第九話 後
「――まあ、とにかく会って話してみないことにはね。望みは出来うる限り叶えてあげるつもりだよ。ええと彼女、今何処にいるって言ったっけ? 地下牢はクリスティーナ様が壊したんだものね」
かすかに漂っていた緊張感が解かれ、ジゼアは少しだけ居心地の悪そうに身動ぎをしてから答えた。
「アリエスに身支度を整えさせております。殿下の御前に連れてくるつもりでしたが、そのままではとても会わせられるような状態ではなかったので」
「待ってジゼア。君、いったいどんな状態で地下牢に入れてたの? ミーシャは王女を逃がしただけだよね? それも疑いがあるだけで本当かどうかわからないし。しかも彼女は敵意無しなんだろう? 冷静な君なら、もうちょっとすべき扱いがあったんじゃないのかい? それとも――」
「彼女に何かされたの?」とエドウィンの不思議そうな視線を受け、ジゼアは唸った。
「申し訳ございません。彼女を捕らえて地下牢に入れた時は少々、怒りで我を忘れておりまして……」
「君が怒りで我を……? ……ははあ、なるほどねえ?」
エドウィンはそう言って、友人をからかう時の悪い顔をした。
「君の“悪い癖”が出たんだねえ」
「殿下」
「違うのかい?」
「そうではなくて……“悪い癖”という言い方はやめてください」
エドウィンの言う“悪い癖”とは、普段冷静で、ともすれば冷淡無情と揶揄されることもあるジゼアが、とある条件の下では狂ったように感情に振り回されることをいった。ジゼア自身はそれを悪癖と思っていないので、必ず否定しているが。
続けてからかっても面白いが、さすがに今やるべきではないなとエドウィンは肩を竦めるだけにとどめた。
「まあいいけどね。でもジゼア、彼女を哀れに思うならちゃんと配慮してあげた方がいいよ」
「努力します」
「うん。さてじゃあ、お嬢さんの支度が整うまで王国の話だ。ええと、王族はあと王女だけ?」
「はい。王女は北方へ……神殿街を経由し、大陸北部の友好国へと逃れようとしているものと思われます」
話が変わったことに安堵しながら、ジゼアは尋問して聞き出した情報をエドウィンに伝えた。
それはジゼアが当初予想したこととほとんど変わらなかった。
「王国の神殿街……聞いたことがある気がするなあ」
「神殿街はこの国の聖女信仰の中心です。元々は小さな村でしたが最初に聖女が瘴気を払った場所とされ、信者たちが集まって神殿を主軸に街を形成しています。王都ほどではありませんが、それなりに大きな街です。おそらく王女はそこで休息を取り、北に向かう準備を整えるのでしょう」
「そう。じゃあとりあえず北の国境は閉鎖だね。君のことだからもう手配は済んでると思うけど。僕からも北国の王に書簡を送っておくよ。王女がもし入国した場合、その身柄を引き渡すようにって」
「ありがとうございます。神殿街の方には、すでに隊を派遣しておりますので」
「うん、いいね。じゃああとは王都をどう落ち着かせるかってことだ」
エドウィンはジゼアから目を放し、いったん王都を眺めやった。沈黙した街並みの間から上がっていた煙が薄くなりつつはある。
しかしそれとは反対に、王都にいる民衆の帝国に対する叛意が高まっている気配がした。
「炎上したのがそんなに気に食わなかったかなあ。被害を受けるのは王侯貴族だけかと思いきや、自分たちも巻き込まれたから、このままじゃ殺されると思って自棄になってるのかな。……いや、そういえば彼らは言っていたよね。ほら、襲撃してきた四人。聖女様の王都を破壊した帝国を許さない、聖女様に代わって帝国を罰するんだって」
「はい」
「それってどういうことだと思う? 僕は君から聞いて、聖女についてはそれなりの知識はあるけど、さすがに信仰する――信者の心の機微まではわからないな」
そうエドウィンが言うのは、帝国には王国の聖女信仰のように国民が熱狂した宗教が無いからだった。
エドウィンに聞かれ、元王国民のジゼアは腕を組んだ。
「この国は聖女のおかげで貧困から抜け出したことは、以前お教えしたことがあったかと思います。その中でも王都は特に、聖女が住まい、そして多くの奇跡が与えられ繁栄した場所です。ゆえに王都の民は王都を聖女最愛の地と考え、そこを破壊されることは聖女が望まないとでも考えたのではないでしょうか」
「だから襲撃を? じゃあ、この叛意の根本にあるのは聖女への信愛ってわけだ」
「その信愛を裏切り、繁栄を食い潰したのは他ならないこの国の人間なのですが」
「全員が全員ってわけじゃないだろうさ。敬虔な信者だっていたはずだよ。もしかしたら王都で襲撃を起こしているのは彼らなのかも」
「ではそいつらを縛り上げましょう」
「落ち着いてジゼア。それだと相当な手間と時間がかかるよ。……まあ一番良いのは聖女様が降臨して、民衆を宥めてくれることなんだけど」
「無理ですね。聖女はこの国に戻りたいとは思っていないでしょう」
きっぱりと言い切るジゼアに、エドウィンは苦笑した。
「じゃあ聖女の代弁者にご登壇していただこうかな」
「代弁者?」
「いないのかい? 神殿とやらに。聖女信仰の指導者みたいなのがさ」
「……いると思います。呼称が変わってなければ、神官長が」
さすがに誰なのかまでは知らなかった。ジゼアは帝国に亡命してから、王国の話を積極的に聞こうとはしなかった。詳細を知れば、ただただ不快感を感じることは明白だったからだ。
ジゼアが苦い顔をしていると、エドウィンがふと何か思いついたようだった。
「ねえジゼア、これは僕の想像なんだけどね」
「はい」
「もしかして王都の騒ぎは、その神殿が焚きつけてるんじゃないかな」
「何故です?」
「理由は色々あると思うけどね。例えばほら、帝国に統治されると信者を失っちゃうとかさ。帝国ってあんまり信仰に興味ないだろう? 実利優先だから聖女信仰なんて蔑ろにする可能性がある。だから帝国軍を排除しようとしてる。火をつけたのはまあ、信者以外の民衆の叛意も煽るため、かな」
「まさか。どれほど俗世から離れようと帝国軍の強さを知らない者はこの大陸にはいないでしょう。刃向かうだけ無駄です。それに帝国の支配をよしとしないのならば、神殿は何故ここまで放置したのでしょうか。神殿ならば、全盛期ではないにしろ影響力はあったはず。それこそ貴族の連中に働きかけて、戦争を回避することもできたはずだ」
「働きかけたけど無駄だったのかもしれないよ? だってこの国の王候貴族は聖女への信愛を真っ先に失ってたから、あれだけの富を食い潰した訳だろう? まあそれは一部の民もそうかもしれないけど。ならばそんな不信心な輩は帝国軍に殺してもらって、その帝国軍を自分たちが滅ぼして国を牛耳ると。ついでに王都が廃墟同然になれば儲けものなんじゃないかな? だって聖女最愛の地が無くなれば、信仰は神殿に集中するだろう?」
「そして神官長が王として君臨すると? 聖女信仰が隆盛を極めていた昔ならばともかく、今現在の状態で国民が納得するとは……聖女自身が王として立つと言い出すならともかく」
「だから、王女なんじゃないかな。王国の正統な後継者」
ジゼアはエドウィンの言葉にはっとした。
「まさか王女は、友好国に逃げるつもりではなく神殿に保護してもらうつもりで北に?」
「その可能性もあるかな、とね。王女は衰退したこの国の中で、まだ人が集まり再興の余地がある神殿街を新たな王都に据え新王になる。まあ当然、傀儡の王になるわけだけど……王女は政に興味無さそうだよね。だからお互いに都合が良かったんじゃない?」
「殿下……もしそれが事実なら、王女は実の親を見捨てたことになりますが……」
「驚くことかな、ジゼア。王女の性根の悪さは、帝国にも届くくらい有名だったじゃないか」
エドウィンに言われ、ジゼアは納得してしまった。確かにあの王女ならばあり得る。邪悪を煮詰めたような、あの悪女ならば、と。
「まあでも、色んなことが考えられるわけだ。単純に、王女が逃げる時間を稼ぐために火をつけさせたのかもしれないしねえ。なんにしろ、神殿街に送る兵をもう少し増やした方が良いね」
「……では、私が行ってもよろしいでしょうか? 王女も神官長も捕えてきます」
「いいけど……念のために言うけど、扱いには気をつけるんだよ? 特に神官長は信仰の要で、もし帝国が傷つけたなんて広まったら王都以外の町の抵抗が激しくなるよ。問い詰めるくらいは構わないよ。でもここに連れてくるんだ」
「かしこまりました」
ジゼアは恭しく頷くものの、その双眸が冷ややかなものを滲ませるのが見えて、エドウィンは若干心配になった。
もう一度念を押した方が良いだろうか――エドウィンが珍しく迷っていると、ちょうどその時にクリスティーナが荷車に乗せられやってきた。それを引くのはキルシュ、後ろから押しているのは疲労困憊の帝国兵二人であった。
クリスティーナは目が覚めたらしく、周囲をきょろきょろと見回っている。もしかしたらミーシャを探しているのかもしれない。すでにそれほどの執着があるのだと思って――エドウィンはふと、ジゼアに言った。
「ねえ思ったんだけど」
「はい?」
「これは完全に僕の思いつきだよ。何にも根拠はないんだけど――そのミーシャって子が実は聖女だったり、なんてことは無いよね?」
突然突拍子のない推測を――いや、推測にも満たない妄想を聞かされ、ジゼアはまじまじとエドウィンを見つめた。
彼はおそらくクリスティーナがミーシャに強い興味を抱いたことを、聖女の何かしらと関連づけたのだ。
ジゼアもまた、ミーシャの不可解な点を思い浮かべる。聖女の部屋にいたこと、見たことの無い服装――そして、己のかつての記憶と被るいくつかの出来事。しかし、
「それはありえないかと。聖女が王国に降臨したのは十四年前。その時聖女は十七歳。……私と同い年だった」
「じゃあ三十歳を越えてないとおかしいねえ。ジゼア、君にはミーシャはどれくらいに見えたの?」
「二十歳かその前後。どれほど上にみても二十代の半ばでしょう、若すぎます」
――その言葉は間違っていなかった。後からキルシュに聞いたが、ミーシャは自らの年齢を二十四と答えたらしい。
ジゼアはそれを聞いて、だろうな、と思い、そしてどこかで落胆する自分を感じ取ったのだった。




