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これが報いと言うのなら

 

 ルルーディは課長席に戻り、通常の業務をこなしていた。六號から連絡が来るまでは、自分に出来る事は何も無い。壱號もいつものように課長席から少し離れた席に座り、積み重なった書類を前に淡々とタイプライターを打っている。四號は新月の席に座り、長い足を組んで目を閉じていた。


 ふと、目を上げて六課内を見渡す。先ほど逃げ出した鳥飼トリガイもいつの間にか戻り、澄ました顔で書類に万年筆を走らせている。代わりに狐塚コヅカがいない。彼は潜入予定先の調査を終え、近々潜る予定になっている。その事前準備でバタバタとしているのだろう。


 今度は目線を落とし、手元の報告書を見た。もうじき、また別の捜査員が戻って来る。珍しい、双子の捜査員だ。狐塚と同じく潜入予定先の内偵を進めていたが一度、鹿野シカノの元に『このまま潜る』という連絡が来た以降、音信不通になっていた。だがこの度いきなり帰還の意を記した報告書が届いたのだ。


鰐渕ワニブチ 茜音アカネと鰐渕 葵唯アオイ。あら、アオイさんが女性でアカネさんが男性なの? 年齢は……二十八歳。中堅どころね。頼りになりそう」


 ──日向ヒウカに赴任して以来、色々と考えさせられる事が増えていた。ここでの生活は、今やルルーディにとってかけがえのないものになっている。ルルーディは書類にそっと両手を置き、目を閉じた。


 彼らが安心して戻れるように、何もかも片付けておかなければいけない。


 ◇


「あ」


 狐塚が急に声をあげた。彼は数分前に六課に戻って来ていた。その狐塚の、黒鉄色の獣毛に覆われた尖り耳がピクピクと動いている。


「どうしたの?」

「廊下が騒がしいですね。例の副署長、いらっしゃったんじゃないですか?」


 ルルーディは一瞬眉をひそめた後、四號の顔を見た。四號は首を横に振る。六號からの連絡はまだ来ていないらしい。念話を送らせようかと思ったが、すぐに思い直した。今、六號は集中しているのかもしれない。だとしたら、邪魔をする訳にはいかない。


「……ともかく、六號さんからの連絡待ちね」


 はぁ、と溜息を吐きながら次の書類を掴んだ途端、机の上の電話が鳴った。右端にはめ込まれている小さな魔石八個の、上から五番目が淡く光っている。それは五課からの内線を示していた。


「はい、六課」

『あー俺だけど』

「……ミドリカワ課長。お名前はきちんと名乗って下さい」

『俺だってわかってんなら良いじゃないか。さすが、侯爵家ともなると厳しいなぁ』

「私の事を調べたんですか?」

『そりゃ調べるだろ普通。まぁ、やたら品のある女だなーとは思ってたけどな。まさかソリクトの名門侯爵家ご令嬢だとは思ってもいなかった』


 ルルーディは電話口でクスッと笑った。警察官になって初めてナルキ市警に配属された時、同僚達はルルーディを『お姫様』として扱っていた。決して邪険にされた訳でも仲間外れにされた訳でもないが、緑川のような雑な対応は一度としてされた事はない。


 けれど、なぜか今それがとても嬉しかった。


「ミドリカワ課長、そんな事をわざわざ言いに?」

『んな訳ないだろ。お前、これから貴賓室に来れるか? パゴス副署長が通訳にお前をご指名なんだよ』

「……え?」

『俺も側にいるから心配すんな。別に良いだろ? お前がそう優雅に構えてるって事は、この視察は本物だって事なんだよな?』


 緑川との会話でほんのりと温まっていた胸が、一気に冷たくなっていく。ディリティリオが既に署内に入り、貴賓室にいる? ではなぜ、六號は何も言って来ない?


「……ミドリカワ課長、ちょっと待って下さい。六號からまだ連絡が来ていないんです。確認するので何とか時間稼ぎをお願いします。パゴス副署長を絶対に貴賓室から出さないで下さい」


 ルルーディは電話を叩き切り、その勢いのまま立ち上がった。課内の全員が、不安そうな眼差しを向けて来ている。


「四號さん! 六號さんからは!?」

「いえ、まだ何も。課長、どうしたんですか?」

「……おかしいわ。ディリティリオはもう署内に入っているの。四號さん、急いで六號さんに念話を送って」

「わ、わかりました」


 四號は人差し指をこめかみに当て、目を閉じた。その眉間に、みるみる内に皺が刻み込まれていく。静まり返った六課内に、にわかに満ちていく緊張感。ルルーディは無意識に、胸元のリボンタイを握り締めていた。


「おかしい。反応がありません」

「集中し過ぎて疲れているとかではなくて?」

「あり得ません。我々は死体ですよ? それに、そもそも念話が繋がっている気が──」


 ──四號の言葉が終わる前に、ルルーディは駆け出していた。背後から誰かが制止する声が聞こえたが、それに構わず廊下へと向かう。


「課長!」

「ついて来なさい四號! 壱號さんは引き続き待機!」


 それだけを怒鳴り、六號を待機させていた四階の取り調べ室”甲”へと走る。嫌な予感は、今やはち切れそうなほどに膨れあがっていた。



 ********



 八城ヤシロ空港の一角。五號は柱に寄りかかりながら、己の腕にはまるギラギラと光る金色の腕時計を見た。時計の針は、昼の十二時過ぎを指している。


「よし、ちょうど良い時間だな」


 五號は満足そうに頷いた。昔からそうなのだ。待ち合わせの時間には二時間以上早く到着するように動かないと気が済まない。自分でも少々病的だと思わないでもないが、この性格のお陰で取引の際に命拾いした事は一度や二度ではない。


「ま、結局こんな死体からだになっちまって、それが裏目に出たって感じなんだけどな」

「何がだ?」

「いや、何でもねぇよ。それより、ヒイラギはまだだよな?」

「それはそうだろう。ヤツは普通に魔導列車か何かで来るんじゃないのか?」

「俺らが先にいて、吃驚びっくりすっかなーヒイラギ」


 ──シシシッ、と子供の様に笑う五號に、三號は呆れを含んだ顔を向ける。恐らくヒイラギよりも後から出発した自分達が先に空港に到着している理由。それは、転移魔法陣を使ったからだ。だが、目玉の飛び出るような金額が必要になる『人間用』ではない。郵便局に行って『貨物用』の魔法陣で空港の物品搬入口まで”飛んで”来たのだ。


 普通に公共の交通機関で移動しよう、という三號を振り切り郵便局内に堂々と入って行った五號。彼は受付の若い女に、おもむろにこう言い放った。


『おねえちゃん、八城空港まで荷物転移お願い出来る? 荷物は俺ら二人。あ、俺ら死体なんだよ。だから荷物だろ?』


 ぎょっとする三號を余所に、ニコニコとした笑顔を崩さない局員の女は顔色一つ変える事なく伝票をスッと差し出した。


『お二人のぉ、身長と体重の記入をお願いしますぅ。それによって転移料金が変わるんでぇ』

『りょーかいりょーかい』

『梱包はぁ、されますぅ?』

『いらねー』


 ──結局”ご遺体搬送コース”で空港まで送られる事になった。料金は六萬ろくまん円とそこそこ高額だったが、自分達は人形にされても財産の没収などはされていない。五號は澄ました顔で『生前』の財産からポンと払っていた。


「さっさと弟ちゃんを捕まえて帰ろうぜ。なーんか嫌な予感すんだよなぁ」


 五號はヘラヘラと笑っているが、その目は一切笑っていない。三號は微かに身を震わせた。闇医者として身を持ち崩しながら、流されるように違法薬物の研究に携わっていた自分。そんな自分とは比べ物にならないほどの修羅場をくぐって来ていた五號。その男が発した言葉に、言い知れぬ不安を覚えていた。



 ********



 取調室”甲”の前。ルルーディは扉に手をかざし、探知魔法をかけた。しばらくして、片手を下ろし頷く。特に罠魔法などがかけられている形跡は無い。


「良いわ。開けて」


 四號が慎重に扉を開けた。中には誰もいない。


「……六號がいません」


 苦し気に発せられた四號の言葉には答えず、ルルーディは窓際に向かった。鉄格子と、強固な結界に守られた窓から外を覗くと、正面玄関がしっかりと見下ろせる。


「念話は?」

「……繋がりません」


 ルルーディは溜息を吐きながら、ふと足元を見た。この取調室”甲”の床は白翡翠しろひすいで出来ている。その乳白色の床に、なにやら黒いシミの様なものがこびりついていた。


「何かしら」


 床にしゃがみ込み、そのシミを指で擦る。擦った指を見ると、黒い汚れが付着していた。どうやら床の変色ではなくススの様なものらしい。”甲”に限らず、使用した後の取調室は綺麗に磨かれ清掃されるはずなのに、と首を傾げる。ひょっとして、ここで待機の間六號が煙草でも吸っていたのだろうか。彼が喫煙者かどうかは知らないが、それ以外にここに煤が落ちる理由が──。


「……まさか」


 ルルーディは取調室を飛び出した。そのまま、向かってすぐ左にある大窓に向かって指を指した。その窓は、換気のために大きく開け放たれている。ルルーディは背後の慌てた様な足音に向かって叫んだ。


「四號! 私を抱えてあそこから地上に飛んで! 早く!」

「は、はい!」


 戸惑った様な声をあげつつ、四號は流れるような動きでルルーディを抱き上げ床を蹴って窓に飛んだ。落下時の風に髪を巻き上げられながら、ルルーディの胸は不吉な早鐘を打っていた。


「着地します」


 声と同時に、身体に衝撃が伝わる。ルルーディは素早く腕から飛び降り、ちょうど大窓の下あたりに這いつくばった。


「課長!? 何をやってるんですか!?」

「……あったわ」


 ──ルルーディの手にした物を見た四號の顔が驚愕に歪む。それは、屍達かれらが身に着けている銀色のバッジだった。死体の彼らは、胸からそのバッジを外す事はない。六號にソレを渡す時に宣言していた通り、ソレを外すと封印してある”業罰の炎”に包まれ消し炭になってしまうからだ。


「ば、馬鹿な、こんな……!」

「……誰かが六號さんに近づいてバッジを外したのね」


 ルルーディは己の失態に唇を噛んだ。柿守達と話していた時に自分で言ったではないか。


『ディリティリオがクロなら、手勢を連れて来る可能性がある』と。


 なぜ、”前もって手勢が紛れ込んでいる”可能性に気づかなかったのだろう。


「そ、その副署長とやらですか。六號をやったのは」


 四號は見た事もないほど、狼狽えている。ルルーディは首を横に振った。


「いいえ、違うと思うわ。胸元のバッジを外すなんて、相当近づかないと無理でしょう? 外部の人間が近づいて来たのに、六號さんが警戒しないなんてあり得ない」

「では、一体誰なんですか!?」


 ルルーディは悲鳴じみた声をあげる四號の背広スーツの裾を、そっと掴んだ。それは四號を落ち着かせるためであったが、自らも冷静になる為だった。


(落ち着いて、落ち着いてルルーディ。六號さんを襲ったのは、状況的に内部の人間。では、誰? 大丈夫、落ち着いて考えれば、答えが見えて来るはずだから)


 ルルーディは手の中のバッジを見つめた。六號。本名は五月野サツキノ 千里センリ。享年二十四歳。霊眼師。『独楽狗こまいぬ』の準構成員で、その能力を使って数々の潜入捜査員の命を奪った男。


 そして、二號も結果的に彼により、二度目の死を与えられた。


 人形になってからも年齢にそぐわない無邪気な言動で好き放題していたが、屍組が時折起こす衝突は六號が来てからほとんど無くなった様に思う。それに、先だっては別の署の潜入捜査員が六號によって救われた事があった。


『危なかったねぇ。あの警官ひとすごーく驚いてたよ。まさか一緒に潜入した相棒が二重スパイだなんて思いもよらなかったみたいだし』


 六號の言う通り、二人組で潜入した捜査官の一人は既に買収されていた。六號の『魂視』のおかげで、その捜査員は相棒に裏切られて死なずに済んだ。


 ──それでも罪は罪なのだ。彼が生前犯した罪は、その程度の事で浄化されるものではない。それは分かっている。孤独に、一人ひっそりと消滅していく。それこそが彼に相応しい罰だったのかもしれない。けれど。


「悲しい、なんて思うのは、きっと不謹慎なのよね……」

「課長……」


 ルルーディは伏せていた顔を上げた。ここからはもう、絶対に間違う訳にはいかない。


「さぁ、行きましょうか」

「ど、どこにですか? 副署長の元に向かうのは正直危険だと思いますが」


 ルルーディは薄く笑った。四號がたじろいだ様に後退る。


「まずは、六號さんを消してくれた人の所」

「誰か分かったんですか!?」

「えぇ」

「誰ですか!?」


 四號は刃を煌めかせ、殺気を募らせている。ルルーディは宥めるように掴んだままの裾を引っ張った。


「ねぇ、私が情報交換会に出席している時に弟から電話がかかって来たでしょう? 四號さんその時、六課(そこ)にいた?」

「え? はい、我々全員ヒイラギの元に居ましたから」

「途中からヒイラギ巡査に代わったのよね? では最初に電話に出たのは誰?」

「最初に電話に出たのは、ですか? えぇと、確か──」


 四號は目を見開き、ルルーディを見下ろしていた。その眼差しに応えるように、軽く頷いてみせる。


「でもそんな、なぜ……!」

「それを聞きに行くの。行きましょ、ミドリカワ課長の時間稼ぎもそろそろ限界でしょうから」


 歩きながら、ルルーディは銀のバッジを握り締めた手を、そっと胸元に当てた。


 ──ほんの僅かな時間、祈りを捧げる位は許して欲しい。


 海に浮かんだ捜査員達にそう心の中で詫びながら、ルルーディは灰になった無邪気な悪魔に、暫しの祈りを捧げていた。




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