第七話 水晶の精霊
「だってあーたお城にいたら突然陛下の気配がするじゃない! あらっ、陛下っていうのはもちろん我らが愛しき王のことで、お城にいるむさむさした人間のことじゃないから絶対に間違えないでちょうだい。っていうかあの人間ヒゲぶち抜いた方がいいわねえ、似合ってないし美しくないしイヤだわあイヤ。それで話を戻すけど普通ならこんな所におられる御方じゃないから一大事ー!ってなわけであたし風に送ってくれって頼んだのよ。そしたらあいつらあたしのこと重いからイヤって言うのよワガママよねえ。仕方ないからむさむさした人間の子どもをひっぱたいて連れてきてもらったんだけど臭いわねえここ、ねえ臭くない?」
うるせえ。
「そしたらあーた陛下じゃないじゃない! たしかに雰囲気が近いけど違うものだわ。いやねえあたしったら早とちりでごめんなさいねえ。ところでなんでこんな質の悪い石に囲まれてるのあーた。いやっ、不純物が混じってるじゃない! だから臭いのよばっちぃわねえ」
地下に降りてきたそれ――精霊はとにかくよく喋り立てた。
後ろにはジゼアがいたが彼の顔はあからさまにうんざりとしていたし、ジゼアについてきたのであろう帝国の兵士たちもそれぞれが天井を仰いだり肩を落としたりしている。
キルシュに至っては石床に倒れ伏していた。これは先程の発言が仇となって精霊にのされたからで、今は精霊のステージとしての役割を与えられているようだった。
「あーた生きてる大丈夫?」
「あ……ええ、はい……」
由貴はといえば、その姿に目を奪われていた。この世界には精霊が存在するとは聞いていたが、実際に見るのは聖女だった時も合わせてこれが初めてだったのだ。
精霊は全体的な形こそ人間の幼児のようだったが、その頭には毛髪ではなく透明の石が――おそらくは水晶が――群生していた。その生え際から爪先までの肌は乳白色。幼児体型らしくぽってりと腹部が膨らんでいたが、柔らかさとはほど遠いことが、精霊がキルシュから降りた時の硬質な音でわかった。
「んまあ近寄ってみると本当に陛下の気配に近いのねえあーた。これは間違えても仕方がないわ。うふふ、いいわあ面白そうね気に入ったわ。あたしの名前はクリスティーナっていうの。あーたのお名前はなあに?」
精霊――クリスティーナが由貴にそう言った瞬間、その場が明らかにざわついた。
ようやく起き上がることを許されたキルシュが「……まじ?」と呟き、ジゼアは目を見張った。何かが起きたことは確からしいが、由貴にできることはその質問に答えることだけだった。
「え、えっとあの、私の名はミーシャと申しますが……」
「みーしゃ? ミーシャねえ……。あらやだ普通でありきたりな名前じゃない。つまんないわあ、つまんない。その着てる服は面白そうなのにねえ」
「……クリスティーナ、その女は捕虜だ。王女の協力者で行方を知っている」
「協力者じゃないし、行方も知りませんってば!」
先ほどの動揺など無かったかのように、ジゼアが冷淡にそう言った。由貴がすぐさま否定するがジゼアはにべもない態度。
しかしクリスティーナはそんなジゼアに向かってため息を吐き、両手を上げて首を振った。
「やだわあそんな話、微塵も面白くないしミーシャが違うって言ってるじゃない」
「違うかどうかはこちらが調べて決めるんだ、クリスティーナ」
「物わかりの悪いこと言わないでちょうだいなジゼア。陛下の気配に近いミーシャがそんなつまんないことなんてしないの。竜人の血を引いてるくせにそんなこともわからないの? 可哀想に、今出してあげるわねえ」
「クリスティーナ!」
ジゼアはなおも止めようとしたがクリスティーナは意に介さず、由貴を閉じ込める鉄格子に触れた。
「えっ何これ、鉄格子が……!?」
すると、クリスティーナの手元から広がるように、鉄格子がパキパキと音を立てて水晶へと変じていくではないか。
由貴があんぐりと口を開けていると、鉄格子はすっかり水晶に成り果てていた。さらにクリスティーナが両手を打ち合わせると、根本から崩れ去るように水晶の格子が砕け散っていく。
「わっ!」
破片が飛んで、後退る由貴。それを見たクリスティーナは、
「あらやだごめんなさいねえ、あんまりやらないから気が回らなかったわあ」
と言って、あどけなく笑った。
「いったい何が起きたんですか……!?」
クリスティーナの独壇場が終わると、由貴はすぐに地下から連れ出された。
階段を上がると石造りの広い部屋に出た。さらにその部屋を出ると通路があって、あちこちの明かり取りの窓から朝日が射し込んでいた。地下にいた由貴の目にそれは酷く沁みた。手を廂にして薄目で耐えつつ、ジゼアの後を追う。
あのあと地下牢には砕けた水晶が散乱し、ジゼアについてきていた兵士たちはそれを拾い始めた(というか彼らはそれが仕事らしかった)。キルシュは腰を痛めたのか椅子に再び座り込み、クリスティーナはなにやら一眠りするようだった。
そのため残ったジゼアが由貴を連れ出したわけだが、彼は先ほどからほとんど喋らない。
視界がぼやけてきて表情は窺えないが、機嫌が良いなんてことは絶対に無いだろう。
「あの、せめて、もう少し、歩調を緩めて……!」
さらにその機嫌に合わせた歩調なので、由貴としては堪ったものではない。ただでさえジゼアの足はモデル並みの長さだというのに、それが大股かつ早足ともなれば、一般人の由貴では小走りでしか彼を追いかける方法が無かった。
(そりゃわかるけど! 自分が怪しいと思って捕まえていた女が、面白そうだからっていう理由で解放されたのが許せない気持ちは! 高潔なお人柄ですもんね、ええ! あなたは面白くないでしょうとも!)
しかしそれは由貴のせいではない。そもそもその疑いだって濡れ衣なのだ。
由貴にしてみれば今日までの出来事は、異世界に飛ばされて息つく暇もないままあらぬ疑いをかけられ、殺されかけた上に二日間も地下牢に閉じ込められてやっと出られたと思ったらゴールの見えない競歩をさせられているという、そんな内容だ。
しかも朝日はそんな哀れな由貴に容赦がなくて、瞳には涙が溢れんばかりに溜まっていた。
(あーっ! もう知らない!)
こうなると人間やけっぱちになるもので、由貴はこみ上げる感情のままジゼアに訴えた。
「ちょっと聞いてます!? 説明しろって言ってるんです! 私何で地下牢から出られたんですか!? 疑いは晴れたってことでいいんですか!? さっきから黙ってますけどそれでわかるわけないでしょ!? 言っておきますけど、まだ疑ってて場所変えて尋問しようなんて考えてたらそれ時間の無駄ですからね! 私王女のことなんて知らないんですから! 再三言ってますけど!」
と、由貴はまるでクリスティーナのように捲くし立てた。元演劇部のおかげか、その言葉は一言一句はっきりと城内に響き渡る。
「ねえちょっと聞いてますハイセンさん!? あと歩くの速い! もっと遅く! 歩幅緩めて! こちとら短足なんで配慮してもらっていいですか!? 気遣い! 思いやり! これ大事!」
ジゼアがこちらを見向きもしないのをいいことに、由貴はぎゃんぎゃんと言いたい放題言った。
とするとさすがに鬱陶しくなったのか、ジゼアは予想だにしない速さで由貴を振り返った。
「喧しい、……ッ!」
――が、由貴を見て途端に動きを止める。
「……ん?」
怪訝に思って由貴が首を傾げると、ジゼアの瞳が大きく見開かれたのが見えた。そしておもむろに腰のあたりを探ったかと思うと、なにやら上質な布――否、ハンカチを取り出して由貴に差し出した。
ジゼアの唐突な行動の意図がわからず、由貴は群青色に染められたそれと彼の顔を見比べた。
「……泣くな」
どうやら首を傾けた時にこぼれた涙が、由貴の頬を伝ったらしい。
「悪かった。俺でさえこの状況に動揺している。ましてや当事者であるお前は、相当な不安を感じて当たり前だったな。自分のことばかり考えていて気が回せなかった。……すまない」
それをジゼアは、不安が極まったせいだと思ったようだ。
「いえあの、全然大丈夫ですから……」
涙を流した主な理由は感情のせいではないのだが。
さすがにこの流れで「太陽の光が目に沁みただけ」とは言えない由貴である。
「……じゃああの、お借りしますね」
「ああ」
由貴は遠慮がちにジゼアからハンカチを受け取った。まだ目が慣れていないのか、拭っても拭っても後から涙が滲んでくる。苦心する由貴を、ジゼアは黙って見守っていた。
その視線を感じ、由貴は妙に居た堪れない気分になった。
さらに、涙一つで神妙な態度になったジゼアにこんなことを思っていた。
ミーシャの演技にも簡単に引っかかってくれたあたり、騙されやすいのではないかこの人、と。
「あの、ありがとうございました。洗ってお返しします」
「必要無い」
「いやでも」
「いいから返せ、時間が無い」
と言って差し出された手に、由貴はおずおずとハンカチを渡した。その時、ハンカチの色がジゼアの髪と同じだと、意味も無くそんなことを思った。
由貴の瞳はすっかり朝日に慣れていた。明瞭な視界で改めてジゼアを見ると、彼は少しばつの悪い表情をして踵を返した。その横に並んで由貴もまた歩き出す。
歩幅を気にする必要は、もう無くなっていた。
「……あの、何処へ?」
「説明はする。だがその前にお前の身支度をする方が先のようだ」
「えっ?」
「ハイセン団長! 何やら大声が聞こえましたがなにか……あっあなたは」
歩き出して間もなく、前の方から一人の女性が走ってきた。キルシュの姉、アリエスだ。
ジゼアは彼女の姿を見て足を止めた。そして由貴をちらりと見やり、その背中に手を添えて前に押した。
「アリエス、ちょうど良い。ミーシャの着替えを手伝ってやってくれ」
「えっ」
「えっ!?」
ジゼアの提案に、由貴はどういうことかと驚く。アリエスも要領を得ず困惑している風だったが、ジゼアは構わずに続ける。
「クリスティーナが名前を聞いた。殿下にお伝えしなければいけない」
「クリスティーナ様が名前を……!? この女性にですか」
「そうだ。急がなければならないが……王都の方はどうだ?」
「はい。今のところは今朝以上の騒ぎは起きていません。ですが、王都のあちこちできな臭い動きが見えます。制圧には時間がかかるかと」
「わかった。軍営にいる連中と少し話をしてくる」
「ありがとうございます。団長が声をかけてくだされば、彼らの士気も上がることでしょう」
「だと良いがな。では頼んだ、すぐに戻る」
「はい、お任せを。お気をつけください」
という、由貴にはまったく理解できない会話が行われて、ジゼアは軍営に向かった。
去り際、ジゼアは由貴に小さく頷いて「心配無い」と言ったが、いったい何の心配ができるというのか。
結局何の説明もされていないんだぞこっちは、という不満を擦りつけるように、由貴は去りゆくその背中を凝視しし続けたのだった。




