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「お兄さん! 付き合ってください!」


 小学三年生であるミカには好きな人がいた。隣の家に住んでいる大学生の男、タカヒロ。何の変哲もない、けれども幼い頃より可愛がってもらっていた、少女の心を奪うには十分すぎる男。告白されたタカヒロは困惑とニヤつきが入り混じった表情で、優しくミカの頭を撫でる。


「うーん……ミカちゃん可愛いからオーケーしたいのは山々だけど……ミカちゃん恋愛免許持ってないよね?」

「恋愛……免許?」


 聞いたことのない単語に首をかしげるミカに、タカヒロは財布の中から一枚のカードを取り出す。そこには男の名前と、『免許所持者との交際許可』という一文、そしてどこかの団体の署名が書いてあった。


「誰かと付き合うのには、今は資格が必要なんだよ。一時の感情に惑わされて、恋愛で不幸になる人が多いからさ、十分な判断力や知性を持った人間しか、恋愛をしちゃいけないってことになったんだ。大体は大人になる頃には資格を取れるようになっているけど、ミカちゃんくらいの年でも頑張って勉強すれば、遠くないうちに資格が取れるかもしれないね。そうしたら付き合ってもいいよ」


 カードを財布にしまうと、それじゃあ頑張ってねと言ってタカヒロは去っていく。ロボットやAIといった技術の進歩により、子育てのコスト、介護問題といった問題から解放され、人間は無理に子孫を残す必要が無くなった。恋愛という行為もまた、世間体のため、将来の介護要員のため、生活のためといった妥協の面から解放され、次第に人間は恋愛を高尚な行為と考え始めた。恋愛とは判断力のある大人同士のする素晴らしい行為……そう考えた人間が作り出したのが、恋愛免許である。暴力的な男性から離れられない女性、我を忘れて女性に貢ぐ男性、そういった存在を減らすため、十分に判断力があると認められた人間のみが、交際や結婚を行うことができる。大人であっても免許が無ければ堂々と交際をすることはできないが、互いに免許を持っていれば、以前なら認められなかった、大人と子供の恋愛すら可能となる。恋愛を取り巻く事情は、その様に変化していた。



「お姉ちゃん! 私、恋愛免許取るよ!」


 家に帰ったミカは、リビングで漫画を読んでいた姉であるミアに向けて決意表明をする。ミアは大きく馬鹿そうな欠伸をしながら、ミカに気だるげな表情を向けた。


「んあ……免許? ああ……そーいうのあるらしーね。でも無理でしょ、ミカ小学生じゃん」

「私はお姉ちゃんと違って馬鹿じゃないから、ちゃんと勉強すればいけるもん!」

「あーはいはい、アタイはどーせ馬鹿ですよーだ」


 ソファーに寝転がって漫画で顔を隠し不貞寝する姉のことなど放っておいて、ミカは早速恋愛免許を取る方法について調べ始める。その晩、一家で鍋をつついている時にミカがその話題を持ち出した。


「お母さん、お父さん、私恋愛免許取りたい! いいよね、教習所に行っても」

「恋愛免許? ミカにはまだ早いんじゃないの?」

「早くないもん! 大人になって免許を取った時に、好きな人が結婚してたらどうするの?」

「ははは、そうだな。ちゃんと学校の勉強もするんだぞ?」

「けっ、無理して大人びてもロクなことなんねーと思うけどなー」

「お姉ちゃんは黙ってて」


 互いに恋愛をした結果産まれた子供の早く恋愛したいという願いを無碍にできる両親はそうそういない。そして週末、ミカは早速恋愛免許を所得するため、教習所の門を開いた。



「まずは恋愛という行為そのものについて学びましょう。今好きないる方は、その人の事を考えてみてください。胸の奥が熱くなってきませんか? それが恋愛の基本です」

「(それくらい知ってるもん。お兄さんの事を考えたらドキドキするもん)」


 教習を始めてしばらくは、普及している恋愛の定義や、恋愛に免許が必要となった背景といった基本的な座学が続く。ミカはまだ小学生、座って勉強するよりも外で遊びたい年頃だ。告白する練習とか、デートの時に着る服の選び方とか、そんな実技を学びたいなともやもやしながら座学を受け続け、ようやく専門的で実技を交えた学習が始まる。


「……以上が吊り橋効果の説明となります。それではVRを用いて、実際に体験してみましょう」

「はい! 私からやります!」


 我先に手を挙げるのは小学生の特権。積極性のない大人の受講生に勝ち誇った顔をしながら、ミカはVR体験装置へと入る。仮想の世界へとダイブしたミカの目の前には、今にも崩れそうな吊り橋があった。そして隣には、無表情な男のマネキンが立っている。


「(この人と一緒に吊り橋を渡ればいいのね? 簡単じゃない)」


 意気揚々と男と手を繋ぎながら橋を渡る彼女だったが、歩くことで橋が揺れることは全く想定していなかったのか、半分くらい渡ったあたりで涙目になってしまう。


「(大丈夫、これVRだし、落ちても死なないし)」


 心を落ち着かせるために深呼吸するミカだったが、突如世界がガタガタと震え始める。地震が起きたのだ。一瞬にしてパニックになり、隠れる場所もないのに反射的にしゃがみ込み、ビービーと泣き始める。


「ああああああ! いやああああ! 落ちる、落ちる、落ちる」


 揺れは収まったが、ミカの心臓は今にも破裂しそうな勢いで歩くどころか、立ち上がるのが精一杯。そんなミカの手を取り、マネキンがゴールへと歩き始めた。


「あ……ありがとう」


 恐怖が一瞬にして安心へと変化したミカは、顔を赤らめながらマネキン相手に感謝の言葉を贈り、吊り橋を脱出する頃にはぎゅっとマネキンにしがみ付いていた。世界が現実と戻り、醜態を晒したミカをクスクス笑いが襲う。


「大丈夫ですか? ただのマネキンを格好いいと思ってしまうほど、恐怖によるドキドキは恋心と勘違いしやすいのです。きちんとした恋愛をするためには、それをきちんと分けなければいけません。さあ、次の人」


 ミカに続いて他の受講生が同じ体験をしてワーキャー叫ぶのを眺めることなく、ミカは席に座ったままうつむいて唇を噛む。ドキドキしてしまったことへの、笑われてしまったことへの悔しさ。


「(絶対に……絶対に免許取ってやるんだから……!)」


 失敗を素直に受け入れて反省し、立ち直る前向きさも、大人よりも子供の方が持ち合わせているものだ。ミカはこの日を境に、退屈な座学の授業も真面目に聞くようになる。



「ダイヤの指輪なんていらないもん! おじさんと結婚なんてしない!」


 お金で恋愛をしないための訓練、


「男の強さってのは、暴力じゃないんだから!」


 暴力的な男を強い男と勘違いしないための訓練、


「うん……ヒゲが、ダンディーよね」


 年を取ってしまった好きな人に愛想を尽かさず褒める訓練……馬鹿馬鹿しい、別に恋愛は義務じゃないしと辞めていく人間もいる中、ミカはタカヒロへの想いを胸に、次々と大人の階段を上っていく。そして数ヶ月後、ミカが小学四年生になったある日、ついにその時がやってきた。



「総合得点82点……おめでとうミカちゃん。よく頑張ったわね。素敵な恋愛をするのよ?」

「はい! 今までありがとうございました!」


 親身になって恋愛を教えてくれた講師にカードを手渡され、深々と頭を下げるミカ。ついに彼女は恋愛の資格を手に入れたのだ。大人に混じることへの疎外感も、単純な頭脳の乏しさも、恋心と根気で乗り越えたのだ。カードを大事そうに持ちながら、ミカはタカヒロの家へと向かう。それまでは頻繁にタカヒロの家に遊びに来ていたミカだったが、教習所に入ってから免許を取るまで、ミカはタカヒロに会おうとはしていなかった。免許を取った時、恋愛において大人になった時、生まれ変わった自分を、タカヒロと真正面から男女として向き合えるようになった自分を改めて見てもらおう、そしてタカヒロと向き合おうと、自分の中でお預けをしていたのだ。


「お兄さん!」

「やあミカちゃん。久々だね、どうしたんだい?」

「私、免許取ったよ!」

「それは凄いや、おめでとう」


 彼の部屋のドアを開け、嬉しそうに免許を取り出して見せつけるミカの頭を、タカヒロは優しく撫でる。えへへと照れた後、深呼吸をして真正面から告白する相手をミカは見つめた。


「それでね、それでね……(あれ……?)」

「うんうん、それで?」

「それで……それで……?」


 約束通り恋人になってと言おうとするミカだったが、違和感に気づく。それまではタカヒロを見るたびにドキドキしていた心臓が、不気味な程に落ち着いていたのだ。その事に少し混乱した後、ミカは気づいてしまう。


「わ……私に……彼氏ができた時……男の人が喜ぶこととか……アドバイス……欲し……いなって……」

「ははは、勿論だよ。いつでもお兄さんに頼ってくれたまえ」

「うん……それだけなの。それじゃあ、また……ね」


 もうミカは、タカヒロの事を好きになっていなかったのだ。小さい頃から遊んで貰い、自然と好きになっていた彼を、免許を取る間に立派な判断力を手に入れた彼女の頭は、父親や兄弟への感情であって、恋心ではないと認識してしまったのだ。途中から半泣き状態になりながら別れを告げ、ふらふらとした足取りで彼の部屋を去る。



「……フラれちゃったなあ」


 そんなミカを見送りながら、困ったようにタカヒロは笑うのだった。




「お姉ちゃん」

「んあ?」

「お姉ちゃんの言う通りだったよ。背伸びして大人になっても、いいことないね」

「よくわからんが、照れるぜ」


 好きな人にフラれたわけでもないのに、それ以上の辛さがミカを襲う。リビングで漫画を読んでいた姉に悟ったように語り掛けると、そのまま自分の部屋に向かい、ベッドにうつ伏せになってわんわんと泣く。彼女が本当の恋愛をするまでの間、彼女は心にポッカリと空いた穴に苦しむのだった。

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