第九話 前 精霊と帝国の思惑
――ということがあったので、エドウィンがここにいるのは許されざることだとジゼアは思った。エドウィンは帝国の皇子、そんな簡単に襲撃されていい人物ではないのだから。
そんなジゼアの心の内を読んだかのように、エドウィンは言う。
「まあもしまた不届き者が現れたとしても、僕には頼れる部下がいるからね。何も心配することは無い。そうだろう? ジゼア」
そうやって自国の皇子に信頼している旨を告げられれば、否定することはできなかった。苦いものを飲み込むような顔になって、ジゼアは深くため息を吐く。
「……確かに、城内にはまだ王国の者が複数残っております。恭順を誓いはしましたが、ここ数日の王都の動向を見る限り、それも信用できなくなりました。そう考えると、帝国の者しかいない軍営の方が安全でしょうが……」
「大丈夫だよ。矢を射られたり投石されたりするようなことがあれば、すぐ中に逃げ込むから」
「必ずそうしてください。ですが、今朝のこともあります。念のため周囲を検めさせてもよろしいですか?」
「ああ、侵入者がいないかどうかなら、君がクリスティーナ様を追いかけた後にアリエスが指示してやってくれていたよ。特に異常は無かったみたいだね」
と言って、エドウィンはにこりと笑う。その他者を安心させるかのような笑みを見て、ジゼアはようやく肩の力を抜いた。
エドウィンは「苦労をかけるね」とジゼアを労わり、ついで座っていた椅子から身を乗り出す。
「――で、クリスティーナ様はどうだったの? 君の側にはおられないようだけど」
「ええ。それが……」
ジゼアは眉間を揉みながら、クリスティーナを追いかけた先での出来事をエドウィンに話した。
ミーシャという侍女のこと、そして彼女と出会ったクリスティーナの反応。
すると、ただでさえ下がり眉のエドウィンのそれが、話していく内にますます下がって困惑が極まった風になっていく。
「名前を聞いたの? あのクリスティーナ様が? 僕のことなんか「むさむさした人間の子ども」とかいう悲しい呼び方なのに? ジゼア、その女性は何者なの? まさかクリスティーナ様が言っていた陛下じゃあないよね?」
「それは違うと言っていました。しかし間違っても仕方ないくらい気配が近いと。彼女を解放するため、閉じ込めていた檻を水晶に変えて砕きました。興味を持っているようです――私以上に」
「それはそれは……優秀どころの話じゃないね」
エドウィンは感嘆して、椅子の背に凭れた。
――ロドア大陸にはこんな言葉があった。
“精霊一人につき国一つ“
これは、精霊を一人味方につけることができればその者は一国を興す力を得る、という意味だ。
この世界で精霊は、自然物から生まれる意思ある力といわれている。彼らは己が生まれた自然の性質を有し、それを他のものに行使できる力を持っていた。
クリスティーナを例にとって言えば、彼女は水晶から生まれた精霊だった。そして実際にやって見せた通り、鉄格子を水晶に変えることができる。これは鉄格子に限らず無機物であればほぼすべて、何もない空間に水晶の塊を作り出すことさえ可能だった。
それは言うまでもなく、人間にとって測り知れない価値があった。
しかしクリスティーナを見てわかる通り、精霊というのはおしなべて気まぐれだ。
精霊王に尊崇を捧げる以外は常に面白そうなことを探しており、自分が興味を持ったことにしか関心がない。
幸い彼らは人間に対して「面白いことをする可能性のある存在」と認識しており、交流は比較的簡単だ。だからといって側にいたり力を使ってくれたりするかは全くの未知数で、大抵は名前すら覚えてもらえずに居なくなることが多い。
「君さえいれば、クリスティーナ様は帝国にいてくださると思っていたんだけどなあ」
エドウィンは腕を組んで、ううーんと唸った。
クリスティーナは気まぐれなわりに、もう十二年ほど帝国に住み着いている。その理由はジゼアにあった。
「あれが私の側にいるのは、私の生い立ちに興味があり、その血筋が何か面白いことをしやしないかと期待しているだけですよ」
つまりクリスティーナの興味は今のところすべて、ジゼアに向いているのだ。ジゼアが何か面白いことをしないか、それに興味がある。
しかしクリスティーナが期待している何かを、ジゼアがしたことはまだ無いようだった。そのためクリスティーナのジゼアに対する興味は年々失われているらしく、いつ帝国を出ていってもおかしくはない状態だった。
ジゼアは勝手にすればいいと思っているのだが、帝国上層部はそうは思っていない。すべてではないにしろ、帝国の国力がクリスティーナによって増強されていることは紛れもない事実であるのだ。
ゆえにジゼア以上にクリスティーナの興味を引く人物が現れたとなると、これはもう帝国にとって死に体の王国をどうこうするより重大だった。
「彼女……ミーシャだっけ。帝国にご招待するほか無いね。さて、嫌がられないといいのだけど」
そこでエドウィンが心配するのは対象に拒否されないかどうかだった。無理強いは可哀想などという倫理的な配慮からではなく、強引に事に当たるとその人物に興味を抱く精霊が黙っていないのだ。
これは精霊がその人物に対してどれ程の興味を抱いているかにもよるが、別大陸の古い歴史書には、とある氷の精霊が興味を抱いた人間を殺されたからと、国一つを溶けることの無い氷雪で覆ったという記述があった。
「ええと彼女、今後の予定は何かあるの?」
「両親のもとに帰るつもりだと言っていました」
「なるほどねえ。会わせるだけなら構わないけどねえ」
と、エドウィンはすでにミーシャを帝国に取り込む前提で話をしている。いっそ清々しいほどの傲慢さがその言葉にはあった。
その言葉を聞きながら、ジゼアは不意に涙を流す彼女の姿を思い出した。
「エドウィン殿下……お言葉ですが、ミーシャは王女の逃亡に協力した疑いがあります」
「ああ、言っていたね。それがどうしたの?」
「追及が終わるまでは、帝国には行かせられないかと」
ジゼアの言葉に、エドウィンがぱちくりと目を丸くした。そして、何かを察したように口角を上げた――が、その目に温かみは一切無かった。
「そんなこと、些事だよジゼア。ミーシャが本当に王女を逃がしたからといって何だい? 王国の民だもの、王族を助けるのは当たり前のことだよ。むしろその素晴らしい忠誠心を僕は褒め称えたいねえ。まあ帝国にご招待するのに、その忠誠心は邪魔になるかもしれないけど」
「そう……かもしれませんが」
帝国は帝国に利することを最優先で動く。その体現者であるエドウィンに、この言い分が通用しないことはジゼアもわかっていた。
そもそもジゼアは、帝国に連れて行かれるだろうと理解していた上で、ミーシャをエドウィンに会わせようとしていたのだ。
しかし、わかっていても言わずにはおれなかった。
ミーシャの――彼女の涙が、在りし日の記憶に被ったような気がしたから。
「……」
二の次を言えずに押し黙ったジゼアを見て、エドウィンは目元を和らげた。




