8・領民が増えた
あれから数日が経った。
俺達は【生産】スキルでポーションや野菜を作ったり、相変わらずのんびりと暮らしていた。
「では行ってくるよ」
「今日も任せたよ」
ヒロは朝から街を出掛け、夕方の定時まで未開の森林で魔物を狩ってくれている。
そのおかげで、俺達は安心して領地で暮らすことが出来ている。
「怪我だけはするなよ」
「うん」
「それから定時には帰ってこいよ。残業は滅多にしてはいけない」
「ははは、分かっているよ。ハンスは心配性だな」
「そうか?」
「でもそれでこそ、私がここに来た甲斐があったよ」
ヒロは元々ブラック都市で勇者……公務員をしてたみたいだからな。
サールロア領に来て、労働環境はがらりと変わったはずだ。
「ハンスさん! 今日もお野菜作りましょうよー!」
ヒロを見送ると、今度はアラベラが俺の服の裾を引っ張ってくる。
「ああ」
平和だ。
この時がずっと続くような気がした。
しかし……あんなことが起こるとは、今の俺はすっかり頭から抜け落ちていた。
◇ ◇
「おい、勇者様を出せ!」
朝起きると。
何故だか館の前がなにやら騒がしい。
「なんだ?」
「ひ、人が十人くらい集まっています?」
「なんだと?」
「しかもみんな『勇者様を返せ』……って」
アラベラが不安そうな表情になる。
とうとうこの時がきたか。
元々ヒロは冒険都市で勇者をしていた。
その実態は安い賃金で働かせる奴隷として彼女を使っていたようだが……もう取り戻しにくるとはな。
冒険都市の領主は相当腹が立っているようだ。
「とにかく出てみるか」
「は、はい!」
「怖かったら館の中で待っていてもいいぞ?」
「大丈夫です! だってわたしはハンスさんのお手伝いさんなんですから! それにお父さんの付き添いをしてた頃は、もっと怖い人を見てきましたので……」
商売の世界になると、そこは人の欲望と欲望がぶつかり合うるつぼだ。
もっと人間の汚いところも見てきたんだろうなあ。
「よし。交渉ごとになるかもしれないしな。アラベラ、期待してるぞ」
「うー、交渉は苦手ですぅ……でもお力になれるように頑張ります!」
アラベラの頭を撫でてあげると、彼女はぐっと握り拳を作った。
俺達は着替えて、館の外に出た。
「うるさいぞ! こんな朝早くからやって来てなにごとか。失礼だと思わないのか!」
舐められてはいけないので、あえて威圧的な態度を取ってみる。
だが。
「うるせえ!」
「元はといえばお前が悪いんだ!」
「そうだ! お前……領主が勇者様を誘拐したのは調べがついているんだ!」
とりつく島もない。
しかし勇者様を誘拐……?
こいつ等はなにを言ってるんだ。
「おい」
「なんだ!」
「そう大きな声を出すな。俺が勇者を誘拐したとはどういうことだ」
「勇者様一人だけでも、絶大なる力を有する。勇者様の力を借りて、他国に戦争を仕掛けるつもりだろう?」
「はあ……そんなデマ。誰から聞いたんだ?」
「冒険都市の領主様だ!」
呆れて溜息を吐きたくなる。
どうやらこいつ等は、冒険都市の差し金のようだ。
しかもあっさりと依頼人の名前を明かすとは……頭も足りていない。
「よく考えてみろ。仮にその話が本当だとして、俺が勇者を誘拐出来ると思うか?」
「どういうことだ?」
「勇者は絶大なる力を持っているんだろう? だったら俺みたいな、見るからに弱そうな男が、勇者を無理矢理連れ出すことが出来ると思ってるのかよ」
「そ、それは……」
「それに俺は【生産】スキルしか持っていない」
「せ、【生産】スキルだと!?」
周囲がざわめき出す。
【生産】スキルはこの世界において外れ扱いされているものだからな。
そんなもので勇者を誘拐出来るとは、到底思えないんだろう。
「騒がしいね……一体どうしたんだい?」
そうこうしている間に、男達の後ろからヒロが欠伸をしながらやって来た。
それを見て、男達は目を丸くする。
「ゆ、勇者様!」
「ん? 君達は冒険都市の役人達じゃないか」
「覚えてくださっていたのですか?」
「もちろんだよ。同じ都市の仲間じゃないか。全員と顔と名前は覚えているよ」
にっこりとヒロが微笑みを浮かべる。
「ああ、やはり勇者様は女神だ……」
「今日もお美しい……」
「結婚して欲しい……」
男達はヒロを見て、うっとりとした顔になった。
ヒロは自分のことを冒険都市の『ヒーロー』ではなく、『アイドル』だと称したことがあった。
その表現はあながち間違いじゃなさそうだな。
「それで君達はなにをしにきたんだい?」
「そ、それは……領主様に『勇者が誘拐されたから、連れ戻してこい』……って」
「ブラッドリーか。相変わらずあの男は醜いね」
顔を歪めるヒロ。
「私は誘拐なんてされていない。自分の意志でここまで来たんだ」
「そ、それは本当ですか!?」
「うん」
「しかしどうしてこんな領地に? 話によると『領民もほとんどおらず、作物をろくに育てることも出来ない。直に滅びていくだろう』とブラッドリー領主様は言っていましたが。もしかしてそれも嘘なのですか?」
「いや間違いではないね。現に私を入れて、領民は三人だし、普通の方法ではまともに作物を育てることも出来ないだろう。だけど……ここには幸せがある」
「幸せ……?」
男達の何人かが怪訝そうな顔になった。
「そうだ。知ってるかい? ここは『週休二日』だし『残業』もない。十分な賃金も貰っている。全く。ここに来て、今まで人の生活をしていなかったことをしみじみ思うよ」
ヒロが俺の方に視線をやりながら、男達の質問にそう答えた。
それを聞き、
「週休二日……?」
「おいおい、休みなんて貰えないのが当たり前なんじゃないか」
「その分給料も領主様から頂いているしな」
「だが、重い税金のせいで、まともな生活も出来やしない……日々暮らしていくので精一杯だ」
男達の間に動揺が広がる。
ヒロだけではなく、全員奴隷のように働かされていたようだ。
「そうだ。もしよかったら、君達もこの領地で暮らさないかい?」
「え?」
「なあ、ハンス。それでもいいかい? 領民を増やすいいきっかけになると思うんだけど……」
ヒロが俺に話を振る。
いるのは十人程度。これくらいなら、今すぐにでも受け入れるだろう。
それに人手は欲しかった。
願ってもない話だ。
「ああ。もちろんいいぞ。もしここの領民になってくれるなら、お前達にも『週休二日』『残業なし』が適用されるからな」
「ほ、本当にいいんですか?」
俺は首を縦に動かす。
男達はさほど悩まなかった。
「お、お願いしますっ! 勇者様も無理矢理じゃなかったみたいだし、また冒険都市に戻って、働かされるのはこりごりだ」
「お、俺もお願いします!」
「僕も!」
次から次へと手を挙げていく男達。
こんなに好評だとは。
「あ、慌てなくていいからっ! 全員領民にしてあげるから!」
そんな男達に様子を見て、俺はあたふたするのであった。
なにはともあれ、一気に領民が十人程度も増えた。
人手も増えてきたし、これからさらに色々なことが出来そうだ。
◇ ◇
「ど、どうして勇者を連れ戻しに行った役人達が戻ってこないのだ!」
その頃、冒険都市の領主……ブラッドリーは今にも堪忍袋の緒が切れてしまいそうだった。
「す、すみません! どうやらなにかを誑かさされて、サールロア領の領民になってしまったようです!」
「な、なんだと!? どうしてそんなことが!」
「こ、こちらを見てください!」
役人の一人がブラッドリーに一枚紙を手渡す。
「これは……領地の求人か?」
それはハンスが作った求人票であった。
「『週休二日』『残業なし』だと? なんだ、このふざけた求人は……! 人をバカにするのも程があるぞ」
「しかし! その求人に書かれていることが本当なら、惹かれるのも無理はない話かと……」
「ふざけるな! こんな条件で領地を回せるわけがなかろうが!」
ビリビリ。
怒りにまかせて、求人票を破るブラッドリー。
実のところを言うと、そのような条件でも領地は十分に回していける。
しかしそうしてしまうと、趣味の絵画や骨董品を買い漁ることも出来ない。
せっかく世襲で領主になったのに、そんなもったいないことをこの領主がするわけない。
「もういい! 私が行く!」
「領主様がですか?」
役人が驚く。
「そうだ。護衛で大魔導士のエマリーも連れて行くぞ! すぐに呼んでこい!」
「か、かしこまりました!」
ブラッドリーは重い腰を上げ、サールロア領に向かうべく人を手配させるのであった。