その6 低俗な濡れ衣
昨夜告げられた、騎士フェリアに関する謎の疑惑。
フェリアは騎士団長ネイオレスに呼び出されてその全容を聞かされるが、
その内容はあまりにも稚拙で低俗なもので…。
フィズンの町に、春の雨が降り注ぐ。
フェリアは今、フィズン騎士団団長の執務室に居る。彼女の表情は苛立ちと困惑の混ざったもので、それを正面に居る男に向けている。
そしてフェリアの前に居るのは、騎士団長ネイオレス。
「昨晩の件は聞いているだろう」
「…ええ、もちろん」
執務室にはフェリアとネイオレス以外に、団長直属の騎士も居た。彼等は完全に武装をしており、フェリアの様子を厳しく監視している。
ネイオレスは執務机に腰掛け、芝居がかったセリフ回しで昨夜の“事件”についてフェリアに語っていた。
「フェリア…昨日私は、騎士団の備品・物資の調査をしていたのだ。騎士団の物はシュレンディア王政から預かった大事なものであるからして、毎月こうした調査を行う事になっている」
「…それがどうしたのですか?」
フェリアは仏頂面を崩さない。
そこでネイオレスは、わざとらしく驚いた素振りを見せ、
「いやはや…それがなんと、先月の調査と今月の調査結果が合わんのだよ!物資…特に食料品の備蓄については流動的であるが故に帳簿を付けて入出量を管理しているのだが、それが足りんというのが現状だ」
その言葉に、フェリアは呆れを隠さない。
「そうですか。きっと帳簿係が間違えたか、盗人にでも入られたのでしょう。騎士団基地なのに管理が杜撰なんですね」
「そうでも無いぞ、フェリアよ」
ネイオレスはいやらしい笑みをフェリアに向ける。
「昨晩、何やら怪しい者が騎士団の倉庫に忍び込んでおったのだ。その者を捕らえたら何と…“騎士フェリアの指示でやった”と証言したのだ!」
(いやいや、この人馬鹿なの?)
余りの言い草に、フェリアも思わず言い返す。
「それで団長、盗まれた物資は見つかりましたか?」
「未だ見つかっては居らん。おおかた貴様が異能『アストラル』を悪用して物資を外に持ち出していたのだろう。昨日の侵入者もそう言っておったわ」
「…今まで、僕がその倉庫に忍び込むのを見た者は?」
「居る訳なかろう。貴様の『アストラル』なら、誰にも悟られずそういった事が出来てしまうのだからな。だがこうして証言がある以上…記憶が無いからなどと言い逃れはできんぞ!」
「でも証拠も無いって事ですよね。しかも昨日怪しい男に忍び込まれている辺り、基地自体の警備もザルって事みたいですし」
「昨日のは私がわざと泳がせたのだ!普段はそんな者が基地に忍び込むのは不可能だ。それにな…」
ネイオレスは勝ち誇っている。
「状況証拠は揃っておる」
フェリアは眉を顰める。
「…状況証拠?」
「そうだ。高潔なるシュレンディアの騎士が、悪事を働くはずが無いからな。それに外部の者は基地に侵入など不可能であって、そうなると怪しいのは貴様しか居ないのだ!!」
(まさかの精神論か…)
フェリアはもう、言葉を返す気にもならない。言いがかりでしか責めてこないネイオレスに、彼女は完全に呆れ果てていた。
「僕も騎士ですけど」
「違うな」
「は?」
「貴様は騎士である以前に半魔族だ。汚らわしい半魔族に、我々のような高潔な精神が備わっているはずなかろうが!」
「…正気ですか?」
「ふん、相変わらず生意気な奴だな。貴様らは半魔族…いくら人の血で薄めようと、一度魔族の血が入った貴様らは子々孫々未来永劫穢れた半魔族なのだ。私に言わせれば…半魔族を国民と認めるよう英雄イリューザ王に進言した聖者マルゲオスは間違っていたのだ!そもそも…」
クドクドと語るネイオレスに、フェリアはもう言葉も返さない。
(あほらしい。でもコイツ一応偉いらしいから、このままだときっと良くないよね。こうなったら王様に何とかしてもらうしかないかなぁ…)
しかし状況自体が良くないというのは事実だったので、フェリアは何とか打開する方法を考える。
思案顔のフェリアを見て、ネイオレスが口を開く。
「…貴様には兵舎で謹慎し、外部との接触を断ってもらう。カイン王を頼れるなどと思うなよ?そして私が王都から“魔族嫌い”の役人を呼んで、証拠を見せつけ、この件を裁定させる。そうすれば貴様は晴れて追放だ」
(えっ!それは不味いよね?!)
カイン王に頼ろうと考えていたフェリアは慌てる。
そのフェリアの焦りを見たネイオレスは愉悦の笑みを浮かべる。
「明日には王都から騎士団監査職の役人が来る、もう貴様に出来る事は無いと思え。明日の日没には貴様の姿も見納めだろう…さらばだフェリア」
フェリアは苛立ちを隠さず、踵を返して執務室を後にした。
フェリアが兵舎に戻ると、4人がフェリアの戻りを待っていた。
「どうでしたかフェリア様…!?団長は何と?」
「くそったれネイオレスめ…姉様、今度はどんな難癖だった?」
真っ先にフェリアに詰め寄って来たのは、マリィルとラージェ。フェリアとネイオレスの不仲を知っていた2人は、神妙な眼差しでフェリアの言葉を待つ。
「物資の横流し疑惑だってさ。明日にも王都から役人が来て、証拠を確認するんだって」
その言葉を聞いて、ココロンが大声を出す。
「そんな、フェリア隊長がそんなことする訳無いじゃないですかー!濡れ衣ですよ濡れ衣!そんなの断じて許せませーん!」
…対照的に、ミューノはあっさり言い放つ。
「隊長、そんな事していたんですか?悪い人ですね」
「してないって!いや記憶喪失だから断言はできないけどさ、ネイオレスの疑惑もなんか証拠無いらしいし…十中八九言いがかりだろうね」
「…そうですか」
泣きそうなココロンと、そっぽを向くミューノ。
…フィズンに来たばかりなのに、こんな騒動に巻き込まれてしまった2人に…フェリアはちょっと申し訳ないと謝る。
「ごめんね2人とも、いきなりこんなことになってさ。でも何とか、疑惑を払う方法を考えるから」
フェリアのその言葉を聞いたミューノは、ちょっとだけ何かを考えながら、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「…そうですね、わたしもこれじゃ困ります。わたしはフィズンの騎士としてここに来たんですから」
半魔族を嫌っていると言ったはずの、ミューノの言葉。
フェリアにはそれが予想外だった。
「ミューノ…!?」
「はーいはーい!あたしも困りまーす!!」
それにココロンが元気良く乗っかって来る。
「あたしも折角フェリア隊長の部下になったのに、こんなのあんまりなんですけど!これはガツンと無実を証明してやりましょうよ!」
「ココロンも…ありがとね」
意外な形でココロンとミューノと結束できそうな状況に、フェリアはちょっとだけ安心感を覚えた。そしてそんな様子を、ラージェとマリィルが満足そうに眺めていた。
「うふふ、皆で協力すればきっと上手く行きますわ♪」
「そーだそーだ!ネイオレスをぶっ飛ばせ!」
(まさか小隊最初の共同作業が“濡れ衣の弁解”になるとは…。でもまあ、これも悪くないかもね!)
そしてフェリアは腰に手を当て、グッと拳を握る。
「よし、皆でネイオレスの鼻を明かしてやろうじゃないか!」
昼下がりのフィズンの町は、まだまだ雨が降り続く。
春先の寒々しい兵舎で、フェリア達は顔を突き合わせていた。
「まずは作戦会議だね」
フェリア達は女性兵舎で最も広い談話室に集まり、ネイオレスの難癖をどう突破するかを相談することにした。
寒いのでと火を入れた暖炉が、パチパチと薪を燃やしている。
兵舎のすぐ外には、ネイオレス直属の騎士が見張りをしていた。なので、できるだけ疑われないようにと彼女達はコソコソと話す。
「手っ取り早い方法なら…姉様が王様に“何とかして”って言うとか?」
ラージェの発案は確実ながら直球過ぎた。
マリィルがそれに、首を横に振って応える。
「ダメですわラジィ。フェリア様の記憶が残っていれば『アストラル』で直接王都に行って頂くのも有りなのですが…」
「うん…無理そうだね。僕、王都の事は思い出せないから…」
フェリアの異能を以てすれば、あっという間に王都とフィズンを往復できるらしいが…生憎フェリアの異能には“行き先の風景”の情報が必要なのだ。
記憶喪失のフェリアには今、それが欠けている。
「じゃあじゃあ!捕まった盗人から何か聞き出しましょう!!」
ココロンのアイディアも…微妙な線だ。
ミューノがココロンを呆れた眼で見ている…。
「でもさココ、捕まった人は騎士団長の手下なんだから…わたし達が何を聞いても“フェリアに言われてやった”としか言わないでしょ」
「う、そっかぁ…」
ミューノの言葉に、ココロンがちょっと凹んでいる。
しかしやはり、こうなると残る方法は少ない。
フェリアは腹を決める。
「じゃあ仕方ない。こうなったら…物資の行方を追うしかないね」
消えたという騎士団の物資。
ネイオレスの言葉では、かなりの量との事だ。
つまりそれらは、ネイオレスの独断で密かに動かされている事になる。それほどの量であれば、何かしらの手掛かりがあるはずだった。
「そうと決まれば行動開始だ。それぞれできる範囲で調査をする作戦で行くよ!」
フェリアの号令で、5人は行動を開始する。
騎士団基地の司令塔を、甲冑の騎士が歩いている。
その騎士は、全身鎧と兜を身に付けているため…素顔や体形は全く分からない。装備からして、その騎士は騎士団において『重騎士』と呼ばれる者達で、彼等は主に騎士団内の重要拠点を警備するのが任務だ。
…ただし、近頃はこんなコテコテの重騎士はそう居ないのだが。
(よし、いい感じに忍び込めた)
もちろんそいつは重騎士などでは無い。
甲冑の中身はフェリアだった。
彼女は重騎士の甲冑を拝借し、団長執務室を目指していた。
ネイオレスの策略の証拠を掴む為に。
すこし前。
マリィルが地図を描きながら作戦を説明していた。
「フェリア様は『アストラル』で、王様と会った司令塔応接室に飛んで下さい。そこからなら司令塔の倉庫が近いので、そこで鎧を着込みましょう。そうしたらまた『アストラル』で応接室に戻って、そこから司令塔最上階の執務室を目指して下さい」
マリィルは簡単な司令塔の地図を書き上げ、フェリアに渡す。
「よし、じゃあ僕はそこで何か証拠を探してくるよ」
「ガンバってね姉様!」
ラージェは元気いっぱいにフェリアの肩を叩く。
ココロンとミューノは仲良く顔を見合わせている。
「じゃあわたし達は騎士の皆さんに“怪しい馬車とかの目撃情報”に着いて聞きこんで来ますね。ネイオレス団長は嫌われ者だと有名なので、直属の部下以外からならきっと何か聞き出せるでしょう」
「隊長、いってきまーす!!」
そして2人は、兵舎を出て行った。
残されたのは、半魔族の3人。
そこでフェリアは、1つ気掛かりな事を問う。
「ねえマリィル…団長の指示では“半魔族の3人は謹慎”って事だから、ココロンとミューノが自由に動けるのはわかる。でももし僕が『アストラル』でここから居なくなったら…見張りになんて言い訳する気なの?」
監視対象のフェリアが姿を消せば、たちまち見張りに気付かれてしまう。司令塔を探ろうとしているフェリアにとって、これはあまり宜しくない。
しかしマリィルは自信満々だ。
「大丈夫、私にはこれがありますわ♪」
そして彼女は、真珠の指輪を掲げて見せる。
「『イリュージョン・ミスト』」
フェリアは騎士団長の執務室に、静かに侵入する。
(よし、ここなら何かあるはずだ…)
フェリアは早速、執務室の中を物色し始める。
フェリアは兵舎から離れてはいるが、ネイオレスの見張りについて心配はしていなかった。兵舎には今、マリィルが上級水術『イリュージョン・ミスト』で作った“フェリアの幻影”が居てくれるからだ。
(しかし…やっぱりわかりやすい証拠なんかは無いねぇ…)
フェリアは内心ガッカリする。
ネイオレスの執務室には、流石に“フェリアを陥れる策の直接的な証拠”は見当たらなかったのだ。執務机の引き出しを開けては閉めながら、フェリアは少しの焦りを覚える。
(でも何かあってくれないと…困る。こんなくだらない難癖で追放になんてなったら、“フェリア”に申し訳なさすぎるでしょ)
そこでふと、フェリアの手が止まる。
(フェリアの為だから、フェリアの夢だから、フェリアがやり残したことだから…でもそれば、“僕”の望みじゃないよね…)
不意に浮かんでしまった想い。
フェリアは目を閉じる。
少しの間、動きが止まる。
そして突然、勢い良く頭を振った。
「しっかりしろ“フェリア”!今はそんな事考えている場合じゃない。それにこういうドタバタだって、異能や魔法を使えるのだって悪くないしね」
フェリアはふと浮かんだネガティブな考えを振り払う。
(今は僕が“フェリア”なんだ、僕の思うようにやろう。“ネイオレスが気に入らないから奴の鼻を明かす”…これは僕の望みだ、間違いない。フェリアの遺志だけに囚われる必要は無いよ)
そしてフェリアは、執務室の棚に並ぶ本を手に取る。
(交通事故で死んじゃった時点で、僕は運が悪かったのさ。ならこうやって異世界でチヤホヤされながら凄い力を使えたっていいじゃん。それくらいエンジョイしたって罰は当たらないでしょ)
「あ」
そしてフェリアが手に取った本から、何かが落ちる。
「…これだ!」
フェリアはそれを手に取る。
その直後、彼女の姿は執務室から消え去った。
「逸太、あれは何だい?」
休日の昼下がり。
逸太と漣次郎は、往来で足を止める。
今日は日曜日。記憶喪失の漣次郎の頼みで、逸太は休日にも関わらず彼の“外出”に付き合っていた。見かけによらず人の良い逸太は、漣次郎の頼みを断らない。
人の多い大通り。
漣次郎が指差しているものは…。
「…どれだよ」
「ホラ、あの空高くを飛んでいる…白っぽい巨大なアレさ。あれはどういう種類の鳥なのかい?」
逸太は空を見上げ…漣次郎の視線を追う。
そして、呆れながら一言。
「おま…ありゃ飛行機だろ」
「ヒコーキ?面白い名前の鳥だね」
「ちげーし。そもそも生き物じゃねーよ。アレはただの乗り物だ」
「む…それは、凄いね。しかしでもあれは…どうやって飛んでいるんだろう?見たところ羽ばたいている様子は無いけれど…?」
「…そんな事までは知らねー」
答えに詰まった逸太は、言葉を濁す。
漣次郎が逸太を誘って町を歩いている理由。
それは、漣次郎の“記憶喪失”のせいだった。
…漣次郎の記憶喪失は、日常生活に支障をきたすレベルだった。そんな漣次郎が『一般常識レベルの知識』を取り戻す為、こうやって町に繰り出しては逸太を質問攻めにするのだった。
逸太の説明に一応納得したらしい漣次郎は、腕を組み神妙に頷いている。
「ふむ、しかし凄いね。これが人間の英知という訳か」
「…大袈裟過ぎね?」
呆れる逸太をよそに、漣次郎は周囲を見回す。
「凄いものは凄いさ。だって僕らの周りを走るあの謎の乗り物も、この不思議な素材でできている街並みも、至る所に見られる不思議な光も…全部人間がその技術で生み出したものなのだろう?」
「まあ…犬や猫がこれを作ったなんて事は無いだろーな」
「そりゃそうだろうね。でも、仮にこの技術を僕が…」
漣次郎が何かを呟くが、騒音に紛れたその言葉は逸太に届かなかった。
「あ?何か言ったか漣次郎?」
「…いや、何でもないよ。いろいろと感心していたのさ」
何に対しても知的好奇心旺盛な漣次郎を眺めるのを、実は逸太も少し楽しんでいた。そして、彼はちょっとしたアイディアを閃く。
「なぁ漣次郎、今度の休みにどっか遠出しようぜ?なんか…街中を歩いてもお前の記憶戻りそうにねーしよ。もしかしたら、今までとは全然違うトコに行った方が良いかもしれねぇからな!」
実は“遠出”というのは建前で、逸太は漣次郎を新幹線に乗せるつもりだった。漣次郎の生活圏ではまず見る機会は無いし、それに漣次郎は通勤がバスなので…記憶喪失の後は電車すら使っていない。
その逸太の提案に、漣次郎は目を輝かせる。
「本当かい?嬉しいね!」
「お、やっぱ乗り気だな。俺も折角だから、アレに驚くお前を見て楽しませてもらう事にするぜ」
「ふふ、それはとても楽しみだ…」
漣次郎が急に胸の前で手を組み、俯きながら微笑む。
「…あ゛?その女々しいポーズやめろよな…」
眉を顰める逸太。
そんな逸太の言葉を遮り、漣次郎は彼の顔を覗き込む。
「実は僕、旅が…見知らぬ地へ行くのが、大好きなんだ」
そのまま2人の姿は、雑踏の中に消えていく…。
読んでくれているどこかの誰かに感謝を。
フェリアも漣次郎も元気でやっているようです。