金平糖
七夕にちなんだお話です。
閉店間際に、親友の〝まあ〟が出張帰りだと立ち寄ったせいで普段よりあがりが少し遅くなった。
灯りのない二階居間に一瞬不安を覚える。
どこにいる?
と、姉からのあずかりものである少女の姿を、家の中に探そうとして。
ああ、そういえば……。
ベランダから店からは見えない庭を見下ろす。
いくつものガーデンライトのなかにその姿をみつけた。
少女がおぼつかない足取りで両手にもったバケツをゆっくりとはこんでいる。
両側に造られた花壇の通路。
その真ん中あたりにどすんとそれをおいた。
格子柄のスカートに水しぶきが散っただろうに。
ひざ下で裾をきちんとたたんでしゃがみ、縁すれすれの水面をのぞきこんでいく。
予想と違わぬ光景に安堵した瞬間、上から声をかけた。
お月さま、とれそうかい?
見あげた少女は、
「ううん、なんでかうまくいかないの。
月がうつんない……。
場所が悪いのかな、バケツがちっちゃすぎるのかな」
再び両手でバケツを持ち上げ移動しようとした。
彼女にとってバケツに映る月は、まんまるでも半分でも欠けていようとかまわないらしい。
水面に月が映れば願いがかなうと思っているのだ。
――月には逢いたい人がすんでいていてね。
水にうつしたら近くでその姿がみえるんだって。
そっとすくったら月がとれてお話できるんだって――
何やら読んだ本にそんな物語が書いてあったらしい。
少女の名は明日葉という。
ただ一人の肉親であった父親を喪い、半年まえから姉がひきとり育てている。
以来、姉弟二人で過ごした音の少ないこの家に、ぽっかりと咲いた花のような存在になった。
私は姉が彼女をひきとった詳細をほとんど知らないのだが。
実弟の私より姉から愛情を注がれているような姿を、羨ましいと考える以上に、私も明日葉を愛おしく思う。
両親が亡くなってから、中学生の私は一人で過ごす時間が長くなったのだけど。
姉は両親が残した〈フェアリーマーブル〉というカフェを存続させて、私を育ててくれた。
生活時間のすれ違いはあっても、同じ屋根の下にいるためか、常に姉から守られていると実感できた。
一年時が過ぎれば姉にもまた同等に季節は流れ。
姉は私のため婚期を逃したのではないかと思わなくもないが。
私が〈フェアリーマーブル〉を姉から引き継いだのを機に。
姉はお菓子を創るためだけの会社を立ち上げ、まあは数少ない社員の一人となった。
*
明日葉は過去の私のようでありながら、人の世に一人遺されるには当時の私より心が少し幼く、姉と二人で守って調和が整う。
水面に映る月に父親が住むというおとぎ話を信じるような中学一年。
それが明日葉という少女であった。
だが、今夜はあいにく雲がかかっていた。
夜空に見えない月はどうあってもバケツに映ることはないのだと。
そこに至る思考を持ち合わせていない、それが彼女であった。
それに――。
今夜はとれないと思うよ。
「えっ、どうしてどして?」
だって今日の主役はおほしさまだろ。
今日は七月七日。
七夕だ。
雲にかくれた天上には星の川が夜空をうめているだろう。
だというのに、少女は見えない月をとることだけしか考えていないようで。
ふと、まあからみやげだと受けとったものを思いだし、ポケットをまさぐってそれをとり出す。
『七夕だからやっぱり星がいいかと思って』
出張帰りに同僚皆にも配ったのだという。
ちょっと待ってて。
私は少女に声をかけ、裏階段からサンダルを履いて庭へ出た。
これをバケツに入れてごらん。
お父さんが彦星になってくるかもしれないよ。
彼女はちいさな小ビンをうけとり、透明なそれをじっとみつめ。
首をかしげながら、コルク材のふたを抜いた。
中身は星の砂。
小さなビンの口からさらさらと流れおちる砂。
びんはあっという間にからっぽになった。
私はバケツの底にたまった星の砂を細長く整え。
そこに半透明の白いシロップにおおわれた、紅色と青色のこんぺいとうを一粒ずつバケツに落とした。
『春日にはこれも。社長からだよ』
帰り際、まあから手渡された紙袋に入っていたのは数色のこんぺいとう。
これも見ようによっては星形だ。
姉が今夜不在の詫び代わりに明日葉にと持たせたのだろう。
ゆっくりと水底へと落ちていくこんぺいとう。
それを今夜の主役にみたて、七夕のお話を少女にぽつりぽつり語り聞かせ。
織姫が逢いたいのは彦星なら、きみが逢いたいのはお父さんだろ。
どっちも最愛の男と女だよ。
一言も口を挟むことなく聞いていた明日葉が、わずかにうなずいたように見えた。
が、それも一瞬で……。
バケツは小さすぎると思ったのか、
「明日はタライを置いてホースで水を流し込もうかな」
と、つぶやく明日葉。
明日も雲が月を覆いかくせばいいのに。
そんなことを考えるのは、月が明日葉をさらっていってしまうのでは。
と、明日葉のおとぎ話に同調しているからなのか。
彼女の夢が消えることへの不安なのか。
私と少女はならんでしゃがみこみ、バケツの底をながめ。
ただただ無言で、こりこりとこんぺいとうをかじった。
(金平糖・おしまい)