柊 新月
ルルーディは柿守に連れられ、空いている取調室に入った。柿守はルルーディを先に入れた後、しっかりと魔錠で施錠していた。知らず、身体が緊張で強張るのが分かる。もちろん自分が取り調べられると思った訳ではない。
取調室は頑丈な鉄の扉と魔錠、そして強固な防御結界に守られている。だから『人には聞かせられない話』をするにはうってつけの場所なのだ。そして柿守はこれから、ルルーディにそういった内容の話をしようとしていると思って間違いない。
「座って」
「はい」
ルルーディは柿守と共に、取り調べの机に向かい合って座る。柿守は胸ポケットに手をやり、直後に何かに気づいた様に小さく舌打ちをした。
「ハァ……取調室は禁煙だった」
「あの、カキガミ課長。お話とは何ですか?」
柿守は長い足を組み、短い髪をかき上げながらルルーディを真っすぐに見つめた。今すぐに逃げ出したい気持ちを懸命に堪えながら、ルルーディも目の前の麗人を見つめ返した。
「……貴女は、柊 新月の事をどこまで知っている?」
「どこまで? どういう意味ですか?」
「その質問に答える前にともかく言ってみて。貴女が把握しているアレの情報を、全て」
「は、はい」
ルルーディは困惑しながらも、己の知る新月の情報を口にした。
「えぇと……氏名はヒイラギ・シヅキ。二十五歳。死霊術師。生年月日は櫛灘六十二年の四月三十日。最終学歴は八城法術学院。二十歳で卒業後、首都中央署に配属。以上です」
「それだけ?」
「はい」
「貴女はその内容で不思議に思わないのかな。情報が少な過ぎる気がしない?」
「それはそうですが、でも六課の職員の情報は大体こんなもので……」
おずおずと述べるルルーディに、柿守はひどく冷たい眼差しを向けた。
「……確かに六課の捜査員の情報は厳重に管理してある。課長と言えども署長に願い出た上で、複雑な手続きを踏まなければ詳細の確認は出来ない。けどね、柊は以前は八課にいた。貴女が配属される前の事だけど、その辺りの情報は他の連中に聞けばすぐにでも教えてくれたと思うよ?」
「そ、それは……でも……」
「そう。少し買いかぶり過ぎたかな。貴女は部下に関心が無いみたいだ」
言われてみればその通りなのだ。一応、恋人という立場にあるにもかかわらず、六課での出来事しか聞いた事がなかった。過去にも私生活にも踏み込まず、また踏み込ませなかった。
それはルルーディの”目的”を考えれば当然の対応ではあると思う。だがルルーディはひどく落ち込んでいる自分に気がついていた。そんな胸の内に気づいているのかいないのか、柿守は先程とは打って変わって穏やかな眼差しになっていた。
「……八課はね、六課とは逆で捜査員の情報は丸裸にされる。だから私は、柊の細かい情報を持っているよ。それでも分からない部分はあった。だがその部分は追及していない。ソリクトではどうか知らないけど、日向では犯罪歴さえ無ければ警察官になれる。どれだけの凶暴性や残虐性を持っていたとしてもね。柊には犯罪歴は無かった。だから不明な部分があったとしても警官になれた」
──ソリクトで警察官になるのは難しい。学歴も家柄も関係して来るし、何よりも資質検査で引っかかる事が多いのだ。侯爵家のルルーディはその検査を受けてはいないが、同僚から聞くところによると簡単な質問に幾つか答えるだけだったと言う。
それにしても日向の雑な判断基準には驚く。だがそれよりも気になる事が一つあった。
「あの、わからない部分というのは……?」
柿守は眉根を寄せて薄く笑った。それはどう答えたものかと、迷っているように見えた。
「カキガミ課長。教えて下さい。ヒイラギ巡査に関して分からない部分とは何ですか?」
「やれやれ、本当に素直な子だね貴女は。そうだね、分からない部分というのはまぁ色々あるんだけど、その前に、貴女は死霊術師の事をどこまで知っている?」
「今度は死霊術師についてですか。……死者の声を聞きその魂と交信をする事の出来る唯一の術者です。その身体には死霊操術が循環しており、年老いて魔力回路が衰えるまでは普通に死ぬ事はない。それ以外で命を絶つには、聖霊術師の『聖炎』で焼く以外に方法はない。このくらいでしょうか」
「うん、あっているよ。では、超高位魔術の『屍人形』については?」
「あ、それは……」
ただでさえ少ない死霊術師の中でも更に使える者がほとんどいない希少魔法。ルルーディは他にも『屍姫セリニ』を知ってはいるが、それは”使える事を知っている”だけで『屍人形』という魔法そのものを知っている訳ではない。
「死者を蘇らせる魔法という以外、詳しくは知りません。蘇った屍は個人差はあれど多少の記憶の混濁が確認されています。随分昔の事を覚えている者もいるようですが」
ルルーディが本名で呼んだ時の、二號の様子を思い出す。
「うん。ではどうして、『屍人形』を使える死霊術師が少ないのかわかるかな? 死霊術師が少ないと言っても、世界中で考えると千人ちょっとは存在するんだよ。柊の魔力は確かに高いが、空前絶後というほどではない。署内にだって、アレよりも高い魔力を持つ者はいる。私もそうだし貴女はその鮮やかな青い目で示されているように特別だ。なのに、なぜ柊はその超高位魔術をつかえるのだと思う?」
「わ、わかりません……」
かろうじて声を絞り出したものの、ルルーディの口内はカラカラに乾いていた。この先を聞いてしまったら、きっと何かが変わる。そんな予感が、もはや確信として存在していた。
「さっきも言った様に、この辺の事は柊が警官として働く事に何の関係もない。だけど私は個人的に気になったんだ。それは壱號を連れている柊を見た時に、私が祖父から昔聞いた事を思い出したから」
「何を……聞いたんですか……?」
声が震える。それは恐怖なのか忌避なのか、ルルーディにもよくわからない。
「”大切な人を失った時、誰しもが思う。あの頃に戻りたい、と。大抵の人間は己の心に折り合いをつける。けれど、現実を受け入れられない者もいる”と」
「現実を、受け入れられない者……」
「祖父には死霊術師の友人がいたらしい。以前、何かの弾みでそう言っていた。けれど、祖父はその時以来その友人の話をしなかった。だから私はそこまでしか知らない。その友人が『屍人形』を使えたのかどうかも分からない」
柿守はふーっ、と息を吐きながら長い足を組み変えた。
「これは私の仮説だけどね、『屍人形』は死霊術師になれば使える魔法ではない。魔力の高さも経験値も関係無い。どれだけ研鑽を積んでも使えない者には一生使う事は出来ない」
──ルルーディは、己の耳を塞いでしまいたかった。もう止めてくれと、叫びだしたかった。柿守の言う事は、恐らく核心をついている。だとしたら、自分は一体これからどうすれば良い。ルルーディは足元が崩れ落ちそうな衝撃に、必死になって耐えていた。
「……愛する者を失い、その絶望に耐えられず砕けてしまった心の内から、理を歪める力が生まれた。私はそう考えている」
◇
ひどい吐き気に襲われながら、ルルーディはふらふらと廊下を歩いていた。
手には、現在判明している限りの新月の情報が書いてある資料が握られている。それは柿守が密かに渡してくれたもの。それを力無く見つめながら、泣き出したい気持ちを懸命に堪えていた。
柿守の話は、ルルーディの目的や使命、それまで信じていたものを根幹から覆すものだった。
『そ、それがヒイラギ巡査に何の関係が……』
『壱號がいるだろう? 以前、壱號の存在が八課で問題になって、それで柊はウチを出て行く羽目になった。柊は壱號を大切にしている。何の能力も持っていなさそうな、あのひ弱な人形を』
だから、それが何だと言うのだ。
『あの時は私が悪かったんだ。他の署員の手前、敢えて壱號を貶める言い方をした。後で事情を話して詫びるつもりだったが、私がついカッとなってしまって』
温厚な新月が、上司に暴言を吐くくらいに大切にしている屍とは。
『柊は壁を作っている。別にそれはそれで良いんだ。けれど、貴女ならアレの壁をどうにか出来るのではないかと思って。もちろん、それだけではないのだけど』
最後の一言の時には、柿守の瞳は再び笑っていなかった。その理由は、資料に目を通した今なら分かる。それでもまだ不明な所は色々あったが、一つだけ確かな事があった。ルルーディにはもう、新月を殺す事は出来ない。
(帰ったら……すぐにお父様に連絡をしないと……)
──虚ろな眼差しで歩くルルーディの目の前に、黒い影が遮る。それと同時に鼻先に香る香り。顔をあげるまでもなく、それが誰なのかわかった。
「課長、八課に行ってたんすか?」
「……えぇ」
「あれ、何か元気無いっすね。ババァにイジメられたんすか?」
「……いいえ。ヒイラギ巡査、上司に向かってその言いぐさは無いわ。言葉を改めなさい」
「はーい」
ヘラヘラと呑気に笑う、相変わらず派手な背広姿。抹殺対象であったのに、どうしようもなく愛してしまった男を、ルルーディは絶望を含んだ眼差しで見つめた。
「ん? どうしたんすか?」
「どうもしない。あぁ、今夜は夕食を一緒には出来ないわ。それと、ウチにも来ないで」
「……は? 何でだよ」
新月の言葉遣いが変わった。けれど、それを咎める余裕すら今は無い。
「弟からちょっとした相談を受けているの。だから電話でゆっくり話をしたくて」
「弟、か……」
「えぇ。ごめんなさい」
「チッ……! 仕方ねーな。でも明日は良いだろ?」
「……多分ね。じゃあ私はもう行くわ。ヒイラギ巡査も早く戻って」
新月はまだ何か言いたそうにしていたが、結局口を噤んでいた。ルルーディはその横を無言ですり抜ける。今は、新月の顔をまともに見られそうになかった。
********
夜。自宅に帰り着くと同時に、服を着替える事もせずに父に電話をかけた。書斎にある父の直通電話。電話連絡は頻繁にしなくて良いと言われていたから、電話をかけるのは今日で三回目になる。
『ルル。元気だったか』
「お父様」
魔石が発光すると同時に、穏やかな父の声が聞こえた。途端に、押さえ切れない感情と共に涙がボロボロと溢れて来る。昼間の柿守との会話。新月がルルーディに向けて来る眼差し。そして新月への想い。それらが胸に詰まって言葉が出せなかった。
『何かあったのか。話してみなさい、ゆっくりで良いから』
父は泣きじゃくるルルーディを急かす事無く、黙って待ってくれていた。そしてひとしきり泣いた後、ルルーディはようやく口を開いた。
「お父様……セリニは誰を失ったの? 誰を失った事に耐えられなかったの……?」
『何? 何を言っているんだ?』
「セリニは本当に極悪非道な魔女なの? 私は本当に彼を殺さないといけないの?」
『落ち着きなさいルルーディ。ともかく、分かる様に説明をしてくれないか』
──ルルーディは全てを話した。柿守の仮説。預かった資料の内容。
「お父様。彼は十三歳の時に首都で一人、施設に入っています。ですが以前、彼が住んでいた村では柊家は”四人家族”でした。しかし施設に現れたのは片目が銀色の少年だけ。村から八城に来る途中で強盗に襲われたと言っていたそうですが、両親ともう一人の遺体は見つかっていません。後に地元の警察が調査した所、街道に人が焼けたような焦げ跡が見つかったそうです。ちょうど、大人二人分くらいの」
『……』
「彼は私には両親は行方不明だと言っていました。それは嘘ではありません。実際にご両親の身体は見つかっていないのですから」
父は沈黙している。ルルーディは出国前に感じていた違和感。それを口に出すのは今だと思った。
「ソリクト警察が公式だと言っているセリニの記録。それまでの功績を考えると余りにも情報が少な過ぎました。あれは、真実の記録なのでしょうか。それに出国前、お父様はこう仰いましたね、”男は天涯孤独らしい”と。その情報は個人を特定していないとわからない事なのでは?」
『……まさか』
「そしてもう一つ。彼は施設に来た当初、こう言っていたそうです。強盗達は襲って来た時”死ねと叫んでいたと」
『……なるほど。そういう事か』
「はい。日向の強盗がソリクト語で”死ね”などと言うでしょうか。もしかして既に、ソリクトはシヅキの、セリニの子孫について情報を持っていたのでは?」
『分かった。ルルーディ、お前はもう動かなくても良い。私の方でも調べてみよう。とりあえず今後、電話は絶対にするな。連絡の方法は私が考える。わかったな』
「分かりました、お父様」
ルルーディは手元の資料を再度見つめた。そこには、新月が以前住んでいた村の名前が書いてあった。もう、何がどうなっているのかわからない。けれど。
『ヒイラギは嘘をつかないから』
──二號。彼女の言葉を信じるなら、新月の真実はすぐそこにある。