第四話 永夜抄自機組再び
群れる青と書いて〝群青〟と読むが、これは差し詰め〝群黄〟だな、と博麗霊夢は思った。
下を見下ろせば、視界一杯に広がる向日葵の一群。その集合体が、まるで一輪の大輪の花のようだ。
そして先程から、彼女の鼻孔を優しく満たす、濃密な甘い香り。
「まったく、大したものよね」
霊夢はこの『太陽の畑』の主、風見幽香の顔を思い浮かべながら感嘆の溜め息を吐いた。
ここ『幻想郷』の織り成す、美しき情緒の漂う原風景。
その壮美も素晴らしいものだが、この光景は一体の妖怪が創り上げたもの。そのことの方が、霊夢にとってはより感慨に値するものだった。
単騎で他を圧倒するだけの力を持ち、弱小妖怪や妖精を虐めるのを日課としながらも、同時にこういった繊細な一面をも持ち合わせる。風見幽香の多面的な性格は、どこか人間味があって好感が持てた
幽香が起こす『花の異変』なら、解決する必要も無いのかもしれない。
とはいえ、映姫との約束もある。
霊夢は『太陽の畑』の傍らに静かに降り立つと、口元に手を添えて声を張った。
「ゆーうかーっ! いるんでしょーっ!」
霊夢のよく通る声が、向日葵畑に響き渡る。
しかし、いつまで経っても幽香からの返事は無かった。
霊夢は眉を顰めた。
季節の花を追いながら一年中『幻想郷』を転々とする彼女が、初夏のこの時期に向日葵畑にいないはずがない。
もう一度、霊夢はさっきと同じように呼び掛けてみるが、結果は変わらなかった。
「留守なのかしら……?」
霊夢の知る限り、幽香は居留守を使うような性質ではない。それに、喧噪を嫌う傾向のある彼女が、自分のテリトリーで大声を出す人間を放置するとも思えない。
尤も、何か後ろめたいことが無ければの話だが。
――と、
「あら、珍しいわね」
霊夢が思案を巡らせていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返って見ると、そこには『紅魔館』メイド長である十六夜咲夜が、『太陽の畑』の全体を見渡すように眺めている姿があった。
彼女の突然の登場を意外に感じながらも、霊夢は咲夜を横目で睨んで言った。
「アンタも大概よ、咲夜」
咲夜は小さく微笑み、
「それもそうね」
「で、アンタが何でここに? レミリアの言い付けで向日葵でも譲ってもらいに来たの?」
「まさか」
咲夜は砕けた表情で手をヒラヒラさせた。
「お申し付け頂いたのはパチュリー様よ。少し調べたいことがあってね」
「へぇ」
無関心そうに霊夢が返すと、急に咲夜は真顔になって、
「――で、貴女の方はどうしてここに?」
「……私も少し調べたいことがあってね」
「そう」
霊夢のそれと同じように、短い返事をする咲夜。
しかし一瞬だが、彼女が何か探るような視線をこちらに向けてきたのを、霊夢は見逃さなかった。
(何かあるわね……)
霊夢は咲夜を警戒しながら、暫し熟考した。
咲夜はパチュリーの指示でここまで来たのだと言う。
そしてパチュリーと言えば、『幻想郷』屈指の知識人の一人。
その彼女が、わざわざ向日葵が目的で咲夜を寄越すとは思えない。その程度の雑務なら小悪魔で十分に事足りるし、行先も人里の花屋を選ぶはずだ。
つまり彼女の目的は、自分と同じく風見幽香。
今朝の出来事とも照らし合わせて考えてみると、恐らくパチュリーも何らかの情報を掴んで動いていると考えた方がよさそうだ。
これはいよいよ……、
(〝異変〟らしくなってきたわね)
霊夢は咲夜の方を盗み見る。すると、思いがけず咲夜と目が合ってしまった。
気まずい沈黙。
「あー……」
誤魔化すように霊夢が口を開こうとすると、
「何だ何だ。咲夜もいるじゃないか!」
上空から、歯切れの良い快活な声。
霊夢と咲夜は同時に空を見上げた。
するとそこには、箒に跨って空に浮遊する霧雨魔理沙と、魂魄妖夢が並んでこちらを見下ろしていた。
魔理沙は霊夢と咲夜の様子を交互に見定めると、にんまりと笑みを浮かべた。
「おいおい! ここは二人の秘密の花園だったのか?」
「そんな! こんな昼間から逢引きなんて!」
魔理沙の言葉を受け、隣の妖夢が頬を赤らめる。
「いや~、まさか二人がなぁ」
「わ、私は何も見てませんからっ! 大丈夫ですからっ!」
「やっかましいっ! そんな馬鹿言ってると、【夢想封印】叩き込むわよっ!」
上の二人に、怒号を返した霊夢。
「ほら咲夜。アンタも何か言ってやりなさいよ!」
「……合挽きミンチにされたくなかったら、降りてらっしゃい?」
静かな口調。にこやかな笑顔。しかし、目だけが笑っていない。
「我が『紅魔館』には、お前らの合挽き肉にもしっかりと需要があるのよ?」
たちまち凍り付く空気。
局地的な氷河期到来。
「咲夜、それはちょっと洒落になってないわ」
「あら、〝逢引き〟と〝合挽き〟を掛けた立派な洒落じゃない。この空気は、その洒落が寒かったからなんでしょう?」
霊夢は諦めたように首を振った。
「上の二人。いいからさっさと降りて来て」
その後、四人はそれぞれの、ここに至るまでの経緯を説明し合った。
「つまり……」
全員の話を頭の中でまとめ終わると、霊夢は顔を上げた。
彼女の前にはスッキリとした表情の咲夜と、咲夜からもれなく拳骨を貰った魔理沙と妖夢が立っている。
「私は閻魔様に頼まれて、『花の異変』の調査。咲夜は『大図書館』から盗まれた魔道書の捜索。そして魔理沙と妖夢は、『冥界』から脱走した霊魂の後を追ってここに来た訳ね?」
霊夢の問い掛けにそれぞれが頷く。
次に口を開いたのは妖夢だった。
「『永夜異変』以来の面子ですね」
言われてみればその通りだ。
霊夢はその懐かしい面々の顔触れを順番に見て、
「で、その四人がまたこうして一所に集まったということは……」
「〝異変〟だな!」
何故か嬉しそうに声を弾ませる魔理沙。咲夜もそれに頷いて、
「そのようね。そして、この〝異変〟に深く関わっていると思われる風見幽香は不在。彼女を一刻も早く見付けることが、この〝異変〟解決の近道といったところかしら?」
「そうと決まれば、妖夢?」
霊夢は妖夢を呼ぶと、向日葵畑の一角を指差した。
「幽香を誘き出すから、何本か斬りなさい」
すると、途端に妖夢は青ざめて後ずさった。
「い、嫌ですよ!」
「いいじゃない。どうせアンタ半分死んでるんでしょ?」
「残り半分はまだ生きてます!」
慌てて反論する妖夢。
そこに、更に魔理沙が口を挟んだ。
「止めてやれよ霊夢。ほら、あれだ。一寸の虫にも五分の魂って言うだろ?」
「私は虫じゃない上に、言葉の用法も間違ってます!」
「細かいことは気にするなよ」
「それなら、別に魔理沙が【マスタースパーク】でこの向日葵を焼き払ってくれてもいいのよ?」
「ちょっ!? バッ!? そんなことしたら、後で何て言い訳すればいいんだよ!」
「…………焼畑?」
「ふざけんな!」
そのまま押し問答を繰り広げる三人を見兼ねたように、咲夜が一人溜め息を吐いた。
「彼女を誘き出すのは止めにして、四人で手分けして彼女を探すことにしましょう?」
鶴の一声とはこのことか。
霊夢はほとんど取っ組み合いになっていた二人から手を離すと、自分の頭から熱を逃がすように長々と息を吐いた。
「……そうね」
ここで言い合いをしていても埒が明かない。
魔理沙と妖夢も、ようやく落ち着きを取り戻したように、それぞれ自分の行く先を考え始めた。
少しの間、互いに考える時間があって、
「じゃあ、私は『天界』に行ってみるわ」
四人の中で一番最初に、霊夢が言った。
「あそこには年中暇してる天子がいるから、地上で目立った動きがあれば、様子を見てるかもしれないわ」
「それなら、私は一旦『紅魔館』に戻って、ここで得た情報をパチュリー様にお伝えしてくるわ。そして、その後人里で聞き込みを。何でも風見幽香は、人里にもよく顔を出すらしいから」
霊夢に答えるように言った咲夜。
残るは魔理沙と妖夢だが、普段『冥界』で生活をしている妖夢は、どこに向かうかまだ決め兼ねているようだった。
そんな妖夢の様子に気が付いたのか、魔理沙は妖夢の肩に手を回して、
「それじゃ、私と妖夢はここに残るぜ!」
「……は?」
「ちょっと魔理沙さん?」
思わず霊夢は魔理沙の顔を睨んだ。
それが本人にとっても予想外の発言だったのだろう。妖夢も戸惑いの表情を見せる。
魔理沙は弁解するような口振りで、
「だって、もしかしたら幽香が戻って来るかもしれないだろ?」
「なら、アンタ一人でもいいじゃない」
「馬鹿。私一人にあの化け物の相手をさせるつもりなのか? こっちもある程度の戦力がないと、返り討ちにされちまうぜ」
言うことは確かなのだが、普段の所業が所業なので、どこか怪しい。
(単にサボろうってだけなんじゃないの?)
しかし、それまで口を閉ざしていた咲夜が言った。
「あながち、悪い選択ではなさそうね」
「だろ?」
同意を求めるような魔理沙に、咲夜は悪戯っぽい笑みで、
「ええ。確かこの時期、この『太陽の畑』の特設ステージで『プリズムリバー楽団』のコンサートが開かれるそうじゃない。もしかしたら、何か知っているかもしれないわ」
「じゃあ、魔理沙と妖夢はそこで決まりね」
間髪入れずに、霊夢はそう話を締め括った。
魔理沙は何か言おうとしたものの、自分が言い出しただけにそのまま口籠る。
妖夢も、特に異論は無いようだ。
霊夢は頷くと、一度空を仰いだ。
太陽の高さから、今が丁度お昼前であることが分かる。
パチュリーの推測が正しければ、本格的に〝異変〟が起こるのは今夜。あまり悠長にしている時間は無さそうだ。
「じゃあ、みんなにこれを渡しておくわ」
言いながら、霊夢は懐から四枚の符を取り出した。そしてそれを、魔理沙と妖夢のペアに二枚、咲夜に二枚ずつ手渡す。
「これは?」
妖夢が首を傾げる。
「簡単な式符よ。何か有力な情報を掴んだら、その符を投げなさい。それが他のメンバーの所に届くから。そしてその符が届いたら、全員ここにまた集合しましょ」
「分かったわ」
「分かりました」
「了解だぜ」
三者三様の返事が返ってくる。
「それじゃ、行きましょうか」
霊夢の掛け声で、霊夢と咲夜は地面を蹴った。
たちまち、ふわりと羽のように空中に飛び上がる身体。
下では、魔理沙と妖夢がこちらに手を振っている。
「サボるんじゃないわよ、魔理沙」
「分かってるよ」
「魔理沙さんのお目付け役は任せて下さい」
適当なやり取りの後、霊夢は改めて遥か上空を見やった。
目指すは『天界』。
〝天人くずれ〟比那名居天子のいる『緋想天』だ。
お待たせ致しました。
第四話投稿です。
『太陽の畑』に集まった四人。
そして改めて再出発。
これでようやく、物語の一区切りが出来たかな、という感じですね。
さて、これからも続く『東方逢月譚』。
どうぞ今後とも、気長にお付き合い頂きたいと思います。