアに対して異様な執着を見せる。それがラージェには、理解はできても共感できなかった。
「…アタシとマリィルの生まれが逆だったらよかったのにね」
不意にラージェの口を突いた言葉。
ラージェは、普通の生まれのマリィルが羨ましかった。
(マリィルは親に期待されたことが無かったらしいけど、アタシなんか父上も母上も『魔王様の為に全てを捧げろ』としか言ってくれない…。そんな事なら最初から期待されない方がずっといいのに…)
しかしラージェの言葉に、マリィルが首を振る。
「いいえ、やっぱり私は私で、ラージェ様はラージェ様だから良いんですの。それにこんな境遇だったからこそ、私はフェリア様に手を引いて頂けたんですから♪」
「…」
お互い生まれに悲観を持つ仲…しかしそれでも前向きなマリィルを見て、ラージェは自身の弱さに蝕まれる。
「次、マリィルとメーザ!!」
魔王父娘への情念を垂れ流すマリィルをラージェが宥めている間に、マリィルの番がやって来る。
その日の夜。
皆が寝静まった頃。
(…暑い、寝れない)
ラージェは深夜になってもまだ起きていた。
デルゲオ島は夏真っ盛り。冬でもかなり寒いこの島は、夏もとにかく暑い。強靭な魔族達はそんな気候をいちいち気にしないが、人間や半人半魔にはそれなりに大変だった。
ラージェは静かに寝返りを打つ。
ヴァンガード候補の子供達はこの数年程を共同で生活をしてきた。それこそ寝食は基本的に一緒であり、今も10人全員が同じ部屋で眠っている。
(疲れた…んだけど、なんか眠く無いや)
目を閉じているラージェは、静かに深呼吸をする。そして彼女は、実の家族より親しくしていた魔族の少女を思い浮かべる。
(テルル…どうしているかな。フェイルさんも亡くなって、寂しくしていないと良いけど…心配だ。アタシと一緒であの娘はまだ異能も無いから…)
ラージェは心身共に疲れていた。
子供達の訓練には休みが無く、最近なんて模擬戦闘が毎日行われている。現に他の9人はその疲れからか、ぐっすりと熟睡しているらしかった。
不意にラージェの背後、接近してくる気配。
「…ねえラージェ、まだ起きてるかい?」
「フェリア姉さま?どうしたのさ」
ラージェが半身起こすと、そこにはフェリアが居た。
丁度ラージェの隣に寝ていたフェリアが、もぞもぞと這うようにラージェに向かってにじり寄って来ていたのだ。
こんな深夜だというのに、フェリアは悪戯っぽい元気な笑顔だ。
「あ゛ー疲れた。僕の疲れをラージェに癒してもらおうかな」
「ちょ、何してんの姉さま…」
敷かれたラージェの布団に、フェリアが潜り込んでくる。ラージェも渋い顔こそするものの、拒絶はしなかった。なにしろフェリアとラージェは幼い頃から仲が良く…1歳年上のフェリアを、ラージェも姉の様なものだと認識していた。
「うん、落ち着く。やっぱラージェは触り心地が最高だよ…」
「…変な姉さま…」
ラージェと向かい合うように寝そべったフェリアは、無遠慮にラージェの身体を撫でまわす。ラージェも正直いい気はしないのだが…フェリアがベタベタ触ってくるのはいつもの事だったので、もう彼女の好きにさせることにしている。
「うへへ…ラージェ、また一段と腹筋が鍛えられたね。あー良い、落ち着く…」
「あのさ姉さま…それ褒めてるの?」
「当たり前じゃん」
「そ、そうなの…?でもさ、腹筋ならカルェフの方が良いんじゃない?というか魔王様ならどこ触っても筋肉隆々だし、いっそそっちの方が…」
「女の子のじゃないと嫌だよぉー…」
「…姉さまは相変わらずだねぇ」
フェリアが男子に見向きもしないのは、デルゲオ島中枢でもそこそこ有名な話だった。それに加えてフェリアが可愛い女子を見かけては声を掛けたりするもんだから、『フェリア様って実は男子なのでは』などという噂が実しやかに囁かれている。
そしてラージェには分かっていた。
フェリアの様子が、いつもと違う。
「姉さま、何かあったの?」
ラージェの問いに、フェリアの手が止まる。
少しの沈黙。
「…うん」
「嫌な事でもあった?」
「違う」
「じゃあ何さ」
「いやね、悪い事とかじゃないんだけど…」
少し迷ったように逡巡するフェリアだが、
「いいや、君にだけ教えるね」
「うん」
そこでフェリアは、声のトーンを落とす。
「ヴァンガードが、明日選ばれる」
ラージェは息を呑む。
ヴァンガードが決まる。
それは…10人の子供達の中から、大陸に送り込まれる尖兵が選ばれることを意味していた。
「…急な話だね、姉さま」
「いや、父様が“こういうのは早い方が良い”ってさ」
「で、誰が選ばれるのかは聞いた?」
「いや、そこまでは教えてくれなかった」
「そっか…」
ヴァンガードの尖兵選抜。
予定では…3人だ。
ラージェはヴァンガード候補の仲間達を思い浮かべ、今のところの実力差や資質を比較し、こう結論を出す。
「フェリア姉さまは確定だろうね」
「…うん、多分ね」
「残りは…カルェフとメーザかな」
「それが君の予想かい、ラージェ?」
「2人とも異能が便利で強いしね。それにカルェフは度胸があって、メーザは魔法の資質が2つもあるから。ほとんど決まりでしょ」
「…君の可能性は無いの?ラージェ」
「無い無い。アタシは魔法適性が2つあるけど、そもそも異能が発現してないじゃん。それにアタシみたいな臆病者を選んでも役に立たないでしょ」
「でも、最後に決めるのは父上だ」
「…そうだね」
それだけ言い残すと、フェリアは自分の寝床に戻って行った。
ラージェはというと、余計に眠気が吹き飛んだ。
(大陸潜入の尖兵が決まる…明日。まあ“能無し”のアタシが選ばれることなんてまず無いよね…?そもそもアタシなんて不真面目だし…臆病者だし…)
嫌な想像が、ラージェの頭の中をぐるぐる回る。
結局その夜、ラージェは殆ど眠ることが出来なかった。
夕焼けの海岸線。
静かに波打つ、黄昏の海岸。
地平線に消えゆく太陽。
ラージェはそこに、1人佇む。
「うっ…ううっ…何でアタシが…!」
ラージェは溢れる涙を拭いながら、抑えきれない感情を海に吐き出す。彼女にとってあまりに長かった今日の出来事が、頭の中を埋め尽くす。
「…うぅ…アタシには無理だよ、父上…!」
昨晩のフェリアの言葉通り、ヴァンガードが今日決まったのだ。
いつも通り皆で朝食を済ませた後に、突然魔王がヴァンガード候補の所に現れたのだ。あまりに唐突な魔王の訪問に…子供達も、世話係の獣人も慌てふためいた。
『選ばれし子等よ、大陸に送り込む尖兵を決めた』
魔王は単刀直入に言い放った。
『“ヴァンガード計画”の訓練を開始して早2年が経った。10人が皆真剣に打ち込み、立派に成長し、もはや誰をシュレンディアに送り込んでも良いとさえ儂は考えている。しかしこの任務は少数先鋭が望ましい』
その言葉に、フェリアとラージェはお互い目を合わせた。他の子供達も…ある者は自信に満ちた眼で、ある者は縋るような眼差しで、魔王の言葉を待つ。
『フェリア…お前が尖兵の長だ。お前が相応しい』
皆が一斉に、フェリアに視線を向ける。
フェリアは自信満々に、父…魔王に頭を垂れる。フェリアの優れた能力は皆が認めていた為、誰も驚いてはいなかった。
そして魔王は、そのまま言葉を続けた。
『ラージェ、マリィル。フェリアと共に大陸に行くのはお前達だ』
その瞬間の事を、ラージェはよく覚えていない。
なんとなく覚えているのは…自分が座り込んでしまった事、カルェフに胸倉を掴まれた事、メーザが魔王に抗議していた事、涙を流し喜ぶマリィル、“何であの能無しが!”と言う罵声…。
衝撃的だった。
信じたくなかった。
異能を持たない自分が選ばれた理由が分からなかった。
しかし…それ以上に衝撃を受ける出来事がまだあった。それは尖兵3名だけを呼び出して行われた、大まかな作戦指示だ。
魔王の作戦はこうだ。
まず初めに…尖兵3名は流星群の夜、フェリアの白術『アーク・ウィング』をマリィルの異能『ムーンフォース』で強化し夜間に大陸へと渡る。大陸には魔族が送り込んだデルゲオ島からの移民『月の民』が居るので、彼等の誘導に従いシュレンディアの管理下に入る。
次に、3人は半人半魔の収容都市・ワルハラン特区という場所で訓練を積み、騎士となる。ヴァンガードとして訓練を積んだ3人は肉体的にも強いので、騎士団入りは容易だろうとの見立てだ。
そして最後。
半人半魔の騎士は軍港都市フィズンに配属される可能性もあるという事なので…尖兵3人のフィズン配属後に、魔族が大規模なフィズン侵攻を仕掛ける。これは普段行っている魔王の“スレイヴのみの侵攻”では無く、魔族の戦士達を送り込むというものだ。
そこで、フェリアに大手柄を挙げさせる。
襲い来る魔族の総大将を討つのだ。
フェリアをシュレンディアの『英雄』にするために。
その総大将を務めるのは…かつてのシュレンディア王国との戦争で戦った老将で、シュレンディア王国でも今だに恐れられているという雷将で、デルゲオ島で知らぬ者は居ない…魔王の右腕。
ラージェの父、ユゥランジェだった。
夕焼けの海岸線を、誰かが走って来る。
ラージェには気配だけで、それが誰か分かった。
でも、顔を上げる気にもなれない。
その気配が、ラージェに走り寄って来る。
「ラージェ!ここにいたんだね」
「…姉さまか…」
気配の主は、フェリアだった。
彼女は酷く心配している様子で、ラージェの顔を覗き込む。
「ラージェ、戻ろう。皆も君を探してたよ?」
「…」
それはそうだろう、とラージェは思う。なにしろ誰にも何も言わず、1人でここまで来てしまったのだ。島西部のここはデルゲオ島でも特に辺鄙な所で、訓練ですら来なかった場所だ。
「…ラージェ?」
ラージェは顔を上げない。
「…アタシなんていなくてもいいんだよ、姉さま…」
ラージェは今日、カルェフから叩き付けられた言葉を思い浮かべる。
(お前なんて…何なんだよ!!?異能も無いしやる気も無い!!魔族としての誇りも無い!!お前にあるのは“雷将ユゥランジェの娘”って事だけじゃないか!!なのに何でお前が選ばれるんだよ!?メーザならまだ許せたし…マリィルも、フェリア様への忠誠心は本物だ…。だけど…だけど!お前だけは許せない!!!)
カルェフの言う通りだ、とラージェも思う。
魔王はラージェを選んだ理由を『戦闘能力の高さ』と『慎重で冷静な性格』だと言った。どうやら魔王の眼には…ラージェの臆病な性格が“慎重で冷静”と映ったらしい。確かにヴァンガードの子供達は、ラージェを除けば皆血気盛んだ。
“こんな事なら、自分が居なければ良かったのに”。
ラージェは心底そう思ってしまっていた。
悲観的なラージェに、フェリアが体を寄せてくる。
「そんなこと無い!君が一緒にいないと、僕は寂しいよ…」
(姉さまは優しいな…でも…)
「だけど…」
ラージェは我慢できず、思いの丈をぶちまける。
「アタシには何もない」
そう言うと、ラージェは静かに座り込む。
「アタシにはさ…たとえばマリィルみたいな一途さも無い…姉さまみたいな行動力も無い…」
「…」
「それに…アタシには…父上の様な、覚悟も無い」
「ラージェ…」
再び泣き出しそうになるラージェ。
フェリアも、彼女の傍らに静かに座る。
「…アタシには分からない…!だって、なんで…父上は命まで懸けて…あんなことしようとするのかが…!!」
“尖兵としての任務で…父を討たねばならない”。
それが受け入れられなかったラージェは、父を説得しようと試みた。しかしユゥランジェは自身が老い先短い事を確信しており、残りの僅かな命を魔族の為に使おうとしていたのだ。
父の悲壮な覚悟に、ラージェは何も言葉を返せなかった。
「…僕たちがやらなきゃいけないんだよ、ラージェ」
俯くラージェを励ますように、フェリアが告げる。それはラージェに向けられた言葉だが…フェリア自身に向けられているようにも聞こえた。
「でも…」
「どうしてもラージェが不安なら、僕が君を支えるから…!」
「姉さま…」
幼い2人の少女は、夕日の浜辺で見つめ合っている。
落ち着いたラージェは、フェリアと手を繋いで宵闇の砂浜を歩いている。もう日は落ちて、じきに辺りは夜の闇と星の光に満たされるだろう。
「…アタシ、ひとつだけ嘘を言った」
「嘘?」
ラージェの告白に、フェリアは首を傾げる。
「アタシには何も無いって言ったけど、実は無くは無いの」
「へえ、何だいそれは?」
「異能。アタシも発現した…今日」
今日の朝。
尖兵が自分と告げられた時。
あまりの衝撃にへたり込んだ、あの時。
ラージェは異能を発現していた。
思わぬ言葉に、フェリアは目を輝かせる。
「すごいじゃないか!!ねえラージェ、君の異能はどういうものなんだい!?僕に見せてよ!!」
「う、うん…やってみるね…」
ラージェは大きく息を吸う。
自分の“異能”を使うのは、これが最初。
効果は…何故か直感的に分かる。
まだ名前も付けていない不安定な異能を、ラージェは魔族としての勘頼りに何とか発動させた。
「…えいっ!!」
瞬間、視界がぐるっと回った。
そしてラージェの視界には、真っ赤に泣き腫らした自分の姿が映り込んだ。
それは一瞬の事だった。
「…え!?今の何!!??一瞬だけど僕の顔が見えたんだけど!?」
「その…恥ずかしくってすぐ止めちゃった。ゴメンね姉さま」
「まさか僕達…入れ替わったの!?」
ラージェの異能は、誰か2人の精神を入れ替えるものだったのだ。
ラージェの異能に感心したらしいフェリアは、にやけ顔でラージェに抱き着く。何故か服の隙間から尻やら腹に手を入れて、執拗に撫で回す。
「凄いやラージェ!きっとこの異能は大陸でも役立つよ!」
「そ、そうかな…?」
「そうさ!早速父上やユゥランジェ殿にも教えよう!!」
「…それはやめて姉さま…お願い」
「え、何でさ?」
(だって…)
ラージェは黙り込んでしまう。
(アタシの“弱さ”が、そのまま形になったみたいで…)
“違う生き方がしたかった”。
ラージェが秘めていた、誰にも言えなかった願い。
“魔王の右腕”の娘で無く。
ヴァンガード候補の一人でも無く。
命懸けの重い任務に、身命を賭すことも無い。
…ただの魔族の娘として、普通に生きたかった。
ラージェは、出掛った弱い言葉を飲み込んだ。
「…ねえ姉さま、姉さまが名前を付けて。アタシの異能に」
「ふふ…良いよ」
「ありがとう。あと、この異能の事は誰にも言わないで欲しい」
「いやいや、せめてマリィには言おうよ?」
「…そうだね」
「でも、他の人には教えないようにするね」
「…うん」
2人の少女は、夕日の浜辺で約束を交わした。
アタシの、脆く弱い心。
それはこの、夜の浜辺に置いて行こう。
運命に逆らうのは…きっと、無駄だから。
アタシの望みが叶わないなら。
ならば。
せめて。
ヴァンガードとしての使命を全うしよう。
両親が、魔族の皆が、ヴァンガード候補の仲間達が…そして、アタシが本当の妹だと思っているあの娘が。
みんなが幸せになれると信じて。




