徒然なるままに
グーグル先生に淫乱の意味を聞いたら
手の施しようがないほど性的に乱れているたち
と言われた。
私のことだ。
気持ちいいを自覚したのは幼稚園の頃だ。
お股には刺激すると気持ちよくなれるものがある。
生活の中で得られる感覚とは大きく異なる快感に、幼い私は感動した。
冒険心をくすぐられた私は隙を見ては触っていた。
当然、周りの大人は気づくもので、ダメなことだと思い、さらにバレないように気をつけた。
親にはバレたりバレなかったりを繰り返したが、周りにはひた隠しにした。
しかし、バレてしまったのは私だけではない。
昔から父親の書斎は秘密の部屋だった。
小学生の時にそこへ入りこむことに成功した。
最初は入った達成感と罪悪感で満足し、すぐに出ていった。
しかし、何度か入ればそれにも慣れてしまい、ついに父の蔵書を漁りはじめた。
そして、見つけてしまった。
裸の人々が遊んでいる写真の数々。
今なら分かるが当時の自分には何か分からなかった。
ただ、今まで見たことがないを見つけてしまい、それはバレてはいけないものだと直感で悟った。
それからは父の書斎に入り込むことが日課になった。
罪悪感はあったが、小学校高学年の時に周りの子から普通のことだと教えてもらい、ますますのめり込むようになった。
その頃の周りの友達には好きな人ができていた。
足の速い男の子や背の高い男の子をかっこいいと言ってきゃぴきゃぴしていた。
自分の特別な心を友達に明かしたくてうずうずしていた。
私と彼はお似合いだと言って欲しくてギラギラしていた。
私の友達グループでは私だけだったかもしれない。
かっこいいと思う男の子がいなかった。
特別だと感じる相手が近くにいない。
周りの子は、それを受け入れてくれていたが、私には罪悪感があった。
私は特別な相手と近づきたいとは思わない。
複数人にいじめてもらいたい。
それはさすがに友達には言えなかった。
中学校に入学し、新しい友達ができても、好きになる特別な相手はいなかった。
周りではイケイケの子たちがカップルになって別れてを繰り返していた。
その話をにこやかに、相手の感情によっては悲しそうに相槌をうっていた。
正直うらやましかった。
恋をしてきらきらした顔になる友達は可愛かった。
その顔を向けられる彼氏が妬ましい。
いじめて、泣かせて、こっちだけを向かせていたかった。
私を好きだと言ってくれる男の子もいた。
普段は根暗で面倒くさがりな私のどこがいいのやらと思ったが、その子の目には清楚で優しいお嬢様にでも写ったらしい。
悩みに悩んだ。
理由はあまりに子ども過ぎるから。
自分で思っている男女の関係に彼はおそらく当てはまってくれない。
そして、彼は本当の私を受け入れてくれないだろう。
この時に私は自分のタイプの男性を理解した。
リードしてくれる男性。
私の全てをさらけ出せる男性。
そしてそれを調教してくれる人。
日常生活では入ることのない、絶頂の世界に私を連れて行ってくれる人。
私はそんな人の雌豚奴隷になりたい。
完全な変態である。
告白されたときは周りの友達にそれとなく相談して断ってもらっていた。
自分で言うと罵詈雑言で相手をMの快感に芽生えさせてしまいそうだったから。
こんな私に彼氏はできないまま、気づいたら高校生活を送っていた。
入学先は家の近くの進学校で、部活は先輩に勧められるまま生徒会に入っていた。
私の理想では野球部やサッカー部のマネージャーになり、部員複数でイジメられるような生活を送ってみたかったが、そもそもマネージャーの募集がなかった。
文化系の部活の衣装を着てみたいという思いもあったが、私が不器用なのでやめた。
生徒会室なら空いた時間に自分を慰めるくらいできると思い、入会した。
入会してみれば仕事は大した量ではなく、他の人は全員勉強が忙しそうだった。
内申のための入会であり、あまり熱心ではないそうだ。
そのため生徒会室には人があまりおらず、チャンスはどれだけでもあった。
生徒会室でするのは思いのほか捗り、朝も放課後も生徒会室にこもるようになった。
周りの生徒や先生は熱心に働く素晴らしい生徒会役員だと思っていたが、部屋には資料に隠れて大人のおもちゃが隠してあるような状態だった。
アダルトなストーリーであればそれが誰かに見つかり、それをもとに脅迫され奴隷にされるような展開になるはずが、誰にもバレなかった。
そして3年生では生徒会長になり、惜しまれるまま卒業したが、本心ではヤり残したことがたくさんある悔しい卒業となった。
結局、膜は残ったままなのである。
大学では軽音サークルに入った。
アニソンなら多少分かるし、小さい頃はピヤノを習っていた。キーボードかギターくらいなら弾けるだろうと思い、入部した。
失敗した。
まず、入学した大学が良すぎたのだ。
軽音サークルがヤリサーではなかった。
本気だった。
みんなの目が燃えていた。
特に中高といろいろお世話をしてくれた先輩が部長だったのだがおそろしいほど燃えていた。
本当は少し楽器を触って、あとはスティックを使って淫らな演奏が始まるようなイメージで入部したのに、スティックを使うのはドラマーだけだった。
とりあえず、続けてみたが先輩は優しく教えてくれたのに、根っからの不器用のため楽器は上手くならなかった。
結局、4年間ステージには立つことはなく音響の仕事をプロレベルまで磨いて、卒業することになった。
大学生活ではアルバイトもした。カフェの店員を4年間続けた。
お客さんから声をかけられるのを待ち続けた。
しかし、うちの店に来るのは近くに住む上流貴族ばかりで、店員をナンパしようとする大学生がいなかった。
働く店を間違えたのである。
1年生の時は、大学内で声をかけられることもあった。
しかし、男の人との会話に慣れておらず、逃げてしまった。
それをサークル内で先輩に相談したら、両脇をきっちりガードされるようになってしまった。
相談する相手を間違えてしまった。
この先輩は私の今の状態を面白がって永久保存しようとしたのだ。
流石に大学2年生ともなれば仕事やサークルで普通に男の人と話せるようになったが、その時には私は百合百合しいコミュ障の女と大学に知れわたってしまった。
そうこうするうちに4年間も終わり、社会人である。
不安しかない。
私の膜が破られる日は来るのだろうか。