会話。病院の渡り廊下にて
「結局、何も分からず終わってしまうんですよ」
「ふはっははは」
「いや、すみません。あなたのことを惨めにおもって笑ったんじゃないんです。どうにも私自身が可笑しくて」
「一見するとあなたは僕より、身なりもきれいで、家庭も持って、いろいろとご経験なさっている。
きっと私よりも、人生の酸いも甘いも知っていることでしょう。僕よりもいろいろな世界を見て聞いた。そうでしょう?。それに比べて私の知る世界はあまりに狭い。もちろんあなたが知らない世界も僕は知ってるはず、それでも私の世界はどうにもこじんまりとして、色鮮やかとは言えません。セピア色で日に焼けた紙のような色の安っぽい額に入ってしまっている。」
「あなたが何も分からないというのなら、私は何を理解して死ぬことができるのでしょうか。」
「…ひとつ言えるのは、あなたは私の最後を理解できるでしょう。私には決してできない。」
「人の最後を理解できるのは、存外貴重な事だと思います。」
「ひどいと思いますが、ニュースが殺人事件の被害者を報道しても私には、情報としてしか思えないのです。全く知らない人の全く知らない事情で起きた違う世界の出来事。だから知ることはできてもどこか理解できないのです。」
「過去に友人と呼んでいた知古が亡くなった事は何度もあります。それでもどうにも理解できたとは思えませんでした。悲しい、寂しい、悔しい。そんな風に感じる事はありましたが、どれも知ってる自分の感情でした。彼らが何を思って、何を望んで、どういったものを抱えて死んだのか、まるで分からなかったのです。今でも時より考えるときがあります。」
「家族を失った事もあります。当然悲しく、使い古された比喩ですが、確かに心に穴が空いたように思えました。私は彼女が何を好み、どういう考え方をして、どういった姿をしていたか知っています。どれだけ苦痛を腹に抱えて、それでも私には見せないように必死に隠して、死んでいったかも知っています。
だからこそ思ってしまうのです。彼女は最後に、本当は何を思っていたのだろうかと。
互いに信頼を預けあった仲でした。彼女の感情は私のものであり、その逆でもありました。でも、最後の最後は持ち逃げされてしまったのです。最低ですが私は彼女に疑念を抱いてしまっているのです。本当に幸せだったのか。私に罵詈雑言を浴びせて罵りたいと思わなかったのだろうかと。彼女は私に元気に生きてね。といったのです。ねじくれた私は、私に再会したくないのではと思ってしまった事もあります。そんなわけが無いのは知っています。芯の通った人でしたから。でも数学の問題を説いた時のようにすっきりとしないのです。ずっと喉奥で突っかかる。釈然としない。つまりはきっと理解できていないのです。」
「その点、あなたは私の死に様を理解できるでしょう。それは既にあなたが私を理解していると言えない程度に、知っているから。距離感の話ですよ。私はあなたを特別な友人だと思っています。そこまで親密ではないけれど、よく知っている。正直、明日ふらりといなくなっても、心に大穴は空かないでしょう?空いたとしても、気づかぬうちに時が勝手に塞いでしまうくらいの些細なものでしょう。私もそんな具合だから私はあなたに気を使ったりなどしません。先ほどのように重い話題も平気で投げつけます。死に際に強がってなんかやりません。泣き叫んでその膝を引っ張ってやるのもいいななんて思ったりもします。こうして話している様なことも、ほかの人には言ってないのです。大抵の人は、この重りを一緒に抱えようとかどうにか外そうとするように、彼らもまた心を重くしますから。その点、あなたは薄情だ。私が死ぬという話に、あろうことか自分の話を投げつけてきた。あなたみたいに意味不明な人は私の人生にあなただけですよ。」
「なんですか。結局僕を貶しているのですか」
「違いますよ。褒めているのです。いいや、感謝しているのです。そういうところに。」
「それなりに長い時間を生きてきましたが、最後にあなたみたいに可笑しな人間に出会った。まだまだ理解できない人間は私が出会っていないだけで世の中に多くいるのでしょう。そう思うとなんだか不思議と死ぬというのも悪くない気がしてくるのです。私はどちらかといえば仏教徒ですが、もし死後の世界があるのなら。輪廻が本当であるのなら、きっと知らないことだらけでしょうね。あなた自身みたいに理解できないこと自体が楽しいと思えることがあるのではと期待してしまうのです。だからなんだか悪くない。」
「僕にはそれが強がりなのか本心なのか分からないですよ。」
「断言しましょう。今は分からなくとも死ぬ間際にはあなたは必ず理解する。それだけは私には分かるのです。」
「そういうもんですか。」
「そういうもんですよ。」
「ずいぶんと勝手な事をおっしゃる。」
「なんだかあなたの気性が移ったのかもしれません。」
「そんなわけ無いじゃないですか。あなたはずっと昔からそうだったに違いありません。自分すら分から無いふりをしていただけです。」
「そうなんですかね。」
「そうですよ。」
「風が出てきたのでそろそろ戻りましょうか。僕のお尻が冷えそうなので。」
「そうですね。」
「それではまた」
「ええっと。じゃあ。また。」




