開拓村の昭和30年、行商さんがやってきました。行商群像、点描 続・小夜物語 続編第3話
そこはとある田舎の県の開拓村だった
お店といえるようなものはほぼ存在しない、開拓村だった、
昭和30年わたしはそこで少年時代を過ごしていた。
そこは、その県の県庁所在地から単線のローカル電車にごとごと揺られておおよそ、、2時間
山間部の無人駅に付いたら、、そこで降りて、、山道を小一時間も歩くと、我が家が見えてくる、
そんな開拓村だった。
其処は山間が開けて、、広大な平地となっており、手つかずの雑木林がうっそうと広がっていた。
そんな場所に開拓農民の村があった、点在する農家と、畑と、そして少し下った駅周辺に
ちょっとした町並(というほどのものではないのだが、、、)があったのだった。
其処には雑貨屋とか、商店があった。だがそこまでは歩いて我が家から1時間である。
抑々、我が家は開拓農民ですから、ほぼ自給自足生活でした。農産物(コメ麦など)を売った時に
お金が入りますがそれもまあ年に一度ですし、普段はいっさい、
現金収入もありませんし、まさに自給自足の生活でした
だが
そんな辺鄙な田舎の村にも行商さんがやって来るのだった。
その行商さんたちの諸相を無作為に思いつくままに、点描してみましょうか。
コンニャク売り、、、、、、
オート三輪の荷台に杉の木の箱を乗せてきました、
そこからこんにゃくの大きなブロックを売るのです。
大きさは30センチ×15センチくらい
厚さは10センチくらいあります、カーキ色の米軍放出?の作業服を着た
ねじり鉢巻きの威勢の良いおじさんでした。そのおじさんは米・麦との物々交換もOKでしたよ、
かなり遠方から来て、この県の山間部一帯を回って売っていたようです。
干物売り、、、、、、、、、、、、、、、
背負子(箪笥状の)を背負って秤をもって歩いての振り売りですね、
たしか着物(刺し子)みたいのを着ていたおじさんでしたね、
背負っていたタンス状の箱を縁側において、引き出しをあけると。ぎっしりとさんまの干物だとか
丸干しイワシだとか、入っていました、私の村はそれこそ山奥の寒村ですからこうした魚などは当時めったに見ることも食べることもありませんでした。で、とても貴重品でした。
自給自足で現金は米や麦を収穫して売った時しか入りませんので、原則「つけ買い」でしたね。
分厚い帳面に筆で記帳しておいて、次回来た時に払うのです。
今から思い出してみれば干からび切ったカチカチの干物でしたが焼くと海の香がして、少年の私にはトンデモナイごちそうでしたね。この行商さんはなんでも出身はこの村で、、行商は町の問屋から仕入れて、この県や隣県の山間部を回っているそうです。
リンゴ売り、、、、、、、、、、、、、
珍しい行商も来ました、なんでも青森からトラックで来たそうです
かなりガタの来た、古いトラックにリンゴ箱いっぱいのっけてなんでもリンゴが大量に売れ残ったので遠いこの県まできて売り歩いてるそうです。言ってることがほんとかどうかはわかりません。
このリンゴ売りですが来たのはこの一度きりでした、箱売りでしたので結構値が張り買えませんでしたが。カーキ色の作業服着たおじさん二人組でした。
富山の薬売り 、、、、、、、、、、、、、、、
私が幼い頃、この村には医者なんてありませんでした。
何しろ開墾地ですから、今でも開墾地には医者はありませんが、
5キロ歩いてローカル線の無人駅に行きそこから電車に乗って、街まで行かなければ病院なんてありません、さてそういうわけで、開墾地では、病気になっても原則何もしません、
ただ寝てるだけです。あるいは鶏卵を食べたり民間療法などや薬草を山から取ってきて飲んだりします。たとえば腹痛にはゲンノショウコ、などといった具合です。
ところで昭和35年ごろになるとさすがに経済も向上してきて、
この開墾地でも置き薬を置く家が増えてきました。
置き薬とは、富山から薬売人さんが行李をしょって、春・秋2度来るのです、
そして箱入りの薬のセットを置いていくのです。
そして使った分だけその次に来たときに支払うという仕組みなのです。
医者もなければ薬局なんて遠い町に一軒だけという開墾地ではそれは重宝されました。
そして、それはまさに文明のかおりの魔法の箱だったのです。
私の家でも母の決断で置き薬を置くことにしたのです。
その実物がなんと今もまだ、押し入れの奥にほこりをかぶって現存していました。
懐かしくて、、取り出して開けてみると、、
何と、、当時の薬もそのままに入っているんですよ。取り出して調べてみると、、
なにやら怪しげな?薬もあって、、薬箱には当時の明細書も入っていてたとえば、、、、こんな薬が入っていますね。、
万病感応丸
救命丸
シンネツ風薬
サントニン虫下し
清涼丹
神薬
マーキロ赤チンキ
ケロゲン
ミローン
ズバリ
ペニシリン軟膏
鯉肝丸
トクホン
目薬
赤玉はら薬
セキドメ
実母散
ユイツ
ケロリン
ノーヤク
六神丸
あんま膏
朝日万金膏
仁丹
正露丸
などなど、、、、、
この富山の薬売りは、背中に大きな柳こおりを大風呂敷にくるんで背負い
春・秋、それぞれ一回やって来るのですね。
来るとおまけに紙風船をくれたものです。
四角の薄紙の紙風船。
息を穴から吹き込んでは、膨らませて遊んだものでしたね。
それも薬箱に入って残っていました。
あと、髪留めというかピンもおまけにくれました、さび付いたそれも薬箱の中にありました、。
さて、これらの薬の中で私にとって今だに神秘的で謎なのが
「神薬」です。この薬箱の中にも残ってますが中身は空っぽです。
これは今でも売っているそうですが?
まずそのネーミングに魅了されました。
神様の薬なのですよ。神の薬ってすごいと単純に思いましたね。
効能は胃痛、食あたり、船車の酔い、暑気あたり、胸つかえ、めまい、気付、そっとう、痰、咳とあり、まさに万能薬?
当時、、私はこっそり開けてみました。
するとなんというのでしょうか、
ぷーんと、えもいわれぬ芳香が立ち上ったのです。
気持ちをトリコにするような香り。
後年、ETAホフマンのゴシック小説『悪魔の霊薬」を読んだとき
メダルドウスが霊薬のふたを開けて、芳香に酔いしれるという場面で『これだ!』と思いましたね。ちなみに神薬は濃いブルーのガラス瓶高さ5センチくらいのに入った舐め薬ですよ。
水あめ状の薬です。添付の小匙で掬って舐めるのです。
この芳香は今、成分表を見ると、芳香チンキと書いてあるのでそれでしょうか。
このにおいだけでも気分がすっきりします。
調べてみたらクロロホルム?のようですね。
その他、生薬も色々入っているようです。
これのトリコになった私は腹が痛いとか、うそを言っては母に
神薬を飲ましてもらいました。
添付のさじで舐めるのです。
とろりとした甘いそしてピリッとした刺激、そしてあの霊妙な芳香です。
こんなすばらしい薬はないと思いましたね。
頭が痛いといっては神薬。
暑気あたりしたといっては神薬、、、、。
あっという間にカラにしてしまったのでした。むかーしの懐かしい思い出の一コマです。
姫だるま売り、、、、、、、、、、
お正月が近づくとそれがらまりの、行商が良く来ますね、。縁起物売りです。母が出された姫ダルマがかわいいというのでへそくりで買っていました、高さ25センチくらいの男女の対のだるまです。刺し子?を着た職人風のおじさんが売り歩いていました、
万年筆売り、、、、、、、、、、
いわゆる「押し売り」です、昔はこういうのが結構いたのです、
万年筆工場が倒産?で大量に商品がある。だから買ってくれというのです。、ほぼ、うそだったようですね、あまり見かねない男が売り歩いていましたね。背広着て結構やさ男風です。
お正月飾り、、、、、、、、、、、、、、、
縁起物の葉ボタンの鉢植えとか、、松飾とか、井戸や便所のお飾りとかまあそういったものです。
職人風のこの県の町の人で毎年年末には売りに来る人です。農事暦も売っています
豆腐屋、、、、、、、、、、、、
これはもう週に一度来る人で、近くの町からリヤカーを引いてそこに豆腐を乗せてるのです、
常連さんですね。大きな桶?に豆腐が入っていて包丁で切って切り売りします、自宅のどんぶりにそれを
入れてもらうのです。
納豆や、、、、、、、、、、
これも豆腐屋んさんと同様です、なじみの行商さんです納豆はヘギで、三角に包んでありました、
藁づと納豆ではなかったですね。からしは別の缶人入っていて、それをへらで搔きとってつけてくれます。
紙芝居、、、、、、、、、、
子供相手の行商?も来ました、その代表選手が、紙芝居です。
月に一度くらい,村の神社のまえに来ます。
村童たちは、心待ちにして10円玉を握りしめて待つのです。
するとおじさんが自転車に一式積んで到着すると太鼓を叩いて村中に触れ回るのです
デッパドンドン デッパドンドン太鼓の音で子供たちが集まってきます。
当時娯楽といえば真空カンラジオしかありません、
新諸国物語とかそんなのを雑音だらけのラジオで聞くだけでしたから紙芝居はもう最高の娯楽だったのです。笛吹童子 オテナの塔 紅孔雀 懐かしいなあ、
紙芝居では黄金仮面?とか、黄金バットとか大人気でした。
紙芝居のおじさんは色眼鏡かけた、なんというか兵隊崩れ?みたいな人でした、
背が低くて猫背で、陣羽織?見たいのを着ていました、異様な?不思議な人でしたね。
独特のだみ声で、、黄金バットを語っていました、
赤・青の毒々しい?水あめや、ニッキジャムのをはさんだ薄焼きせんべいが人気でした。
やきそば売り、、、、、
どういうわけか不明ですが、、時々町からやきそば売りが来ました、
リヤカーを引いてそこに火鉢?がありそこに鉄板が引いてあってそこでやきそばを焼いて青のりとかちくわとか混ぜて売るのです、なぜ、やきそばなのか?私に聞かれても、わかりません。
石焼き芋だってよかったでしょうが、、でもサツマイモなんて開拓村では毎日主食で食べてるから、むしろそういう意味ではやきそばは珍しくて、、それなり人気があったようですね。
飴売り、、、、飴といっても、ブロック状の分厚いべっ甲飴を切り売りします、
籠売り、、、、かごは農家の必需品,修理もします
農具売り、、、、鋤・鍬の販売、
農具修理、、、村の鍛冶屋が定期的に回ってきて修理品を回収してなおして後日届けてくれる。
お祓い師、、、、この家は運気がうすい?とか言って御嶽教?の行者が払ってくれます。
屑屋、、、、、今でいえばリサイクル屋です。https://ncode.syosetu.com/n8348dx/
門付け師、、お正月などに来て芸を見せて家を御払いしてくれます、
獅子舞、、、、同上
物ごい、、、も、、たまには 来ましたね。
行乞僧、、、 玄関に立ち御経を唱えて喜捨を請う、托鉢ですね。
文鳥売り、、、鳥屋師が売りに来ます、
毒消し売り、、、おばさんが手ぬぐいを姉さかぶりにして、、作務衣?見たいのを着て
売りに来ます。
瞽女については、、私の家のような貧乏家には来ませんが、村長さんの家には毎年、数人で巡業に来ていて、泊りがけで芸をしていましたね。村長さん宅で見たことがありますよ。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、
そのほかにも、、行商さんは色々と来ましたが、
本日はとりあえず、、ここまでとします
それらについてはまたの機会に語りましょうね。
また思い出したら書き継ぎますね。
to be contineud
終わり
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