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認めた想い

 

 ルルーディは自宅の前で立ち竦んでいた。全身にずっしりとした疲労感が満ちている。


 いつもは真っ直ぐ帰るのに、今日は無駄に残業した挙げ句に古文書店へ寄り道をした。まだ新月シヅキとまともに顔を合わせるのが怖い。だから昼間も六課内に新月がいない事を確認してから顔を出した。新月は手洗いか飲み物でも取りに行ったのか、書きかけの書類を置いたままでいなくなっていた。


 ルルーディは素早く、その書類の下に小さなメモを置いておいた。


 ”今夜も会うのは無理です。ごめんなさい”


 簡潔な、それでいて素っ気ない一文のみのメモを滑り込ませた後、急いでその場を離れ会議室に半ば逃げ帰った。


「……こういう感じで、ゆっくり距離を置いて行くのが一番なのよね」


 ──新月の両親が行方不明な件について、ルルーディは柿守カキガミから疑われている。ルルーディが、というよりも過去にソリクト人が関わっていたと思しき未解決事件がある中、ソリクト人が当時の事件関係者であるヒイラギ 新月の所属する課に派遣されて来たのだ。警戒して当然だろうと思う。


 おまけに恋人関係にある事まで知られていてはこの先、仮に新月が本当に不可抗力で命を落としたとしても、ルルーディへの聴取は免れ得ない。


 状況的に殺せなくなったのなら、ルルーディの役目はここで終わりだ。父が動き始めたという事は、近日中に急な異動の辞令でも出るのかもしれない。ルルーディは気を取り直し、魔錠に手をかざした。


 ──このまま、事実から目を背け続けるのか。


 そう囁きかけて来る心の声に、今は応える余裕など無かった。


 ◇


 玄関に入った時、奥からふわりと良い香りがした。慌てて足元を見ると、男物の革靴が綺麗に揃えて置いてある。身なりには容赦なくお金をかける新月お気に入りのハイブランドの、磨き上げられた革靴。


「……おかえり」

「え、あ、た、ただいま……?」


 靴を見つめたまま呆然と立ち尽くしていると、低い声がかかった。半ば機械的な動きで、恐る恐る顔を上げる。


「……遅かったな。どこで何してたんだよ」


 壁に寄りかかって腕を組んだまま、新月は怒りを押し殺したような顔でルルーディを見ている。


「あ、ちょっと古文書店に寄ってたの」

「古文書店なら俺と行ったって良いだろ? おまけに何だよ。今日一日中、俺の事避けまくりやがって。俺、何かしたか?」

「な、何もしてないわ。古文書店に寄ったのは弟に頼まれたからなの。今日も、電話で相談があるってて言ってたからその資料を……」


 ルルーディは必死で言い訳をした。どう誤魔化そうかと頭を目まぐるしく働かせながら、ヒールを脱ぎ新月の横をすり抜けて部屋の中に入る。途端に、部屋中を漂う食欲がそそられる香り。やはり新月は夕食を作ってくれていたらしい。それを分かっていて追い返すのは気が引けるが、このまま気まずい空間に居続けるのはもっと辛い。だが、その浅はかさはあっさりと覆された。


「……昼間。()()が情報交換会に出席してる時、署に電話がかかって来たんすよ。誰からだと思います?」

「え、誰?」


 急に言葉遣いを変えた新月に戸惑いつつ、ルルーディは首を傾げる。


「弟さんから」

「……え?」

「だから、課長の弟。フィト・キュアノス君から。課長は席外してるって伝えたら、伝言を頼まれました」

「フィトが!? 伝言って何!?」


日向ヒウカに来るそうですよ。電話貰った時間からすると向こうは十九時くらいですか? 夜の便に乗って行くから明後日には到着するって言ってました。なので、取り敢えず中央署うちに来るように言っておきましたから」

「そ、そう……ありがとう」


 ディリティリオに続いて弟フィトまで。これは一体どういう事なのだろう。考え込んでいたルルーディは、新月の接近に気づくのが遅れた。我に返った時にはルルーディは両手首を掴まれ、まるで吊るすような形で頭上で壁に押し付けられていた。


「やっ……! 痛い、何!?」

「どうして、これから飛空艇に乗ってこっちに来る予定の弟クンが電話かけて来んの? そんな嘘ついてまで、俺に会いたくなかったのか? だったら言えよ、何が気に入らねぇんだよ!」


 ルルーディは見下ろして来る闇色の片目を見上げた。そして気づいた。新月は単眼鏡を外していない。そのまま、今度は視線を下ろした。目に入ったのは、派手な背広スーツ。いつもは、単眼鏡を外して髪を上げ、上着を脱いでエプロンを身に着けているのに。


「シヅキ……帰るところだったの……?」


 ──自分から避けた上に追い返そうとまでしておいて、一体何を言っているのだろう、と思う。けれど、あの自分だけが見る事を許されている銀の瞳。それが隠されている事にこんなにも不安を覚えるなんて、思ってもみなかったのだ。


「……まぁ、あのメモ見た時に追い返されるだろうとは思ってたから。けど、それでも会いたかったんだよ。それに今日、一日気を張って疲れただろうからメシでも作っておいてやろうかと思って」


 ルルーディは唇を噛み、目を伏せた。胸が詰まって声が出ない。新月はいつだって優しい。その新月に対して、自分はどこまで身勝手なのだろう。


「ごめんなさい……」

「別に良いよ。好きなのは俺だけだったみたいだし。まぁ薄々分かってたけどな」


 そう言うと、新月はぱっと両手を離した。そしてルルーディを置いたまま、さっさと玄関へと向かう。遠ざかる温もりと背中に、ルルーディは足元が崩れ落ちそうなほどの喪失感に襲われた。


「待って! 待ってシヅキ! 帰らないで! お願い……!」


 思わず、悲鳴のように追い縋る言葉を口にした。そしてすぐに床にへたりこみ、両手で耳を塞ぐ。きっと新月は軽蔑の言葉を吐くだろう。今のルルーディには、それに耐えられそうになかった。


 絨毯の上に、こぼれ落ちた涙が次々と吸い込まれていく。一見透明に見える涙。だがその実は、濁り切った薄汚い涙だ。己の身勝手さが、涙に形を変えて溢れ出しているようだった。


「……ルル」


 新月の低い声が聞こえる。耳を塞いでいるのになぜ、と少し疑問に思う。幻聴だろうか、と薄っすら目を開けた直後、心臓がドクンと大きく跳ねた。


「ルル。ほら、こっち向けよ」

「シ、シヅキ……」


 いつの間にか手首をやんわりと掴まれ、塞いでいた耳から両手が外されていた。ルルーディはゆっくりと後ろを振り返る。すぐ近くに、苦笑をうかべた新月の顔があった。まだ居てくれた、と安堵すると共に、次に何を言われるのかと身体を硬く強張らせる。


「ったく、そんな泣かれたら俺の方が悪いみたいじゃねーかよ」

「シヅキ、帰っちゃうの……?」

「さぁ、どうしようか。俺の方が誰かを置いて行くってなかなか無い機会だしな。それに、ここで期待してまた後で冷たくされるのはごめんだ」


 そう言いながらも、新月は親指で優しく涙を拭ってくれている。その指の感触で、少し冷静さを取り戻す事が出来た気がした。ルルーディは軽く身を捩り、新月の指から逃れる。


「ごめんなさい。私、勝手過ぎるわよね。もう平気だから帰っても大丈夫よ。あの、夕食作ってくれてどうもありがとう」

「……さすが、切り替えが早いな。じゃあ俺はもう用済みか?」


 乾いた笑みを浮かべる新月を見つめながら、ルルーディはゆるゆると首を振った。


「そうじゃないわ。用済みになったのは私の方。貴方には私なんかよりも大切な人が居るんでしょ? 例えばその、ポケットに入ってる銀のネックレス」

「な、何で、これの事知って……!」


 新月は肩をビクリと震わせ、反射的に胸元を押さえていた。


「持っている所なら赴任初日で見たわ。けど、中身を知ったのはもう少し後。二號さんから聞いたの。それは貴方が本当に大切に思ってる人の髪。私はただの身代わりなんでしょ? その役目が果たせないのなら、私が貴方の側にいる必要性は無い」

「ちょ、ちょっと待て! お前は、身代わりなんかじゃ……!」


 新月は立ち上がり、ルルーディから数歩後退った。その顔は、はっきりとした焦りに覆われている。何事かを言いかけては口を閉じ、そしてまた何かを言おうとする。それを繰り返しながら片手で顔を覆い、肩を上下させるその姿をルルーディは静かに見上げていた。


「クソッ! 何で俺はいつも、こう上手くいかねーんだよ!」

「……シヅキ」

「何だよ!」

「愛してる。本当よ? 私自身なんてもう、どうでも良いくらいに貴方が大切なの」


 それは間違う事なき本心であり、本当は随分と前から胸の中に存在していた新月への想い。それをようやく今、はっきりと口にする事が出来た。その想いはルルーディにとって足枷などではなく、今後の強力な武器になる。


 はっきりと想いを認めた今、仮に新月に拒まれた所で、もはや何という事は無い。


「……どうでも良いなんて、言うな」

「え?」

「どうでも良い訳ないだろ! 俺は誰よりもずっと、お前を好きで愛して、大切に思って……!」


 シヅキ、と呼びかけた声は声にならなかった。新月が足音荒く近づいて来たかと思うと、ルルーディは乱暴に抱き上げられ、寝室に向かって運ばれていた。そして新月は蹴り破る勢いで寝室の扉を開け、腕の中のルルーディをベッドの上に投げ下ろした。


「シヅキ……」

「黙ってろよ! 泣いても喚いても絶対に止めてやらないからな!」


 乱暴な言葉とは裏腹に、ルルーディに触れる手は泣きたくなるほど優しかった。乱暴になど出来やしないくせに、とルルーディは悲しく笑う。所有印を刻むがごとく、身体中を噛むあの行為。


 ただ単に痕を付けたいだけなのだろうが、実は皮膚が食い破られ血が滲む事が時々ある。加減が良く分かっていないのだ。新月は必死になってやっている。まるで、”誰か”の強引さを真似しているかのように。


「シヅキにだったら、何をされたって平気」


 押し倒された状態で見上げながら、そっと手を伸ばし単眼鏡を外す。現れた銀の瞳。鏡のようなそれに映っているのは、恋に溺れる一人の女の顔だった。


 新月は上着を脱ぎ捨て放り投げ、胸元のネクタイを緩めている。声は一言も発しない。獲物を狩る獣の様な荒い息を吐きながら、ルルーディの服を剥ぎ取って行く。


「あ……」


 ブラウスの前を広げられた時、胸元のボタンが千切れて飛んだ。思わず声をあげた途端、新月の手がピタリと止まった。


「シヅキ? どうしたの?」 

「俺が怖い?」

「ううん。どうしてそんな事聞くの? 泣いても喚いても絶対に止めないって言ってたのに」

「……無理矢理なんてする訳ないだろ」

「やっぱり私、シヅキのそういう所が本当に大好き」


 不貞腐れたような表情の中で、戸惑い揺れる、闇と銀。新月の考えている事など、今や手に取るようにわかる。勢いに任せて寝室に連れ込み押し倒したものの、ルルーディを怯えさせてしまったのではないかと、むしろ自分の方が怖くなって来ているのだ。


「このまま続けてくれても良いけど、先に一緒にお風呂入る?」

「……そうする」

「うん。じゃあ連れてって?」


 ルルーディは甘えるように囁く。新月は紅く染まった顔を誤魔化すかの様に、ルルーディをぎゅうっと抱き締めていた。


 ◇


 浴室でじゃれ合いながら互いの身体を洗った後、熱い湯船に二人で入った。言葉は何も交わさない。けれど新月は初めて、心の底から満たされた気持ちになっていた。


 ずっと見ていた。可愛らしく笑う彼女を。ずっと心を焦がしていた。自分ではない”もう一人”に無邪気に笑いかける彼女に。


「もう出ようぜ。ルルは体力無いからな、あんまり長湯すると倒れるかも」

「うん」


 華奢な身体を抱き上げ、浴室から出ながらふと思った。もし、ルルーディが泣いて引き留めてくれなかったら自分はどうしていただろう、と。


 だがすぐに考えるのを止めた。


 今、自分はこうして彼女と共にいるのだし、何よりも自宅で情けなく泣き喚いている自分の姿が、はっきりと見えた気がしたからだった。



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