スポコンな展開をするはずだったんだろうなと言う少女小説を読んで気持ちがモヤっとした時の話
ウェブが発達してから
文字でのやり取りって格段に増えた
と言う説があります
ウェブが一般に行き渡る前も
文字でのやり取りは
普通にあったわけで
そのため文字を伝える時
色んな言い回しと文章能力が必要なのですが
僕も時々
この人怒ってる? と思われるっぽいです
特に文字で指示を出す時
「○○と言うようにして下さい」
と書いてしまう事が多いのです
それだと威圧的であると指摘され
「○○と言うようにすると良いと思います」
と書けと指示されたりします
優しい表現をしてほしいと言うのは分かるんですよ
だけど
指示する人が「その方が良いと思ってる」だけなら
そうしなくても良いと言う事でしょう?
それだと困るのです
手書きでもそんな様子なので
電子文字はもっと冷たく感じるのかも
世界が「ピッチ」の時代だった頃から
電子文字のやり取りも
「表現の方法」を求めて来ました
手書きっぽく見える文字を開発したり
絵文字が発展したり
世界が「スマホ」の時代になってからは
スタンプと言うものが登場しました
ですが小説の世界では
顔文字やスタンプが使えません
なので
小説なりの表現技法が必要になります
文字だけを扱う能力が無いと
執筆者にとって思っても見ない印象を
与えてしまったりします
かつて僕が読んだ手書きの小説で
娘にケンカを売った父親を擁護して
娘に父親の心境を説く母親
と言う描写がされて居て
「この人達 毒親なん?」と書いた本人に聞きました
どうやら
執筆者はそう言う表現をしたかったわけでは
無いようなのです
受験勉強中だけど
自己肯定感を持てない娘に対して
父親が怒り出し
受験する学校に対して文句を言ったと
かなり熾烈なケンカになったと
その後で
母親が父親の心を弁舌するわけです
受験中で神経過敏になっている娘に
カネがないのか心に余裕がない父親が
ケンカを吹っ掛けて
言い合いをして疲れ果てている娘に
母親が押しつけがましい父の心を説く
と言う風に僕は読めたんですね
その執筆者さんは
「受験で神経過敏になるなんてあり得ない」
と言う感覚をお持ちで
勉強しなくても余裕で受かる学校しか
受けた事がないんだなと察しました
物語としては「壮絶毒親記録」なんですけど
執筆者さんとしては
父親の怒りと母親の説得で
自分を持たなきゃならないと目覚める少女
の話が書きたかったらしいのです
すごくスポコンな話ですね
ですが生憎
その意図は伝わって来ませんでした
物語を書く時は
登場人物に人格を与えるわけですが
執筆者が「こんな展開にしたい」と言う意図を持っていても
自分の主観や人生以外の「別人の視点」を持たないと
先のように「壮絶毒親記録」を
「自己肯定感の低い子が親の愛に満ちて立ち直る話」
にしようとしてしまうのですよ
自己肯定感低いのはその毒親達の影響では?
と僕には読めたのです
そんな事もあって
特に小説に関しては
誤解されない文章的表現と言うものを
模索し追求しなければなぁと
思ってみるのです