2-32 証明不可
目を開けたつもりのアランが最初に見たのは、自分に対して身構えている、服の至る所が無くなり、体中から血を流したソフィアであった。そして視界から消えたと思うと、脇腹への強烈な衝撃と共に横に吹き飛ばされた。
そこでアランはやっと、自分の体中に走る痛みに気がついた。その痛みに声も出せず蹲ることしか出来ない。呼吸をするのもやっとという状態であった。そんなアランを見て、ソフィアも落ち着いたようだった。
「アラン、戻りましたのね」
アランの様子を見てもなお、警戒を解かずに少しづつアランへと近づいていくソフィアだったが、あまりの痛みに身動きひとつとれないままのアランを間近で見て、警戒を解きアランに触れた。
「いっそ意識を無くせた方が楽かもしれませんね」
体の中への衝撃と共に、アランが最後に聞いたのはソフィアのそんな言葉であった。
何度見た風景だろうか、牢屋のような石でできた部屋、そして顔を上げると鉄格子越しにクリムがいる。それだけの風景に、アランは安心感を覚えた。
「僕は」
「あの女が、正気でない者に対して容赦ない性格だったのが救いだったな」
「どこから、おかしかったのかな」
「私の声が届かなくなったのは、バロワの女と別れた後だ。それでも意識はそこに座ったままで、視界は共有していたがな」
「じゃあ、僕に何が起きてたかは分からない?」
クリムにしては珍しく、酷く悩んでいるように見えた。少し無言の時間が流れた後に、クリムは口を開いた。
「私の声が届かなくなり、そして、お前の声も聞こえなくなった。しばらくすると、座っていたお前が目を開いて私に笑いかけた、それだけだ。しばらく呼びかけたがそれ以上反応が無くてな、あの女にお前が魔術を使い始めた時は、多少焦った。お前でない何かが、お前の目が記憶した魔術を使っていたようだった。あの女でなければ、殺していたな」
「司書室に戻ろうとした時に、管理者、そう名乗る何かと話したんだ。その時にはもう」
「だろうな」
「僕、もしかしたらとんでもない事をしたのかも」
「なにやらとんでもない魔力を破壊していたな。だがあの規模となると、後戻りは出来んだろう。後悔をしても無駄だ。あれが何かを判別できる者と話せればいいがな」
「クリム、今日僕は聖皇と会うんだ。うん、名前も聞こえないあの人と」
「そうか、その管理者とやらの事が、何か分かればいいがな」
アランの意識がクリムの元から戻ってきた瞬間、自分の体を襲う痛みに声を上げることになった。その声も、呼吸も最小限にしなければならないほどの痛みに耐えながら目を動かすと、自分のベッドであることがわかった。
この痛みでよく気を失えたものだと内心笑っていると、部屋の扉が開く音がした。
「目覚めたのかいアラン。ずいぶん痛めつけられてたね」
「少し苛立ちを乗せすぎましたわ。気を抜ける戦闘でもなかったので許してください」
「ソフィアが死の危険を感じるだなんて、またとんでもない魔術を使えるもんだね」
アランの返事もない事で声を出せない事を悟ったのか、アンリとソフィアはアランの顔の向いている方に歩いてきた。
「アラン、聖皇がこっちに来てくれるみたいだからね。サラの嬢ちゃんに後は頼んでるから、彼女の魔術を破壊して呼べば、後は向こうがいろいろやってくれるよ」
アンリはアランの頭を撫で、部屋から出ていった。その後ろに立っていたソフィアは、アランの枕元に部屋にあったイスを持ってきて座った。
「今はお昼前です。無理やりに体を動かしているように見えましたので、もう少し休息を取らなければ動けないでしょうね。
ああ、その前に痛みで声も出せませんか。手を抜けば一瞬で塵になるところでしたので。これでも最大限、できる限り壊さないように気を使ったのですからね。
おばあ様の言う通り、私でなければ死人が出ていたでしょうが、結果として怪我人のみで、それもアランと私だけですので、周りを心配する必要はありませんわ。
アランに何が起きていたのかは分かりませんが、管理者とやらも聖皇も、どこか怪しいですわね」
おやすみなさい、ソフィアはそうアランに笑いかけ、頭を撫でると部屋から去っていった。アランは1人静かになったベッドの上で、体の痛みに耐えながら管理者から聞いた話を思い返そうとした。
そこで違和感に気がついた。以前は見ることができなかった壁の向こうの森、モヤがかかっていたはずなのに自分の記憶になぜか残っている風景。なぜモヤが晴れて見えたのか。
クリムが中にいるからモヤがかかって見えていたのか、クリムが自分を通して外を見ているのではなく、自分がクリムの視界を通して世界を見ていたのではないのか。管理者に操られていたのかは分からないが、もしそうだとすれば、モヤが晴れて森が見えていた事にも説明がつくのではないのか。
考えれば考えるほどに今までの自分が崩れ落ちていきそうな感覚に陥ってしまう。現状、管理者の言葉を信じることはできなくなっている。考えをそちらの方面に持ってきて落ち着きをもとうとしたその時、記憶に穴が空いた気がした。
自分はそれに何を言われたのか、聖皇とはなんなのか。聞いたはずの話が、本当に聞いたのか不安になるほどに思い出せなくなる。それを見たことははっきりと覚えている。忘れる訳が無い。
アランが見た記憶と聞いた記憶を結び合わせようと必死になればなるほどに、聞いた記憶ばかりが消えていく。そしてアランは体を襲う倦怠感により気を失った。