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第一話 再び異世界、そして偽り


 ――やばいものを見てしまった。


 その時、部屋のクローゼットの中に一人の女性がいた。

 名を百合藤ゆりふじ 由貴ゆきという。濃茶の髪に同じ色の目、カジュアルなスーツに身を包んだ彼女は、何を隠そうこの国の元聖女であった。


 七年ほど前の話になる。高校生だった由貴は、所属していた演劇部の活動中に奇妙な眠気に襲われて撃沈。

 目を覚ますと全く見知らぬ村、そして世界にいた。当然不審がられたものの、その世界では神聖とされる金色の髪であったことと(演じる役の設定上、金髪のウィッグを被っていただけである)、その時村に湧き出た瘴気を偶然浄化したことにより評価は覆った。

 由貴の噂を聞きつけた王都から迎えが来て向かうと、王がこの国を救ってくれと言う。言われるがまま、自分でもよくわからない不思議な力で瘴気を浄化していると、気がつけば聖女だのなんだのと祭り上げられていたのだ。


(ええーなになに!? ここって聖女だった時の私の部屋じゃない!? もしかしてまたこっちに来たの!? 仕事に行く所だったんですけど!? しかも何でクローゼットの中なの!? いやそれより知らない人いるけど! 私の肖像画めちゃくちゃにされてるけど! 怖あぁっ!!)


 クローゼットのわずかな隙間から見える、一心不乱に自分の肖像画を切りつける男を見て由貴は恐怖に震え上がった。


 そりゃあ、あの肖像画に良い思い出があるとは言えない。何せ大陸でも著名だと言われてやって来た画家は、自分の美の押しつけが激しく、どう考えても似合ってない金髪(ウィッグ)に合わせて由貴の眉毛も瞳も金色で描き、そこまで起伏豊かでない胸を盛りに盛り、非現実的なボディラインにして最早別人に仕立て上げたのだ。

 まわりもそこで止めてくれたら良かったものを、聖女の神々しさを表せているとかなんとかで結局完成まで行き着いてしまった。

 挙句の果て複製され、大量に国に出回った時、由貴は心の底から決意したのだ。


 さっさと帰ろう、と。


 どうやって異界を渡ったのかもわからなかったが、幸か不幸か、ある日来た時と同じように激烈な眠気に襲われ昏倒。

 目を覚ました時、由貴は元の場所にいた。ウィッグが無くなっており、時間が一時間程度経っていた以外は特に変化は無かった。紛失したウィッグを弁償する為に、由貴のお小遣いは消え去ったが。

 七年も経てば、あれは夢の中の出来事だったとしか思えなかった。そして今この瞬間も夢だと思っている。夢なら自分の思い通りになるだろう。

 今すぐ覚めてくれ、それがダメならこの部屋から脱出を!


「……誰だ」

「ッ――!!」


 由貴の願いむなしく、男がクローゼットの中の由貴の気配を捕らえた。肖像画からゆっくり離れたかと思うと、次の瞬間にはクローゼットの取手に手を掛けていた。

 あまりに早く無駄の無い動きに、由貴に逃げる暇はなかった――元々狭いクローゼットの中、逃げる場所など無かったのだが。


「女?」

「ああああの私、はっイケメンひいッ!」


 見上げた先にいたのは、目の覚めるようなイケメンであった。深い群青色の髪の下、月の様に薄く輝く銀目が印象的で、右目の側には泣きぼくろがあってなんともセクシー。

 現実世界にこんな男がいたら幼少期から子役デビュー待ったなしだろう。本人に無断で芸能事務所に履歴書が送られても不思議ではなく、都会なんぞに出た日にはスカウトマンが人混みを縫いながら早足で近づいてくるに違いない。

 まさに眼福であった。

 首筋に剣が突きつけられていなければ、だが。


「貴様、何者だ」

「いやあの、」

「名乗れ。ここにいる理由も述べろ。無いとは言わせん」


 男に詰問され、由貴は戸惑った。

 名乗ることは簡単だ。自分の名前は百合藤 由貴。かつてこの国で聖女をしていた異世界人。役目を果たしたため元の世界に帰ったが、何の因果かまた召喚されてしまった――それだけだ。


 だが、正直に話してしまうには視界に入る部屋の様子があまりにも酷すぎた。

 天井の一部は崩れ、瓦礫となって床に落ちているし、カーテンもずたずたでぼろ雑巾のよう。調度品も由貴が知る頃よりずっと少なくなっており、手入れも無かったのか数年は経たような劣化が覗える。


 そして、聖女憎しとばかりにその肖像画に唾棄していたこの男だ。

 何があったかは知らないが、聖女はもはや崇め称えられる存在ではなくなったことを示している。こんな状況で素性を白状することなどとてもできない。

 肖像画のようにめった切りにされる予感を、由貴はひしひしと感じていた。


(なんとしても聖女だったことは隠さないと……)


 幸いなのはウィッグを被っていない状態であることだ。

 王国では聖女は金髪であるという認識が周知されていた。元々この世界において金髪は神聖なものという考えがあった所に、そのウィッグを被った由貴が聖女を名乗って活動した結果だった。

 その為、例え由貴が元聖女だと言い張っても地毛の今、それを信じる人間はまずいないだろう。

 顔見知りとてそうだ。由貴の顔つきは日本人の平均的なそれであって、全体的に掘りが浅い。言ってしまえば薄く、金髪と比べれば印象の面でどうしても劣り、結果、顔を覚えられていないということが多々あった。


(外見は問題ないよね。この人も気づいてないみたいだし……問題は名前だよ)


 由貴を聖女として結びつけるにあたって、可能性があるとすれば外見ではなく名前の方だった。

 その頃、聖女の名声が広まるとともに、巷では金髪だったら聖女であるなどという人格無視の過激派が出現していた。しかもわりと支持を受けていると聞いて由貴は目を剥いた。


 周囲は「金髪は神聖なもの、さもあらん」といった様子だったが、由貴にとって金髪はただのヘアカラーのひとつに過ぎない。しかも由貴のこれは劇で使う小道具のウィッグ。単刀直入に言ってただのヅラ。そのヅラが一人脚光を浴び、レッドカーペットを歩いている。

 これに由貴はたいへんな危機感を覚えた。


 このままでは、ヅラにすべてのアイデンティティーを奪われる――と。


 今思えば論理的に破綻しているし、馬鹿げた話だ。

 しかし当時由貴は十七歳。多感な年頃である。自らの存在――名前だけは守ろうと、必死になってもおかしくはなかった。


 由貴はそれから、初対面の人との会話にはもれなく三回ほどは己の名を突っ込んだ。瘴気を払う際には名乗りを上げ、詠唱の中にもそれっぽく名前を組み込み、フィニッシュ時にもう一度名前をシャウト。


 途中から由貴の心情を理解した世話役がそっとハンカチで涙を拭っていたが、由貴は抗い続けた。

 恥も外聞も無かった。心を無にして名前を連呼。最終的に気分は選挙カーのウグイス嬢であった。


 その涙ぐましい努力の甲斐あって、聖女の名が「ユリフジ ユキ」であることは知れ渡った。少なくとも王国内で知らないものはいないだろう。兵士一人平民一人に至るまで徹底されたはずなのだから。


 この男が王国の人間ならば、迅速に偽名を使用する所であった。しかし男の装備は見慣れぬもの、所属を表す紋章がこの国のものではない、おそらくは他国のものだ。

 この時、何故ここに他国の人間がいるのか、その理由を由貴が気にする余裕はなかった。


(だったら名前くらいは本名でいいかな。ぼろ出しそうだから嘘はなるべく吐きたくないし、ユキって名前だったら、ちょっと珍しいけど通用する――)


 そう考えていた由貴だったが、滅多切りにされた肖像画がちらりと目に入り、根本的な問題を思い出した。

 あれだけ憎しみをぶつける相手の名前を知らないはずがないな、と。


「どうした? 何故黙っている。言え。無いとは言わせんと言ったはずだ」


 ずいぶんと長い沈黙に、男が痺れを切らしたようだった。剣先がつい、と由貴の首筋に寄せられる。


「ひいぃっ! あの、わ、私は……!」

「わたしは?」

「私は、王城にて下級侍女を務めておりましたミーシャと申します……!」


 男のただならぬ雰囲気に押されるようにして、由貴はそう吐き出した。


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