小鳥遊の7月
随分、暑くなってきた。あまり暑いのは得意じゃない。というか、大嫌いだ。
梅雨も明けきらず、高い湿気がガリガリと心を削っていく。この湿度の高い夏は本当に嫌だ…いっそ知り合いがいるドイツとかアメリカとか南極に行ってしまいたくなる。面倒だから行かないけど。
しかも、気の早い台風が接近してるらしい。この辺りはあんまり台風は来ない地域だし、どうせそれるだろう。
パコペコ音をたてる安物の下敷きはこの時期の親友だ。折れそうなほどしなる青い半透明な下敷き越しに隣の席を見てみる。
今日の如月くんは、ショッキングピンクのハイビスカスが目に悪いアロハシャツ。
趣味の悪いアロハシャツの大半を隠してくれてた学ランは、もういない。
完全に夏季だし。最近は、如月くんに学ランは必要不可欠なものだったんだな、ってこの趣味の悪さを見てると思う。
夏に入ってからはサングラスもつけてるから、完全にその手の人だ。後はオールバックか坊主にして、目とか頬に傷痕付けたらもう最高なんだけど。如月くん、頼んだらやってくれないかな…カッターなら持ってるよ?
っと、こんなくだらないこと考えてないで授業に集中しなきゃだ。
出席番号順に当てる先生だから、今日はもう大丈夫なんだけれども。でも正直、現代国語とかやることないんだよね…ノートだけは取っておくけどさ。
シャーペンを置いてオレンジのボールペンで線を引こうとした時、如月くんに順番が来た。
ガタッ、無駄に大きな音をたてて如月くんが立ち上がった。授業中なのにさっきまで開いてたガラパゴスな携帯を勢いよく閉じる。あの勢いでよく壊れないな。
そして、先生が何か言う前に、顔をしかめながら悠々と教室から出ていく如月くん。なかなか勇気の要るエスケープの仕方だこと…ちょっと感心。流石、脳筋蛮族系不良だ。
先月の「雨と猫と不良」のテンプレを裏切ったことを許してやってもいい。このあと、お決まりの使用禁止の屋上に行ってくれたらもっといいんだが。
…気になるな、如月くんの後を追おう。もし屋上に行っていなかったら、その時はその時。腹いせに帰り道の歩道橋とかで背中を軽く押してやるだけだ。
よし、そうと決まったら具合が悪いと申告して教室から抜けよう。如月くんと違って、あんな力業をするつもりはないからね。穏便にいくのが一番だ。
屋上の封鎖…と言ってもただの南京錠だけど…が解かれてる。絶対、如月くんだ!不良が屋上でサボるとか…テンプレもテンプレ。王道中の王道じゃないか。
如月くんは屋上で何をしてるんだろう?
寝転がって空を見上げつつ、いい感じに葉っぱが二枚ついた枝でもくわえてるんだろうか。汚いからやめた方がいいと思うけど、如月くんならまあいいだろう。病気とは無縁そうだし。
それともインテリ気取って読書してるのだろうか…勉強したいなら授業サボる意味がわからないし、如月くんがやったらインテリな若頭だけど。
なんにせよ、面白そうだ。笑って気付かれたりしないように見よう。ドアが軋まないように注意深く開く。まずは、様子見。僅かな隙間から屋上に目をやる。
案の定、如月くんがいた。
…でも何してるのかよくわからないな。濃い緑の棒と朱色の網目の細かいネットを持ってる。反対色とか、服同様目に悪い。濁ったクリスマスカラーか。
いや、でも、本当にわけがわからない。あの有名な白い小動物型の地球外生命体端末が人間の心情を理解できないのと同じくらいにわけがわからないよ。
こっちの目が節穴に成り下がってるんじゃないなら、如月くんの向こうに見えるのは菜園なんだけれど。
如月くん、トマト栽培してるんだけど。
真っ赤に熟した実はバケツに入れられて、何処から引いてきたのか、水色のホースから注がれる水で冷やされてる。
…本当に意味がわからないぞ、如月。
また期待を裏切った如月くんを恨みを込めて睨んでやる。菜園の周りに棒を立て、ネットを張っていく如月くんの動きが一瞬固まった。そのせいで足がもつれ、派手に転んだ。
それを冷めた気持ちで見ながら、考える。
ふと思い付いてスマホをポケットから出して天気予報を見る。台風の位置がここの通過がほぼ確定しているところまで来ていた。なんだよアイツ…台風対策かよ。
なんなの?不良のテンプレイベントの導入起こしておいて、なんで菜園なの、トマトなの?トマト大好きだけど。
裏切られた感で腸が煮えくり返る思いだ。テンプレイベントを起こせたら面白そうな女子を誘導してヒロイン枠を作ってやろうかと、楽しみにしていたのに!
腹立ち紛れに東京タワーの天辺から如月くんを地上に転ばせる方法を考え始めてから、大きく頭を振る。
ネガティブに考えてはいけない。もっとポジティブに考えよう。如月くんはテンプレイベントにオリジナリティを加えようとして失敗しただけなんだ。むしろ、期待外れでつまらなかったとは言え、予想外な展開へ持って行ったこと認めるべきだ。
まあ、苛々するのは変わらないから、事務員さんに屋上のことは知らせておこう。あと、明日は如月くんの上履きの裏に滑りをよくする薬剤でも塗っておこう。よし、そうしよう。
今更授業に出るのも面倒だし、昼休みまで図書館にでも行こう。無音で屋上のドアを閉め、踵を返して静かに歩きだす。
もう如月くんなんて知らん。
昼休み、教室に戻ったら机の上に冷えたトマトが鎮座してた。賄賂かね、如月くん。