嵐の始まり
ルルーディはベッドに寝転がった状態で、ひたすら天井を睨み付けていた。
今日は一日中大人しくしていた。食事と風呂、手洗い以外は碌に動かず、じっとして体力の回復を図った。そうやって昼間にずっと眠っていたせいで、逆に目が冴えてしまいなかなか眠れない。ここでまた体力を失ってしまうと、回復が遅れてしまう。そう焦る気持ちを抑えながら、懸命に目を閉じて眠ろうと試みていた。
「ん……?」
居間から、何やら鈴が震える様な音が聞こえる。電話の着信を受けた魔石が振動しているのだ。
「電話? こんな時間に?」
時計の針は、午前の二時を指していた。この電話にかける事が出来るのは、家族と警察関係者に限られている。それにしてもなぜ、こんな時間に電話が鳴るのだろう。
ルルーディは首を傾げながらも居間に向かい、電話に嵌め込まれている魔石に手を触れ通話を開始した。
「……もしもし?」
『あ、姉上!』
電話口から聞こえる弾む様な弟の声に、ルルーディは大きく目を見開いた。
「フィト!?」
『今、乗り継ぎでキュイラッセの空港にいるんです。到着は予定通り十四時です。電話で言われた通り、首都中央署に向かってよろしいでしょうか』
「いいえ。空港まで迎えに行くから日向に到着したらそのまま待っていて。といっても迎えに行くのは私じゃないんだけど」
『あ、もしかして伝言をお願いした方ですか? 僕がうっかりいつもの癖でソリクト語を話してしまったせいで、お手数おかけしてすいませんでした。最初に電話に出てくださった方がわざわざソリクト語が出来る方に代わって下さって』
やはりそうだったのか。ルルーディは電話口で一人頷く。
「迎えに行くのは私の部下。背が高くて、右目に単眼鏡をつけてる。派手な背広を着てるから一見警察官に見えないけど、ちゃんと警察バッジを付けてるわ。その人とそのまま私の家に来て。わかった?」
『はい。あの、姉上』
「なぁに?」
『父上から伝言を預かっています。姉上と直接連絡がつき次第、すぐに話せと言われています。ヒウカは今、午前二時くらいですよね。仮に僕が見張られていたとしても、まさか姉上に電話をしているとは思わないでしょう。お休みの所申し訳ありませんが、今聞いて頂いてもよろしいでしょうか』
──ルルーディは予想外の弟の言葉に、どっと汗が吹き出して来るのを感じていた。こんな時間に電話をかけて来た理由が、まさかそんな所にあったとは。だとしたら、弟は今かなり危険な状況にあるのではないだろうか。
「フィ、フィト……」
『父上は姉上からの電話を受けた後、屋敷の書斎や地下室を徹底的に調べていました。そして、幾つかの資料を見つけられたのです。一つは古びた植物図鑑の中。ナイフで数十ページ分くりぬかれたそこには、色褪せた一房の髪の毛が隠してありました。もう一つは、使用人の日記帳。持ち主の使用人はアルギュロス・フロガが呪いで亡くなる少し前に使用人を辞めていたそうなのですが、そこに妙な記述がありました。えぇと……あ、これだ。”私は祖国を後にする。大恩ある主の為に”」
「……まさか」
「”私を見つめる主の鏡の様な両目には、私達の穏やかな未来が映っている気がした。少なくとも、私はそう信じている”これ以降は白紙です」
「あ……」
ルルーディは激しい目眩に襲われ、そのまま床に蹲った。嘘だ。そんな、まさか。
──まさか、セリニの恋人というのは。
『姉上? どうかしましたか?』
身体中が震える。頭の中を、今しがた弟から聞いた情報とこれまでの推測が駆け巡り、すさまじい勢いで結びついていく。そして瞬時に理解した。自分は、とんでもない間違いを起こす所だったのだ。
こうなると、ディリティリオの来国はもはや作為的だと思っておいた方が良い。無関係な可能性も十分にあるが、何と言っても彼はパゴス家の人間なのだ。警察関係者を多く輩出している彼の家なら、フロガ家よりもずっと”真実”に近い場所にいるだろう。
「フィト、話はそれだけ?」
『はい』
「お父様は、私に連絡がつき次第すぐに情報を話せと仰ったのに、その後ソリクトに戻れとは仰らなかったのね?」
『はい。何があってもヒウカに、姉上の元に向かうよう言われています』
ルルーディは頷いた。父も何かを感じている。そして、動こうとしているのだ。だから万が一を思い、次期当主であるフィトを避難させようとしている。
ルルーディは電話口で大きく深呼吸をした。これから先、弟が無事に日向に到着するまで会話をする事は出来ない。落ち着いて、しっかりと指示を出しておかなければならない。
「……迎えに行くのは、柊 新月一等巡査。もうわかっているでしょうけど、セリニの血を引くのは彼。フィト、貴方何か武器を持って来ている?」
『あぁ、やはりそうだったんですね。ソリクト語がとってもお上手でしたからそうかなと思ってました。武器は、はい。一応服の下に幾つか装備しています。所持許可証のあるものと、無いものと』
悪戯っぽい笑みを含んだ、弟の声。弟は魔導装具師見習いであるものの、フロガ家の次期当主として恥ずかしくない実力を持っている。ルルーディの様な”特殊な目”ではないが、母譲りの藍色の瞳に美しい黄金の巻き毛。正に天使の様な容貌だが、手掛ける魔導装具は恐ろしく攻撃的な物が多い。
「いいわ。何かあったら全力で身を守りなさい。私の事は気にしないで。むしろ貴方に何かあったら私が悲しみに耐えられない。わかった?」
『はい姉上。僕は両親と姉上の為に、自らを守ると誓います』
「ありがとう。それと、ヒイラギ巡査の事も守って。お願い出来る? 私の家に行ったら、結界を張ってそこから一歩も出ないで。分かった?」
『かしこまりました姉上。仰せの通りに致します』
──弟との通話を終えたルルーディは、冷えた身体をベッドに潜り込ませた。頭の中がグルグルと回っていて、到底眠れるとは思えない。けれど、温かい毛布に包まれている内に少しずつ気分が落ち着いて来るのを感じていた。
新月は、飛空艇の到着に合わせて直接空港に向かうはずだ。だから午前中は出勤しない。恐らく本人は弟を家に置いたら自分は署に顔を出すつもりでいるのだろうが、先ほど弟に指示した通り自分が帰るまでは家に閉じ籠っていて貰う。
「まずはカキガミ課長とミドリカワ課長に話を通さなくちゃ」
そこまで考えた後、ルルーディは目を閉じた。無理にでも休まなくてはならない。寝不足は判断を鈍らせる事にも繋がる。混乱と不安はまだ残っているが、先行きに見通しが出来た事で少し心に余裕が出来た。
──そして、再びの眠気が訪れる。ルルーディはその微睡みの海に、ゆっくりと沈んでいった。
********
朝。起床してすぐ、星命石を握った。乳白色の石棒の先端に、鮮やかな紅い炎が点る。それを目にしたルルーディは、ホッと肩の力を抜いた。
「良かった……魔力回路が治ってくれて」
これなら出勤出来る。ルルーディは手早く着替えて髪を整えた。萌黄色のフリルブラウスに青のリボンタイ。黒いプリーツスカートに同色のタイツとヒール。権少警視の階級に在るルルーディには制服があるのだが、他課の課長達に合わせて”限りなく礼服寄りの私服”にしているのだ。
「お話する時間を作って頂かないといけないから、早く行かなくちゃ」
ルルーディは二人をどう捕まえようかと、色々考えていた。緑川も柿守も、場合によっては署内に泊まり込んでいる事がある。まずは仮眠室を覗き、それから二階の八課へ行ってその後で五課、と動けば無駄がないだろう。
ルルーディは胸に手を当て、大きく深呼吸をした。もう不安は無い。新月を守り、真実を掴む。やるべき事はそれだけだ。後の事は後で考えれば良い。
そしてふと思った。アルギュロスも、こんな気持ちだったのかもしれない、と。
◇
出勤したルルーディは、まず仮眠室を覗いた。そこには何人かの捜査員が寝泊まりしていたが、柿守と緑川はともに見当たらなかった。
「じゃあ八課にいらっしゃるのね」
「キュアノス課長!」
ルルーディは八課に向かって急いでいた。だが、二階に差し掛かった所で慌てたような声に呼び止められた。
振り返ると、黒銀色の髪をくるりと丸め、簪で止めた部下の狐塚が立っていた。黒鉄色の毛で覆われた耳を持つ、半人狐の捜査員。いつも柔和な顔つきの男が浮かべる珍しく焦った顔に、ルルーディは首を傾げた。
「おはようございますコヅカ巡査。……どうなさったの?」
「あの、今しがた六課に直接連絡があって、ミーナ市警の副署長がこれからお見えになるそうなんです。後一時間ほどで駅に到着するらしくて、五課の連中が慌てて迎えに行きました。で、緑川課長がすぐに来て欲しいと」
「今日いらっしゃるの!? しかも駅まで一時間だなんてどういう事!?」
いくら何でも急過ぎる。しかも、なぜ空港から電話をして来なかったのだろう。そうすれば空港まで迎えに行く事になるし、そこで時間稼ぎを頼む事だって出来た。なのにこの分だと、二時間弱でディリティリオは中央署に到着してしまう。
──ルルーディは、一瞬で行動を決めた。
「コヅカ巡査、申し訳ないけど逆にミドリカワ課長に六課に来るよう伝えて。それから八課のカキガミ課長にも。緊急だからと伝えてくれる?」
「え!? いえ、でも柿守課長はともかく緑川課長は準備が……」
「階級は私の方が上。良いから早く行って」
「は、はい!」
そのまま八課に向かって駆け出す狐塚に背を向け、ルルーディは廊下の端に向かう。そこで淡く光る階層転移魔方陣に、急ぎ飛び乗り六課へと向かった。
◇
ルルーディは『冷蔵庫』の前に立っていた。そして中の様子が窺える魔石をそっと覗きこむ。一定距離を保ちながら整然と並べられたベッドの上には、男達が横たわっていた。だがその目はうっすらと開いている。冷気で動きが鈍いだけで、眠ってはいないのだ。
ルルーディは魔石に手を触れ、内部に向かって話しかけた。
「おはようございます皆さん。これから冷蔵庫を開けます。そこから出たら、迅速に私の指示に従って下さい」
言うと同時に、封印の解放文言を唱える。一拍の後に扉が開く、ガシャリという重たい音が聞こえた。ルルーディはそっと後方に下がって待つ。まだ誰も出て来ない。扉を開けても、中の温度が上がらないと彼らは素早く動けないのだ。
やがて、神経質そうな顔の男が出て来た。四號だ。次いで、三號、五號、六號と姿を現していく。
「あれ? お嬢ちゃんだけか? ヒイラギは?」
「おはようございます課長。……まずは挨拶をして下さいよ、五號」
「おはよう、課長」
「あー、かちょーサンおはよー」
四者四様の挨拶の後、全員が不思議そうな顔でルルーディを見ている。ルルーディはその視線を受け流しながら、屍達に手早く指示を出した。
「今日の訓練は中止です。三號さん、五號さんはこれから八城空港に向かい、速やかにヒイラギ巡査と合流して下さい。互いの居場所は念話で確認して。四號さんは壱號さんと共に六課内で待機。六號さんは正面玄関の斜め上、四階の取り調べ室”甲”に潜み、この後やって来るミーナ市警の副署長を”魂視”で視て下さい。彼が安全かそうでないかを確かめたいの」
──屍達は顔を見合わせたまま、誰一人として動かない。ルルーディは眉をひそめた。新月は自分の言う事を聞く様に常日頃伝えていると思っていたが、それは気のせいだったのだろうか。
「……なぁ」
そろそろと手をあげ、発言して来たのは三號だった。
「何でしょう。言っておきますが、皆さんのご主人であるヒイラギ巡査は私の部下です。ですから皆さんも私の指示に従って頂かないと困るのですが」
ルルーディは苛立ちを隠そうともせず冷たく言い放つ。そんなルルーディに、三號は首を微かに横に振った。
「いや、俺達は課長の言う事を聞く様にヒイラギに言われてる。だから命令には従う。けど説明はして欲しい。ヒイラギは俺達を使う時には必ず、説明をしてくれていた。もちろん無理なら説明無しでも構わないが……」
三號の周囲でうんうんと頷く屍達の姿を見て、ルルーディは頬が熱くなるのを感じた。まただ。またやってしまった。彼らを『人』として扱わず『道具』として見なしてしまっていた。幾ら元犯罪者でも、そして今は死者になっていても、ルルーディに彼らを見下す権利などどこにも無いというのに。
「……ごめんなさい。私が悪かったわ。細かい事はまた後できちんと話します。今は簡単に説明させて。ヒイラギ巡査は今日、八城空港に私の弟を迎えに行って貰う予定なの。三號さんと五號さんは、二人の護衛をして欲しい。もし、彼らに何か仕出かす者がいたら迷わず攻撃して。四號さんは壱號さんと、私がカキガミ課長とミドリカワ課長に話をする間、課内で待ってて。六號さんに視て貰う予定のミーナ市警副署長は、ヒイラギ巡査の命を狙いに来た可能性があるの。問題なければそれで良い。けれど私の懸念通りなら、署内に迎え入れた後で拘束するわ」
──あまりにも予想外だったのか、全員が驚愕の眼差しをしている。ルルーディは強い意思を宿した瞳で、四人を見据えていた。