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桜の樹の下の死体の私

作者: 村崎羯諦

 桜の樹の下には死体が埋まっている。そんな有名な言葉があるわけですけど、桜の樹の下に死体として埋められたことあるよーって人います? まあ、そりゃいないですよねー。何でこんなことを突然聞いたかというとですね、まさに私がそんな状況になってるんですよ。想像できる?


 事の発端は私なんだよね。当時付き合いたての彼氏に「私が死んだら死体を桜の樹の下に埋めてね! てへぺろ」なーんて、ゆるふわウェーブが似合いそうな私立文系文学部の近代日本文学大好きっ子ちゃんみたいな痛い甘え方をしたのが原因だってのはわかってるわけ。でもさ、普通それを真に受けるわけないじゃん? 彼氏の家のロフトから転落死した後、彼氏が頭を抱えながら部屋を出て行ってさ、警察を呼びに行ったのかなーって思ってたら、近くのコンビニででかいスコップを持って帰ってきたでしょ。死んだ直後で瞳孔が開きっぱなしの目ん玉が、マジで飛び出るかと思ったわ! ドライアイなのにどうしてくれんの!


 そもそもさ、私が自宅で事故死した状態で、なんで一年以上前の私の冗談を思い出す余裕があるわけ? 頭から血が出してる死体を目の前にして、そういえば一年前に律子はあんな冗談言ってたなーって思い出に浸ってる場合じゃなくない? そういうのは、私が死んで数年経った後に、新しい彼女ができて、その彼女と本屋デートをしている時に、梶井基次郎の小説に目が止まって、そこで初めて私が言った冗談を思い出してふっと笑みが溢れて、「どうしたの、康太くん?」ってその彼女から聞かれるけど、「なんでもないよ」って物憂げにため息をついて、「嘘! そんな切なそうな表情して、はぐらかさないで!」ってダメ男に尽くしがちな彼女が催促して、初めて昔付き合っていた私との思い出をロココ様式並みに飾り付けして話すんだよ!


 まず、言っておく! あの冗談はあんたが文学少女がタイプなんだって言ったから、気取った喫茶店のメニュー並みに少ない教養から搾り出して言った私なりの文学少女ジョークであって、本当に埋めて欲しいだなんて思ってなかったから! 葬られ方で自分なりの個性を出そうなんてこれっぽっちも思ってないから、シンプルに火葬にしてよ! 火葬! そもそも何の届出もなしに、死体を桜の樹の下に埋めるって犯罪だからね? 私を埋めながら、桜の咲く頃に会いに来るからってやっすいセリフを言ってたけど、春が来る頃には死体遺棄の容疑で捕まって、刑務所の鉄格子の窓から春の訪れを知ることになるから! そりゃあ、私のためを思ってやってくれたことだし、一年も前に私が言ったこと覚えてくれたんだってちょっとだけキュンとしちゃったけどさ、バレたら逮捕じゃんか! もう私は死んじゃったから仕方ないとしてさ、頑張って捕まらないようにして!


 それにさ、普通死んだら幽霊になるって聞いてたんですけど。というか神様、色々と雑すぎる気がします。私の死体が埋まってる桜の樹から離れられないのは百歩譲ってわかるとしても、死体が地中に埋まってるくせにどうして桜の樹の付近だけはなぜか景色が見えるわけ? サッカー漫画でよくあるような俯瞰能力みたいなこと? 外の景色が見えるから、こうして三ヶ月経った今も精神状態だけは生前と変わらずにやってるわけですけど! でもさ、外の景色が見えてる分、色んなものが気になるわけ。


「ひっく、ひっく、あんなに好きだって言ってたのに……浮気するなんてひどい……」


 まさにこれ。いやね、私が埋められてる桜の樹の根元にベンチがあるんだけどさ、1時間前くらいから私よりちょい年下くらいの女の子がそこに座って泣いてるの。で、そこでずーっと浮気された彼氏への恨みつらみを繰り返し繰り返し言ってるわけ。どんだけ繰り返してるかっていうと、阿弥陀経で出てくる南無阿弥陀仏くらい。これ、私なりの仏教少女ジョーク。しかもこれはあれね、死んだ後も成仏できないという私が言うことで、さらに面白くなるというおまけつき。


 というか、周りに誰もいないのに、それなりの音量で独り言を言ってるこの子も相当やばくない? 私としては退屈が紛れて楽しいことこの上ないんだけどさ。色々と言ってやりたいことがあるわけ。話に出てくる元カレのたっくんとかいうやつはそもそも下心が口を動かしてるような類の男なんだから、そいつの好きとか愛してるとかって簡単に信じちゃダメだってこととか。厳しい親から躾けられたってことはあるかもしれないけどさ、そういうクソみたいな男ってあんたみたいな自己肯定感の低い女の子の敵でしかないわけ。


「もう死んじゃおう……」


 あーもう、そんな簡単に死ぬとか言っちゃダメだってば。見た感じ私なんかよりも可愛いし、男なんて星の数だけいるんだから。ほら、ブルゾンちえみも言ってるしょ? 世の中に男は35億いるって。でも、別にこの子がどうなったって、私には関係ない事だけどね。そもそも、桜の樹の下に埋められてる私にできることなんてないし。でも、私の経験上、こういうのは大体口だけで死ぬことの方が少ないから、泣きつかれたらベンチから立ち上がって、そのまま家に帰るでしょ、きっと。ほらほら、早速ベンチから立ち上がった。そして、はいはい、コンビニの袋からロープを取り出して、それを私の上に生えている桜の樹の枝にかけて、ご丁寧に靴をベンチに揃えて置いて……。


『ちょ、ちょっとタンマ!』


 え? ちょっと待って。今、私の声が聞こえなかった? 聞こえたよね? だってその証拠にほら、女の子もロープを握ったまま固まっちゃってるし。というか、なんでこの三ヶ月間、その事実に気がつけなかったんだよって感じ。目が見えてないと思っていた容疑者が、実は目が見えていましたっていう、古典的な叙述トリックじゃないんだから!


『……マイクテスト……マイクテスト……』

「だ、誰?」

『えー、信じられないと思うけど、あなたの目の前に生えている桜からお届けしてます』

「桜の樹から……? 桜の精とかそういう類のものですか?」


 うーん、そんな簡単にこの状況を受け入れているあんたもあんただけど、私は桜の妖精みたいな可愛らしいもんじゃなくて、アラサーOLの死体だからな……。正直に言っちゃおっかな……。でも、警察に通報されて、掘り起こされて、死体が見つかったら、私の彼氏も容疑者として事情聴取を受けて、取調室であんなことやこんなことがされるわけでしょ? 自業自得とは言え、屈強な警官から元彼がボコボコにされるのも見ていて気持ち良いものではないし、ここは適当に合わせた方がいいのかも。


『えー、出かける猫に行き先聞けば、旅行が好きでまたたびだ。どうも初めまして。桜の精、律子です』

「桜の精律子が一体何の用ですか!? 私、これからここで首を吊って死んでやるんです! 邪魔しないでください!」

『まあ、そりゃそうだけど、目の前で首吊り自殺される桜の精の立場になってみてよ。それにさ、しょうもない男に振られたくらいで簡単に死んじゃダメだって』

「たかが植物に私の何がわかるっていうんですか!最初はあんなに好きだって言ってくれたのに、私の友達と一緒に手を出して、挙句の果てには─ ─ ─ ─ ─」


 あー、聞いた聞いたって。いや、こうして話すのは初めてだけど、それってずっとそこにベンチで繰り返し繰り返し独り言を言ってたやつでしょ? そうそう、そこで友達の女の子と、その子の従姉妹が出てきて……あ、でもちょっと待って。そこのくだりは初めて聞くかも。え!? はいはい! えー!! その友達のおばあちゃんの家でそんなことを……!


「─ ─ ─というひどいことを私はされてきたんです!」

『そんな……おばあちゃんの仏壇前での一言が伏線になっていたなんて……!』

「わかってくれますよね? だから、私はたっくんにどれだけ私が傷ついたのかを知らしめるために死んでやるんです!」

『いや、まあでも、気持ちはわかるけどさ……。今は死にたいって気持ちでも、時間が経てば気持ちも楽になるし、気長に待っていればいつか新しい出会いがあると思うよ? ほら、ブルゾンちえみも言ってるしょ? 世の中に男は35億いるって。私もそれなりに恋愛をしてきたわけだからさ、そういうのはよく知ってるわけ』

「桜の樹なのに、そういう経験があるっておかしくないですか?」

『えーと、ほら。今はこうやって腰を落ち着けてるけどさ、昔はオスの桜相手にブイブイ言わせてた時期もあるのよ』


 オスの桜って何よみたいな顔をしないでよ。こっちだって頑張って桜の精キャラを作り上げてるんだから。まだ設定が固まってない、養成所出立てのキャラ芸人を見る時のような優しさで受け止めて!


『まあ、でもさ、さっき言ってたことは本当だからね。今は死にたい気持ちになってても、時間が解決してくれるってことは往々にしてあるの。特に恋愛の悩みなんてものはね、時間が経って振り返ってみたらなんであんなに深刻に悩んでたんだろうって笑える日が来るって』

「そんなこと言われたって、辛いものは辛いんです。無責任なこと言わないでください」

『じゃあ、わかった。あと二週間だけ自殺するのは待って。その間に悩みが解決するかはわからないけど、二週間だけ私のために死なないでほしい。いわゆる約束ね。自殺はせず、二週間後に、もう一度ここに来るっていう約束。ね? これくらいだったらできるでしょ?』

「二週間後もまだ死にたい気持ちでいたらどうするんですか?」

『うーん。そしたらまた二週間後に会う約束をして、その間に死ぬのはやめてってもう一回お願いする感じかな……』

「私のために……そんなに考えてくれるんですね……」


 うん、まあ、そうだね。ほっとけないっていうのはもちろんあるんだけど、目の前で死なれるのは嫌だし、あと正直桜の樹の下に埋まってるだけだと超退屈だっていう理由も大きいんだよね。でも、それで自殺を踏みとどめてくれるのであれば、ウィンウィンということで。


「ありがとうございます。桜の精律子さん。色々と話を聞いてもらったら、ほんのちょっとだけ気持ちが軽くなりました。まだどうしようもなく辛い気持ちなんですが、この二週間だけは自殺はしないようにします」

『いいってことよ。お姉さんの胸にどーんと飛び込んでいらっしゃい』

「でも、どうせなら、桜の精からのありがたいお言葉が欲しいです」

『お言葉?』

「何月何日に運命の人と出会えるだろうとか、何なにをすれば道が開けるとか……迷える子羊に何かお言葉をください……!」

『私にはそういう霊的なものは備わってないんだけど……とりあえずマッチングアプリでも始めたら?』

「ありがとうございます!」


 ありがとうございます! じゃないって! いや、満足してくれたんだったらこっちも桜の精律子としては万々歳なんだけどさ! ほらほら早く行った。そんなに頭下げなくていいから。あー拝まなくていい、拝まなくていい。うーん、正直桜の精って適当なことを言ったのは微妙だったかも。それに、桜の精律子って意味わからないんだけど……。サービス終了間近のソシャゲに追加されるイベントキャラみたいな名前だし……。


 まあ、でも。ちょっとは気持ちが晴れたようで良かった。桜の樹の下に埋もれたままでも、案外できることがあるんだなって思っちゃう。正直、死んだんだったらこんなに意識がはっきりしてる必要ないじゃんって思ってたけど、さっきみたいに誰か困ってる人の助けになれたんだったら、それも悪くないのかも。とりあえずまた二週間後にはもう一度来てくれるっぽいし、今の私にできることは、彼女の気持ちが少しでも前向きになれるようにお祈りすることくらいかもね。




*****




「桜の精律子さん! ありがとうございます! お言葉通り、マッチングアプリを始めたら、素敵な人と出会えました!」


 ……うん。よかったね。いや、そんな眩しい表情でその人の良いところとか説明しなくても大丈夫だから。桜の精律子さんも、どういう人か知りたいですよね? じゃないから。えーなになに、お相手はプロレスラーで、身長が190cmあって、日本とブラジルのハーフで、ブラジルの親戚が政敵にはめられて収監中で……ごめん、それはちょっと気になるかも。


「本当に桜の精律子さんのおかげです。あんな駄目男のことでぐじぐじ悩んでた私が馬鹿みたいですし、ずっと元彼のことを引きずってたら、今の彼ともきっと出会えなかったと思います。感謝しきれてもしきれません」


 私も正直もっと長いスパンで付き添ってあげなきゃなーって思ってたから、そんなに早く立ち直ってくれて感謝しきれてもしきれないよ。次に慰める時に使おうと思ってた、渾身の名言は私の胸の中にしまっておくからね。あーでも、何だかんだ心配してたから、こうやって嬉しそうな表情で話してくれてるのを見ると、すっごいホッとするな。


「それでまた別の話なんですけど……実はここでのお話を友達にしたんです。恋愛について悩みに相談に乗ってくれて、しかも無料だっていうこの桜の樹の妖精さんの話を」

『間違ってはない。うん。間違ってはない』

「そしたら、その子も実は最近悩みがあって、それを誰かに相談したかったらしいんです。悩みを聞いてあげてくれませんか?」


 そんな公衆悩み吐き捨て場みたいな扱いされるのは本望ではないですけどね! でも……正直、そう言ってくれるのはちょっとだけ嬉しいかも。いや、私も死体として埋められる前まではさ、女友達の相談によく乗ってたわけ。周りにちょっと精神的に不安定な子が多かったていうのもあるけどさ。


 だから、こうやって死ぬ前と同じことしてると、すっごい不思議な感覚がするんだよね。本体の死体は桜の樹の下に埋まったままだけど、私っていう存在がずっと地続きで続いているような、そんな感じ。桜の樹の下の死体の私なりに、無料で恋愛相談ができる桜の精としてこれから新しい毎日を始めるのも楽しそうじゃん。


『いいよ、どんな悩みなわけ?』

「その友達には、最近気になってる男性がいるんです。その男性は職場の同僚で、前はそこまで意識していなかったらしいんです。でもですね、最近その人がすごい思い詰めているみたいで、その子はそれを気にかけて声をかけているうちに情が湧いちゃったっぽいんです。その男性なんですけど、何か隠し事をしているというか、誰にも打ち明けられない秘密を抱えて悩んでるような、そんな感じで苦しんでるみたいだってその子は言ってるんですよ」

『うーん、秘密って言っても、それだけじゃね。どういう秘密かなのかわからないとどうも言えないよ。ヒントとかないの?』

「えーっと、一つだけ聞きました。その友達が気分転換にって本屋デートに誘ったらしいんですけど、ふと気がついたら、その人が文庫本の棚のところで立ち止まってたんです。何見てるのかなって彼女が視線の先を追ったら、梶井基次郎?っていう昔の人が書いた小説を深刻そうな表情で見つめてたそうなんです。あまりにも深刻そうな表情だったから、どうしたの?ってその子は聞いたんですけど、なんでもないよって物憂げな表情で答えるだけではぐらかされちゃったんですって。その子が頑張って教えてって言っても、絶対に教えてくれなくて……その子も感受性の高いすごく優しい子だから、彼が苦しんでるのが見てられないんって言ってるんですよ」

『……』

「どうしたんですか、桜の精さん。黙っちゃって」

『まあ、とりあえずはその子をここに呼んだらいいんじゃないかな。可能であれば、その苦しんでるとかいう男性も一緒に』


 聞いたことがある。いや、聞いたことがあるというよりかは考えたことがある? いやいやまさかね。


「でも、その人の秘密ってなんでしょうね? 最近彼女と別れたとか、家族が重い病気とか?」

『私もわかんない。わかんないけど、ひょっとしたら……』


 いや、本当にひょっとしたらだけど……。


『その彼の秘密っていうのは、元カノの死体を桜の樹の下に埋めたとかじゃないかな?』

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