53,助けてくれた人
「あっ、いましたよ!」
息が整ってきた私の耳に、ヒロ君の声が聞こえてきた。
バタバタといくつかの足音が近寄ってきて、私はシノの胸から頭を上げた。
もしも他の人もいたら…と危惧していたけど、皆だけだったからなんとか杞憂に終わった。
「大丈夫か?ヒマリ?」
「突然消えるから驚いたぞ………体調はどうだ?」
なんとか首を動かしてYESを伝える。
後ろのほうで、ミネトが不安そうな表情をしているのが見えた。ミネトはすべて知っているからだ。
しばらく、路地裏はしん……と静まり返った。
その雰囲気をおずおずと破ったのは、ヒナタ君だった。
「ねぇ………ヒマリん。きいちゃいけないって、分かってるけど…………どうしてそこまでヒマリんは能力を嫌ってて、人混みをあんな風に怖がってるの?」
「…っ、ヒナタ!」
その言葉に、シノが咎めるように声を出す。
すると、はあ、とため息が辺りを包み、今まで黙っていたミネトが口を開いた。
「ヒマリん。そろそろいいんじゃないかな?少しでも、荷物は少ないほうがいいでしょ?」
荷物は少ないほうがいい…………
湊の言葉がぐわんぐわんと頭を揺さぶる。
怖い……皆に、知られることが………怖い。
気持ちが心を揺さぶり、体を揺さぶる。
何も知らないくせに、私の気持ちなんて知らないくせに、勝手なことを言わないで。
頭の中は、その言葉でいっぱいになっていた。
だけど、私は分かっていた。分かっていたのに、見ないふりをしていた。
話せば、少しは楽に………なれるのかな?
皆が皆、エン先輩みたいな心を読む力を持っているわけじゃない。皆にそんなことを求めている私が一番勝手……"自分勝手"だ。
シノの胸に、再び顔をうずめる。
その時、リョウ先輩の低い声が、私の脳を再び揺らした。
「………この時間なら、まだ生徒会室は使えるだろう。貴様ら、今日は全員今すぐ家に戻ってログアウトだ。今から五分後、生徒会室集合だ。いいな?」
威圧的な口調。
だけど、私はその言葉のあと、大きな大きな息をついた。
この場にいる全員が、この状況では水樹君もが、すべてを察していた。
絶対的権力者の発言に、私達が無言で同意のサインを出した。
ーーーーー
部屋で目を覚ました日葵は、まだぼんやりする視界を目をこすって醒まさせようとした。
時計が示している時刻は午後4時32分。残り三分で生徒会室に向かわなければ、涼雅の雷が落ちるだろう。
それをこの約一年間に嫌というほど叩き込まれた日葵は、身なりと秒で整えてから、1棟3階の生徒会室へ向かった。
扉を開けると、ちょうど同時刻に扉を開けた奈糸と出くわした。
特に会話することなく、大階段を降りて一緒に入口へ向かう。
だけど、生徒会室にもう着く、というところで奈糸がぽつりと言った。
「………俺は、日葵の言ったことを忘れることができない。だけど、だからと言って、真実を隠すことはよくないから。全部、言っていいから。」
その言葉に、日葵は思わず足を止めてしまった。
奈糸は、そんな日葵の行動を気にせず生徒会室の扉を開ける。だが、日葵はフリーズしてしまった。
(視界が、歪んでる………)
ドアノブが遠い。
楕円形をしているノブが、日葵にはぐにゃりとウェーブした四角に見えていた。
気遣いのためにはなったはずの奈糸の言葉が、日葵にプレッシャーを与えてしまった。
くるり。
日葵は次の瞬間、方向転換をして階段を駆け下りていた。
ただただ、その場所から逃げ出したかった。
「あれ?日葵はどうしたんですか?」
「………さっきまで一緒にいたけど。」
一人で生徒会室に入ってきた奈糸に、翔が静かに問いかけた。
その問いを聞き、不思議そうに先ほど入ってきた扉の先を見つめる奈糸。
「なんか悲しそうな顔してたから、『全部言っていいよ』って言ったけど。」
席に着きながらそう言うと、大きなため息が蒼の口から漏れた。
そして、奈糸の方を優しく見ながら言った。
「……どうせ、フォロー目的でそう言ったんだろう?今それは少し違うな。」
「………?」
きょとんと首をかしげる。
水樹と二言三言話してから、少し探しに行ってくる、と告げて蒼は扉の奥に消えた。
上がりかけていた腰を、翔は、金属音をさせながらゆっくり閉まっていく扉を見ながら静かに降ろした。
ーーーーー
日葵は、建物の陰でうずくまっていた。
体全体が恐怖に震え、ここまで走ってきた足はもう動かない。
彼女の瞳は、真っ暗だった。
(…………こわ、い………怖いよ………もう、もう大丈夫なんじゃないの?分からないよぉ…………)
不思議と涙は流れていなかった。
すると、突然日葵に影が落ちた。そして、聴き慣れた優しい声音。
「大丈夫か?日葵。」
慈愛の表情を浮かべた蒼の姿だった。
日葵の口がポカーンとあく。
その姿を見て、蒼は小さく笑った。
「もしかして、翔の方がよかったか?」
ぶんぶんと勢いよく頭を振ってしまったせいで目が回る。
蒼は笑いを少しだけ深くしながら、日葵の横に座った。草と布がすれる音が微かに聞こえた。
蒼が後ろの壁に背をもたれさせると、日葵もそれに倣って姿勢を楽にした。
夕焼けが、山に沈みかけていた。
「……………。」
「……………。」
蒼は、生徒会のまとめ役だった。
優しい言葉で人々をなだめ、説得させられる力があった。日葵も、その蒼の力に何度も助けられていた。
沈黙を破ったのは蒼だった。
「…………俺はね、昔、ある人に助けられたことがあるんだよ。」
「……………蒼先輩が、ですか?」
彼は、どこか分からないほど遠くを見つめている。
日葵はそう感じた。
「今では触れることで読む能力に収まっているけど、小学生の頃はひどくてね。ただそこにいるだけでたくさんの人の思考が流れてきたんだ。何十台というラジオを、狭い部屋の中で一度に聞いているみたいな感じで。すごく怖かったよ。」
「………………一度に、ですか…………」
人の心を読むことは、蒼にとっては苦痛でしかなかった。
聞きたくもない言葉が流れ込んでくる。耳をふさいでも聞こえてくる。
他人に向けられた罵詈荘厳。嫉妬・妬み・嫉み・怒り。人の心なんてそんな負の感情や言葉に占領されていた。幼かった蒼でもそれくらいは分かっていた。おかげで、蒼の心は小学生にして達観しきっていた。
「それ」が起こったのは、とある夏の日。花火大会の日だった。
いつもなら言葉の奔流を怖がって、たくさんの人が集まる場所。ましてや花火大会なんて例外だった蒼が、好奇心からか、花火大会の会場へ足を向けていた。
気が付いた時には遅かった。
今までとは段違いの"声"の多さに、蒼は頭がパンクしてしまい、気絶してしまったのだ。
「そこで、ある人とあったんだ。気絶した俺を少し離れた静かな場所に寝かせてくれたんだ。そして、気が付いた俺にこう言ったんだ。「大丈夫?大変だったね?」って。もう俺は驚きを超えて唖然としてたよ。まるで俺が心を読むことができるって知ってる風な口ぶりだったからね。」
「あの…その人って…………」
「聞いて驚かないでね。その人はね………涼雅だったんだ。」
「……………っええええ?!?!」
蒼の口から思わぬ名前が飛び出し、日葵は目を白黒させた。
思い通りの反応だ、と蒼がくすくすと笑う。
「ひ、昼田先輩が、ですか?!し、信じられな……ってそんなこと言っちゃだめか…………」
「ふふっ、別に大丈夫だよ。ここには誰もいないから。確かに俺も今考えたら信じられないよ。でも、確かに俺を助けてくれたのは涼雅だったんだよ。」




