こねくり回す子ども
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ヨハンがトルヴ村に来て三日目の朝、焼き場にひとまわり小さな人影が現れた。
寝ぐせのついた金髪をぶわっと広げ、あきらかに朝から元気すぎる足取り。
パンの香りに引き寄せられたのかと思いきや、その子はヨハンの隣に当然のように座り、パン生地をじっと見つめた。
「……おはよう。今日は冷えるね」
ヨハンが声をかけると、子どもはふん、と鼻を鳴らした。
まるで猫だと思った。話しかけたのが気に入らなかったのか、それとも、まだ言葉が出てこないだけか。
「こねる?」
「……うん」
そう言って、ヨハンの木べらを奪うようにして、子どもはパン生地に手を突っ込んだ。
まるで獣が雪を掘るような手つきだったが、意外と芯をとらえていて、こねる力もある。
「パン屋さん?」
「違う。食べる係」
「なるほど」
ヨハンは笑って、袋から別の粉を出して、もうひとつの生地を作り始めた。
子どもの名はサリカ。
村では“ヨナの娘”と呼ばれているが、ヨナが何をしているか、サリカ本人は知らないと言い張っている。
それからサリカは毎日、朝になるとヨハンのもとにやってきた。
勝手に焼き場の片隅に座って、勝手に粉を混ぜて、勝手に「味見」と称して生地を食べる。
「なあ、これに干しイワシ入れたらどうなる?」
「パンが魚になります」
「魚パン!」
「いや、そう単純でも……」
翌日、本当にサリカは干しイワシを砕いて入れた生地を焼いた。
見た目はひどかったが、なぜか近くにいた羊飼いのトールじいさんがうまいと言って全部食べた。
「これは……酒に合う」
「やった、売れる!」
「売ってはない」
それからというもの、サリカの発明(というか実験)は止まらなかった。
蜂蜜と塩の二層パン(甘いのかしょっぱいのか分からない)
焼く前に雪で冷やす「逆パン」(冷たくて固いだけだった)
つまようじをパンに差し込んで「剣のパン」(危ない)
ヨハンは最初こそ苦笑していたが、だんだんと本気で驚くようになってきた。
「……これは、発酵の使い方が違う。君、教わったことある?」
「ない。こねてたら、勝手にふくらんだ」
サリカは、粉と水と空気の性格を、身体で覚えているらしかった。
パン職人として、そんな子どもに出会うことは滅多にない。しかもこの村で、だ。
「きみ……ほんとにパン屋じゃないの?」
「うん。たぶん、いまなるところ」
その答えに、ヨハンは少し目を細めて笑った。
そして、ある日の午後。
サリカはパンをこねながら、ぽつりと聞いた。
「なんでここに来たの?」
「パンを焼きに」
「でも、パンならもっと都会で売れるでしょ」
「売れるものを焼きたいわけじゃない。……ここで焼く理由は、もうすぐ見つかると思ってる」
「ふーん。あたしは、見つかったよ。魚パン」
「それは……少し違うかもしれない」
「ちがわないもん!」
パンと魚と、煙と子どもの手。
トルヴ村には、あいかわらず看板も地図もないけれど――焼き場のまわりだけが、少しずつにぎやかになっていた。
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