田吾作どん食べちゃダメ?
日本のとある山の奥深くに【獄の森(ごくのもり)】という、それはそれは恐ろしい森がある。
そこには様々な魑魅魍魎達が蔓延り、それぞれの種族ごとに集落を形成し、住み着いていた。そのためか、人間はおろか動物さえも立ち入ろうとはしない。興味本位で立ち入ろうものなら、彼らにその肉体丸ごと食べられてしまうという言い伝えがあった。
そんな獄の森にある日、人間の男の赤ん坊が、森の入り口に捨てられていた。それを森の長である“鬼の一族”の村長が見つけ、すぐにその場で赤ん坊を食べてしまおうと考えた。
しかし、問題が一つ。赤ん坊の体は小さく、一族で食べるには明らかに量が少なかったのだ。
そんな時、村長は考えた。
『このまま育てて、大きくなってから皆で食べてしまおうじゃないか』と。
一族である村人は全員、村長の考えを快く承諾し、赤ん坊に《田吾作》と名付けた。おいしく頂くために去勢手術まで施し、大勢で食べられるサイズになるまで大切に育てることになった。
しかし、田吾作を村人総出で育てること数年、突如ある大問題が発生した。
それは田吾作にかなりの愛着が湧いてしまい、村長を含め、村人たちが食べたくても田吾作が可哀相で食べられなくなるという事態に陥ってしまったのである。
しかし、食べたいのは変わりないので、村人たちは皆して困ってしまった。
そこで村の決まりとして《田吾作自身が食べてもいいよと言った場合のみ、皆で食べてやろう》というのが作られることとなった。
このお話はそんな環境下で育ち、様々な魑魅魍魎たちのターゲットとして生きる田吾作の物語。
「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
朝六時。獄の森一帯に耳を劈く悲鳴のような声が上がる。鳥の妖怪による朝の雄たけびだ。
僕、大滝田吾作はその奇声に眉をしかめながら枕を顔に被せ両耳を手で塞ぐ。
かれこれ十六年間この村に住んでいるが、この鳥による“自然の目覚まし”には慣れないでいた。
もぞもぞと僕は一人には大きすぎるキングサイズのベッドを寝ぼけ眼で這うように移動していると、ベッドの終点付近で障害物にぶつかる。
んー。と手さぐりでその障害物を触っていると、ぽむっとやや出っ張ったところに辿り着いた。その頂きの正体を知るため少々強めに掴むと、どこからか「んっ……」と艶っぽい声が聞こえてきたので、僕ははっと目を開けた。
するとそこには、艶のあるロングヘヤーぱっつんの黒髪が色っぽく乱れた少女が寝ていた。
その少女は、薄ピンクのタンクトップと水色のショートパンツを身に纏っていて、一見は何処にでもいるような人間の少女に見えるのだが、特出すべきは頭に付いた可愛らしい角。
いわゆる鬼の角である。
そう、僕が掴んだのは、その鬼の少女の発展途上である胸。
「うわー! 木蓮、なんでここに居るの」
僕は飛び起きて木蓮の胸を掴んだ手を急いで離す。その反動で僕は再びベッドへ仰向けに転がってしまった。
彼女の名前は篠沢木蓮。木蓮は僕より三歳年下の女の子で、彼女の家は僕は住んでいた村長の家と隣同士だったので、でよく遊んでいた妹みたいな存在だ。
「んー。田吾作おはよー」
木蓮は眠い目を擦りつつ、むくりと起き上がる。それに倣い僕も再度起き上がる。
「おはようって、呑気に言っている場合じゃないよ。なんで僕の部屋で寝ているの」
僕は十四歳の立志の儀を行ってから、育ての親である村長の許を離れ、村営のアパートで一人暮らしをしている。
防犯のために毎日夜、寝る前は欠かさず戸締りをしているので、誰も入ってくることは出来ないはずなのだ。
すると、木蓮は申し訳なさそうに状況説明を始めた。
「えーっと、自分の家で寝てたんだけど、お腹空いて目が覚めちゃったから田吾作のお家まで来ちゃった。どうしても人間の里で流行っている“ぴっきんぐ”っていう方法が試したくて侵入しちゃいました」
木蓮はそう言って、僕に器用に曲げられた針金とヘアピンを見せる。
人間の里でそんな犯罪まがいのことが流行っているのかと僕は恐れおののく。
僕は、物心付いたときからこの獄の森で、魑魅魍魎たちに囲まれた生活を送っている。人間の里のことなんて、学校の図書室にて独学で学んでいる知識でしか知らない。
人間の里には一度は行ってみたいけど、森から里まで歩いて丸二日かかるらしいので、なかなか行けずじまいでいる。
でも、そんな人間の里で“ぴっきんぐ”という物が流行っていると聞いて、ちょっと行く気が失せる僕なのであった。
「木蓮、あのさぁ。そんな犯罪行為みたいなことしちゃ駄目だよ。お腹空いたら、木蓮のお家のご飯食べたらいいじゃない」
僕が優しく諭すように注意すると、木蓮は急にモジモジし始める。
「ど、どうしたの? そんなにモジモジして」
「だって、家にあるご飯よりもっと美味しそうな食べ物があるからココまで来たんだもん。食べてみたいなー」
木蓮は潤んだ瞳で僕を見る。そんな仕草に僕は嫌な予感しかしていないが、あえて聞いてみる。
「その、美味しそうな食べ物って一体何?」
「もちろん田吾作!」
目を爛々と輝かせて答える木蓮に、僕は大きいため息を付きながら頭を抱えた。
《大滝田吾作自身が食べていいよ、と言えば村の皆が彼のことを食べられる》
そんな村の掟のことを知ったのは、ひとり立ちする前日の晩。育ての親である大滝榊村長からそのことを聞かされた。
聞かされた当初はツッコミ所が多すぎることと、不安で頭の中がごちゃごちゃで気持ちの整理がなかなか付かなかった。でも、今となっては拒否すれば食べられないのだからと、今まで通りの生活を送っている。
ただ一つ、村の誰かが僕に“食べていい?”と事あるごとに訊ねてくることを除いては。
「駄目って何回も言っているでしょ。これで今月何回目なんだよ?」
僕はベッド横の鏡を見ながら灰色が混ざったような水色の髪の両サイドに三つ編みを編みこみながら、キッパリと木蓮に断る。
「えー。何回も言えば気が変わるかなって思ったんだけど、やっぱり駄目なのか」
そんな自分の命の危険を何回もしつこく言っただけで、素直に首を縦に振る奴が何処にいるんだと僕は内心ツッコミながらベッドから降りた。そして、ハンガーラックにかかっている高校指定である臙脂色の制服を取り出し、袖を通した。
「ん、田吾作、もう出かけるの? まだ学校行く時間には早いよ」
時計はまだ六時半を指したばかりだった。学校は始まる時刻は九時。木蓮は僕が早々に学校へ行く準備を始めているのを不思議に思いながら眺めていた。
「今日は朝市の日でしょ。だから買い出しに行くんだよ。
買出しのあとは学校の図書室で自主勉」
「おー、なるほどー。田吾作は勉強熱心だよね。尊敬しちゃうな」
木蓮は満開の花のような笑顔を振り撒く。僕はその姿をちょっと可愛らしく思えてソッポを向いた。
僕は木蓮を家まで送り届けて、朝市が開かれる村の広場まで足を進める。
その道中でも、
「やぁ、田吾作ちゃん。今日も一段と美味しそうだね。食べていいかい?」
「おー、田吾作。いい加減俺達の食料なっちゃえよ」
「あー、田吾作お兄ちゃんだ。私のご飯になってくれませんか?」
など、僕と出会う老若男女の村人達は、口々に僕を食べて良いかと投げかけてくる。
それに対する僕が出す答えは全て“ノー”。
そうすると皆が残念そうな顔を見せる。それが、少し心に突き刺さるものがあるけど、僕自身の命がかかっているのだから、仕方ないと僕自身に言い聞かせる。
そんなことを心に言い聞かせながら歩いていると、あっという間に村の広場に到着した。
村の広場は朝早くにも関わらず、色々な店のテントが立ち並んでいた。村人は、各々が欲しいものを買うべく、様々な店に並んでいた。
『まるで、本の挿絵で見たことのある、百鬼夜行みたいだなぁ』
僕はそう思いながら、辺りを見回し、目的の店を探す。
「田吾作どーん! こっちですよー」
声がした方向に僕が視界を向ける。そこには、一匹の狸が大衆をかき分けながら、ブンブンと前足ならぬ手を振りまわして僕に合図を送っていた。
「おーい。檸檬。今日も繁盛しているみたいだね」
僕はその手の振る先へと赴く。
化け狸の檸檬の店は、人間の里で自らの手で買い付けてきた商品を販売している。
人間の里の流行を直ぐに取り入れられるということから、朝市の中でも人気の店の一つにはいっている。
僕も、部屋が充実出来ているのは、彼女の店のおかげなのである。
僕が店に入ると、檸檬は可愛らしい耳をピコピコと動かして、迎え入れてくれた。
「田吾作どん、今日も新商品を沢山取り揃えていますよー。っと、その前の見てください。新しい変化の術です」
そう言って、檸檬がなにやら呪文を唱えると、ボンッと辺りに煙が立ちこめた。
その数秒後、だんだんと煙が薄れていき、僕がすぐ目に付いたのは、緩やかにウェーブがかかった絹のような金髪の髪。そして、陶磁器人形のような白い肌。
煙の中からはなんと、ピンク色を基調とした、フリルだらけのワンピースを着た少女が現れたのだ。
「どーですか! 人間の里で今流行っている、この甘ロリっ子スタイル。可愛いでしょう?」
檸檬は楽しそうに、変身した姿のままでぐるりと回ってみせる。
彼女は変化にこだわりを持っており、僕が毎回朝市に行く度に、こうして新作の変化を見せてくれるのである。
「うわぁ、檸檬の変化にはいつも感動して見とれちゃうよね。可愛いよ」
僕が素直に思った感想で檸檬を褒めると、いきなりフリルだらけのスカートがめくり上がり、中からふさふさの茶色い尻尾が飛び出した。
「……檸檬さん、尻尾出ていますが?」
「きゃっ。お恥ずかしいところをお見せしちゃいましたね」
僕が尻尾のことを指摘すると、檸檬はめくり上がったスカートを必死に押さえながら変化を解いた。
「いやはや、褒められると照れちゃって、変化が解除しちゃうのは何とかしないといけないですね。修行あるのみですね。
あ、そうだ、田吾作どんのためにとっておきの新商品があるんですよ」
彼女はそう言って店の奥へと行き、直ぐに戻ってきた。
そんな檸檬の手に握られていたのは。
一つのドアノブだった。
「えっ? 檸檬さんそれは一体」
僕があっけらかんとして、檸檬に訊ねると、檸檬はさも当然そうに、
「何って、ドアノブですけど?」
と答える。僕がイマイチな顔をしていると、
「このドアノブは優れものなんですよ。なんと、人間の里で流行している“ピッキング”対策がされた最高品なのです!」
そう言って檸檬がこれ見よがしにドアノブを僕に見せ付ける。僕の後ろに居た客からは賞賛の拍手が飛び交った。
「そ、そうなんだぁ」
僕は引き攣った表情しか出せない。
「あれ、田吾作どんの家に木蓮ちゃんがピッキングで侵入したと聞いて、これをオススメしたのですが、違いましたか?」
檸檬が不安そうに僕のことを覗きこんでくる。
「えっ、なんで木蓮が僕の家に入ってきたことを知っているの。今朝というか今さっきの出来事なのに」
「田吾作どん、商人を舐めちゃいけないですよ。商いには情報収集が第一ですから。この村で起こった些細な出来事一つでさえ逃しませんよ」
驚く僕に、檸檬が得意げに胸を張る。
彼女の商人魂は並大抵ではない。
「檸檬の努力に感銘したし、そのドアノブ買うよ。それと、ちょっと仕入れて欲しいものがあるのだけど、いいかな?」
僕はそう言って、檸檬に一枚のメモを手渡す。檸檬はそのメモを見て、少し首を傾げる。
「このメモに書いてあるものを仕入れたらいいんですね。でも、コレ、何に使うんですか?」
「秘密だよ」
僕はイタズラっぽく笑ってみせる。
「秘密ですか。商人としてはそこが気になるところですが、分かりました、次の朝市までには仕入れておきますね。では、先にドアノブの代金を頂きます」
僕は提示された価格分の銀貨を、檸檬に渡し、檸檬から袋に入れられたドアノブを受け取った。
獄の森の通貨流通は金貨と銀貨で行われる。檸檬などの人間の里へ仕入れに行く者は、人間の里で金貨と銀貨を人間の通貨に換金して、買い付けを行うらしい。
「毎度ありがとうございます。ところで田吾作どんは知っています? この村に吸血鬼が引っ越してくるって」
「人喰い鬼の住むこの村に吸血鬼が? 吸血鬼が越してくるって珍しいね」
獄の森は様々な妖怪たちが仲良く暮らしているのだが、吸血鬼だけは縄張り意識やプライドが高く、単独で村を作り、他の村とは隔絶された生活をしているらしい。
だから、よほどの事態が無い限り、吸血鬼が越してくること無いのだ。
「そうなのですよ。何か起こるかもしれないと少し心配なのですが、私の杞憂ですよね。忘れてください。ところで、田吾作どんに一つお願いしたいことが」
「ん、なんだい?」
檸檬はじっと僕を見つめて、
「田吾作どん、食べちゃ」
「駄目だ」
僕は、檸檬の質問をぴしゃりと断り、彼女の額にデコピンを喰らわせた。
「いてっ。ですよねー」
檸檬は恥ずかしそうに額を擦りつつ笑っていた。
朝市を後にして、道中、僕は皆からの熱いラブコール(主に食べても良いか的な)を受けつつ、なんとか学校に着いた。
まだ始業時間まで時間があることもあってか、校内に居る生徒は疎らでしんと校内は静まり返っていた。
僕は職員室から図書室のカギを借り、図書室まで向かいカギを開ける。
中に入って一目散に人間の世界に関する資料コーナーに足を運ぶ。
人間の住む世界から断絶された獄の森で住む僕が、人間の生活や様子を知るのはこの図書室の本のみだ。なので、何時人間の里に足を踏み入れても良いように、こうして毎日の勉強は欠かせない。
「この間は和歌集読んだし、今度は何にしようかなぁ?」
大小様々な資料本を前に僕はどれを読むかを悩みながら、本棚の周りをウロウロと動き回る。
頭を悩ましながら本棚から目に付いた本を数冊取り出し、席まで持っていく。
「よし、今日は歴史を中心に読んでみようかな」
そう言って僕は、世界史と書かれた本を広げる。本には、人類の祖先が誕生することこから始まり、どういった文明が生まれ、衰退していったかと言う内容が書かれており、かなり読み応えがある。
僕が読みふけっていると、いきなり図書室の引き戸がガラガラと音を立てた。
「あら? こんな早い時間に先客が居るなんて、驚愕ですわ」
凛とした声に僕が前を向くと、そこには薄緑色の左右不対称調の髪で金色の猫目をした少女が居た。
見たこと無い少女だな、と僕は本に目を移そうとした。
「あら? 貴方……」
そう言って彼女は僕に向かって近づいてくる。
「えっ。何。一体何!」
本の続きを読もうとした僕に、少女がくっつくように僕の匂いを嗅ぎ始めた。あまりの事態に僕はパニックになり、図書室にも関わらず、大声を上げてしまう。(幸い早い時間だったので誰の迷惑にもなっていないが)
「貴方から人間の匂いが微かにしますわ。それも、とても美味しそうな匂いが」
少女はうっとりとした口調で僕に言う。
「君は誰?」
僕が人間だと言うことを知らないとなると、この少女は村の人間ではないことになる。もしかして、今朝に檸檬が言っていた吸血鬼なのか、と僕は思考を巡らせていた。
「わたくしの名前は、ローズテリアと申しますわ。吸血鬼ですの。今日からこの学校に移って来た、所謂、“転入生”というところかしら? お気軽にローズとでも呼んでくだされば結構ですわ。
そういう貴方の名前は?」
「僕? 僕は、大滝田吾作」
僕が名前を名乗ると、ローズは何かを理解しような表情をした。
「貴方は噂の田吾作ですのね。妖怪しか居ないこの森人間の匂いを纏うモノが住んでいるなんて全く信じていませんでしたけど、これでナゾが解けましたわ」
彼女はなにやら独り言を呟きながら、うんうんと頷いていた。
「僕の名前ってそんなに有名なの?」
僕は、ローズが“噂の田吾作”という言葉に恐る恐る質問を投げる。
「えぇ、わたくしの住んでいた町でも噂はかねがね聞いていましたわ。まさか本当だなんて誰も信じておりませんでしたけど」
閉鎖的な吸血鬼の村でも噂が広まっていると言うことは、かなりの広まり様を見せていると僕は知り、更に頭を抱える。
「そうだ、田吾作?」
彼女は不意に僕の顎を人差し指でくいっと持ち上げ、ニヤリと微笑む。
「わたくしの眷属になる気はございませんこと?」
「!?」
いきなりの彼女の言葉に僕は戸惑ってしまう。
「眷属って何? 僕はまだ食べられる気は無いからね!」
僕はローズに少し睨みを利かせる。
「人食い鬼のように食べたりしませんわ。だって、わたくしは吸血鬼ですもの。
肉を喰らわない代わりに、貴方の血液を頂きますわ。吸われた貴方は私の眷属として、私に血を捧げ続けて頂くだけです。血が枯渇するまで、肉体は消滅しませんから貴方は生きながらえることが出来る。
どうです? なる気はありません?」
「ない! 断じて無いからね!」
僕はそう言って、ローズの手を振り払ってあとずさる。
「あら、断るんですの? こんなに美味しい話はありませんのに」
ローズは残念そうに僕を見る。
「嫌だ。僕は何も提供する気はないからね」
僕は鞄を前に掲げ、防御のポーズを取る。その姿を見てローズはふぅと息を吐く。
「仕方ありませんわね、今日のところは諦めてあげますわ。
でも、いつか貴方の血を吸って差し上げますわ」
彼女はそう言って図書室から去っていった。
「やっと解放された。でも、あの様子じゃ諦めてくれてなさそうだし、どうしたものか。きっと同じクラスになりそうだし」
僕は安堵の声の後に深いため息が出る。
これが、この森で育った僕の運命なのだろうか。
「とりあえず、この一冊だけは読んで教室へ行こう」
僕はイヤなことを考えることを止め、世界史の本を再度読み始めた。
始業の時間が近づいてくると、僕の所属クラス“陽クラス”は続々と生徒が入ってきた。
「おはよう、田吾作。今日も一段とお前は美味しそうだな、この野郎」
鵺でクラスメイトの柊が涎を垂らしながら僕に挨拶を交わしながら席に着く。毎朝恒例の僕に対する挨拶だ。
「おはよう、柊。毎回涎を垂らしながら挨拶をするのはやめてくれない? 冗談に聞こえないんだけどなぁ」
僕はそう言いながら、彼の頭部にチョップを繰り出す。
「すまん、すまん。ついつい本音が。って、嘘だから、これ以上チョップしないでー」
柊が冗談を続けるので、頭を割るようにチョップを繰り広げていた僕だが、彼が謝ってきたので手を止める。
「おはよー、田吾作と柊。田吾作は今日、木蓮が君の家に侵入したって? あの子も大胆だよね」
同じくクラスメイトで僕の隣の席である、人食い鬼の金柑が話しかけてくる。
「そうなんだよ。金柑の方から何とか言ってよ。僕はゆっくり安眠したい」
彼女は木蓮のお姉さん的存在として親交があり、彼女の言うことなら木蓮は何でも聞くのである。
「いいけど、田吾作は人間だから不法侵入されるのは仕方ないと思うなぁ。私でも侵入したくなっちゃうね。
でも、安眠したくても、どうせあの鳥の鳴き声で起きちゃうんでしょ? あの声五月蝿いから幾ら良く眠る私でも目を覚ましちゃうよ」
「うっ。全く持ってその通りです」
金柑に痛いところをつかれ、僕はがっくりと項垂れた。
「まぁ、そんなこともあるって。ところで、転入生が来るって話聞いた?」
項垂れる僕の為に話題を替えた金柑の話に、柊が食いつく。
「おー、知っているぞソレ。吸血鬼が入ってくるって話だろ?」
「そうなのよ。でも、吸血鬼って朝弱いハズだけど大丈夫なのかしら?」
僕を残して、金柑と柊の吸血鬼談義は続いていく。すると、始業のチャイムが鳴り、担任の菊花先生が朝に出会ったローズを連れて教室へ入ってくる。
「皆さんおはようございます。早速ですが転入生を紹介しますよ。ローズテリア・カンカーンルアさんです。吸血鬼の村から諸事情でこの村に引っ越してきたとのことなので、皆さん仲良くしてくださいね」
先生の転入生紹介の後で、彼女が微笑みながら自己紹介を始める。
「皆様御機嫌よう。菊花先生からご紹介を受けました、ローズテリア・カンカーンルアと申しますわ。気軽にローズとお呼び下さいませ。まだまだ村に来たばかりなので不慣れな点もあるので、教えて頂ければ幸いです。それと……」
彼女は僕の方を向いて、顔を少し赤らめながら、僕のことを指差す。
「そこに座っていらっしゃる、田吾作さんをいつか私の眷属として従わせたいと思っていますの。田吾作、覚悟してくださいませ」
「はぁ!?」
僕は彼女の宣誓に卒倒しそうになる。
「すっげぇな田吾作。転入生から愛の告白か!」
「田吾作どんモテモテやねー」
「モテ男は辛いねー。コノコノー」
「美味しい男は、愛されキャラで困っちゃうね」
クラスメイトたちの声に恥ずかしくなって、僕は顔を伏せた。
「はい。田吾作いじりもそこまでにして、ローズテリアさんにしつもーん。吸血鬼らしいけど、日光に当っても大丈夫なの?」
金柑が空気を読んで話題を替える。
「わたくし、吸血鬼と濡女子の混血なのです。だから、強い日光に当たりさえしなければ平気ですの。
あと、わたくしのことはローズと呼んで下さって構いませんよ」
ローズがくすっと笑いながら質問に答える。
「なるほどそういうことなのね。教えてくれてありがと。
私の名前は金柑っていうの。これからよろしくね、ローズさん」
「コチラこそよろしくお願いしますわ」
ローズと金柑は熱い握手を交わすと、クラス中が拍手で包まれた。
全ての授業が終わって、僕が図書室に行こうかと思った最中、ローズがひょこっと顔を覗かせる。
「田吾作。どうせ図書室に行くのでしょう? わたくしもお供してよろしいかしら?」
「うん、いいけど。また、変なこと企んでいないだろうねぇ」
今朝のこともあるので、僕は怪訝そうな顔をする。
「していませんわよ。わたくしは純粋に図書室に行きたいだけですわ」
「なら、いいんだけど」
僕はまだ勘ぐりながら、鞄を持って教室から出ようとした時だった。
ボォォォォオオオオオオオー
村長の家の方向から法螺貝の音色が響く。
「えー。こんなときに呼び出しかぁ」
僕を呼び出すときは決まって法螺貝を吹いて合図をしてくる。この方が近くに居ても、遠くに居ても、呼び出されているとすぐ分かるからだ。
「ローズ、ゴメン。村長に呼び出されたみたいだから、一人で図書室へ行ってくれない?」
「あら、そうなんですの? 呼び出しとあっては仕方有りませんわね。お気をつけてお帰りになってくださいませ」
ローズは、少し寂しそうな顔をしながら、教室から図書室の方向へ歩いていった。
ローズに申し訳ないことをしたという気持ちになりつつも、僕は身支度を整えて、教室から出た。
村長の住む屋敷(僕の実家)の玄関に入り、僕は声を掛ける。
「父さん、田吾作参上しましたけどー」
村長(父さん)を呼ぶと、村長は這いながら玄関までやってくる。
「と、父さんどうしたんですか?」
余りの光景に僕は目を丸くする。
「た、田吾作、助けてくれ……。妻の時雨が出かけている今、お前だけが頼りなのだ」
父さんが涙ながらに自分の書斎の方を指差す。
「あ、あそこに……」
「あそこに」
僕の緊張感が一気に高まる。
「アシタカグモが出たのじゃぁ。退治してくれー」
「え。その為に呼んだんですか?」
「当たり前じゃ。ワシの命の危機なのじゃ」
父さんが泣きながら僕に抱きつき懇願する。僕は虫退治のために呼ばれたのかと思うと一気に脱力をする。
「父さんの虫嫌いは、今に始まったわけじゃ有りませんが、アシタカグモを退治すると、ゴキカブリが増えますよと、何回も教えたハズですよ?」
父さんの榊村長は村では絶対的なリーダー力を持っているが、実は虫が嫌いである。村人との会議の時、虫が出てきても何とか耐えられるが、僕や母さんの前では、泣いて暴れる。そんな困った人なのである。
「家庭内害虫も嫌だが、大きいクモも嫌なのじゃ。退治に気が引けるなら、外に逃がしておくれ」
そう言って父さんはぐいぐいと僕を書斎まで押す。
「はぁ。分かりましたよ、行ってきますよ」
そう言って僕は。父さんの書斎へと入っていった。
「いやはや、一時はどうなるかと思ったが、助かった。田吾作よ、感謝するぞ」
蜘蛛が居なくなったお陰で、父さんは扇子を振りながら上機嫌だ。
「それは、良かったですね。これからは自分で倒すことを覚えてください」
「何、その、自滅行為。我が息子は自分の父親に死ねと申すのか?」
そこまで言ってないというのに、と思いながら、やれやれと肩を落とす僕。
「ところで学校はどうじゃ? 吸血鬼が入ってきたと知らせがあったが」
父さんは脇息に肘を置き、胡坐という超リラックスモードで扇子を仰ぐ。
「はい、ローズという転入生が入ってきましたよ。いきなり、僕を眷属にするとかなんとか言いだして、困ったものですよ」
「はっはっは。田吾作は種族問わず人気者だな」
「もう、父さんまで。今日もクラスメイトからその言葉言われましたよ」
笑う父さんに、僕は頬を少しだけ膨らませる。
「スマンな」
膨れた僕を見て、いきなり父さんが辛辣な表情に変わる。
「えっ。いえ、別に怒っている訳じゃないんですよ。だから、そんな顔をしないで下さい」
僕は慌てて、父さんを宥める。
「お前にはこんな運命を背負わせて大変申し訳ないと思っているのじゃよ。
せめて、お前が食料として生きるということを苦しむ前に、食べてしまえば良かったのかと考えてしまうことが偶にあってなぁ」
父さんはそう言ってホロリと涙を零す。
「いや、食べないでくださいね。苦しむ前も後もありませんから」
僕はスパッとツッコミを入れる。
「やはり、駄目か。何時になったらお前を食べられるんじゃろうなぁ」
「さぁ? 僕の肉がシワシワになってからじゃないですかね」
ツッコミに疲れた僕は、適当に父さんのボケを流す。
「シワシワになるまでワシに待てと申すのか!」
僕の言葉に父さんは、お菓子を待ちきれない子どものようにキラキラとした眼で僕に訴えかけてくるので、僕は冷たい視線を送る。
「う、冗談じゃ。ところで母さんがそろそろ帰ってくる頃だと思うし、久々に家族水入らずで夕飯などどうじゃ?」
息子からの冷たい視線に、流石にまずいと思ったのか、父さんは僕を食事の席に招待する気らしい。
「久々の母さんのご飯は食べたいですね。では、お言葉に甘えて。これから家へ戻って着替えてきますね」
そう言って、僕は屋敷から出て、自分の住むアパートへ向けて歩き出した。
時は進み、ローズが転入してきて一週間が過ぎた。彼女はクラスにも溶け込み、楽しい学校生活を送っている。僕の眷属化計画も進行中らしく、時々追いかけてくるのが玉に瑕だけど。
とは言っても、放課後は僕とローズの二人で仲良く図書室で読書をしている、周囲は僕らのことをお似合いのカップルとか囁いてはいるけれど、僕たちは未だそんな進展は一切ないのである。
そんな一週間も経ったある日の夜、僕がぐっすりと眠りに落ちている時、突然、パリーンという大きい音がなり、目を醒ます。
「うわっ、なんだ!」
僕が飛び起きて、部屋の明かりを付けると、床にはベランダ側の窓ガラスの破片と、僕の目の前には大きな黒い翼を生やした金髪隻眼青年が居た。
「だ、誰?」
「貴様が田吾作か?」
青年はドスの効いた声で僕の名を聞く。
「え、そ、そうですけど」
僕がドスの聞いた青年の声にビビりながら答えると、ぞっと悪寒がする。
「よくも妹を誑かしおって、コロス」
そう言って、隻眼青年は僕に向かって尖った爪がついた手を振り下ろす。
「さっぱり状況が飲み込めないんですけど!」
僕はそう言いながら、彼の攻撃から逃げ惑う。
逃げるばかりではいけないと思った僕は、手当たり次第、物を掴んでは彼に投げるがイマイチ攻撃は効かなかったが、
「アチッ」
銀製のドアノブ(元々アパートに付けられていた物)を投げ、彼の左手に当った時、彼は異常に熱がったのだ。
ということは、
「君は、吸血鬼なの?」
僕の質問に彼はフンと鼻を鳴らす。
「今更気付いたか、小僧。オレの名前は、フレーシア・カンカーンルア。貴様のクラスに居る、ローズの兄だ」
「お、お兄さんですと!」
僕は衝撃の事実に腰を抜かす。
「そうだ、妹のローズはオレが大切に育てた大事な娘のような存在だ。それを何も知らない人間ごときが馴れ馴れしくしやがって」
お兄さんの怒りはマックスに達していた。
「お、落ち着いてくださいお兄さん。ローズは僕を眷属にしたいからって僕にくっついているだけであって、そんな疚しいことなんて一切していませんから」
「ならん、お前みたいな貧弱な奴に妹の眷属なんか務まるわけが無い。
どうしても、眷属になりたいと言うのなら、このオレと勝負しろ!」
「いや、誰も眷属になりたいなんて一言も」
「なら、コロス」
僕のツッコミにお兄さんは再び鋭い爪を出す。
「そんな理不尽な」
僕に、選択肢はデッド(人間としての終わり)&デッド(肉体丸ごととしての終わり)しか残されていないみたいだ。
「では、勝負は明日の夜。広場で待っているぞ。逃げてもコロスからな」
お兄さんはそのまま割れたままのベランダから飛び去ってしまった。
「逃げ道まで塞がれたじゃないかぁ。ってか、この惨状をどうすれば」
部屋を改めてみると、窓ガラスは飛び散り、周囲は散乱していた。仕方なく僕は夜通しで片付け作業をすることとなった。
「まぁ、兄様が奇襲に来たんですの。それは、兄様が大変失礼なことを致しました。後で叱っておきますわ」
放課後、僕は教室に残って晩に起こった出来事をローズに話していた。
「いいんだよ。それにしても、ローズのお兄さんはローズのことを大切に思っているんだね。だって、妹のために僕を殺そうとまでしていたんだもの」
僕は乾いた笑いしか出なかったが、ローズ兄のメンツを一応守る。
「シスコンもいいところですけどね。でも、混血のわたくしが生まれて、わたくしと混血の本となったお母様が周囲から虐められていた時、自分の右目を潰してしまう事態になっても、わたくしのことを庇って下さったの。
兄様は純潔の吸血鬼なのだから、わたくしたちを別に庇わなくてもよろしかったのに。この村に引っ越そうと決めたのも兄様なのですよ」
「あっ、何か辛いことを思い出させちゃったみたいだね」
ローズの重い過去話に僕は心臓がきゅっと締まるような思いになる。
「いいんですの。今はこの村に来て幸せですから、それに、田吾作がいよいよわたくしの眷属になると決めたみたいですし」
彼女はそう言って満面の笑みをこぼす。
「いや、一言も眷属になるとは言ってないぞ」
「でも、兄様とわたくしの眷属になるための決闘をするのでしょ?」
彼女はきょとんとした顔で僕を見る。
「アレは断れば僕が殺されるからであって、志願した訳じゃ」
「いよいよ、田吾作がわたくしの物に。楽しみですわ」
ローズは楽しみのあまり、テンションが高くなる。
「もう、皆どうして話が先行しちゃうかなぁ? 全くもう」
僕は呆れ調子で笑うしかなかった。
夜。村の広場には父さんを始め村民の多くが決闘の開始を、固唾を呑んで見守る。
僕も、広場の中心に立ち、お兄さんの到着を待つ。
「フン、待たせたな」
空から影が現れ、僕が上を向くと、そこには昨晩と同じく、大きい黒い翼を広げ宙を飛んでいる、ローズ兄、フレーシアさんの姿が見えた。
「逃げない根性だけは認めてやるが、眷属に相応しいかは別問題だ」
そう言って、フレーシアさんは広場へと降り立った。周りはどよめき立つ。
「貴様が負けたら、妹に馴れ馴れしい態度を取った罪として、死んでもらう。万が一オレは負けることがあれば、その時は眷属になっても良い。
しかし、オレは決して負ける気はない。あと、他のものは決して手出しはするな。コレはオレ達の戦いだ」
そう言う、フレーシアさんのオーラは殺気で満ちていた。
「死ぬのはゴメンなので、僕の方こそ本気を出させていただきます」
僕も自分の命がかかっているので、必死である。
「フン、人間の貴様がオレに勝とうなんて五千年早い! 参るぞ」
こうして、僕とフレーシアさんの決闘の火蓋が切って落とされた。
フレーシアさんは飛行と凶器の爪を生かして、長距離から一気に短距離へと距離を縮め、僕に攻撃をする。僕はその攻撃を必死に目で追い避けるが、攻撃が早くて避けきれず、何箇所か裂傷を負う。
「所詮、人間は人間なのだ。大人しく地獄に落ちろ!」
フレーシアさんが僕の心臓に向けて手を振りかぶる。
「鬼火!」
僕はそう叫び、僕の胸部とフレーシアさんの手の間に炎を出現させる。
「……っ。貴様、妖術の類が出来るのか」
僕は父さんに幼い頃に妖術を教えてもらっていた為、少しなら妖術の類が使えるのである。しかし、使える妖術にも限度があり、炎を突然発生させること・光を突然発生させること・幻覚をみせることの三つしか使えない。あと、使えば使うほど、僕の体力が一気に奪われるのである。
「下等な人間ごときが生意気な」
フレーシアさんの攻撃は更に激しくなる。僕は鬼火をこまめに出しながら戦っていくが、徐々に僕の体力がゼロに近づいていき、ハァハァと息が上がる。
僕に残された体力は僅か、倒れたら終わりだ。
「貴様はそろそろ限界のようだな。コレで終わりだ」
フレーシアさんは、僕にトドメを刺そうとしていた。
これで終わりたくない!
「射光!」
僕が叫ぶと、周りが眩いばかりの光に包まれる。
「ま、眩しい、目くらましか」
フレーシアさんが目を閉じている内に、僕は幻術の妖術を使う。
光は段々と弱くなり、元と同じ暗さに戻ると、フレーシアさんが目を開く。
「目くらましとは卑怯な手を。き、貴様、まだそんな武器を隠し持っていたのか!」
フレーシアさんはわなわなと恐れ慄きながら、僕の持っている最終兵器を指差す。
ちなみに、僕が持っているのは厚紙製のハリセンであるが、フレーシアさんの目には銀製の剣に見えるようになっている。
「僕だって、やる時はやるのですよ。コレで終わりです」
そう言って僕はハリセンを振り下ろす。
「や、止めろ!」
フレーシアさんは銀の剣で攻撃されると思い、僕を止めに入る。
「いーかげんにしなさい!」
バシーン。
ハリセンから発せられた軽快な音が村中に響き渡る。フレーシアさんは頭にハリセンの攻撃を受け、そのまま気絶してしまった。
「やった、田吾作が勝ったぞ!」
決闘の一部始終を見ていた村民達は歓喜の声を上げる。
「か、勝ったのか、やった。これで、死ななくてす……む」
僕はボロボロの体で勝利に酔いしれたかったが、体力も全く残っていなかった。
そのまま地面にバタリと倒れ、僕は意識を失った。
「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
毎朝恒例となった、鳥の妖怪の鳴き声が響き渡り、目が覚めた。
「ん。ここは? イタッ」
ムクリと起き上がると体中がズキズキと痛む。
「おやまぁ、気がついたのね田吾作。まだ体が痛むだろうから横になっておきなさい」
時雨村長夫人(母さん)はそう言って、僕を横に寝かす。
「母さんが居るということは、此処は実家ですか。僕はどれぐらい寝ていました?」
「そうねぇ、三日くらいは寝ていたかしらねぇ。田吾作の寝顔が沢山見られて、母さん幸せだったのよー」
母さんはのほほんとした口調で答える。
「三日もですか、あの鳥の声を聞いても起きなかったとは、よほど体力を消費してしまった訳ですね」
僕は、あの鳥の騒音にも勝てたと思うと、嬉しくもあり悲しくもあった。
「あまり無理しちゃ駄目よ。育ての親とはいえ、母さん心配しちゃうからね。
そうそう、ローズちゃんって子が田吾作の目が覚めるのを待っているのよ。ローズちゃん、田吾作が目を覚ましたわよ」
母さんがローズを呼ぶと、ローズが恐る恐る部屋に入ってくる。
「やぁ、ローズ。わざわざお見舞いに来なくても良かったのに」
「だって、田吾作のことが心配だったのですもの。これくらい当然ですわ。
あと、兄様はあの一件で田吾作のことを認めて下さったみたいです。肝の据わった大した男だ、と褒めていらしたわ」
ローズは僕の前髪を優しく撫でる。
「そうか、それなら良かった」
「これで、田吾作はわたくしの眷属に晴れてなれるのですのね」
ローズは嬉しそうに微笑む。
「ローズ、そのことなんだけどさ」
「田吾作が眷属になりたくないことくらいは分かっていますわ。だから、無理強いはいたしません。その代わりに、私からのお願い聞いて下さりません?」
ローズの耳が紅潮する。
「わ、わ、わたくしとこれからも仲良くして下さいますか?」
「うん、もちろんだよ。僕が元気になったら、また図書館で本を読んだり、色んなところへ行ったりしよう」
「はい!」
ローズの目には嬉しさの余り涙が零れた。
僕が完全復活を果たしたのは、それから一週間後のことだった。丁度、朝市開催の日だったので間に合って良かった。
「田吾作どん、決闘で大怪我を負ったと言う噂を耳に挟みましたが、その後どうですか?」
檸檬の店に行くと、檸檬が心配そうに僕に声をかけた。
「この通り完全復活だよ。ありがとう。
ところで、頼んでおいたものを取りに来たんだけど、仕入れ出来た?」
「バッチリですよ。この店の仕入れに不可能という言葉は有りませんから」
檸檬はそう胸を張りながら、僕に一つの包みを渡してくる。僕が中身を確認する。
「うん、頼んだもの全部揃っているね。有難う、また頼むときは宜しくね。ところで、御代は幾らだい?」
値段を聞かれた檸檬はしばし考え、算盤をはじく。
「田吾作どん復活記念ということで、まけておきますね。合計でコレくらいで如何でしょう?」
檸檬から提示された値段は僕の思っている値段から三分の二くらいの価格だった。
「この値段でいいのかい?」
僕はあまりにも値下げされていて、心苦しくなる。
「いいんですよ、田吾作どんはお得意様ですから。持ってけドロボー!」
檸檬がそう言って引いてくれないので、僕は提示された価格の金貨を支払った。
「まいどありー。また、よろしくお願いしますね」
元気に手を振る檸檬に見送られて、僕は学校では無く、実家を目指す。
「父さん!」
僕は急いで玄関から父さんの書斎まで駆け抜ける。
「何事じゃ、田吾作。息切れまでしおって」
父さんは怪訝な顔をして僕を見る。
「父さん、お誕生日おめでとう。コレ、プレゼント」
そう言って僕は檸檬の店で買った包み紙を渡す。
「お、ワシの誕生日を覚えてくれていたのか田吾作よ、ワシは嬉しいぞー」
父さんは流れる涙を着物の袖で拭く。
「どれどれ、中身はなんじゃのぅ。って、ギャァァァアアアアア」
包み紙からプレゼントを出した瞬間、父さんから悲鳴が出る。
父さんが包み紙から取り出したのは、父さんが大嫌いな“虫”の図鑑。
「た、た、田吾作よ、わ、わ、ワシの嫌いなモノは分かっておるだろうが。そんなにワシのことが嫌いか!」
「父さんのことは大好きだよ。でも、嫌いなモノは克服しないとね」
僕はニコリと笑顔。一方の父さんは段々顔が青ざめていく。
「ワシがお前のこと育てた恩も忘れたというか、この、田吾作の人でなし、悪魔、鬼!」
「鬼は父さんの方じゃん」
クールにツッコミを入れる僕に、父さんはなす術が無い。
「ううっ、田吾作のばかぁ……」
仕舞いには僕に抱きついて泣きじゃくる。これでは村長の威厳が台無しである。
「全く、そっちはダミーだよ、父さん。本当はこっち」
泣きじゃくる父さんに、今度は小さい包みを渡す。
「ふぇ、今度はなんじゃ。こ、コレは……」
父さんは小さい包みを開いて、目を見開いた。
包みの中身は万年筆。
「僕からの本当のプレゼントだよ。これでお仕事頑張ってください」
僕がそう言って笑うと、再び父さんが抱きついてきた。
「有り難きことじゃ。感謝するぞ、我が息子。ついでに食べさせてくれたら言うことないんじゃが」
「調子に乗らないで下さい。虫投げますよ?」
「ご、ごめんなしゃい」
父さんは畏まった様子で土下座をした。
「では、僕は学校にいってきますね」
「おう、気をつけて行ってくるのじゃぞ」
僕は父さんに見送られて、颯爽と学校へと向かう。
今日も村の皆は出会う度に、食べていいかと訊ねてくる。
普通の人間にしてみれば、それはとても異質なことなのだろう。
そもそも、魑魅魍魎たちと生活していることが異質か。
でも、それが僕にとっての日常。食べてもいいかと聞いてくるとは言え、村の皆は優しいし、人情味に溢れている。
僕はこの森、村の皆が大好きなのである。だから、この村から逃げることは決して無いだろう。
たとえ、食べられるときがやって来るとしても。
学校の校門前で、ローズ・金柑・柊が待っていた。
「皆、お待たせ!」
三人は僕が来るのを待ちわびたように僕の元へと駆け寄ってくる。
『田吾作復活おめでとー』
三人はそう言って僕に拍手を送る。
「あ、ありがとう」
いきなりのサプライズに僕は顔を赤らめた。
『それと、田吾作のこと食べちゃ駄目?』
そう三人仲良くハモるので、僕は面白くてつい笑ってしまう。
「駄目に決まっているでしょ。さぁ、始業のチャイムが鳴る前に教室に入ろうよ」
僕はそういいつつ、三人の背中を押し、学校へと入っていった。
(了)