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宮ノ杜踏切

作者: 海山 里志

 一番印象に残っている路線だって? 難しいことを聞くね。知っての通り、僕は日本中のいろんな路線に会ってきた。当然それぞれに魅力がある。例えば荒涼とした原野の中、例えば無機質なコンクリートジャングルの底、例えば清麗な渓流の側、至るところに鉄路はある。だがそうだなぁ……、強いて挙げるとすれば、天ヶ坂線かな。どれ、少し聞かせてやるとしよう。


     *     *     *


 さて、天ヶ坂線についてだったね。僕がこの路線について知ったのは、大学進学を機に東京に出てからのことさ。出会ったのは夕方にアパート周辺を散歩していたとき、本当に偶然さ。

 見かけたのは第四種踏切、分かりやすく言えば遮断機も警報器もない踏切でね、路線は単線電化。当然どんな電車が来るか気になった。するとちょうどいいことに、タタンタタンと走行音が近づいてきた。僕はカメラを構えた。何が来たと思う?

 木造電車さ! 令和の東京でだぜ? 僕は夢中になって写真を撮ったよ。まあ、その写真はなぜかピンぼけしたり白飛びしてたりして、とても人様に見せられるものじゃなかったんだけどね。

 それで、写真を撮り終えて改めて踏切に目を移すと、踏切の向こう側に鳥居があったんだ。鳥居の奥は森の陰になってて見えなかった。

 ただ、鳥居の下に少女がいて、じっとこちらを見つめていたんだ。目が合ってしまった。髪から、肌から、小袖、袴、履物に至るまで、真っ白だったことが印象に残っている。少女はニコリと微笑みかけると、手招きをして森の奥へと入っていった。

 僕は少女のことが気になったんだけど、日の傾きかけた森に入るのは危ないと思ってね。結局その日は家に帰ったよ。

 家に着いてすぐあの路線のことを調べた。そしたら驚くべきことがわかったんだ。あの路線は天ヶ坂線ということ、あの踏切は宮ノ杜踏切といって天ヶ坂線唯一の踏切であること、そして、天ヶ坂線は、少なくとも平成に入る頃には休止していたこと……。

 ではあの木造電車は何だったのか、なぜ廃止ではなく休止なのか、なぜ都会の真ん中に第四種踏切が残っているのか、疑問は尽きなかった。

 でも、鉄道研究会の先輩なら何か知っているかもしれない。放課後訊いてみよう。そう思って、翌日は一限があったから、その日は早々に床に就くことにしたんだ。

 でも寝れなかった。どこかから少女の声がしたんだ。キテ……、アケテ……、イッショニイテ……、キテ……、アケテ……、イッショニイテ……、てね。

 気付けば宮ノ杜踏切へと足が向いていた。電車の通過を待って、僕は境内へと入っていったんだ。

 森の中は数分にも一時間にも感じられたよ。一本道をひたすらに奥へ進むと、少し開けた場所に出たんだ。その真ん中で、満月の光に照らし出されたもの――それは井戸だった。井戸には屋根がかけられていて、注連縄が張ってあった。井戸の口には蓋がしてあって、注連縄の張られた大きな石が上に置かれていた。

 なるほど、アケテとはこういう意味だったのか。合点がいった僕はなんとか蓋を開けようと頑張った。でも指一本分口を開けるのがやっとだったんだ。僕は疲れ果てて、自分の部屋に帰ったよ。

 翌日の放課後、僕は鉄道研究会の先輩に、天ヶ坂線について訊いてみたんだ。すると、それまで朗らかだった先輩の顔が険しくなった。騒然としていた部室内もいつの間にか凍りついていた。

「来い、詳しい奴がいる」

 それだけ言うと、先輩は僕の手を取って部室を出た。

 先輩はずんずん歩く。有無を言わさぬ気迫だった。やがて僕たちは、お札の貼られた扉の前に辿り着いた。先輩は躊躇いもなくノックする。

「はーい」

 返ってきたのは女学生の声だった。それを聞いて先輩はドアを開ける。迎えてくれたのは、メガネをかけた三つ編みの女学生。彼女は品定めをするように、僕の頭からつま先まで視線を這わせた。やがて深く息を吐き、尋ねた。

「結界を破ったわね?」

「結界?」

「ここ東京には、ヒトが溢れ、モノが溢れ、タマシイが溢れている。それらは時に、怨みを抱え、ヒトに害を為す。故にハレとケ、ケとケガレを分つ必要がある。それが結界。一般的なのは鎮守の杜。でも、都心全体を護り、強力な怨霊を封じる結界も存在する。そうよね?」

「山手線と中央線だ」

 先輩は淡々と答える。僕は初めて自分のしでかしたことの重大さに気がついたよ。

「じゃあ、天ヶ坂線が休止路線なのは、鉄の結界としての役割があって廃止できないから……。宮ノ杜踏切が第四種踏切なのは、祀られている怨霊を完全に封じることができなかったから……。通過する木造電車は、幽霊列車……」

「正解。ところで、貴方は宮ノ杜踏切を渡ったのよね?」

 正直に頷くことしかできなかったよ。女学生はすっくと立ち上がり、掛け台から刀を掴んで言ったんだ。

「宮ノ杜踏切に行くわよ」

 早足で歩く女学生を、僕は小走りで追いかけた。

「貴方が宮ノ杜踏切で見たモノ、あるいはその先で見たモノについて教えて貰えるかしら?」

「宮ノ杜踏切の先には鳥居があった。その下に、髪も、肌も、衣装も白い少女がいたんだ。僕はその少女と目が合った。少女は微笑みかけて、手招きしたんだ」

「まずいわね。ニーチェが言ったわ。『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』と。『見る』と『魅せられる』は表裏一体よ。貴方はその少女に惹かれてしまった。そして少女もまた、貴方に惹かれてしまっている。続けて」

「鳥居の先は杜だった。それを抜けると、大きな石で蓋された井戸があったんだ。石には注連縄が結ばれていた」

「井戸――『皿屋敷』と『リング』の共通点ね。最も身近な異界への入り口よ。だから封印する必要があった。そして貴方は、井戸の封印を解いてしまった。そうよね?」

「……どうしてそれを?」

「取り憑いているんですもの――人形が」

 その時に感じた寒さは他の何にも例えようがなかったよ。女学生は一段と歩みを早めた。僕も必死に走った。やがて僕たちは宮ノ杜踏切に辿り着いた。

 鳥居の下には件の真っ白な少女が立っていた。そしてこちらを認めると、ケヘリと笑った。その瞬間力が抜けたんだ。僕は傀儡だった。少女に手招きされ、僕の足は一歩、また一歩と踏切へと進み始めたんだ。

「少年!」

 女学生の叫びも空しく、僕の口は勝手に言葉を紡ぐ。

「イカナクチャ……イカナクチャ……」

 遠くから電車の走行音が近づいてくる。でもそんなのお構いなしだ。少女の許へ行かなくては――その思念だけが身を支配していた。

 そして足が踏切の停止線を跨ぎかけたその時、後ろに強く引っ張られ、投げ倒された。そして平手打ちをくらう。そうして僕はようやく正気を取り戻したんだ。最初に目に映ったのは、肩で息をする女学生だった。

「よかった……、本当に……」

「あれ、僕……、ごめん……」

 僕のまとまらない謝罪の言葉を、女学生は黙って首を横に振り受け入れた。

 身体を起こすと、電車がまさに通過していくところだった。再び姿を現した少女はひどく顔を歪ませていた。だが、女学生が刀を抜くと、少女は森の奥へと逃げていった。

「追うわよ!」

 女学生が先に踏切を渡り、俺もその後を追う。途端に木々がざわめきだした。生贄への歓迎か、はたまた敵への威嚇か――。それでも女学生は足を止めない。そうだと分かると木という木から黒いものが女学生に襲い掛かった。女学生は刀で一薙ぎした。彼女を襲っていた黒いものがはらはらと落ちる。

「糸?」

「髪の毛ね。でも森中にこれが張り巡らされているとしたら、どれだけ強力な呪いなの……」

 直後腹部に何かが巻き付く感覚があった。

「助けて!」

「少年!」

 そのまま僕は強く惹き寄せられる。女学生の刀の切っ先は空しく空を切った。僕はそのまま杜の奥へと引き込まれたんだ。

 気付けば井戸の梁に吊るされていた。目の前には件の白い少女が立っていて、こちらに愛おしげな視線を向けていた。僕はその目を睨み返した。

「何が望みだ?」

「私たちは、愛されるために生まれてきた。なのに人は、私たちを捨てた」

 少女の手が僕の頬に伸びた。それは、理の違いをまざまざと感じさせる冷たい手だった。それでも少女は、頬を慈しむように撫でる。

「だからあなたは、私を愛してさえくれればいい。そうすれば、私もあなたを愛するから」

「僕は君のことを知らない。君も僕のことを知らない」

「そんなの、あの女も同じでしょう?」

 少女の口元が吊り上がる。そしてその口は再び動く。

「さあ、私を受け入れて。あなたの声で、『愛してる』と言って」

 少女の顔が迫る。

 君はどうかしていると嗤うかもしれない。でもその時僕が少女に感じたのは、憎悪でも恐怖でもない、憐憫だったんだ。ああ、彼女は愛に飢えている。与えられるべき愛情を与えられずにここまできてしまったんだってね。たとえ彼女がヒトであってもヒトナラザルモノであっても構わない。愛情を受けずに生きられるものなんて存在しない。

「すまん、少々てこずった。少年、無事か?」

 少女の後ろから声が飛ぶ。見れば女学生が髪を全身に纏わりつかせたまま、刀を構えていた。その瞳は既に、どう間合いを詰め、どう刃を叩きつけようか図っているようだった。

「やめてくれ! こいつは悪いやつじゃない!」

「気でも触れたの!? そいつは私たちを襲ったのよ!」

「思い出してみてくれ! こいつは一度でも結界を越えたか? 結界を越えたのは僕たちの方だ! こいつは、愛に飢えてただけなんだよ!」

「そいつは呪いの人形よ! 封じなければ存在自体が危険なのよ!」

「なら、僕が身をもって封じる!」

 そして僕は少女の手を取った。

「宮の杜の人形少女よ、僕はあなたを一生愛します」

 そして僕は少女に口づけをした。直後風が吹きすさび、僕は思わず目を閉じる。風が凪ぎ、再び目を開けると、紅潮して嬉しそうに微笑む少女の姿があった。僕の足は地面を踏みしめている。女学生に纏わりついていた髪の毛も霧散し、彼女は刀を鞘に収めた。

「始まりがいつのことかは分かりません」

 少女はぽつりと話し始めたんだ。

「私がこの井戸に捨てられた頃には、悲しいことに既に沢山の人形がいました。そしてさらに悲しいことに、私が最後ではありませんでした。愛されるために生まれたはずの人形が、捨てられる――その悲しみ、怨み、どれほどのことか想像できますか?」

「だから貴方方は、モノノ怪になったのですね」

 女学生の問いかけに、少女は静かに頷いた。

「私たちは、泣けるようになり、話せるようになり、身体を動かせるようになり、そして――お腹を空かせるようになりました。でも、古井戸に食べ物なんてあるはずがありません。共喰いの始まりです」

「蠱毒ですね? 最終的に生き残った者が、強い力を手に入れる。そして貴方は、生き残ってしまった」

 女学生のフォローに、少女は目元を拭う。僕は口の中に苦いものを感じずにはいられなかった。

「喰わなければ、喰われる。井戸の中の摂理は、単純で、残酷でした。やがて私は彼ら全ての怨みを一身に背負うことになりました。でも、人への愛を、どうしても捨てきれなかったんです。だからあなたが私を見つけてくれた時、すごく嬉しかったんですよ?」

 少女が僕に顔を向けてはにかんでみせた。あの時の彼女の顔を、僕は決して忘れることはないだろう。

 帰り道、宮の杜踏切を渡り終えて女学生は尋ねた。

「これからどうするの?」

「毎日通って、彼女を慰め、癒し、鎮めるさ。約束したからね」

「そう」

 女学生は無関心そうだった。

「今日はありがとう。名前、聞いてもいいかな?」

「大したことはしてないわ。それに、彼女がいるのにナンパなんて漢らしくないわよ。それこそ、私が呪い殺されちゃうわ」

 彼女はいたずらっぽく笑った。

「じゃあね、少年。頑張りなさいな」

 女学生は笑った――明朗に、快活に。僕は手を振って彼女と別れた。


     *     *     *


 とまあ、天ヶ坂線の思い出はこんなところかな。おっといけない、そろそろ宮の杜に行かないと。彼女寂しがり屋なんだ。それに、彼女には僕しかいないしね。期待してた話と違う? いいじゃないか。鉄道は乗るだけじゃないってことさ。

 今日も僕は電車の通過を待つ。やがて電車の陰から、少女が姿を現した。

「おかえりなさい!」

「ああ、ただいま」

 僕は踏切を渡り、彼女を抱きしめた。

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