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八課へ

 

「キュアノス課長。ちょっと良いか?」


 午前中、書類をチェックしていたルルーディの元に一人の男がやって来た。違法薬物関連の事件を専門に捜査する五課の課長、緑川ミドリカワ 玲矢レイヤ。階級はルルーディの二つ下の権大警部で四十手前の痩せぎすの男。各国の薬物捜査課と常に連携を取っている国際的な課のトップなだけあり、語学も堪能で頭の回転も速い。


 先日の課長会議で初めて一課から八課までの課長達と顔を合わせたが、二十二歳のルルーディは当然というか年齢は一番下だった。だが厄介な事に、権少警視である故に階級だけは一番上だったのだ。だから全員がルルーディに敬語を使った。


 日向ヒウカ警察が極端な階級社会である事は知っている。けれど、何とか敬語を止めて貰うように頼んだ。皆一様に渋い顔をしていたが、涙目のルルーディを見て真っ先に折れてくれたのがこの緑川だった。態度は少々ぶっきらぼうだが先の事もあり、ルルーディは好ましく思っていた。


「何でしょう、ミドリカワ課長」

「明後日、コラッツァータの薬物捜査班と情報交換するんだけどな、君に通訳を頼めないかなと思って。君は国際警察資格を持ってるだろ? ならコラッツァータ語は話せるよな?」


 思わぬ頼み事に、ルルーディは頷いた後で首を傾げた。


「はい、話せます。でもなぜですか? だって五課の皆さんは普通にコラッツァータ語を話せるじゃないですか」

「あぁごめんごめん、説明不足だったな。今回は八課から何人か出席するんだよ。最近薬物絡みの殺人が多いから、他国の情報を知っておきたいって事らしくて急遽決まった。先方の了承も得たんだが、通訳だけが捕まらなくて。ウチでどうにかしようと思ったんだが、こっちはこっちで集中したいんだよ。だから八課側の通訳になって欲しいんだ」

「なるほど、そうだったんですか」


 ──八課は殺人事件専門の部署だ。近年、外国人が日向で殺人を犯す例も増えてはいるが、まだまだ国内での事件が大半を占める。近隣国であるリンコール語やチャンジェン語、国際的に使用頻度の高いディストロイア語を話せる者は八課にも幾人かいるらしいが、コラッツァータ語までも網羅している者はいないのだろう。


「わかりました」

「すまないな。それでまた悪いんだが、手が空いたら八課に行って出席者の確認しといてくれないかな。いや、本来は八課むこうが来るべきなんだ。でも六課ここにはヒイラギがいるから……」


 緑川は困ったような顔をしながら指で頬を掻いている。ルルーディは首を傾げた。八課に出向くのは全く構わないが、そこになぜ新月の名前が出て来るのだろう。


「いや、元々柊は八課にいたんだよ。ほら、彼は死霊術師だろ? 殺人専門の八課には必要不可欠だったって言うか」


 確かに、とルルーディは今更ながら思った。母国ソリクトは重犯罪を扱う部署と軽犯罪を扱う部署、という感じにざっくりと分かれている。だがそれぞれの事件の質によって適材適所で人材を使う為、何だかんだごちゃ混ぜになっているのだ。日向ヒウカのように細かく課で分類されてはいない。


 だから気づかなかったが、よく考えると新月は六課よりも八課の方が相応しいはずだ。


「あの、何かあったんでしょうか?」

「八課の柿守カキガミ課長。彼女と柊が衝突した」

「衝突? 意外です。ヒイラギ巡査は何だかんだ他人と揉めない様にしている感じなのに」


 緑川は苦笑する。


「うん。柊は服装はいつも派手だし警察官っぽくないけど、あれで案外空気読むタイプだからな。性格も温厚な部類だし。だから俺もあの時は驚いたよ。柊は中央署に来た時点で壱號を連れていてね、二人一組の捜査では壱號と一緒に行ってたんだ。最初は柿守さんも認めてたんだけど、彼の検挙率が上がる度に他の課員から”柊の実力じゃなくて死体の実力だ”って不満の声が出始めたらしいんだ」

「そんな……! だって壱號さんの存在自体が、ヒイラギ巡査の才能じゃないですか」

「まぁな。柿守さんも困ってたよ。けど捜査ってのは団結力が必要だろ? だから両方に妥協させようと、彼女は柊を呼び出してこう言ったんだ。”その死体は道具としてみなすから、連れ歩くのは構わない。その代わりもう一人、ちゃんとした人間の捜査員とペアを組め”って」


 ルルーディは微かに眉をひそめた。カキガミ課長の言いたい事は分からないでもないが、もう少し言い方があったのではないだろうか。


「……ヒイラギ巡査は何と?」

「”誰が道具だ、ふざけんなババァ”」

「なっ!? 何て事を……!」

「柿守さんが柊を呼び出したって部下に聞いたから、何となく心配になって様子見に行ったんだよ。そうしたら、想像以上の状況になってたな」


 緑川はアハハ、と乾いた笑いを浮かべている。ルルーディは溜息を吐きながらこめかみを押さえた。


「それは……カキガミ課長もさぞお怒りでしたでしょう……」


 ──八課課長・柿守 志乃しの。階級は一つ下の大警部。


 警察官には珍しい、薬学の専門職である『薬法師やくほうし』の資格を有している叩き上げの女傑。年齢は確か、五十を幾つか過ぎていたはず。


 しなやかに鍛えあげられた体に百六十六センチのルルーディを遥かに上回る高身長で、黒髪を耳の上で短く切っている。常に男物の背広スーツを身にまとい、それでいて足元は踵の高いピンヒール。美女と美丈夫の中間に属する容貌。その為、この首都中央署内で”最もモテる課長”と言われているのだ。


「お怒りどころじゃなかったな。彼女、問答無用で柊に強烈な前蹴り入れてたから。おまけに八課は人数が多い分、女性捜査員もそこそこいる。その全員が柿守さんの信奉者と言っても良い。そんな中で柊が”痛ぇなババァ!”とか叫ぶもんだから、彼女達からも大顰蹙だいひんしゅくを買った。それで六課に異動になったんだ」

「それはまぁ、そうなるでしょうね……」


 こうなって来ると、そのヒイラギの現上司である自分も何だか八課には行きづらい。そんなルルーディの心境が伝わったのか、緑川は珍しく優しい笑みを浮かべながら慰めてくれた。


「柿守さんもキュアノスの事は褒めてたよ。あの柊をちゃんと制御出来てるってな」

「いえ、そんな……」


 実際は制御どころか振り回されている。ルルーディは重苦しい気持ちを抱えたまま、持ち場に戻って行く緑川を見送っていた。


 ◇


 主任の鹿野シカノに一言告げた後、ルルーディは二階にある八課へと向かった。緑川が言っていたように、八課は人数が多い。だから二階全体が八課に相当する。ソリクトでは別棟に存在する鑑識課も、中央署ここでは八課専用の鑑識部があるのだ。


「確かに、殺人事件と詐欺窃盗だと後者の方が後回しになってしまうものね。凶悪事件専門の鑑識を独立させるのは案外良い考えかもしれないわ」


 そう感心しながら、ルルーディは恐る恐る八課の殺人対策部のフロアを覗いた。課長の柿守はこの部屋にいるはずだ。


「あ、いらっしゃったわ」


 ──柿守はフロアの奥まった場所にある執務机に座っていた。片手で煙管キセルをふかしながら、書類を眺めているその姿は溜め息が出るほど優雅で美しい。ルルーディは暫し見惚れた後、意を決して八課のフロア内に足を踏み入れた。


「失礼します。六課のルルーディ・キュアノスです。柿守課長にお取次ぎ願えますか」


 柿守の姿は目視出来ているものの、ルルーディは敢えて近くの捜査員に声をかけた。事前に学んで来ていた『日向式』の対応術。対面を重んじるヒウカ人に対しては、幾ら立場が上と言っても礼を尽くすのは基本なのだ。これがソリクトなら何も気にせず直接本人の元に向かう所だが、ヒウカでは周囲の立場を慮る必要がある。


「はい、少々お待ち頂けますか」


 中年の男性捜査員が立ち上がり、柿守の元に歩いて行く。途端に周囲から突き刺さる好奇の視線に耐えながら、ルルーディは大人しくその場に待機していた。


「キュアノス課長!」

「あ、はい」


 先ほどの捜査員が大声でルルーディを呼ぶ。ルルーディは周囲に頭を下げながら、急ぎ柿守の元に向かった。


 ◇


 柿守は執務机の前でルルーディを待っていた。


「お忙しい所申し訳ございません、カキガミ課長」

「いいえ、こちらこそ。ごめんね、わざわざ貴女に足を運ばせて。本来なら私が向かうのが筋なのだけど、六課おたくにはあのクソガキがいるだろう? どうもそちらには足が向かなくてね」

「も、申し訳ございません……」


 形の良い唇から飛び出した思わぬ言葉に、ルルーディは顔を引き攣らせる。


「あら、貴女が謝る必要は無いよ。八課うちの連中が噂してた。アレも貴女の言う事は聞いているみたいだね」

「いえ、そういう訳では……」

「謙遜しなくても良いのに。ちょっと待って、これが明後日の出席者三人の名簿。申し訳ないね、今日は三人とも聞き込みに出ていて」


 そう言うと、柿守は一枚の紙切れを差し出して来た。


梅野ウメノさん、桃堂トウドウさんにタチバナさんですね」

「うん。悪いけどよろしく。それと、一つ言っておく。三人とも貴女より年上だけど、梅野と桃堂が一等巡査で橘は二等巡査なんだ。階級は圧倒的に貴女の方が上。だからこの三人にまで我々と同じ対応を求めないで欲しい。私達だって緑川課長が早々に折れなければ譲歩するつもりはなかった。ここはソリクトではない。あくまで日向なんだからね」

「……かしこまりました。肝に銘じておきます」


 柿守の笑わない瞳に射すくめられ、ルルーディは小さくなって頷いた。今更ながらに己の浅慮を恥じていた。そしてふと父を思った。父は一年間という短い在留期間でも、事あるごとに日向のやり方に徹底して合わせていた。その父が、娘が異国の職場で我が儘を押し通していたと知ったらどう思うだろう。


 しゅん……と項垂れるルルーディの頭に、ポンと温かい手が置かれた。驚いて顔を上げると、打って変わって優しい眼差しの柿守と目が合った。


「よしよし、素直な良い娘だね。アレにくれてやるのは勿体無い」

「いえそんな……えぇっ!?」

「フフ、これはあんまり口外していないんだけどね、私の家は人狼の家系なんだ。私の見た目は普通の人間だけど、嗅覚は人間よりも優れている。だから先日の会議の時にはもうわかっていたよ、貴女からあのクソガキの匂いがぷんぷんしていたから」

「あ、その、それは、その……」


 ──全身から血の気が引いていく音が聞こえた気がした。頭の中に『マズい』の一言だけがグルグルと回って行く。色んな意味で最悪の展開だった。どう誤魔化したものだろう、とルルーディは必死で考えていた。ともかく、まずは否定しなければならない


「カ、カキガミ課長。それは誤解です。彼、ヒイラギ巡査とはたまたま話す機会が多いだけなんです。なのであの、そういった関係では……!」

「うん? あぁ、そんなに必死に誤魔化さなくても良いよ。匂いが強い部位を考えれば、おのずとそう思わざるを得ないからね」

「匂いが強い部位!? ど、どこですか!?」

「おや、私に言わせたいの?」

「い、いえいえいえ! 結構です!」


 ルルーディはぶんぶんと首を振って否定した。そして同時にある事を思い出す。六課には人狐の血を引く狐塚コヅカという捜査員がいる。ちょうど、ルルーディが新月を『独楽狗こまいぬ』に送り込んだ直後に潜入予定の組織への調査を終えて戻って来た男だ。


 ──もしかして、彼にはバレているのだろうか。


「あ、あの! それは、人狐にもわかるものですか……?」


 柿守はルルーディの言いたい事を一瞬で察したのか、悪戯っぽい笑みを浮かべている。背筋に、嫌な予感が走った。


「いいや。人狐は耳は良いが嗅覚はさほどでもない。でもそうだね、中央署ここは獣人の血を引く署員が少なくはない。仕事に来る時は柑橘系の香水を使うと良いよ、多少の対策にはなるだろう」

「は、はい、ありがとうございます……」


 ルルーディは貧血を起こしそうになっていた。羞恥と動揺だけではない。柿守に二人の関係について知られてしまった。という事は、相当上手く立ち回らないといけないという事だ。しかし、もう時間が残り少ない。一年弱の期間で、殺すタイミングに手段、自らの安全の確保に脱出方法まで考えるのはかなり厳しい。


 こうなったら、普通に殺害してその足で国外逃亡するのが一番なのではないだろうか。


(……いえ、それは悪手だわ。だって署内には壱號さんが常にいるし、冷蔵庫ドールハウスには屍達がいる。シヅキが死んだら彼らは元の死体に戻る。飛空艇の空港は遠いし、到着するまでにはシヅキの死は発覚してしまう)


 日向警察は閉鎖的な分、結束が強い。新月を手にかけてしまったら、彼らは目の色を変えて追って来るだろう。そうなったら、無傷で逃げ切るのは難しい。ルルーディは自らに対して殴りたくなるほどの怒りを覚えていた。抹殺対象の男にいいように振り回された挙句に本気で好きになってしまい、それがこの結果に繋がった。


「キュアノス課長? どうかした?」

「え!? いえ、何でもありません。では、私はこれで失礼します」


 内心の動揺を押し隠し、その場から立ち去ろうとしたルルーディの腕がガシリと掴まれた。ルルーディは驚き、腕を掴んだ柿守を見上げる。


「……キュアノス課長。少し話をしようか」


 感情の窺い知れない瞳で見下ろされ、ルルーディはただ頷く事しか出来なかった。



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