第一話 女子学生達のある日
来週には夏休みに入るという土曜日。この日は、八月を思わせるような暑さになっていた。三十度を越える暑さから逃れるように入った駅前の喫茶店で、オレンジジュースを飲んでいた亜里沙は、ふいに声をあげる。
「ねえ、あそこ、あの子見て」
窓越しに外を指差した。亜里沙の座っている席からは、駅前の噴水広場が良く見える。
おおきな噴水は涼しげに見えるが、実際あの場所に立てば見た目ほど涼しくはないだろう。周りにいる人々が汗を拭う姿が目に映る。待ち合わせ場所として使われる事が多いせいか、この暑さの中でも多くの人が噴水の周りに立っていた。
亜里沙と一緒に席を囲んでいた大学の友人である美香と玲子が、亜里沙の指差した方向を見る。
「何よ、亜理紗。誰か知り合いでもいたわけ」
話しを途中で遮られた美香が、口を尖らせる。だが亜里沙はそんな友人に気づかず、視線を外へ向けたまま口を開いた。
「そうじゃなくて、良く見てよ、美香。あそこ、あの噴水の前で立ってる男の子。可愛くなぁい?」
言われて、美香は目を眇める様にして、もう一度その方向に目を向ける。
確かに男の子が一人立っていた。背はそれ程高くなく、白い半そでシャツに黒っぽいズボンをはいている。何処かの学校の制服のようだ。鞄も学校指定の物らしい。それを足元に置いて、少年は辺りをきょろきょろと見回している。
その顔は亜里沙の言ったとおり、可愛いと形容したくなるものだった。
少し小さめの顔に大きな目が印象的だ。そのくせ、何処か精悍な印象も受ける。不思議な感じの顔立ちだった。
美香の横で、チョコレートパフェを食べていた玲子が声をあげた。
「おお、本当。可愛いじゃん」
「でしょ、でしょう」
「確かに可愛いわ。将来有望だね。コレは」
美香も同意する。
亜里沙が、その少年を見つめながら口を開いた。
「誰か待ってるのかなぁ」
「彼女とか?」
「えー、いやーん」
玲子の言葉に、亜里沙はぶるぶると頭を振る。
それを見ていた美香が、冷静な眼差しを亜里沙に向けた。
「でも、それが一番自然じゃない? 絶対モテそうだもん。彼」
「うーん。確かに」
「えー、他の子に取られるなんてもったいなぁい。でも仕方ないかぁ。あの子中学生位かな、大人の女に興味ないかしら」
「アンタ。あの子に手を出したら犯罪だからね」
本気で口説きに行きそうな亜里沙に、美香が釘を刺す。
亜里沙は頬を膨らませた。
「しないわよぉ。失礼ね」
「わっかんないよー。アンタは」
「あー、もう。酷いぃ」
亜里沙は前に座る二人を軽く睨む。
そのとき、美香が声をあげた。
「あ、待ち人来たみたいよ」
先ほどまで、所在無さげに立っていた少年は、駅の方向へ身体を向け、駅から出てくる人々へ向かって手を振っている。
女性たちはその少年が手を振っている相手を見ようと、そちらに目を向けた。
そして、驚いた。
手を振り返している人がいた。
それは少年と同じ年頃の男の子だった。待ち合わせの相手は恋人ではなかったようだ。彼女達の予想は外れていたらしい。だが、彼女達はそんなことで驚いたわけではなかった。
その相手の少年は、黒のティーシャツにジーパン姿だった。だがそれ以外は、待っていた少年とそっくりだったのだ。
噴水の前で立っていた制服姿の少年に、同じ顔の少年が駆け寄って、何か言っている。
「信じられない」
「可愛い顔が二つ……ダブルでお得」
「アンタの驚きはそっちかい」
美香は、亜里沙の呟きに、呆れた声でつっこんだ。
玲子は興奮した声で、手を上下に動かして二人の注意を引いた。
「うわぁ、見た? 双子かなぁ、そっくりだね」
「だろうね。双子以外には考えらんないね」
「本当。いい男がふたーり。最高じゃないのぉ」
「アンタって……」
玲子と美香は亜里沙を見ながら異口同音に呟いた。
しばらくそのそっくりな男の子達を眺めていた亜里沙達は、あることに気づいた。
どうやら、あの男の子達はまだ誰かを待っているらしい。二人がおち合ってもう既に五分以上経っている。それなのに、二人は真夏のように熱い太陽に晒されていても、影のある場所に移ろうとしなかった。先ほどと変わらずそこに立って、なにやら談笑している。
「今度こそ彼女じゃない?」
玲子はそう言って、チョコレートパフェの、最後の一口を口に含んだ。
「ダブルデートってやつか。中坊の癖に生意気な」
「えー、超うらやましい」
「あのねぇ……」
異口同音にそう言って、美香と玲子はあきれ顔を亜里沙に向けた。その時である。少年の一人、制服を着たほうの少年が手を振った。今度も駅の方向で、駅から出てきた人の中に手を振り返す人間がいた。
「……」
「……」
「……」
その人物は短い黒髪だった。眼鏡をかけていた。青いシャツを着ていた。そしてそれ以外は、待っている二人の少年とそっくりだった。
彼は待っている二人の少年の前に立った。
「……信じられない」
玲子が呟いた。
「三つ子とは思わなかった」
なぜか悔しそうに美香がテーブルを叩く。
そして、亜里沙が口を開いた。眼はうっとりと少年達に向いている。
「本当、可愛い顔が三つも……、超最高じゃないのぉ」
「……アンタって……」
玲子と美香は心底呆れた目を亜里沙に向けた。
「悪い。遅くなった」
待たせていた相手に謝って、安倍空は額の汗を手の甲で拭った。
「全く、遅いっつーの。俺この暑い中、三十分もここで待ってたんだからな」
一人制服姿の安倍陸が唇を尖らせた。彼の腕時計は待ち合わせの一時を、三十二分過ぎていた。その横で安倍海が近くの喫茶店に視線を向けた。
「そうそう。俺たち見世物状態だったんだぜ」
その言葉に、熱で曇った眼鏡を外して、空は怪訝な顔をする。
「は?」
「そう、あそこで座ってる三人のお姉さま方に観察されてたんだ。俺たち」
陸は顎で方向を示した。空は拭き終えた眼鏡をかけてそちらを見る。
ガラス越しに大学生風の女性三人がこちらに顔を向けていた。
女性達は空達が急にそちらの方を向いたのであたふたしている。
「あ、焦ってる」
陸は面白がるように声をあげて、その女性たちに手を振った。
「さ、行こうか。目的地に付く頃にはちょうどいい時刻になってる」
陸の声を合図に、三人は歩き出した。
いきなり手を振られて、女性たちは驚いた。見ていたのをどうやら少年達は気づいていたらしい。
制服を着た少年がこちらに手を振っている。慌てる美香と玲子を他所に、亜里沙は嬉しそうに手を振りかえした。
「いやーん、可愛い。やっぱいいな、可愛い男の子って」
「……アンタねぇ」
玲子と美香はその後の言葉が続かず、呆れ果てた顔で、肩を顰めあった。