僕は自転車に乗れない
いつも通り過ぎる公園に、ある時から自転車の練習をする外国人が現れた。
彼は本当に乗れるのであろうか?と言うほど、転んでは立ち、転んでは立ちを繰り返していた。
守「またやってるやん…。」
守はそれを傍目に会社で疲れた足を、家まで動かしている。
(自宅まで歩く)
守「ただいま。」
静かな家に声が響く。
少しそこに立ち止まり、靴をいそいそと脱ぐ。
ふと、守は玄関のシューズボックスの上にある写真を見る。それに触れると、そのまま部屋の方へ進んでいった。
ーーー毎日は変わらない。しかし、ここにはもう毎日はない。
守は帰るや否や、冷蔵庫からビールを取り出し飲み出した。
風呂に入るつもりがないのか、そのままソファに腰をかけ、テレビをなんとなくつける。
守はテレビを見るわけでなく、ただテレビを眺めていた。
『パパ!お風呂入らなきゃ!』
そんなふうに声が聞こえてくるほどだ。
部屋は明らかに汚い。
もう誰も片付けないだ。
次の日が休みだからと、目覚めた守はまだソファの上だった。テレビのニュースの左上にある時刻は10:00。
守「あぁ、また寝ちまったんか…。」
机の上には3本の500mlのビール。
守は大きな欠伸をして、また、冷蔵庫へ向かう。
そして、机の上のビールと同じ物を、また取り出した。
全てが億劫そうだった。
ビールのプルタブを開ける前に、ふと思った。
守「あの外人。土曜日でも練習してんのか?」
気になった守は、開けてないビールを冷蔵庫に戻し、風呂に入った。
風呂に入った守は、やはり冷蔵庫に行き、ビールを開け一気に飲んだ。
鍵とスマホ、財布を持って外に出た。
公園に行くと、やはり自転車に乗れない外人がいた。
守は道中で買ったビールが入った袋を片手に、その公園のベンチに座った。
公園にはもちろん外人以外にも子供や母親、稀に父親が楽しそうに遊んでいた。
その光景はあまりに滑稽だった。
遠巻きに親達が笑っているのが見える。
ビールを開けベンチに座った守は、それを飲み出した。
守「あぁ…またこけた。」
外人がうまく乗れない自転車を肴にビールを進めて行く。
守「はは。」
守は笑う。
しかし、その後思い出して真顔になる。
『パパ!絶対手を離さないでね!』
その声を思い出し、下を向いた。
守「俺なにやっとんやろ。」
ベンチを立ち上がり、家に帰ろうとする。
後ろからあの外人から肩を叩かれた。
外人はニコニコしながら、守の財布を差し出した。
守「あ、ど、どうも。サンキュー?」
と頭を下げる。
外人もぺこりと頭を下げ、また公園へ戻って行った。
守「…あいつ、財布取らんかったんや。」
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またある日の夕方、仕事帰りに公園を横目に見ると、人が全くいない公園にあいつはいた。
今日も自転車の練習をしている。
ふと気になって、公園のベンチに座った。
タバコでも吸おうと一本取り出したが、公園なのでやめようと元に戻した。
だんだんと彼が自転車に乗れないことが不思議に思ってきた。
そしてこの前、財布を届けてくれたことを思い出した。
守「…うーん。」
守は立ち上がり、彼の元に近づいた。
守「…よ。」
守は少し手を上げて挨拶をした。
彼はぺこりと頭を下げた。
守「あー…自転車、教えちゃろか?えっと、May I help you?」
彼はその言葉がわからないのか、キョトンとしたが、すぐに笑顔で頭を縦に振った。
守「よし。」
守は、彼の自転車の荷台に手を当てて、
守「Go!Straight!」
しかし、外国の彼は漕ぎ出しても、真っ直ぐと走れはしない。
守「え、えぇ。なんで?」
守は頭をかいた。
守「だからさ…。」
と、言い出した守は、自転車の乗り方を言語化できずに困った。
守「えっと、順番に、右、とか…左とか…。」
自信がない。
だが、彼は嬉しそうに首を縦に振った。
守「お、おう。なんだ、日本語わかるやん。」
と、2人で暗くなるまで練習をした。
とうとう乗れずに、今日1日を終える頃には、守はゼェゼェと息を肩で切っている。
守「な…なんでできんのよ…。」
それでも、外国の彼は笑顔でニコニコしていた。
守「今日はここまでだな。」
と、守は帰ろうとすると、彼から肩を叩かれた。
手を合わせお辞儀をしている。
守「いや、いいって。乗れんかったやん。ごめんな。うまく説明できんで。」
それでも彼は頭を下げている。
守「はは。また機会があったら教えちゃあ。」
守は彼に手を振った。
彼もそれを見て手を振った。
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ある帰り道、彼は自転車に乗っておらず、ベンチに座っていた。
不思議に思い、守はそのベンチに近づいた。
守「おう。どうしたん?」
彼はそれに気づかず、首を下げたままだった。
守「お、おい。」
と、彼の肩を叩くと、びくっと反応した。
守「や、すまん。」
守は謝った。
しかし、彼は守を見て満面の笑みを浮かべた。
守「えっと、どうしたん?今日自転車は?」
と、守は自転車を漕ぐジェスチャーをした。
彼はじっとそれを見て、おもむろにメモ帳を取り出した。
そこにペンで文字を書き始めた。
『わたしきょうあれとられた』
守は不思議そうにそのメモを見る。
それに気づいた彼はまたメモを書き出した。
『わたしみみだめ』
と少し悲しい顔で守に見せてきた。
守「え?」
守はとても驚いでいる。
あっと彼は思い出したようにメモを書き出す。
『わたしGeorge』
口パクで守にジョージとゆっくり言った。
守「じょ、ジョージ。」
ジョージ『わたしみみだめだけどはなししてくれてうれしかった』
守はしまったと思った。彼が聞こえてないとは。
守「…ごめん。」
と片手を切り、申し訳なさそうに頭を下げた。
ジョージはそれを制止する。
ジョージ『わたしおかねない』
ジョージ『だからてでことばつたえられない』
ジョージ『でもあなたこえかけてくれた』
ジョージ『うれしかった』
と、守に見せてくるのであった。
それが守にも嬉しくて、少し笑った後に、泣きそうになった。
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守『George。きこえないってどんなふう?』
ジョージ『わたしはずっとうみのおとがきこえる』
守「…海…?」
ジョージ『うみのなみがずっとなる』
彼は笑顔を絶やさない。
守「…海、行きたいな。」
ぼそっと言うと、ジョージは守の肩を叩き、なに?と言うふうに返した。
守はペンを取って、ジョージのメモ帳に書く。
守『うみいきたい』
ジョージ『でもわたしあれがない』
と、ジョージは自転車が盗られたことを申し訳なさそうに謝ってきた。
守「はぁ?」
守『ものをとるやつがだめだ』
と守はメモを書いたあと、ジョージに向かってばつ印を手でした。
ジョージは笑っている。
守『おれ』と自分に指を刺す。
守『もっといいのがあるんだ。』
ジョージはキョトンとしている。
守『ちょっと待ってて』
と、守はその場から離れた。
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守「よ、お待たせ。」
と守はバイクに乗っていた。
ジョージは目を輝かせていた。
そして、ジョージはバイクに近づき羨ましそうに見ていた。
守はジョージの肩を叩き、ヘルメットを渡した。
そして、後ろの席を指差した。
ジョージは嬉しそうに、急いでヘルメットを被り、後ろの席に座った。
守「いくぞ。」
と、後ろのジョージに挨拶を送ると、そのまま発進した。
海に着くと、ザザーンと波が砂を擦る音が聞こえる。
守「おぉ!」
守はテンションが上がっている。ジョージは笑顔を絶やさない。
守はジョージの肩を叩き、メモ帳を催促した。
守『うみだ』
ジョージはうんと首を縦に振った。
守『ジョージといっしょ』
ジョージは嬉しそうに一層首を振った。
2人は波際に近づきそこに腰を落とした。
ジョージは守の隣でメモを書いている。
書き終わると守の肩を叩く。
ジョージ『わたしかぞくいる』
ジョージ『でもおかねない』
ジョージ『しごとするためにあれがいる』
ジョージは少し真剣そうな顔で見せてきた。
守「大変だな…。」
守はメモ帳を受け取った。
守『おれはかぞくなくした』
守『いきているけどとおくにいる』
守『おれのこどもはじてんしゃにのれなかった』
守『まだちいさかったから』
守『おれはこどもにきびしかったみたいだ』
それを見たジョージはとても悲しい顔をした。
そして、突然守に抱きついた。
守「お、おい。なんしよんか。」
と、守は困惑した笑いをしたが、次第にその優しさに少し目頭が熱くなった。
しばらくして、がばっとジョージを体から剥ぐと、
守「キモいっちゃ。」
と、笑顔で言った。
ジョージも笑顔で2人して笑っていた。
砂浜の端に自転車が落ちていた。
壊れていないかどうかなどわからないが、自転車を彼に教える絶好のチャンスだと思った。
ジョージの肩を叩くとその自転車を指差した。
ジョージは手を交錯するように振り、ダメだよとジェスチャーをした。
守「はは。いいんだよ!」
と、守は立ち上がった。
守はその自転車を立ち上げて、ジョージに見てろよとジェスチャーを送った。
そして、その砂浜でいつも通りに自転車を漕ぎ出した。
タイヤが砂に取られ、守はあっけなく地面に転んだ。
ジョージは心配そうに近づいてきたが、
守「い、いてぇ。」
と仰向けになり、笑い出した
ジョージもそれを見て笑ったのだった。