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それもこれも、だいたい夏のせい。
暑いうちに書き上げる予定です。
『酷暑 気になるエアコンによる影響は~』
朝食に、昨夜量を茹で過ぎて残っていたコシも何もないくたくたした素麺食べる。
麺がちぎれないように気をつけながらそろそろとすすりつつ、適当につけたテレビを見た。
猛暑、酷暑、炎暑、スーパー熱帯夜、本日の最高気温は、と聞いているだけで気が滅入るような言葉が次から次へと流れてくる。
2018年、平成最後の夏。
日々、日本の各所で人体の体温を越える温度が記録されている。
「ああ~……。朝から無理ィィー……」
昨夜だって、暑さでろくに眠れていない。
なんでも夜間の室内気温は、室外気温の+5.3度ほどと言う研究結果があるのだとか。
ここ数日は最低気温もかなり高い。いくら窓を全開にしようとも、扇風機を回しても、確かに室内の温度計は深夜でも30度を下回る様子がない。
「エアコン、欲しい……」
定食屋で水滴のついたグラスでお冷を飲みながら、エアコンの風を堪能する。涼しい。エアコン最高。
「え、米澤君ちエアコンついてないの?」
「はいー、無いんですよー」
米澤タケルが学生時代から住んでいるアパートは、アパートと名前はついているもの、昔ながらの寮住まいと言ったほうがイメージに近い。
トイレ風呂共同、六畳一間。廊下の床や階段がギシギシと鳴る、築46年のレトロな物件だ。
それでも、昔サイズの畳で六畳なのでそれなりに床面積はあり、日当たりもよく風通しもいい。
風呂やトイレはおばあちゃんの大家さんが管理してくれているので掃除の手間もない。
若い子の面倒みてあげるのが生き甲斐みたいなもんだから、とは大家さん本人が良く言っている事で、半ば趣味を兼ねてアパートを運営しているようだ。
風呂場の脱衣場の横に2台の洗濯機が置いてあり、空いていれば自由に使用出来る。洗剤柔軟剤は持ち込みで、乾燥機能はなし。
でも部屋に洗濯機を置くスペースはないし、毎回コインランドリーを使うと結構な値段がかかるので、住人はみんなこの洗濯機を使っている。
通っていた大学から近く、タケルは現在その大学で研究員として勤務している。
男性入居者専用物件なので学生の入居者が多い。少し騒がしい時もあるが、逆に言えばこちらもそれほど物音に気を使う必要がない。そのあたりも気楽でいい。
大学が近い為、学生向けの店も充実しており、安くて美味くて大盛りが自慢の飲食店や、スーパーや大型のドラッグストアに銭湯、CMも放送している大手の古本屋まで揃っている。銀行、郵便局、病院に歯科医院も徒歩圏内で、駅にも徒歩5分で着く。
つまり、建物が劣化している点など気にもしないタケルにとっては、素晴らしく便利な住まいである。
そして何より、このアパートは家賃が安い。恐ろしく安い。
相場の価格の3分の1程度。
今までは、なんの不服もなかった。住めば都どころか愛しの我が家だったのだ。
だが、今年はしんどい。いや、去年の夏だって暑くはあった。もちろんしんどかった。でも今年はさらに上を行っている。
命の危険すら感じるレベルだ。
40度を越える地域もある?さすがにヤバいって。
空調の効いた職場で寝たい、勤務中に寝てしまいそうだ。アパートが暑くて眠れない。完全な睡眠不足に陥っている。
「エアコン買って付けてもいいか大家さんに聞いたんですけど、なんか色々難しいらしいんですよね。室外機の設置場所とか、排水とか電力的な問題とか」
「そうなんだ。今年はエアコンなしきついよねー。
帰ると部屋の中すっごい温度になってるもの。最初にエアコンつけちゃうよ」
久々に話した千田ちほさんは、大学の先輩。
今は確か大手電気メーカーに研究員として務めていたはずだ。
全然会う機会もなかったのだが、いつもの安くて美味い定食屋に入ったら、たまたま店の扉の前でばったりと出くわし、一緒に昼飯を取る事になった。
女性だがざっくばらんとした感じの人で、ある意味研究者らしいなとも思う。
一人飯でもこのさびれた感じのする定食屋を選び、レバニラ炒め定食を頼んでいるあたりとか。仲間意識がわく。
「あー。俺の部屋も毎日すっごいですよ。すぐ窓全開にするんですけど全然涼しくならないです。風呂入ってもまたすぐ汗が出てくるし」
「最近は夜も全然気温下がらないでしょ?眠れてる?」
「あんまり。暑くて目が覚めますね」
「私もエアコンのタイマー切れると起きちゃう時あるもんなぁ」
一人の時はカウンター席に座るのだが、今日は千田さんも一緒なのでテーブル席に座った。いつも来ているので、店のおばちゃんが「おや?」といった顔をしていた。俺だって女性連れの時ぐらいある。
……今日はたまたまだが。
「じゃあさ、米澤君。暑さが落ちつくまで、うち泊まりにくる?」
……。
…………。
「はい?」
「暑くて眠れてないんでしょ?」
「まぁ」
「だったら寝る時だけうち来てたら?お客さん用の布団あるし」
「いやいやいや」
さすがに女性のお宅にお泊まりはまずいよ。
緊張して眠れないよ。
……あ。
「もしかして、千田さんって実家暮らしでした?」
俺一人で早合点しちゃったか、と思ったが、
「ううん?一人暮らしだけど?」
千田さーん!
「あの、でも、夜に女性のお宅にお邪魔する訳には...」
「ぶっ!」
ぶっ?
「ぶはっ、はははっ!」
千田さんが思いっきり吹き出した。
「ちょっと、待って、ニラっぽいの飛んで来た!ちょっと!」
「あははっ!ごめんごめん、そんな風に言われ慣れてないから可笑しくって!」
ここまで意識されていないと、なんだか身構えた俺が馬鹿みたいだ。
まあ……、千田さんだしな……。
スラッとしてて、あんま化粧っけとかないけどわりと美人なんだけどな。
中身が男前すぎる。
「誰彼構わず、そんな事言っちゃ駄目ですよ千田さん。世の中誰が悪い事考えてるかわかったもんじゃないんですからね」
そう言うと、目をまん丸にして、また笑い出した。
なんだよ、もう。一般論だろう。
「あはは、はーっ、うん。米澤君、今日からうちに泊まりね。
はい決定ー。先に仕事終わったら大学前のマックで待ってるから」
はい、スマホ出してー、はい、番号入れといたし、LINEふるふるしといたからー。なんかあったら連絡して。
あ、あたしそろそろ戻らないとだから、じゃ、また後で。
とあれよあれよと全部決められてしまった。
「ちょっと!千田さん!俺行くっつってないっすよ!」
「ここは先輩が奢ってあげよう。ほら、米澤君も早く食べないともうあんまり時間ないんじゃない?」
「わっ、やべっ」
時計を見るともうすぐ時間だ。話しをしていた為、まだ半分ほどしか食べていない。
なんで千田さんはしゃべりながらもう完食してるんだ。
慌ててかき込んで食べてるうちに、千田さんは本当に俺の分まで会計を済まし去っていってしまった。
「ごちそうさま!」
「ありがとうございましたー」
いつものように声を掛けて店を出ようとすると、
満面の笑みの店のおばちゃんがいた。
いつもなら一つも表情筋動いてない真顔なのに!
話しを聞いてたな!
そのあたたかい眼差しを止めてくれ!とりあえずそんなんじゃないんだ、少なくとも、まだ!
……いったい何を考えてるんだ俺は。
ムキになってしまい、駆け足で研究室に戻ったら汗だくになった。
ああ……、やはりエアコンの効いた室内は素晴らしい……。
本当に今夜どうしたらいいだろうか。
悩ましい。
『お疲れ。マック着』
仕事が終わりスマホを見ると、千田さんから連絡が来ていた。
「本当に迎えに来てる」
『今あがりました。お疲れ様です』
返信して、指定場所に向かうと混み合う店内から出てくる千田さんが見えた。
「お疲れ様です。お待たせしました。
昼はすいません、ご馳走様でした」
「いえいえー。外あっついわー」
夕方と呼べる時間だがまだ明るく、アスファルトの照り返しでもやもやとした暑さが身体にまとわりついてくる。
「とりあえずどうしよっか。うちに帰っても夕飯ないんだよね。材料買って帰る?あー。でもレンジの前に立ちたくない」
「ガスついてるの見るだけで暑いですよね。実際熱いし。
最近暑くて素麺ばっかりなんですけど、2、3分茹でてるだけであっついです」
「そうなんだよねー。どっか食べに行っちゃうか。
一人では入りづらい所も行けるし」
「……定食屋でレバニラ炒め定食頼むのは大丈夫なんですか?」
「え、全然平気」
「逆にどこだったら入りづらいのか気になりますね、それ」
「そうだなー。焼肉とか?昼だと匂い?服につくからさー。
夜だとさ、団体客とか多いじゃない?網を一人で使ってると、待ってる人に悪いかなって、ゆっくり味わって食べらんないんだよね」
「匂い……、レバニラは……」
「もー、レバニラは焼肉よりは匂いつかないし!
歯は磨くし!米澤君だって食べてたじゃないの!」
まあ確かに、焼肉みたいに煙を浴びるわけじゃないけどさ。
「なんかさー、お肉の話ししてたら」
「焼肉食べたくなってきましたね」
顔を見合わせて、笑ってしまった。
「ふはっ、焼肉行こう!焼肉!」
「いいですね!あー、でも、すいません。
申し訳ないんですけど、出来たらその手頃な値段の所で...」
世知辛い……。
多分、絶対、千田さんのような一流企業とお給金で差がある。
いや、俺の場合だけみて言えば好きで研究室に残っているのでどうこう言うつもりはないのだが。
まあ、世に言う、無い袖は振れないってやつだ。
全然無い訳では無いのだが、奨学金を返しながらだと、正直あまり金銭的な余裕はない。いつかエアコン付けたいし。
難しいらしいけど、冷風機とかなら付けられるタイプとかあるかもしれないし。
見栄を張りたい所ではあるのだが、あまり散財すると後が怖い。
「わかってるわかってる。
その辺の事情はね、大学いた頃からよく聞いてたし。あ、あそこならどう?」
ちょうど進んだ先に大手焼肉チェーン店が。
それなりに美味しくて、値段も手頃であった記憶がある。
なんだか肉の焼けるいい匂いがしてきて、急に腹が減ってきた。
「いいですね!」
久々の焼肉だ!
店員さんに、食べ放題飲み放題プランがお得です、と勧められてそちらを選んだのだが、キンキンに冷えた生ビールは身に染みた。
くぅ~~っ!たまらん!
食べ放題のおかげで調子に乗って色々頼み過ぎてしまい、
「だから最後に壷漬けカルビだと多いって言ったじゃないですか!
メニューの写真もこんなですよ!ドカンとデカい塊ちゃんと載ってるでしょうが!」
「壺だよ?食べてみたいじゃん」
「ウマいですけどね!でももう俺限界ですからね?これ何人前頼んだんですか、すごい量あるじゃないですか」
「4人前」
「なんで!」
「いけると思ったんだよねー」
「千田さん、頑張って下さいよ」
「米澤くーん。半分宜しく」
「だから限界ですって!」
「限界を越えて」
「カッコ良さそうに言っても駄目ですからね!?」
結局壷漬けカルビはほとんど俺が食った。なんでだ。
ひたすらに飲み食いしたので、本当に腹が苦しい。
千田さんとはそれ程親しい付き合いをしていたわけではなかったので、はじめて二人でこんなに会話をしたのだが気楽で楽しかった。
始終笑いながら焼肉を食べる。
それにしても食べ過ぎた。
うー、でも美味かった。満足、満足。
千田さんのマンションは俺のアパートより手前の道で折れた、一階にコンビニの入っているビルだった。
「俺よくここのコンビニ来てますよ。めちゃめちゃ近所じゃないですか」
「え?そうなんだ。大学も近いしこの辺便利だよね。はいどーぞ。散らかってますけど」
「お邪魔しますー」
お邪魔します?
しまった。普段の行動範囲内だったし、つい普通に着いてきてしまった!
「そこ座ってて」
エアコンのスイッチを入れると、すぐに吹き出してくる涼しい空気。
「ふわ~~~」
「ぷっ、ほれ、堪能するがいいー」
ピピッとリモコン操作すると、さらに強く吹いてくる風。
「うひいぃぃっ」
「あっはは!」
こりゃダメだー!気持ち良すぎるっ!
「どうじゃ~、あらがえまい~」
「うう~、堪忍して下さい、お代官様~!」
またケラケラと笑い出した
「あー、可笑しい。米澤君て愉快なキャラだったんだねぇ。真面目な印象しかなかったわ」
「千田さんは概ねイメージ通りです」
「ははっ、良く言われる」
今お風呂ためてるからー、もうすぐ入れるからー。
と声を掛けられて、はたと気づく。
いつの間にか、また寛いでしまっている。
さすがに男女二人で夜を過ごすのは不味いだろう。
「いやー、お邪魔しといてなんなんですけど、やっぱり俺帰りますよ。着替えもないし」
「ここまで来といて何言ってんの。真面目か。いや真面目だわ。
そんなに意識されると心配してるそこら辺、本当にしたろか?アアン?」
ヒィッ!
千田さんが男らし過ぎる!
なんか、千田さんと俺の立場逆じゃない!?
おかしくない!?
「と言うのは冗談として。今からまた暑い外に出て、暑い部屋で寝れる?」
「うっ」
「快適だよー。ほらー。涼しいよー」
「ううう、で、でも着替えもないですしー」
「あ、そういやそうだ。
取りに戻る?
下のコンビニ、いや向かいのドラッグストアならパジャマもありそうじゃない?」
「ありそうですね、っていやいや、帰りますって」
「わかったよもう。うちを出ても同じ事が言えるかな?」
千田さんが玄関を開けると、ぬる~い空気が室内に。
「わ、ぬるい、千田さん閉めて閉めて!」
「あはは!もう駄目じゃん」
一歩外に出たら、心が折れた。
暑い。この暑さの部屋で寝たくない。無理。
「……着替え、取って来ます。ドラッグストアとそんなに距離変わらないし。行ってきます」
餌をぶら下げられた俺の心は弱かった。
「ぶふっ、そんな近いの!
いってらっしゃい、ぶふふっ」
なんかもう千田さんがずっと笑っている気がする。
好きに笑うがいい。俺は今、エアコンの奴隷だ。
いつも部屋では下着とパンツの姿で寝ていたが、さすがにそう言う訳にも行かないので、部屋着のTシャツと短パンも持ってこよう。
帰った部屋は酷い温度であった。
本当は窓を開けて出かけたいが、さすがに不用心でそれも出来ない。
部屋に入ってた瞬間に、汗腺が一気に開いたような気がした。
「もう、ここでは眠れないよ、千田さん、罪なお人だっ!」
速攻で準備して千田さんの部屋に戻った。
でも、Tシャツを選ぶのだけ、少し迷った。
変な柄のはやめとこうか、いやいっそネタTでウケを狙うか。
千田さんなら笑ってくれそうだが、まだくたびれていない無難な白いTシャツにしておいた。
コンビニで缶ビールとつまみ、シュークリームを買った。お世話になるし。
「恥ずかしながら、帰って参りました……!」
「キミいくつなの、歳誤魔化してない?てか早いね、本当に近いんだね、お帰り!」
ちょっとですけどどうぞ、あらあら気を使わなくて良かったのに、いえほんの気持ちですから、と自然と奥様同士の会話ごっこをしながらコンビニ袋を渡した。
また顔を見合わせて笑う。
「まあまあ、お風呂でもどうぞ」
「すいません、お風呂いただきます」
涼しい部屋に、のんびり入れる風呂。
いつもは銭湯に行かないとゆっくりは入れないんだよなぁ。
共同だから、次を待ってる人がいるかも知れないし。
湯船が広くて手足が伸ばせる。千田さんちすげえ。
「うあ~……。千田さんちに住みてぇ~」
「住めばー?」
「うわああっ!」
「はははっ、バスタオル置いとくからー」
「は、はいー!」
脱衣場から声がかけられて、焦った。
聞かれてたー!は、恥ずかしいー!
べべべべつに、本気でそう思ってる訳じゃないんだからねー!
風呂からあがると、
「まあ飲みねぇ」
と俺が買ってきた缶ビールを渡された。
「ありがとうございまーす。風呂もありがとうございました」
きゅうりとトマトがテーブルに乗っていて、乱切りしたきゅうりに梅肉が和えてあり、見ているだけで口の中に唾がたまる。トマトも真っ赤でプリっとしている。
「わ、すげえ、美味そう」
「すごくはないでしょ。ガス使いたくないから、切っただけね」
梅はチューブのだし。
梅きゅうを口に運び、笑いながら言う千田さん。
ポリポリっといい音が聞こえてくる。
「いただきます」
缶ビールを開けて、社会人の挨拶、乾杯をちょんっとして一口含む。
「~くあっ!」
風呂あがりの冷たいビールに変な声が漏れた。
梅きゅうを口に運び。
「うんまっ」
絶妙な和え具合で、酸っぱすぎず、薄すぎず、うま味もあってめちゃめちゃ美味い。
さっきあれだけ肉で腹いっぱいになったのに、スルスル入ってしまう。トマトも冷えててウマい。なんだろう、なんか普段食べてるトマトと違う。
「良かったら、普通のもろきゅうもすぐ出せるけど」
「いただきます!」
返事はやっ、と笑って、手際良くきゃうりを切り、味噌とみりんを混ぜて、はいどうぞ、とテーブルに乗せてくれる。
普段から料理とかする人なんだな。うちの実家の妹がたまに台所に立つと見てるこっちがハラハラするぐらいだったしな。
「ありがとうございます」
はいよー、と返事を聞いてからいただく。
ボリッといい音がする。
「もろきゅうもウマー。千田さんめちゃめちゃ手際いいですね。
トマトもなんだろう?味が濃い?」
「手際って、切るぐらいしかしてないじゃん。トマトはね、朝取ったのを野菜室で冷やして置いた奴だから新鮮なんだと思うよ」
ベランダでプランターに二本植えてるだけだから、毎日は採れないんだよ。米澤君ラッキーだったね。
そう言われて驚いた。
「千田さんすげえ。すいません、印象通りとか言いましたけど、訂正します。めちゃめちゃ女子力高い」
「女子力?おかん力じゃなくて?」
「あ、そっちですね」
「嘘でも女子力って言っとけ!」
「すいません、根が真面目なもんで」
あー。千田さんって彼氏いんのかな。
いたら泊まりに来たら、なんて言わないよな。