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『綴れ刺せ、夜の帳が降りる前に』2

 冷風で満ちた車内。後部座席に腰を下ろした日辻ひつじに、はなはひっそりと声をかけた。


「ごめんね、こんなことになっちゃって」

「いや、いいんだよ。これ買ってもらったし」


 そう言って彼の掌で軽く踊るのは、熊五郎に買ってもらった冷たいココア缶である。

 警察署に戻るという熊五郎が半ば無理矢理に車で送ると言い出したのもあるが、汗かきである日辻からしてみればラッキー以外の何物でもなく、飲み物まで買ってもらったとあらば、首を横に振るわけにもいかなかった。


 空いていた助手席ではなく後部座席に座ったのは華なりの思いやりなのだろうが、彼女はツンと窓を眺めて何かを言うことは無かった。

 反抗期だろうか。日辻は喉元まで出かかった言葉を呑み込み、優等生のように見える彼女の反応を密かに楽しんでいた。だからだろうか、日辻は入学式が終わってからの事を思い出し、ひとつ彼女に尋ねてみた。


「学級委員長になってよかったの?」

「……ん?あぁ、あれね」

「なんだ、華が委員長になったのか?一年持てばいいがなぁ……」

「あれは場の空気が……」

「同じ中学の子に推薦されちゃって、先生も乗り気だったんですよ」

「ハハハ、そりゃ災難だったな」


 華はこの話が面白くないらしく、少しキツイ目を更に不愛想にして日辻へと話題を振った。

 女子は華が委員長を務めることになったが、男子には日辻が選ばれたのだ。さっきまで言葉にすることは無かったが、彼女にはそれが引っかかっていたらしい。


「相方は日辻くんだから、迷惑をかけたらごめんね」

「それはお互い様だよ」

「やっぱり男は少ないのか」

「俺ともう一人居るんですけどね」

「日辻くんが先生から推薦されてたんだよ。それで、もう一人の人が乗り気じゃない空気出したから一瞬で決まったの」

「先生に好かれてていいじゃないか。損にはならないだろう」


「雑用係みたいなものですよ」と、苦笑いを浮かべて答えた日辻だったが、彼自身、教師から言われた時は驚いたのだ。最初は電話で新入生代表の挨拶をしてほしいと言われたのだが、共学になった年の初っ端から挨拶をする勇気は彼にはなかった。

 だってまさか自分が入試で一番点数が良いだなんて予想していなかったのだから。


 他愛もない話は続き、日辻が両手に握ったココア缶が手になじむ頃に熊五郎が運転する車は停止した。

 この街に住んでいれば場所だけは知っている県の警察署は、間近で見てみるとやはり緊張感を感じさせるものだった。ここでは数多くの人が働き、日々の平和を守っているのだろう。

 ふと、日辻がそう思った時だった。


 低いバイブレーションの音が熊五郎の胸ポケットから鳴り響いた。

 煙草を入れているのとは反対側、首掛け紐に繋がった黒色のガラパゴス携帯だ。


「もしもし、狩谷だ。何かあったのか……────。今は署の前だ。分かった、すぐに向かう」


 電話越しに聞こえてくる荒ぶった声は日辻と華に強い緊張感と非日常を与えるものだった。

「すまない」と、短く言葉を切って警察署へと走り出す熊五郎の背中を見つめる事しか出来ないでいた二人は、少ししてから我を取り戻したように慌てながら帰路についた。

 ただ、それは今何かが起こっているという危機的な緊張から来るものではなく、慣れない相手と二人きりで密室に閉じ込められたような、変な緊張から来るものだった。


「家まで送るよ。狩谷さんの家ってここから近いの?」

「うーん……、歩いて十五分くらいかな。いやごめん、もう少しかかるかも」

「まぁそのくらいなら誤差だよ。これで何かあったら狩谷さんのお父さんに何言われるか分からないしね」

「ふふ、頼りになるの?それに日辻くんさ、お父さんと一緒に居る時、苗字被るからって名前呼ぼうとしなかったでしょ」

「あーー……、それは許してよ」

「もう華って呼んでよ。慣れるまでは狩谷でもいいからさ」

「じゃあ俺も下の名前で呼んでもらっていいから」

「気が向いたらね」


 二人足並みを揃えて歩き出した午後四時。スマホを取り出して時間を確認した日辻は、ついでとばかりに携帯でネットニュースを開いた。見た感じでは特に近所で何かしらの事件が起こった様子はなさそうだったが、入学式で警察官から話があったその日のうちに全てを忘れてしまうのも憚られた。

 高校に入ってから買い与えられた日辻のスマホの画面を横から見たのだろう。華もスマホを取り出して指を動かし始めた。

 一通りニュースタイトルに目を通した日辻は彼女もニュースを見ているのかと思ったが、彼女から差し出されたスマホの画面には、連絡アプリの画面が表示されていた。


「学級委員の仕事とかでも連絡はするだろうし、せっかくだからさ、連絡先交換しようよ」

「うん、よろしく」


 無事に交換された丸いアイコンと背景画面を眺める日辻は足を止め、本当に彼女の連絡先で間違いないのかを確認していた。

 それに対して華は早々に確認を終えて、少し進んだ先で日辻へと振り返った。


「……ねぇ、さっきニュース見てたけど、日辻くんは例の噂どう思ってるの?」

「噂っていうと宗教団体のやつ?」

「それもなんだけど、ほら、十年前の事件の……、犯人がまた動きだしたって言うじゃない?」

「狩谷さんのお父さんも言ってたやつだね」

「それについて日辻くん、どう思ってるのかなって」


 夕を孕んだ空の下、少し眉を下げて日辻に問いかける華は、今日一日、彼が見て来た中で一番弱く見えていたことだろう。彼女自身、父親である熊五郎に一度たしなめられているからこそ、この質問を彼にするのは躊躇われたのだ。

 だが、彼女は母親が死んだあの日から知りたかった。

 どうして犯人はあんな事をしたのか。警察官の娘だとか、死んだ母の無念だとか。そんなものを抜きにして、ただ純粋な好奇心として犯人に話を聞いてみたかった。こんなことを熊五郎に聞かれたなら、華はきっと怒られてしまうだろう。

 だからこその質問でもあった。


「狩谷さんには悪いんだけど、俺にとってあの事件はもう終わった事なんだ。たとえ、犯人がもう一度姿を見せてもね」

「ううん、ごめん。違うの。どうして犯人はもう一度出てきたのかなって」

「それは……──」


 一つ呼吸を開け、あえて華の体全体を見るように視線を調整して日辻は口を開いた。


「それはきっと、自分を制御出来るようになったからじゃないかな」

「自分を、制御……?」

「そしたらきっとさ、気に食わない人を殺しちゃうと思うんだ」

「どうしてそう思うの……?犯人を憎んだりしてない?」

「犯人は恨んでるよ。それはもちろん」


「どうしようもないほどに悩んで、過去に置き去りにしたんだ」と、ほろ苦い笑みを浮かべる彼の顔は夕焼けに呑まれ、華の瞳に不気味に映った。べっとりと張り付いた血の様なオレンジの出どころである、あの雲の少ない空へと彼女は視線を向けた。

 どことなく空虚感を心中に移したままに除いた夕空は、酷く赤い様に感じられた。


 さきほどの会話からほぼ無言で歩いていた二人は住宅街近くまでやってきていたが、いざ辿り着いた住宅街にはあまり嬉しくない光景が待っていた。


 日辻たちと同じ爾汝じじょの制服を身に纏った少女が、何者かに追われていたのを二人は見てしまったのだ。

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