江戸初恋
よく考えたら、これ現実話でもないのかな
(よくわかんなくなってきた)
でもまだまだ続きます。
千代 主人公 伊織との約束 叶わず病死
伊吹 千代の兄 (伊織に似ている)
鶴
マツ 千代の友達 大きな菓子屋で働く
伊織 鶴の婚約者 千代に会い好きになる
丈吉 マツ ウメの兄 マツを庇い死 伊吹とは友達
「伊織様…」
千代は布団の上で涙を流した。彼女のかつて愛した男は千代にとってかなわぬ恋で終わった。
「身分が違うから…」
わかっていても泣いてしまう。伊織が初めて千代のいる茶屋に訪れた日を思い浮かべていた。
この日もいつものように千代の茶屋は繁盛していた。綺麗な顔だちでどこかまだ幼さが残る千代は客から人気だった。それに千代の兄の伊吹も若い女の子を集めていた。
「伊吹さん、こっち来てくださいまし」
そういろんなところから注文が飛ぶ。二人の両親は子どもたちの働きぶりを見て喜んだ。
「千代ちゃん!」
そう声をかけたのは向かいの大きな老舗菓子屋で働くお松だった。彼女の家は貧しく、兄の竹吉は何もせずにふらふらと遊んでばかりいて、母親は秒床に臥せていた。それに小さな妹のお梅がいるため、家族を養うにはマツが働かなければならなかった。
「お松ちゃん!」
そう千代は彼女の元へ行った。
「いいの?お仕事抜けてきちゃって」
「今日はお休みなのよ」
「大変ね、お偉いさんの為のお菓子ですものね」
お松の働く菓子屋は江戸城やそう言った身分の人たちの為のお店だった。
「あたしはまだ下働きよ」
「…まだいいじゃない。大事なものを任されて何かあったら大変よ」
そうね。と二人はふふっと笑った。
「ごめん、千代。ここ変わって」
と伊吹が持っていたあんみつを千代に渡した。なんでよと剥れる千代に、
「ごめん頼む!」
と両手を合わせてきた。
「ほら、千代ちゃんいっておあげよ」
とお松はいいひっそりと顔を赤らめた。兄に指定された席へあんみつを持っていき、二言小言を言われ帰ってきた千代はさらにむくれた。
「やっぱりお兄がいけばよかったのに」
「なんか、やな感じがしたんだよな」
「伊吹さんてその感じがまた…」
「相変わらず素っ気ない態度しか見せないのに客は増えるんだがな」
と入ってきたのはお松の兄の竹吉だった。伊吹と竹吉は仲が良く、竹吉はよく遊びに来ていた。伊吹は女性のように美貌な顔立ちをしているのに対し、竹吉は男らしくがっちりとしていた。二人が話し始めると更にその店の中は明るくなった。
「可愛らしい茶屋だな」
そう言って入ってきたのは刀を差した人だった。周りには何人かの付き人をひかえていた。
「お侍さん…」
初めて見る本物に千代たちは口をポカンと開けた。千代が慌ててお茶を持っていくと優しくニコっと笑ってくれた。
(怖いイメージがあったけど…優しい人もいるのね)
顔は美男子で、若干伊吹に似ていた。
「お侍さん、何て名前でいらっしゃるの?」
興味津々な顔つきでお松は尋ねた。軽く名乗った彼は「伊織」という名だった。
「伊織様!」
千代とお松は声をあげた。伊織は他の武士と少し違っていた。形式に捕らわれないようなそう言った人物だった。それに千代の名を訪ね、二人の話は次第に弾んでいった。
「千代ちゃん!」
数日後、お松が店に駆け込んできた。
「どうしたの?お松ちゃん、そんな恰好で」
両手には白い粉でいっぱいになっていた。
「あたし…あたしね」
興奮気味で次の言葉が続かないお松を落ち着かせようとお茶を渡した。それを一気に飲み干すと、
「あたし…今のところで作らせてもらえるって!」
お松は大きな声で言い、千代に飛びついた。
「そうなん!?」
「うん!ご主人が言ってくれたの!」
特に文句も言わず一生懸命仕事をするお松を菓子屋の親方は買ったのだった。
「おめでとう!」
千代は心からお祝いの言葉を言った。長年の夢だった物が叶い、お松は大泣きした。
ふと裏からは何事かと伊吹が出てきた。
「お兄!」
千代はお松のことを話し、お松はコクコクと頷いた。
「そうなんね、長年の夢だったもんな。おめでとう!」
そう言ってお松の頭を撫でた。撫でられたお松はぽっと顔を赤くした。それを見て千代はくすくすと笑ってみていた。
お松の仕事は忙しくなった。憧れで好きな伊吹の隣にいたいが為に、この老舗の菓子屋で修行をしていたというのも嘘ではない。ご主人が作るお菓子と同じ分量のものを入れているはずなのになぜ味が違うんだろうといつも首を傾げていた。そして自分でもうまくできたと思ったお菓子は伊吹の元へもっていった。
伊吹の仕事が終わったのを見かねて、お松は店の中に入っていった。千代はお松が兄の為にお菓子を持って行ったのを知っていたのでそっと兄を呼んだり、奥へ入って行ったりと気を使った。
「あの…良かったら…」
高鳴る胸を抑えながらお松はそっと差し出した。
「いつもありがとうな」
そう言って食べてくれるだけでもお松の心は踊っていた。
「これ食べると疲れが吹っ飛ぶんだ。ありがとう」
今日は伊吹からの言葉が一味違っていて、お松は更に赤くなった。
「もっとうまくなりたいの。伊吹さんみたいに繊細なお菓子が…」
「いや、俺は趣味で作ってるだけだよ。ちゃんとした手法も知らないし」
ぶんぶんと首を振り、伊吹に「食べる?」と言われれば首を縦に頷いて見せた。
「なぁ、お松!」
千代の茶屋からの帰り道、お松に声をかける者がいた。
「あ!お兄!」
彼女の後を歩くのは、竹吉だった。
「また、伊吹んとこからの帰りか」
「お兄には関係ないでしょ、またどこかふらふらと」
伊吹の名前を出せば顔を赤くする妹を見て更にいじりたくなった。
「もしや、お前も伊吹にほの字か?」
そう言ってにやにや笑う兄に、持っていた風呂敷で兄の背中を叩いた。
「うるさい!うるさい!」
バシバシ叩くそれからよけながら、竹吉は笑っていった。
「どいつもこいつも、恋の話か」
「へ?」
お松は叩くのをやめ、誰のことを言ってるの?と聞き出した。竹吉は小さな声でお松の耳元で囁いた。
「千代ちゃんだよ」
「え!千代が⁉」
思わず大声をあげてしまったお松に静かにと人差し指をたてた。
「この間、伊吹んとこに侍が来たろ?」
「あぁ~」
人の恋路は面白い。聞いてるのも見てるのも自分のはなかなか思うようにいかないけれど、他人のだったら笑ってみてられる。
それからお松は千代の様子を観察するようになった。あれから千代の店に伊織が通うようになった。伊織は千代が入れてくれるお茶を好んだ。それから形式に捕らわれず楽しく話せる友人が欲しいと考えていくうちに伊織にとって千代は特別な存在となっていた。
千代も兄に少し似ているけど若干凛々しさが見える伊織に次第に恋をしていった。身分差でお互いが中々踏み出せないこともあるが、それは少しずつでよかった。
そんなある日、昼前に店を閉めた千代に伊織は
「少し散歩を」
と声を掛けた。田舎で何もないこの場所で、どこを案内しようかと千代は思ったが、伊織は「ただ君と話をしていたい」と言った。兄の伊吹が持たせてくれた団子などを手に千代は山のてっぺんへと向かった。季節は春で桜が綺麗に咲いている。江戸の中心でなかなか自然に触れる機会がないのではと千代は考えていた。山のてっぺんには大きな桜の木が立っていた。江戸の町を見下ろせここに住む人たちの穴場だった。伊織はまさか江戸にこんなきれいなところがあるとは思ってもいなかった。江戸の町を見下ろしながら地平線の向こうを眺めていた。
「こうしてみると世界は広いんだな」
そう言って感動していた。自分はまだ何も知らないという気持ちになり、もっと勉学に励まねばと思うようになった。
「伊織様?」
感動してそっと涙を流した伊織を心配する眼差しで千代は声をかけた。
「千代、ありがとう」
村の娘に会ったことでこのようないい経験をしたことを誇りに思った。
「今日はありがとう」と別れ際に伊織は千代に言い、いつか渡そうと思っていた可愛らしい簪を千代にあげた。
「ありがとうございます」
しゃらしゃらといい音がするそれは千代に似合っていた。それから毎日千代はその簪をつけるようになった。
ある日、いつものように仕事終わりにお松は伊吹のとこに向かっていた。今日はとてもよくできたので、出来上がったらすぐに風呂敷に詰めて大事に持っていた。
「お松!お前大変なことしたな!」
「へ?」
首を傾げるお松に竹吉は血相を変えて千代の店に来た。
「どうしたんだよ、竹吉」
同じように目を丸くしていた伊吹を無視し、他のものに知られてはならないというように、お松の袖をひいた。
「なによ、お兄」
伊吹と話が出来て、それに盛り上がっていいところだったのにとお松はむくれた。
誰もいない茂みにたどり着き、竹吉は両手で挟むようにお松の両肩を持った。
「正直に話してくれ、さっきお松の店の前にいったんだ」
「それで?なによ」
「そこで死人が出たんだよ」
「…え?」
「お松が作ったお菓子からだと…」
「…私知らない」
「…本当か?」
「…うん」
妹の困惑し真剣な顔を見て竹吉は頷いた。
二人でその店にそっと向かうと数人の女の子がヒソヒソと話しているのが聞こえた。
「私うまくいったよ!」
「松を奉行に突き出すのよ」
「新人のくせに生意気なのよね」
といった声が聞こえる。
「みんな…」
お松はその場から動けなくなった。
「お松…」
竹吉はお松の頭を撫でた。お松は泣きながら走っていった。
それから後日、竹吉は処刑された。あれからお松と娘たちの口論は続き、お松が処刑されそうになったが竹吉が庇って出てきたのだった。「お菓子にネズミ捕りの粉をいれた」という噂はあちこちで流れていた。お松は自分を庇って兄が名乗り出たことに悲しくなった。
「お兄…」
奉行の役人が竹吉からの手紙を差し出した。
【お松
泣くな。俺は夢も何もなくどうしようもないやつだ。それと比べてお前には美味しいお菓子を作るっていう夢あったろ。その夢を絶対に捨てるな。見返してやれ! 竹吉】
短い手紙だったが兄からの手紙は大きいものになった。お松はそこの店をやめた。どこへ行ったらいいのかわからず途方に暮れていた。
「お松ちゃん?」
そう声をかけてくれたものがいた。後ろを振り返ると伊吹が立っていた。
「伊吹さん…」
お松は涙を流して伊吹に抱き着いた。伊吹は驚いたが、訳を聞きお松の背中をさすった。
お松を落ち着かせ、伊吹は自分の店へつれていった。竹吉からの手紙はもう一つあった。それは伊吹あてだった。彼はそれを読むと涙を流した。
「お松ちゃん…」
「私、もうあそこを辞めたの。もう怖くなって…」
「…」
「…」
伊吹は考えた後、「ここで働くか?」と提案した。
「あれ?千代ちゃんは?」
あたりを見渡していないことに気づいた。伊吹は千代が伊織のもとへ行ったことを話しした。
「先日、ここにきて千代の茶がうまいとお褒めになったんだよ。それで近くに置いておきたいとかなんとか…」
「そうなん?」
「まぁ、千代は喜んでいったわけだ。お松ちゃんがここにいてくれれば凄く助かるんだが」
その言葉を聞いてお松の顔はぱっと明るくなった。
「君の好きなお菓子つくりもさせてあげる」
そう優しく言い、頭を撫でた。
それから、さらに多くのお客さんが来るようになった。前の所で身に着けたお菓子作りを村人や庶民に食べてもらおうとお松は工夫をした。それが人気となりお店の名物となっていった。
千代はその頃夢にも思わなかった伊織の家に向かった。手厚くもてなされ、綺麗な着物を身にまとった。
「いいの?」
「昔の妹が来ていたものだ」
伊織の妹は病死したという。彼にかわいいと言われ照れた千代は益々顔が赤くなった。それから伊織も千代に夢中になり、勉学はそっちのけとなってしまった。
「ずっとここにいてもらいたい」
そう伊吹は千代に言った。
そんなある日、伊織の元に一人の女の子がやってきた。彼女は同じように武家の娘であった。名は鶴という。
「初めてお目にかかります。鶴と申します」
そう丁寧にお辞儀をして挨拶した女の人をふすまの陰からそっと千代は見ていた。伊織の両親と鶴の一家は楽しそうな話をしていた。一方伊織は鶴をみたが、どこにでもいる女だと小さく鼻で笑っていた。
(決まりやしきたりがなんだってんだ。俺はそういうものはもう嫌なんだよ)
密かに鶴を睨み早くこの話が終わらないかと思っていた。
「伊織様…」
やがて話が終わり伊織は千代を自分の部屋に招き入れた。
「伊織様、先ほどの方は…」
「…」
なにも答えず黙っている伊織に少し腹を立てた。
「もし、その方と縁談のお話があるのでしたら…私はこれで…」
そういって外へ出ようとする千代を伊織は引き寄せた。
「俺には君しかいないんだ…」
「伊織様」
涙を流し抱きしめる伊織に千代は困惑しながらも彼の背中に手をまわした。
だが伊織の願いは空しく、彼の両親は千代を待女のように扱った。それも自分の息子の傍から離れたところの仕事をさせた。
「家に帰りたい」
楽しかった短い時間は終わった。千代は休むことなく働かされた。時折、伊織がそっと来てくれるが必ず誰かしらに見つかってしまった。
「私のところへは来てはなりません」
伊織のことを考えて千代はそう言った。
「なぜだ?俺はこんなにも愛しているのに」
そういって悔しくなった伊織は二度とお前のところには来ないと言い捨て去っていった。千代は涙を流し、膝からくずれ落ちた。
やがて、千代は病気になった。その知らせを聞き、夫婦となっていた兄の伊吹とお松は慌てて千代を引き取りに来た。
「千代!」
兄はそういうと妹を抱え屋敷を後にした。
「全く、結局使えない小娘ね」
そう去っていく三人に鶴は厄介者がいなくなったと安心しているようだった。
家につき、千代は床に臥せた。手は豆だらけであちこち赤切れができていた。二人は交互に看病をしていたが今までの疲労などが重なり、兄と友人の見守る中千代は息を引き取った。
「お兄、お松ちゃん、ありがとう」それが千代の最期の言葉となった。