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トマト害伝 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 さあさ、こーちゃん、お待たせしたね。自家製のけんちん汁だよ。

 大根も人参も小松菜も、全部自家製さ。ひとり暮らしだと、なかなかこういう野菜に手を伸ばすことがないんじゃないかい? 

 家庭菜園もじいちゃんの代から続けているんだけど、水のあげ方ひとつとっても、なかなか神経を使うもんだ。退職後のじいちゃんがしょっちゅう畑に出ている姿を覚えている。

 盆栽とかと同じで、デリケートな手入れが必要という点では、時間のできる老後にぴったりの趣味かもしれないねえ。


 ある意味で、こーちゃんの創作に似ているかもしれない。

 より良質のものを作るために、土を作って、場所を選んで、時には水に手を加え、間引く必要も出てくることも……それらが重なって、ようやく実を結ぶんだ。取捨選択、一点集中と、どこに力を入れりゃいいかも、経験を積むと見えてくる。

 だが、今はこうして私たちの食卓に並ぶ多くの野菜たち。作られ始めたばかりの時は、必ずしも食用とはみなされなかった例があるんだ。

 中には、不思議な事態に見舞われたケースも存在する。

 そのうちのひとつ。食べながらでいいから、聞いてみないかい?

 

 あと一ヶ月くらいすると、うちの菜園でもトマトを育てるための準備を始めるつもりだ。

 トマトって、今のように口に入れる機会が増したのは、昭和のころだと言われていて、結構新しめなんだよ。

 海外から伝わってきたのは、17世紀の江戸時代のこと。ただ、血のように真っ赤な姿と、独特の青臭さから、食べようと思う気にならなかったとか。

 観る分には趣のある姿と取られたらしく、栽培の主な目的を観賞用とすることで、生き残りがはかられたとのこと。

 でもそれは、あくまで主流の話。ごく一部の家庭では、トマトがおいしいものであると感じ、食用に育てていたところもあったようね。

 

 その食べるのと観賞を兼ねていた、家のひとつで。

 天涯孤独の身の上となっていた彼は、残された自分の家の畑で野菜を栽培し、それを売って暮らしていたみたい。

 トマト――当時は「唐なすび」とか呼ばれていたようだけれど、便宜上、トマトと呼び続けるわ――に関しては、彼の畑の隅で育っている。通りかかる人が珍しがって足を止めることもあったけれど、盗む者は現れない。


 ――今すぐでなくとも、この果肉が人々に受け入れられる時が来るはずだ。


 ほおずきよりもわずかに大きい程度の、真っ赤な実。そこからにじみ出る独特の臭いと、かじった時に口内へあふれ出す強い酸味。そして、つぶつぶとした種の感触。

 これらの個性あふれる容姿と食感を残しつつ、どうにか万人受けする姿へ加工できないか、と苦慮する彼だったけど、金も時間もそうそうあるわけじゃなし。研究は遅々として進まなかった。

 けれどもその途中で彼は、今もトマトたちがかかる恐れのある、葉や実、根っこに現れる病気の数々を、直に目にすることができたようね。

 

 田植えが始まる、旧暦にして卯月のころ。

 何年か育てるうちに、水分の取りすぎが良くないことが分かって雨よけを作ったり、専用の支柱を作って、苗をひもで結び付けたりと、工夫を凝らし始める彼。

 そろそろ剪定せんていを試してみようと思い始めた、矢先のこと。

 

 ひときわ背が低く、葉っぱも小さい苗。されど、いつもより大きめにできたトマトの赤い実のひとつの表面に、穴が空いていたの。

 単に、くちばしとかでつついて、空けられるような形じゃなかった。

 柔らかい地面に太い枝を刺し、そのまま横へ横へと引っ張っていったかのように、真一文字に二寸近く(約6センチ)えぐられた跡が、トマトのヘタ近くに残されていたの。傷に沿って、焦げついたかのような黒いシミまでくっついている。

 それでもって、えぐられた果肉の中は異様にきれいだったそうよ。

 

 経験のない事態にわずかに戸惑う彼だったけど、食用にも観賞用にも堪えない状態なのは確か。すぐに実をもいだ彼は、畑の隅に掘っている穴の中へと放り込んだの。

 中には不出来の作物たちが、ぬかと一緒に混ぜられて、次の栽培の礎たる肥やしにならんと待ち受けている。

 金を節約するため、彼がぬかと混ぜ合わせつつ、使ってきているものだった。

 

 ――今生で本懐を果たすことかなわぬのなら、せめて来世で、苗たちにその役目を託せ。


 投げ込んだトマトは、ほとんど形を留めなくなった先駆者たちが作った、黒い土の中へと転がった。

 それを見届けて、彼は今しばらく、他の野菜の葉、根、実や花の状態を確かめへと戻ったの。


 ところが翌日からも、今まで異状がなかったトマトたちに、同じような傷が現れるようになったんだ。

 やはりヘタの近くにあたる、実の上部。そこの部分がぱっくりと開いて溝になり、縁には黒いこげのようなものが、途切れることなくこびりついている。

「これはおかしい」と、彼はそのえぐれた実のひとつをもいで、中身を割ってみたの。

 今まで見てきたものよりも、粘り気と青臭さに富んだ実の内部。

 その真ん中あたりに、小さいイモムシが入り込み、その赤茶けた身体を、種と肉の間でうねらせているのを確認したんだ。

 あのえぐれた箇所から、内部に入り込んだのだと、彼は察する。これを見て、彼は気色悪いと思うよりも先に、感心したとか。


 ――こやつ、孤独の身の上で中へと潜り込んだのか。いや、そうでないにしても親が子の中へ放り込んでいったのか。いずれにせよ、これからは自助していかねばなるまいな。

 その実を食い尽くすまでの間は、寝泊まりをさせてやろう。その後、どうするかはお前次第だがな。


 彼は割れたトマトを、もう一度そっと合わせてひもでくくると、あの庭の穴へと放り込む。

 もしかすると、あの状態のトマトたちにはすべて、同じようにイモムシが入り込んでいるかもしれない。

 そう感じた彼は、昨日のトマトも穴の中から取り出し、穴を掘る時に出した柔らかい土の上に並べた。そして、他の野菜くずたちが横たわる穴に、またぬかを加えて混ぜ合わせにかかったんだ。

 最終的に苗一本分、実の数にして30個あまりに同じような状態が見受けられ、畑の土の上へ転がされることになる。

 陽にさらされたトマトたちは、次第に黒ずんでいった。けれど、それらには、最初についていた傷以外に、イモムシたちが抜け出ていったような跡は見受けられなかったの。


「未だに中でくすぶっているつもりなのか? 中の肉にも限りがあるだろうに、早く動くべきだと思うがな」


 彼は野菜たちの世話を続けながらも、トマトたちの様子を見て、そうひとりごちるようになったそうだ。


 そうして畑仕事に疲れた、ある晩のこと。夜中にふと、彼は目を開いた。

 家の屋根の向こう側。空の上から、大きな羽音が聞こえるんだ。

 ブウン、ブウンと残響し、そのたびに家がガタガタと震える。鳥のはばたきのようにも思えるけど、ハトやタカなんかじゃない。もっとずっと大きいものが、虚空を行く。

 家を通り過ぎたかと思うと、今度は畑の方から同じ音がし始める。しかも心なしか、そのはばたきは先ほどに比べて、より間隔を短く、より込める力を強くしていたの。


 彼の感触は、すぐに実態を伴って迫ってくる。

 彼の家はかやぶき屋根の一軒家。その叩きつけるような横殴りの風に遭って、まず屋根がはぎ取られた。見えた空には雲が満ちていたようで、星がない。

 次に壁がミシミシときしんだかと思うと、土で固められていた両端にひびが走り、ほどなく力任せにもぎ取られて、彼に迫ってきた。

 具合よく、押される風の強さのままに、直立から「おじぎ」の姿勢に身を倒した土壁は、起き上がろうとした彼の頭上すれすれを飛んでいくと、背後の壁へとぶつかる。

 そして最後。吹き抜けとなってしまった縁側から、もろに風が吹き寄せる。防ぐものを失った彼の身体は、布団やいくつかの木の板と一緒に、宙へ舞い上がり、先ほどの壁を追いかけるように吹き飛んでいった。


 どうやら、本来、立ちはだかるべきだった背後の壁も、すでに犠牲となっていたみたい

 彼の身体はどこにも支えられることなく、夜の空中を何間も滑った。冗談のような速さでぐんぐん自宅から遠ざかっていく彼は、また家の残っている壁が吹き飛んで、空に散るのを見る。

 ほどなく地面へ叩きつけられる彼。幸い、敷き布団が緩衝材となってくれたけど、慣性を完全に殺すには至らない。掛け布団を跳ね飛ばし、ごろごろと四回ほど後転した彼の身体は、水を張った田畑に突っ込んで、ようやく止まる。

 

 首が痛み、すぐには身を起こせず、あおむけでいる彼の視界。その中を、彼の家がある方向から飛び立った大きい影が横切っていく。

 太い胴と、そこを軸に左右へ二枚ずつ広がる羽。それは空一面を覆うくらいに、巨大な蛾の影だったんだ。

 あの風は、その規格外の大きさの羽から巻き起こされたものだろう。実際、横切る際に一度大きく羽ばたき、彼は地面にめり込むほどに押さえつけられたんだから。

 

 巨大蛾を見送った後、彼はうめきながら立ち上がったけど、ほとんど壊れてしまった自宅を見て、憂鬱になったとか。

 庭を改めると、あの強風の影響を受けたらしくて、地上に茎を伸ばす野菜は半ばからぽっきり折れて、どうしようもなくなっていた。

 例の穴からも、ぬかみそ混じりの液が飛び散り、辺りの土を濡らす惨憺たる有様。でも、すぐそばの土の上に置いていた30個余りのトマトは、残らず姿を消していた。

 代わりに、それらがあった場所には、彼の足と足首まわりほどの裾野と高さを持つ、小さな金の山が置かれていたらしいんだ。


「あの蛾にとっては、子をかくまってくれた礼代わりかもしれない。

 だが、もう少し、こちらの家や畑を慮って欲しかったものだ」


 翌朝。すぐに換金したけれど、それで得たお金は、家の修繕と畑の作物の回復にあてたところ、ほとんどなくなってしまったみたい。

 それから彼は、トマトをぱったりと栽培しなくなってしまい、この話をしたのも家族に後事を託した、晩年のことなのだとか。


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― 新着の感想 ―
[一言] タイトルに惹かれました。 かわいいお話かと思いきや、さすが害伝と名がつくだけあって、読み応えありましたね。 幼虫に手を出さなくてよかった……成虫の感謝の気持ちがものすごいことになりましたけど…
[一言] 感謝の気持ちが、勢い余ってしまったんですね……。 本来は厄介な存在ですが、男が何となくイモムシ達の境遇に思うところがあり、今回はこのように扱われましたが、もし、彼がイモムシを駆除していたりし…
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