君と僕と私と
また短編書きました。今度は犬の話です。
暇潰し程度に読んで頂けたら幸いです。
始まりは、些細な一言だった。
母が言ったのだ。「本当は女の子が欲しかったの。男なんて邪魔なだけよ」と。
たぶん。そう、あの時から、僕の人生は変わってしまったのだろう。
「モモ、遊ぼう!」
「わんっ!」
今日はあの子がいないから、私は犬のモモと遊ぶ。あの子ったら酷いのよ。夢の中でしか遊んでくれないの。
すごく寂しいけど、あの子が泣き出しそうな顔で笑うから。
私は、何も言えなくなる。
本当は知っているんだ。あの子がお母さんから疎まれていることを。
お母さん、女の子が欲しかったんだって。私のことは可愛がってくれるのに、あの子には見向きもしない。
なんて、冷たい母親だろうか。
「モモ、お前だけはあの子に優しくしてあげてね。私だけじゃ元気になってくれないの」
「クゥン…」
「…どうして、自分が産んだ子供に、あそこまで冷たくなれるのかしら」
動きにくいふわふわの女の子らしい服を着ていても、口から出てくるものは親に対しての疑心感ばかり。
お母さんが嫌いな訳ではないけれど、どうしてだろうか。不信感を持たずにはいられない。
私にだけは、気持ちが悪い程に優しいから。
私達は、同じ筈なのに。
「さぁ、モモ!今日はなにをして遊びましょうか?」
「わんわん!」
可愛い可愛い私達の犬。私達のお友達。この子はお利口さんなの。だって私とあの子をちゃんと区別してくれるんだもの。そして態度を変えない。
優しくて、可愛くて、最高なの。あの子もそれはわかってる。…でも最近、あの子が帰ってくる時間が短くなった。
どうしたら、いいんだろうか。
ふと目を覚ます。見慣れた天井に見慣れた風景。
嗚呼、起きてしまったのか。どれ程の時間寝ていたんだろう。
あの子には申し訳ないと思っている。僕の代わりをさせているから。でも母はあの子には優しいから。きっと大丈夫。
でも可哀想に。目が覚めたら痛いだろうな。本当に、申し訳ない。
起き上がって服を着替える。少し汚れたシャツに短いズボン。もうずっと昔から新しい服は買ってもらっていない。あの子はちゃんと服を買ってもらっているだろうか。
「わふっ」
「……モモ?」
フローリングの床をチャッチャッと音を鳴らしてこちらにやって来るモモ。僕がしゃがむと顔を舐められた。暖かくて、擽ったい。
「モモ、どうしたの?今日はご機嫌さんだね?」
「わんっ」
左右に揺れる尻尾を眺める。ゆっくり頭を撫でてやると、もっと撫でろと言わんばかりに頭を押し付けてきた。
可愛らしい僕らの犬。僕達の唯一無二の友達。甘えられるのはとても嬉しいんだけど、今は、ごめんね。
「モモ、僕母さんの所に行ってくるからここで大人しくしててね」
「クゥン…」
「……ごめんね」
最後に頭を一撫でしてから部屋を出る。後ろから寂しそうな鳴き声がしたが、後ろを振り返ってしまうと決意が揺らいでしまう。…早く行こう。
重苦しい雰囲気の扉に目を向ける。本当は木の扉なのに、僕には重そうな鉄の扉に見える。
深く深く息を吐いて、吸う。そしてゆっくり扉を開けた。椅子に座り、煙草を吸う母に声をかける。
「……母さん、おはよう」
「……は?なにあんた、こんな時間に起きてきて。1日中手伝いもしないで寝てるなんていい度胸してるわね。ちょっとはあの子を見習って欲しいもんだわ。ほんと、これだからガキなんて」
「ごめんなさい…」
「謝るくらいならさっさと起きて来なさいよ。うちにはあんたみたいな糞ガキ育てる余裕なんてないんだから。役に立たないなら放り出すわよ。あんた見てたらあの子がどれだけ出来る子か分かるわ。やっぱり女の子って違うわね。…はぁ、男なんて産まなきゃ良かった。邪魔なだけじゃない」
母の声に言葉が出ない。いつもそうだ。母は僕ではなくあの子を褒める。それを聞かされて、あの子に悪い感情を持つなんてことはないけれど、少し寂しい。本当に、少しだけ。
でも、どうしてだろうか。僕とあの子は同じなのに同じではない。…何が違うのだろう。
「ちょっと、聞いてんの?」
「ぁ、ごめんなさい…」
「ほんと鬱陶しいわねあんた!なんでもかんでも謝れば済むとでも思ってんの?!」
イラついた様子の母が椅子から立ち上がる。手に煙草を持ったままこちらに近づいてくる。あぁ、これは。駄目なやつだ。
「や、やめて母さん!」
「うるさいわね!大人しくしなさい!」
「~~っっ、いたっ、いたい!」
前髪を掴まれて顔を無理やり上げられる。ぶちぶち…と髪が千切れるような嫌な音がした。余程強い力で握っているのだろう。僕の体は少し床から浮いていた。
痛いと泣き喚く僕を心底鬱陶しそうに見た母は、その手に持っている煙草を僕の腕に押し付けた。何ヶ所も、何ヶ所も。痛すぎて、声も上げられない。
熱い、痛い、いたい、やめて。
「ほんとあんたなんて産まなきゃよかったわ!邪魔な荷物のくせに!」
「ご、ごめんなさ…」
「うるっさいわね!黙れって言ってるでしょう?!」
「ぐッ……ぁ…」
床に叩き付けられた。前髪を掴んだまま、床に。頭を打ったのか、視界がグラグラと揺れている。
僕はこのまま死んでしまうのだろうか。でも、僕が死んだらあの子も消えてしまうのに。母はそれに耐えられるのだろうか。
痛い。体も痛いけど、心も痛い。あの子が泣いてるみたいだ。嗚呼、でも実際泣いているのかもしれないな。あの子はこんな出来損ないの僕が好きみたいだから。
母の怒声と何かが壊れる音を床に倒れながら聞く。閉じようとする瞼を開ける気力もない。もう、疲れた。
眠りに落ちる直前、あの子の泣き声とモモの鳴き声が聞こえた気がした。
逃げ出した。もうあの家にあの子を置いてはおけない。それに、私も耐えられない。
私知ってるの。家だけじゃない。家の外でも、あの子はいい扱いを受けてないこと。でも私は内容を知らない。あの子が家の外の出来事だけは教えてくれないから。何も、教えてくれないから。
モモを連れて外を走る。どこにも行く宛なんてないのに。
殴られた傷とタバコで焼かれた肌が痛い。でもたぶん、あの子はもっと痛かった。
「ごめん…ごめんね…」
「クゥーン…」
「私…生まれなければ良かったのかな…」
ズキン、と心が痛む。あの子が、あの子が泣いてる。ごめんね、悲しませるつもりはなかったの。
でも、もう時間がない。あの子が私を残していなくなろうとしてる。そんなの耐えられない。
私は貴方の為に生まれてきたのに。貴方が少しでも生きやすくなるようにって生まれてきたのに。
貴方がいなくなったら、私の存在意義がなくなってしまうのに。
どうして、どうして消えてしまうの。貴方が消えてしまえば私は、私はここにいる意味がなくなってしまう。私は貴方の為だけに生まれて、貴方の為だけに生きてきたのに。貴方は私なのに。
主の貴方が消えてしまえば、おまけの私はどうすればいいのだろうか。どうやって生きていけば。わからない。わからないことだらけでどうすればいいのか。
走って走って。気がつけば街が見渡せる丘に来ていた。モモがズボンから出ている足に擦り寄る。ふわふわの柔らかい毛が擽ったい。
屈んでモモと目線を合わせる。モモは、私の薄汚れた服を食んだ。
「こら、汚いからやめなさい」
「わん」
「…どうしたの?…モモも寂しいの?」
「クゥン…」
「あの子、いなくなろうとしてるもんね。…私、どうしたらいいかなぁ…」
解決策もなく途方に暮れる。その間にもゆっくり、ゆっくりとあの子が息をしなくなる。
本当に、1人になってしまう。
「………どうしたら…生きてくれるの」
「クゥン…」
「……?モモ?そっちは危ないよ?」
ズボンの裾を引っ張りながら崖のそばに近づくモモ。危ないよって言ってるのに、その足は止まらない。
「……モモ?」
私の話を聞かないなんて初めてで戸惑う。
モモはやがて、崖のギリギリまで進んで足を止めた。ぺたりと座ったモモは私のズボンを食んだままだったので、私も仕方なく座る。
崖から足を投げ出して眼下の街を見る。蟻のように小さな人。気持ち悪い、と小さく呟いた。
人は気持ち悪いから嫌いなんだ。自分のことしか考えない。私もそうだ。だから、気持ち悪い。
私は私のために貴方を生かそうとしてる。貴方は消えたがっているのに。なんて自分勝手なんだろう。
「……また弱くなった」
貴方の心音が小さくなっていく。本当に消えようとしているんだ…なんて。わかりきってる事なのに。
隣で眠ってしまったモモの頭を撫でる。ふわふわで柔らかい。私達の唯一の癒しだった。…それも、もう必要なくなる。
「私も寝ようかな…。モモ、背中貸してね」
考えるのも疲れてしまったのです。貴方はどう頑張っても消えるのでしょう。だったら私にはもう何も言えない。だって私は、貴方が1番大切で、貴方が最優先だから。
目が覚めて1人だと認識してしまうくらいなら、いっその事2度と目覚めなければいいのに。そうしたら私は、きっと。
今なら分かる。貴方が私を生み出した理由。
1人って、こんなに寂しいのね。