ケース:『幼児性』
「あなたは誰ですか?」
と聞かれてすらすらと自身について語ることのできる人は、恐らくは少ないんじゃなかろうか。
「他人という人格は『自分の心』を通してでしか見られない。」と、もし言われたとしても哲学でも齧っている人が道楽で吐き出す言葉だなぁ、としか俺は感じないだろう。
感じない、はずだった。ある少女がそれを語るまでは。
少女は他人だった。しかしまた、かの少女は俺自身だと言うのだった。
……ぶっ飛んでるよな。冥王星の彼方まで意識がブレる程の衝撃だ。
存在は、飛躍する。
突如として現れた非日常そのものである少女は、俺と付かず離れず……いや付いて離れずの同居を始めた。
俺はとてもとても恥ずかしくて耐えられる予感もないのだが、少女は羞恥心など微塵も感じさせず、むしろ当然であるかのように振舞っている。
犬が西向きゃ尾は東、少女を見たくない時には俺の背中にあちらの視線が刺さる。
どうにかこうにかで、俺も慣れてはきたけど。トイレや風呂は特別なルールを作って対処した。話が通じるので助かった、とそんなところだ。
*
「おまえは誰だ?」
ある日のことだった。
いつものように。と言ってしまえば誠に誠に遺憾なのだけど、もはや習慣になっていた……ミカ太の居る 放課後の教室にて。
太陽の陰りが少しずつ現れてきた室内で俺以外の生徒は帰宅の途についた。
と、そのつもりでいたのだが。
何やら変なシルエットがある。このクラスでだ。ややどころではないとても小ぶりな影。
誰だと訊いてみたがしばらく反応は返ってこない。
見ない姿だった。
「高見、おまえ彼女も見えるんだ?」
「ミ、ミカ太!?」
そこにミカ太はいた。
ミカ太は意外に感じているふうなわずかに上ずった喋りでそこにいた。
……出たり消えたり、今度も急に現れやがって。
ミカ太とは常時会えるわけではない。わけではないが、近頃よく接触するようにはなった。
一方的な開通なんだ。しかも、それはミカ太の都合に寄っているような気もする。
今日はこいつも見える日かよ。
「ん? ……『も』?」
えっ、それってどういう……。
「おーす!」
ビクッ、と小さな影は、そんな背筋を強張らせるような反応をした。
「くっ……また“ズレ”たか?」
思った以上にこぢんまり、それが彼女の第一印象だった。続く第二印象は、まるで尖った刃物のような妙な……さ、殺気。いやそんなのあるわけないか。
「おい満っ!」
「なんだ高見ちゃんか。いや今はミカ太と名乗ってるんだったか? 大変だなおまえも」
満。何か聞き覚えがある名前だな。
「で、その満さ……満ちゃん? キミは……」
俺はそんなふうに二人の話に割って入った。
彼女はこの学校の制服を着ているけれど、どうみても中、小学生の部類の体躯。またあまりに不自然すぎる。ここはまがりなりにも高等学校だ。
状況は俺に非現実的な現象を予感させるには十分だった。何にせよ、あのミカ太の知り合いらしいからな。怪しさだけはかなりあるぞ確実に。
「は? ……なんだ気のせいか? いきなり高見の野郎が私に向かって口を開いたような? まいったね……思わずざわつきと鳥肌が」
「まぁ、話せば長くなるけどねー」
「おいミカ太、なんでこの娘こんなに変なんだ?」
「なっ!?」
彼女は瞬時にビクついて黒板にぴったり貼り付いた。そんな挙動はかわいいと表現するより愛くるしい、といった風体だ。
「ミカ太ァ! 状況を説明しろォ!! こいつこっちに向かって喋るぞ!!」
何やら物凄く驚いているようだった。
「そりゃこうして生きてるんだし喋りもするだろう……」
俺はちょっと呆気にとられたけど。
「まあな。おれも驚いたんだ」
呑気なミカ太を尻目に、ちんまい彼女は眼を見開いてまじまじと俺を眺めてくる。
「まさか、こいつ“認識”してるのか? まさかねェ……」
「俺の顔に何か付いてるか?」
ほー、と除きこむ小女。
「また“ズレ”たのか? ……ふぅ……」
俺は全然なのだけどあちらは何かその一言で納得した様子だった。それでもって、その小顔には好奇に溢れた感じの表情をしている。
「なるほど“風”が……“吹いて”きたのか……。じゃあ私のことは……高見ちゃんがミカ太になってるみたいなんで、私こと満は“ルツミ”でいいか」
「なあミカ太、この娘何を言って……」
「よし。私は便宜的にルツミと呼んで貰うか……宜しく頼むぞ! あ、そっちの自己紹介はいいのでね。こっちはよく知ってるし」
俺を知っているだって!?
何か胸騒ぎがする。
「……つまりミカ太みたいなやつが二人になったのかよ?」
俺が振り向くとミカ太は溜めた息を細く吐いた。説明するのもめんどくさいのか、アンタ。
「えーと、ルツミのことは高見もよく知ってるんだけどな。おれたちの幼馴染だしね」
ん。
ルツミと自称した小女は不思議なことを言った。
「私達の居る世界……シリアルワールド。そして高見ちゃんと私はお知り合いだが、明確にズレている……その点はパラレルであるといえる」
「な?」
「満、って名に聞き覚えあるだろう貴様も?」
「き、きさまと俺を呼ぶかよ……!?」
様付けは有難いが嬉しくはない。だけど発言の中身は……思い当たる節が、ある。
「まさか……大石満なのか? 俺の昔の友達の?」
俺と一緒このクラスに居るあいつ。俺はこの学級で浮いて、いや沈んでしまっているので話すきっかけもぐっと減ってしまい、疎遠になったあいつ。
「御名答! ……私の名前は大石満。貴様の友にして支配する側の主人だ。跪け!」
えーと。ってことはだな。事態が飲み込めてきたような、きてないような。
「俺はアンタに仕えたつもりはねぇぞ……じゃあ訊くけどルツミ、アンタも『アニマ』ってやつなのか」
ルツミはハッ、と吐息を俺達に向かってかすかに吹きかけた。
「ア、ニ、マ……? あぁ……そんなのもあったな……だが私は“ミコト”こと“ニギハヤヒ”の化身、アニマごときと一緒にするなッ!!」
「え、えーと」
勢いに押され、ミカ太を引っ張って後ずさりする。
何か……触ると怪我しかねない危険なキャラしてないかこいつ……。
注意二秒、怪我一生かよ。
「なぁ……こいつなんか不思議ちゃん……いや、ブッ飛んでる気がするんだけど?」
ミカ太の耳元でヒソヒソ呟くがミカ太はミカ太で適当な反応をしているだけだ。
ま……まぁ、かのアニマ自身も軽く飛んでるような話ではあるんだけどな。
「そこ! コソコソするな!」
指摘されてしまった。なるべく正面に立ちたくないタイプだと俺の本能が告げている。
「ミカ太、こいつってあの満の分身みたいなモノなんだよな? ってことはつまり」
俺の幼馴染。あいつを俺はよく知っている。はずなんだけど。
ふと、ルツミを眺める。
「ん?」
不思議がるルツミの姿。
……ざっと単刀直入に思ったんだが。
『どう見てもロリコン体系』なんだよ!
小さな風体のルツミは、コロコロとした小学生的な印象を振りまいている。
「なぁミカ太、こいつロリにしか見えねぇんだけど。それって……」
「満はムッツリなんだよね」
「って何か? 満のやつって、ロリコンだったのか? あいつ……」
「人は見た目に寄らぬものよのぉ……」
へ……へぇ。もしそれが本当なら、俺は満の意外な一面を垣間見たのかな。
「おれと今でもたまにこうして駄弁って遊んでるんだ。なっ?」
「あぁ、私と高見ちゃんは……違う、ミカ太になるのか? まったくややこしいな……ミカ太と仲はいいんだよ。今の貴様達と違ってな」
「え? それってどういう」
「貴様、高見と私の正体、満の関係は今では冷え切っている。それは貴様らの問題だ」
うっ。確かに、確かに最近の俺達は昔みたいに遊んでない。そして俺はこのクラスで孤立気味だ。一匹狼でいいじゃないか。俺はそれでもやむなしと思っていたけど。
「だが私、ルツミとミカ太は現在でも仲がとてもいい。それがどういうことか理解るか? 『高見ちゃん』?」
「なんだと……。じゃあ関係が薄くなったと思っていたのは……」
ルツミはうむ、と頷いた。
俺にとって軽い衝撃の事実。頭の中で整理すると満は俺を嫌ってなど居なかった、という顛末。
「満はまだまだ貴様とダラダラと“あのころ”のように遊んでいたいと思っている、という話だ」
「満、おまえってやつは……」
まだ親友だと思ってくれていた。それだけで十分だった。そして満にまだ、俺が知らない側面が眠っていたとは。情けねぇよな、幼馴染なのにさ。
「本音が聞けて満足したか?」
ルツミは意気も揚々と小さな胸を張ってみせた。そのミニマルな表情はまごうこと
なき美形と形容できる。
……と、俺はあることに気付いた。
「ん? ……なぁミカ太、ルツミって沢野先輩に似てるような気がするんだけど?」
見れば見る程、似てると思う。一学年上の沢野先輩をちょうど幼くしたような感じで。つい口に出すレベルに顔が激似なのだ。
「沢野先輩、知ってるよな?」
ミカ太はあちゃー、といったように委縮している。変なセリフでも喋ったか? 俺。
「や、気付かずにいるのもアレだよね。ルツミは沢野先輩には似てて当然なんだよ。だって」
ミカ太はどうも反応がおかしい。照れているのか。
「だって、ルツミの顔は満の願望そのものなんだもん」
「えっ」
つまり……。
つまりは……。
「まさか」
「そのまさか。彼女の全ては満の好みのタイプを凝縮されてあるわけだ」
「満のやつ、沢野先輩のこと……」
「そこ、何か言ったか?」
「い、いやあ何でも。あぁ、今日も夕日が美しい、ねぇ」
「野球の先発が金髪に染めて一杯乾杯する程わざとらしい言葉だね」
「絶対『先輩』聞こえているだろ!!」
「んふふん? 何のことかなァ」
こいつ。しらばっくれてるのか。ほんとガキみたいな態度だな。
「アンタの顔が沢野先輩に酷似しているってことはだな……」
「ちょ、ちょっとタイムタイムゥゥゥゥゥ!!」
「う、うっせぇ! 遮るな!!」
「うぁーうぁー!!」
「そこ、高音で喋るな!」
「超音波!」
「キンキンと黄色く叫ぶな!」
「超音波! 超音波!」
「あーもうわかったよ!!」
ルツミ……恐るべし。その当の本人は腕の腹で油汗を拭いてやがる……。やかましいだけのこんなので誤魔化された俺……。
「ふう……またしても“ズレ”たか……」
「何がだよ」
「うふ たまてしも “レズ” かた……」
「うわ、本当に言葉がズレたよ! しかも微妙に変な意味ができちゃってるな!」
それを尻目にミカ太は「またか」といった感じにポリポリこめかみを掻いている。ルツミはぽん、と手を叩き……。
「よし、それで行こう」
「どこに行くんだよ! 指示先がどこにもねぇ!」
「しよ れそ で 行うこ」
「ズラすな! いや、日本語崩れてもなぜか意味だけは少し通じるんだけどな!」
「ちっ……“向かい風”が吹いてきたか……くっ……腕が……“疼く”ッ」
「どういう誤魔化しかただよ!」
ルツミは二の腕を押さえ、激しい衝動でもあるのか苦悶の表情を浮かべ、わなわなとうち震えている。
「この左腕はかの“ニギハヤヒ”に拝借している“能力”ッ! ……我がアーム、つまり超常兵器なのだよ……くっ、抑え込めるか……ッ!?」
とわけがわからないことを言っているが俺にはただ自分の二の腕を掴んで全身をワナワナ振動させ……いやあえて言えば貧乏揺すりをしてるようにしかみえない。状況としては「へー」みたいな。
「ルツミ行くよ!」
「あれをやるのか!」
そんな折にミカ太が割って入ったかと思うとルツミの左手を肩に乗せ、そのまま右手を交差させ……要するに『肩を組ん』だ。
『グレートフル合体!!』
どうやら合体したらしい。
がしーん、と思わず鋼のドッキング音でも聞こえるか、といった風格も溢れだすほどだが、これまた俺の目にはただの仲の良い二人がじゃれているようにしか感じられなかった。
……かなり段差のある合体だ……身長差のせいだな。
『あっはっは!』
子供のころに影響を受けたロボ物の映像に似たようなのあったな。名前だけ。
「というわけだ、高見!」
強引な自立型ロボットなのかこいつは。
「何が『というわけ』だよ」
彼女達はきゃっきゃ、とアンバランスにはしゃいでいた。
「友情だ! ダチはいいぞ! 高見!!」
「おれたちこんなに仲いいもんなっ」
「高見もつまらん意地張りあうのを止めたらどうだ。私はいつでも歓迎するぞ!」
「……考えてみればルツミ、いいのか? 満のやつはとっくに帰ったみたいだけど」
「!?」
そしてルツミは顎に手を当て、唸りだした。
「また“ズレ”たか……!」
結局、俺はルツミが一人で勝手にぐるんぐるん振り回されて、いや振り回っていたようにしか見えない。
俺達は教室を後にした。ルツミはやはり満の元へ帰るつもりだという。居場所などミカ太と一緒で原理はよくわからないが手を振って別れた。
しばらくして、当然のようにミカ太も消えた。最近わかったのだが、いなくなる時は本当にふっ、といった感じで視界からドロップアウトする。どういう原理なんだか。
いずれにしても、この一風変わった少女――体型は実に幼女だった――と知り合えたこと。そんな『アニマ』がミカ太の親友だったこと。さっきまで体験した出来事が俺の頭の中を駆け巡る。
それにしても。
まったく、満の野郎……。
*
大石満はもともと俺の親友である。
大石満は俺の現在において、元親友である。
そんな満が今、目の前にいる。
特に待ち合わせていたわけではない。いつも通りの俺が満と一対一で会える機会。
……放課後に教室を出て行くあいつはラスト二番手、で、俺は最後なだけだ。
満のやつはまた復習でもしたのか……取っ散らかった机の上を片付け始め、教材をまとめたスクールバッグを肩に担ぐ。
そしてふとこちらをチラ見たかと思うと、その拍子に何やら言いたげに……口をもごつかた。
「満、おまえさ!」
こちらの反応すべき必須項目は、いとも容易く導き出される。
……何気ない会話だ。
「おまえって、沢野先輩のことどう思ってるんだよ?」
「なっ、何を!?」
「しらばっくれやがって! こっちにはとっくにバレてるんだぞ」
「な」
自分でも思わずニヤついてるのが理解る。
「おまえがあんな好みだとはね……中学のころはそんなやつじゃなかったもんなぁ。ズレたか?」
「ちょ、ちょっと待て」
満は顔をタコもしくはブラックタイガー茹でたあとのように染め上げている。
これは図星か。本気でか。
「満! また前みたいに一緒にまた遊ぼうぜ!」
開いていた窓辺で、心地良い隙間風が吹いた。
「……高見……」
こうして。
……こうして、俺たちは以前の関係……他愛のない仲を取り戻したんだ。