1-6 最悪の朝
よろしくお願いします
そこは薄暗い地下牢のような場所だった。
鉄格子が何重にも設けられている、まるで何かを捕らえているかのように。
鉄格子の向こう側、暗闇で見えない奥の奥から何か音が聞こえてきた。
それは鎖を引き摺るような音、そして何かの唸り声も。
闇が深すぎて何も見ることはできない。
まだ向こう側もこちらを認識はしていないのだろう。
気がつけば音は何も聞こえなくなっていた。
その日のアランの目覚めは最悪であった。窓を見ると雫がついている。夜中に雨でも降ったのだろうか
前日昼過ぎから夜遅くまで歓迎会という名の宴会で騒ぎすぎてしまったからだろうと自分を納得させた。
何か嫌な夢を見た気がするが、内容を覚えてはいなかった。
隣のベットには既にクリスの姿はない。微かに水の流れる音がする。風呂にでも行ったのだろうか、アランもまだ時間に余裕があったため汗を流すことにした。
クリスは既に脱衣室にいた。
「やあアランおはよう、よく眠れた?今日はひたすら授業の説明を聞くだけだと思うから寝ちゃわないようにね!」
「おはようクリス君。よく眠れたよ。だから授業は大丈夫かな」
「それならよかったよ。制服に着替えたら一緒に食堂に行こうか。朝ごはんも豪華だからね」
シャワーを浴び、制服に着替え部屋を出るとクリスと、ソフィア達女の子3人が待っていた。
「すみません、お待たせしてしまったみたいで」
「いえいえ、そんなことはないですよ。時間にはまだ余裕がありますからね。さあみんなで一緒に食堂に行きましょう。勝手が分からないと思いますから」
「えっと、あとの2人は」
「ヴァン先輩もディー先輩も、みんなが登校し終わった時間帯くらいに起きてるらしいよ。授業は受けてないしね」
「あの2人も夜には出てきますわ。心配はいりませんのよ」
寮では、基本緊急を要する事態以外での転移陣の使用は認められていないため、陣が置いてある部屋には鍵がかかっている。
毎年新入生を迎える際は使用の許可がおりるようになっている。
要するに、今から19階分もの階段を下ることになるのである。贅沢をしている分のツケです次第に慣れますわ、とソフィアは笑っていた。
アランとリンは階段を降りきるころには目が回っているかのような感覚になっていた。それもまた慣れるから頑張れ、と3人は懐かしむように笑っていた。
「昨日のような会の時とは違って、寮は3食全てバイキング形式ですわ。ちなみに深夜以外は常に解放されてますの」
アラン達5人はそれぞれ大皿に料理を乗せ、席へと向かった。既に何人もの学生がご飯を食べたり、友人と雑談をしている。始業にはまだ時間の余裕がある時は学生の溜まり場になっているのだ。
アランは、昨日の歓迎会の時からであるが、やけに視線を感じていた。コソコソ話も聞こえる気がしている。それも嫌な部類に入るものを。
「アラン、気にするなよ。6賢人の血筋に取り入りたい家の奴が、僻んでるだけだから。
しかもあのシャルル卿の推薦枠ともなると尚更そういう奴が増えるのさ」
「絡まれても無視して構いませんからね。手を出したりは、その後が怖くてできないでしょうから」
「それなら、いいんだけど」
「それよりもリンちゃんと仲良くしてあげてね、せっかくの同期なのですから」
アランは、今日出会ってから一言もリンの声を聞いていないのを思い出した。そんなリンは、ひたすらに皿を向いて顔を上げる気配は一切なかった。
「私たちだけのときは、お話できるんですけどねリンちゃん。アランはいい子だからすぐ仲良くなれると思うよ?」
「は、恥ずかしくて、あと、やっぱり危ないから」
「大丈夫だよリンちゃん、こう見えてアランは、あのルノーさんに魔術の基礎だけだけど、手ほどきを受けて、しかも褒められてるんだから、教えてもらえばいいのよ」
アランは知らなかったが、フェルとルノーの2人はシャルル卿が自らスカウトした弟子である。
シャルルが弟子と呼ぶ存在は多数いるが、ほぼ全員が売り込んできた者たちであって、わざわざシャルル卿自らスカウトしたというのはこの2人しかいなかった。
そのためこの2人から指導を受けるというのは、シャルル卿も認めた実力者からの指導、となり、普通の魔術師からしてみれば羨ましいなんてものじゃないのである。
リンは下を向いたまま口を開いた
「そ、それはすごいね。でも...」
「座学はサミー様が担当なのでしょ?それと知っての通り、フェルさんが実践魔術の授業を受け持つのですから大丈夫ですよ」
「自己紹介の時も言ってたけど、何が怖いの?リンさん」
「私、魔術下手なの。杖を使っても、全部思ったようにいかないの。お父様を、みんなを、何回も、傷つけた」
それっきりリンは話さなくなってしまった。ソフィアとニコラはリンを撫でて慰めていた。
なかなかに微妙な空気の中時間は過ぎ、食堂にいた学生たちも教室に向かう者が増えてきた。ソフィアの一声で5人もそれぞれ教室に向かうことにした。
アランはリンと2人で教室への長い廊下を歩いていた。
「ねえリンさん、僕がルノーさんから魔術を習ったとき、1番初めにこう言われたんだ『魔術に対して傲慢であれ。下々に命令を下すかのように』って」
「えっ」
「『礼を失すれば自らに呪いとなって返ってくるがな』とも言ってた。僕は魔術のこと基礎しか知らないからこれ以上は何も言えないけど、覚えておいて損はないと思うんだ」
「ありがと、気を使って、くれて。覚えとく」
2人は並んで、少しばかり騒がしい教室に入っていった。
既にサミーが来ており、学生もほぼ全員が揃っていた。皆、自分の同室の先輩の名前を言い合ったり、サミーに質問していたりと、アランとリンを除けばすっかり打ち解けている雰囲気であった。
リンはその性格上、話しかけられないのは返って気楽であったので全く気にしてはいなかった。
アランもなんとなく雰囲気を察していた。自分の存在は異質なものなのだと。シャルル卿の推薦枠という話は既に知れ渡っている。いい意味でも悪い意味でも目立ってしまっていた。
「こんな奴があのシャルル卿の推薦枠など笑わせるな」
「今からでも代わってやるぞ!」
だからであろう、それがシャルル卿をも軽んじることになるとしても絡んでくる者はいるのである。まだ12歳の少年少女であるから仕方がないことではあるのだが。
教室の前方ではその話し声を聞いてサミーが頭を抱えているのが見えたが、アランはルノーから、『そんなガキ達は無視しろ。たとえガキとはいえ自分を律することの出来ない愚か者は魔術師として大成せん。時間の無駄だ』と聞かされていたので全てを無視していた。
アランとリンが席についたところで始業の時刻を知らせる鐘が鳴り響いた。
「さて、皆さん揃っていますね。今日から授業が始まります。午前2コマは座学についての説明と教科書の配布、午後2コマは魔術と近接格闘術の授業についての説明です。
午後からの集合場所は私が案内するので1度ここに集まってください」
サミーは足元に置いてあった箱を持ち上げ教卓に置き開けた。
「これから教科書を配ります。教科書は在学中全学年で使うものですから無くさないようにしてください。学費や寮費だけでなくその教科書も寄付されたお金で買われたものですからね」
箱からでた教科書が宙を舞ってそれぞれの前に落ちてきた。
「この1年間で進むのはその3分の1程度だと思っていてください。人によって修学度が違うと思いますが、魔術の基礎になることなので、全員が理解してから次に進めるように授業を展開していきます」
その後も授業の進め方や内容の説明、そして魔導院での生活についての話まで、とにかくサミーはその口を止めることなく、授業終わりの鐘がなるまで話し続けていた。
まだ1時間半の1コマが終わっただけのはずなのに教室は机に突っ伏した学生で溢れていた。情報量の多さに皆頭がいっぱいになっているのである。
話し続けていたサミーは鐘がなったから一旦止めるか程度にしか思っていなかったのだが。
「10分休憩が明け次第、皆さんの質問を受け付けます。ないようであれば学院内の主要施設の案内をしますので、お手洗い等行きたい人は今のうちに行っておいてくださいね」
鐘が再び鳴ったところで、質問をする元気のあるものなどいなかった。聞かされた内容を頭の中で整理することで精一杯であった。
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