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はじめに

これは巷で話題になっている、尊厳死について私なりに考察し、考えた結果であり、特定の団体や個人、また陰謀的な組織による意識づけでもなんでもない事、まったく何の力も関係ない事をここに記します。


この主題においてドキッとする人は私のことをけなしても構いません。私も私なりにあらがえない運命の中にいることに苦しんでいる者で、またその中でも自分というものを残したいと思っている一般人です。


これをきっかけに、皆さんの人生がより光るものになれればよいと思っています。


なくなった祖父母、その陰影を追う母に捧げる。

とある古書店で買った本に、こんな手紙が挟まれていた。

人間はある日を境に、自然を拒絶する様になった。科学の発展は我々の生活から「恐怖」という概念そのものをなくした。完璧なシステムが構築された世界で、飢餓や災害や犯罪、ましてや怪物の存在を怖がるものなどはいない。そしてそれは、「死」という概念も例外ではない。我々が死ぬことはなく、死ぬことを恐れることもなくなったのである。

そして死はいつしか、最大の恐怖から、人々の欲求や権利になり始めている。


「この生活を抜け出そう 尊厳死に光を」


こんな標語を政府が広報するくらいなのだから、きっと政府もこの風潮を解決する気はなく、むしろ好都合だと思っているのだろ。人々は「死にたい」という言葉を軽々しく口にするようになり、巷では「死ぬ権利」という言葉が流行語になったらしい。我ながらとんでもない世界を作ってしまったと切に感じている。


人が死ななくなった世界では専ら「持続可能な社会」という大義名分のもと、人をどのように減らすか議論されている。まさしく人間の生命を管理するゲームマスターなしに、人間が革命を起こし、すべてが逆転した大富豪。


ここで私は、一枚のジョーカーを持っていることを宣言したい。

願わくは、このカードを最後まで切ることの無いような、そんな希望にあふれた世界であることを望む。』


この手紙はいつだれが、何のために書いたのかもわからないが、なぜか妙な心情を抱いてしまい、なかなか捨てずに残してしまっているのである。

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