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東方逢月譚―the last magic under the moon―  作者: ゆんゆん
第一章 「集う!永き夜の自機(せんし)たち」
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第一話 四季映姫の憂い 再来する『花の異変』

 博麗霊夢は急須にお湯を注ごうとした手を止め、もう一度自分の判断が正しかったのかを再考した。

 今、この急須の中には番茶の茶葉が入っている。

 それは彼女がついいつもの癖で入れてしまったものなのだが、番茶とはいわゆる低級品であり、この客人(、、、、)に出すのはマナーとしてどうなのかという思いが頭の中を過ったためだった。

 普段の霊夢なら、客人に出す茶の種類を迷うことはまず無い。

 しかし、今日の客人は少々勝手が違った。

 無下に扱えば、その先でどんな仕打ちが待っていることか……。

 それも、〝その先〟というのが、下手をすれば〝死後〟と同義だというのだから尚の事だ。

 霊夢は眉間に皺を寄せ、忌々しい目つきで台所から居間の方を盗み見た。

 居間の真ん中に置かれたテーブルの向こうに、一人の少女がピシリと背筋を伸ばして正座していた。

 その少女は縁にフリルのあしらわれた、一見すると王冠か兜のような帽子を膝の脇に置き、『是非曲直庁』の定める濃紺の制服に身を包んでいる。

 その顔立ちは未だにあどけなさを色濃く残しているが、知的な光に満ち、隙の無いその視線は、投げ掛けられた者の心をいとも簡単に見透かしてしまうのではないかと思えるほどの鋭さがあった。

 彼女こそ、〝楽園の最高裁判長〟こと四季映姫・ヤマザナドゥその人である。

 霊夢は彼女に聞こえないように溜め息を吐いた。

 四季映姫は本来、死者の魂が『三途の川』を渡った先にある『彼岸』にて、その魂が天国行きか地獄行きかを判断する閻魔の立場にある。

 あらゆる霊魂の管理を統括する『是非曲直庁』に属し、言わばあの世のお役人といったところだろうか。

 そして彼女はその閻魔業が休暇の際にはこうして、少しでも地獄行きの魂が減るようにと、『幻想郷』の住人達に説教をして回る困った悪癖(、、)の持ち主だった。

 この点において、四季映姫は『幻想郷』の住人――特に古参の妖怪――からはかなり疎ましく思われている。

 悪を憎み、混沌を嫌い、且つ生真面目で融通が利かない彼女の説教は、射命丸文をして『口うるさい(有り難い)』と言わしめるほどだ。

 霊夢はこの日、自分がその説教の餌食第一号に仕立て上げられた運命を呪った。

 しかし、いくらここでこうしていても事態は好転しない。

 気を取り直して、霊夢は台所の隅の戸棚に目をやった。

 その中には、お茶好きの彼女でも余程のことがないと手を出さない玉露の茶葉が入っている。

(こっちにするべきかしらね……)

 少しでも映姫の機嫌をとった方が、お説教もすんなり終わるかもしれない。

 しかし、芳醇でまるやかな甘みが特徴の玉露は、基本的に午後に飲むと良いものとされている。

 対して、今の時刻は午前九時を少しばかり回ったところ。

 この時間帯なら、すっきりとした味わいと渋みが特徴の煎茶や番茶の方が適している。

 霊夢は腕を組み、考え込んだ。すると、

「お気遣いなら結構ですよ」

 居間の方から映姫の声がした。

 霊夢はその言葉に、思いのほか安堵した自分に呆れて天井を仰いだ。

(話す前からこの気苦労。今日は厄日かしら……)



 湯呑を手に取った映姫の様子を、霊夢は固唾を飲んで見守っていた。

 映姫の小さな手の中に包み込まれるようにして持ち上げられている湯呑の中身は、彼女の言葉に甘えて、そのままの番茶だった。

「ふー、ふー」

 映姫が息を吹きかけてお茶を冷ます。

 霊夢は彼女の挙動の一つ一つが、気になって仕方がない。

「ふー、ふー」

 と言うか、めっちゃふーふーしてる。

(早く飲みなさいよ!)

 いい加減、霊夢が苛立ちを覚え始めた頃に、ようやく映姫は控えめに湯呑に口を付けた。

「あちちっ!」

(子供かっ!)

 霊夢はその言葉を思わず発しそうになって、慌てて自分の分の湯呑を一気に呷り、言葉をお茶と共に無理矢理に喉の奥に流し込んだ。

「さて、今日ここまでやって来たのは他でもありません」

 と、ここで湯呑を置いた映姫がようやく口を開いた。

 霊夢はお茶の葉の種類について一言も触れてくれない映姫にどこか煮え切らないものを感じながらも、その心境はこれから生前の罪状を告げられる死者のそれだった。

 霊夢は思い返す。今日まで自らが犯した罪の数々を。

 数々を――あれ?

(最近、何か変なことしたかしら?)

 思い返してみたはいいものの、最近の出来事の内、何か思い当たるものは一つも無かった。

 では、彼女は何故ここに?

 霊夢の疑問に答えるように、映姫は話を続けた。

「この度は貴女に、一つ協力をして頂きたく参りました」

 たちまち霊夢は怪訝な顔をして映姫に聞き返した

「協力? 何の?」

「はい。実は今、『彼岸』で〝ある異変〟が起きているのです」

 映姫は真剣な面持ちで語り始めた。

「それが発覚したのは今朝方、即ち真の発生時刻は今日の未明であると推測されます。その時間帯から、本来『彼岸』を訪れるはずの死者の魂が、一体も『三途の川』を渡って来ないのです」

 なんだ、そんなことか。

 そしてまた一口お茶を啜った映姫に、霊夢は答えた。

「それって、単に小町がまた仕事サボってるだけなんじゃないの?」

 『幻想郷』における『三途の川』の船頭、小野塚小町のサボり癖はとても有名な話だ。

 どうせ今回も、彼女の悪い病気が出たのだろう。

 そのくらいの軽い気持ちで霊夢が言うと、映姫は首を横に振って、

「いえ。確かに私も初めはそう考えて、『無縁塚』まで小町を叱り飛ばしに向かいました。しかし『無縁塚』に着いてみると、本当に、死者の魂の一体もそこにはいなかったのです」

 映姫の発言に、霊夢はポリポリと頬を掻いた。

 霊夢からして見れば、それがそこまで深刻な事態とは思えなかった。

 医者と警察は仕事が少ないに限る。閻魔様とて然りだ。

「単にそれは、その時間帯に死人が出てないってだけじゃないの? 良い事じゃない」

「それが、そういう訳でもないのです」

 映姫は言うと、懐から数枚の紙面を取り出してテーブルの上に置いた。

「これは?」

「『永遠亭』の八意永琳から取り付けた死亡確認書です。少なくともその時間帯、『幻想郷』だけでも三人の方が亡くなられています。勿論、例え相手が永琳女医であっても私が嘘を見逃すことはありませから、この書面の信憑性は確かなものでしょう」

 霊夢は映姫に目で勧められて、その書面の内容をざっと確認した。

 そこには映姫の指す三人の人物の詳しい死因が記されている。

 一人は老衰、後の二人は病死。

 死亡した時刻は確かに、揃って今日の午前二時から五時の間に集約されている。

 霊夢は首を捻った。

 こうなると、この事態を説明できる原因は一つしか考えられなかった。

「じゃあ、この三人全員が地縛霊にでもなったんじゃないの? 何かしらの未練があって、現世(こっち)を離れられないとしか考えられないわ」

 霊夢が言うと、途端に映姫は溜め息を吐いた。

「まさか貴女、閻魔の私がその可能性を考えないとでも思ったんですか?」

「それもそうよね……」

 そのまま押し黙った霊夢に、映姫が説明した。

「ちなみにその老衰で亡くなった方は、享年八六歳。人里の中でも比較的裕福な家庭に生まれ、妻子と多くの孫達に恵まれ、彼らに看取られるかたちでこの世を去りました。しっかりと遺言書も認め、その最後には何一つ未練は無いと書き残されています。そんな方が、まさか地縛霊になるとは到底思えません」

「で、アンタはこれを〝異変〟と判断した訳ね」

 霊夢は自分のお茶に二口目を付けながら言った。

 しかし映姫は更に神妙な顔つきになって、

「いえ。正確には、これは〝異変〟の前兆です」

「前兆?」

 聞き返した霊夢に、映姫はそれまでよりも声を低くして答えた。

「博麗霊夢。貴女は〝自我〟と〝本能〟の違いが分かりますか?」

「は?」

 突然思いもよらぬ話を振られて、霊夢は眉根を寄せた。

 映姫は構わず、

「〝自我〟とは、それ即ち本人の意志。エゴとも呼ばれ、個人にとってのあらゆる行動、判断の原点です。対して〝本能〟とは、個人の考えや意志に依存しない、より普遍的な、〝種に共通して見られる一つの観念〟とも言えるでしょう」

 既に頭上に数十個の疑問符を浮かべた霊夢。

 映姫は続けた。

「渡り鳥が渡りを行うのも、蛇や蛙が冬眠するのも、あるいは牛や馬が生まれた直後、誰に教わらなくても立ち上がろうとするのも、そこには普遍的に機能する〝本能〟が存在するからなのです」

 霊夢は映姫の話をどうにか理解しようと努めて、途中で諦めた。

 彼女の話が長くなるに連れ、もう段々と、その結論だけが早く知りたくなってきた。

 そして霊夢は四季映姫もまた、人里の寺子屋で教鞭を振るう上白沢慧音と同じタイプの人物なのだろうと位置付けた。

「霊魂も同じです」

 最早、自分の話を霊夢が右から左に聞き流しているのにも気付かず、映姫は話し続けた。

「死者の魂が『無縁塚』に集まるのも、幽霊が須らく湿気と暗所を好むのも、全てはそこに〝本能〟があるからなのです。そして〝本能〟とは本来、〝種の生き残りの為に、その環境に適応する術〟として機能します」

 熱弁を振るう映姫に見付からないように、霊夢は欠伸を噛み殺した。

「そして今回、あらゆる魂は皆一様に『無縁塚』を離れ、姿を消しました。これが彼らの〝本能〟の成せる技なのだとしたら、それはつまり、この『幻想郷』の環境が今まさに変化しようとしている予兆だと言えるのです」

「つまり、〝異変〟ね」

 言いながら、胸中で霊夢は小野塚小町に心の底から同情した。

 確かにこれでは、十分で終わる説教が二時間にも三時間にもなる訳だ。

 映姫は頷くと、またお茶を少し口に含んでから、

「恐らく、消息を絶った魂はこの『幻想郷』のどこかに集まっていると思われます。このまま事態を放置すれば、裁きを受けられない魂が『幻想郷』に溢れ返り、再びあの『花の異変』が起きることでしょう。前回のそれは自然発生的なものでしたが、これは明らかに人為的なもの。誰が、何の目的をもってそうしたのか。それを思うと、私は嫌な胸騒ぎがしてならないのです……」

 顔を強張らせる映姫。

 しかし霊夢の返事は初めから決まっていた。

「そうね。でも、まだ今の段階じゃ私の出る幕じゃないわ。〝博麗の巫女〟の務めは〝異変解決〟だもの」

 それは事実半分、面倒臭いという本音半分の言葉だった。

 しかし映姫は食い下がった。

「勿論それは私も理解しています。だからこうして貴女の元にお願いに来たのですし。それに、お願いをするからには、ちゃんとした謝礼(、、)も出すつもりです」

「!?」

 謝礼。その一言が放たれた瞬間、霊夢は弾かれたようにテーブルに身を乗り出した。

 そんな物が出るなら話は別だ。

「それを早く言いなさいよ! で? で? 一体何をしてくれてるのかしら!?」

 怒号のように捲し立てながら、霊夢は有頂天になって想像の羽を広げた。

 食糧。金銭。参拝客。欲しいものはいくらでもある。

 もしこれが八雲紫の言葉であったら、霊夢もここまで浮かれることはなかっただろう。

 しかし今、彼女の目の前にいる人物はあの四季映姫である。ヤマザナドゥである。閻魔様である。

 当然、嘘は吐かないし、事を有耶無耶にされる心配もない。

 霊夢は文字通り、期待に胸を膨らませて映姫の顔を覗き込んだ。

 霊夢の熱い視線を受け、映姫はにっこりとほほ笑んだ。

「貴女に一つ貸し(、、)です」

「…………………………」

 長い、長い沈黙が訪れた。

 撃沈、いや、轟沈する霊夢に映姫は言った。

「仮にも閻魔であるこの私が、誰かの欲を満足させる為の謝礼などするはずがないでしょう? それに、今回のお願いはあくまで私個人からのものであって、『是非曲直庁』の依頼でもありませんから、今の私に出来ることと言ったら、貴女に借りを作ることくらいなのです」

 なんと酷い詐欺だ。

 霊夢は思わず机の上に突っ伏した。

 しかし、映姫は更に続けた。

「気持ちは分からないでもないですが、貴女にとっても決して悪い話ではないはずですよ? このままでは確実に〝異変〟は起きます。そして一度〝異変〟として成立してしまえば、その解決はより困難なものになるでしょう。貴女はそれを、〝博麗の巫女〟として無償で行うつもりですか? それよりも、まだ事態の深刻度が低い今の段階で、閻魔に貸しを作ってそれを解決する方が賢い選択ではありませんか?」

 言われてみれば、彼女の言うことも尤もだ。

 霊夢は机に突っ伏したまま考え込んだ。

 確かに映姫の言うことは、あながち的外れな意見ではない。問題は彼女に貸しを作ることに、自分がメリットを見出せるかどうかにある。

 霊夢は思案した。

 基本的に、閻魔に貸しを作るとなるとその活用のタイミングは死後でしかない。その内容も、罪の量刑を軽くしてもらったりなどが関の山だ。

 しかし、この『幻想郷』では違う。

 『幻想郷』ではあらゆる妖怪が跳梁跋扈し、閻魔自ら説教に訪れたりもする。そしてその四季映姫は、力のある妖怪からも一目置かれる人物。その彼女の後ろ盾を得られることのメリットは、ある意味では無限大だ。

 霊夢は顔を上げると、一つ溜め息を吐いた。

「いいわ。やってあげるわよ。寧ろもし断ったりなんかしたら、その方が〝異変〟より厄介になりそうだし」

 霊夢が言うと、映姫は顔を綻ばせて、

「引き受けて下さって感謝します。それでは、私はここでお暇させてもらいますね。帰りしな小町も拾ってやらねばならないので」

「小町?」

 霊夢は怪訝顔をした。

 そういえば、話に名前は挙がっていたものの、今日の映姫は小町を伴ってはいなかった。

 いつもの説教巡りの際には、映姫は概ね彼女を同伴させているのだが。

 映姫は脇に置いていた帽子を手に取ると、立ち上がって言った。

「霊魂に関する〝異変〟ということで、小町は『白玉楼』に使いに出しているんです。『冥界』でも何らかの影響が出る可能性もありますから、その注意を呼び掛けに」

「なるほどね」

 答えながら、霊夢も立ち上がって二人は玄関の方へ歩き始めた。

 縁側から出入りした方が早いというのに、わざわざ玄関を通るあたりが四季映姫らしかった。

「では、お願いしますよ」

 玄関口で映姫は霊夢に向き直ると、小さく頭を下げて、やがて飛び立っていった。

 残された霊夢は映姫の後姿を見送りながら、

()か……違う違う)

 霊夢は首を振り、改めてこれからどうしたものかと考え込んだ。

 未だ〝異変〟として成立していない以上、これまでの〝異変解決〟で大いに役立ってきた〝博麗の巫女〟特有の〝勘〟は役に立ちそうにない。

 霊夢は先の映姫の話の中から、何か犯人に結び付きそうなキーワードを絞った。

 数分の後。

「『花の異変』って言ったら、やっぱりアイツの所かしら?」

 霊夢は顔を上げると、映姫に続いて自分も空高く飛翔した。

 目指すはここから西へ数十キロ。

 風見幽香の管理する『太陽の畑』だ。

お待たせ致しました!

第一章第一話になります。

第二話の方も、書き終え次第すぐに投稿しますので、どうぞご期待ください。

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