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曲解話

ひずみ

作者: みんぽぽ

 ソレは、突然見えるようになった。


 眼鏡やガラス越し、鏡に映っているときなど何かを介すと見えなかったけど、裸眼だとハッキリ見えた。


 初めて目の当たりにしたときは、混乱しすぎてなりふり構わず頭を抱えその場で叫びまくった。

 ホラー映画が現実になったのかと本気で思った。

 小さな何かが声をかけてくれたけど、ソレを間近で見て走って逃げた。


 おぞましい光景だった。

 眼鏡もコンタクトレンズも着けずに出歩いていて、ただ小学校の下校に出くわしただけ。


 裸眼で見た子供達は、ほとんどがひずんでいた。


 顔が。


“ゆがみ”ではなくて“ひずみ”

 地層や岩盤が圧力に耐えきれず亀裂が入る様子みたいな感じで、何となくピカソの絵画に似ていた。

 血が噴き出ていないのが不思議なくらいに。



 もう元の顔かたちが分からないくらいひずんでいたのは、近所に住んでいた小さな子供だった。


 よく母親らしき女の怒鳴り声が聞こえていた。

 それを聞くと私でさえ心がザワザワして不快になるのに、逃げ場もなく真に受け止めなくてはならない子供を思うとやるせない気持ちで一杯になった。


 ある日、母親が子供の腕を乱暴に引っ張りながら叫んでいた。

「何やってんだよ!早くしろ!おまえはいつもグズでバカでイライラする!」


 ………「グシャッ」

 そんな音が聞こえてきそうだった。

 甲高い叱責に反応して、子供のひずみが酷くなった。

 そして、母親のひずみが修復したのだ。

 それを目撃して、ひずむ原因は“ひずみの言葉”で“ひずみは誰かに受け渡される”のだと分かった。



 周囲のひずみに慣れてきた頃、裸眼で過ごす時間を増やして観察する余裕もでてきた。

 自分の都合だけを押し付ける言葉には直線的なひずみ、人格を否定する言葉には、ねじれたひずみが発生していた。

 そして、子供の方が大きくひずみ、細かいひずみは大人に多かった。


 今はひずみが一つもないあの母親は、自分の意思や都合だけを押し付けて、子供の個性や特性、思いには無頓着なのだろう。



 散歩の途中、近くの公園のベンチで座っていると、あの子が一人で遊んでいるのが見えた。

 遠目で見ても相変わらず酷いひずみだった。


 私に気が付くと駆け寄ってきて、初めて声をかけてくれた。


「おねーちゃん、顔、痛くないの?大丈夫?」


 何のことか全く分からず、え?今、何て言ったの?と声を出そうとしたとき、唐突に理解した。


 ふらふらと立ち上がりながら自分の顔を両手で覆い、またその場に座り込んだ。


 自分の家族全員に、ひずみはなかった。

 だから自分の顔にもひずみがないと思っていたけど…


 自分の顔は、絶対に裸眼で見ることが出来ない。



 大鍋を床にひっくり返したように、空っぽの頭の中に記憶がぶちまけられた。


 思い起こしてみれば、幼い頃からの記憶が断片的で所々欠けていた。

 特に家族との会話の記憶がない。


 子供を責め立てる言葉を聞くと、心がザワザワして不快になる原因が分かった。


 私も、だ。

 少しでも機嫌が悪いと八つ当たりされた。

 その言葉はどれもこれも真に受けたら立ち直れないものばかりだったような気がする。

 少しでも言い返せば、手が付けられないほどヒステリックになり暴力も加わった。


 真に受けるのも言い返すのも疲れ果て、自分の感情を消して記憶するのをやめていた。


 浴びせられる罵詈雑言。

 言った人達のひずみは修復して元通りだけど、私もこの子もひずみを吸収して抱える役目なのか。


 世の中は決して平等ではないと思い知った。




 随分と長い時間へたり込んでいたのに、この子はずっと私の頭を優しくなでてくれていた。


 私はそっとこの子の手を取り、酷いひずみに目をそらさず、眼を合わせながら言った。

「心配してくれてありがとね。もう大丈夫だよ。あなたも色々と頑張っているよね。私はね、すごいな、えらいなっていつも思っているよ。お名前、教えてくれる?今度さ、名前で呼んでいいかな?」


 それは、当時の私自身が欲しかった言葉だった。


 すると、この子は満面の笑みを浮かべたようなかたちになり、少しだけ、ほんの少しだけ、ひずみが修復した。




 でも、次に名を呼ぶ機会は訪れなかった。




 それから、何年経っただろうか。

 私は家を出て、一応ニートではないけど人との関わりを極力絶って生きている。


 白内障の手術で眼内レンズを入れたので、裸眼でもひずみを見る機会はなくなった。


 そんな怠惰なある日、ニュースからあの子の名前が流れてきた。

 紛争地域の近隣で子供達のための医療、教育に力を入れている団体に参加していて、どこかの国による誤爆で死亡したと。


 やはり、世の中は決して平等ではない。


 ネットで検索すると既に過去を調べられていたけど、危険地域での活動に際してあらゆる事態に備えていたらしい。

 口ばかりの迷惑なジャーナリストもどきや自分勝手なカメラマンもどきなどを比較対象にして、絶賛されるほど行動や言動に隙がなかった。


 別のニュースで、紛争地域へ行く前のインタビュー映像を見た。


 …きれいな顔だった。


 しかし、とても鋭い目つきと表情で生真面目に答えていた。


 その中で「どうしてこのような危険な地域に行くのですか?不便なことばかりなのに」とレポーターに聞かれた。


「孤独で一番苦しかった時、近所のおねえさんが私のことを『いつも頑張っていてえらいね。誰かがあなたの頑張りを見守っているからね』と言ってくれて。本当に心底嬉しくて。私もいつか知らない人でも優しい言葉をかけられるようにしたいなぁと。今もおねえさんの言葉を励みに頑張っています」と。


 先程の硬い表情は消え、素敵な満面の笑みを浮かべていた。



「そんな…大したこと言ってないじゃん…救われたのは私の方なのに」

 勝手に流れてくる涙は止まらず。



 私が言った言葉は、かたちを変えてあの子の中で成長したのか。


“負の言葉”はひずみをつくり、容易に増幅して心を停止させてしまうけど、“正の言葉”はゆっくりとかたちを変えて、心を動かす原動力になるのだと。



「まだ私にも、できることがあるかもしれない」


 あの子の“正の言葉”を受け取って、そう思った。

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