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後悔

 

 ルルーディは暗闇の中、部屋の壁をぼんやりと見つめていた。今は何時なのだろう。起き上がって時計を確認したいが、背後の存在がそれを許してくれない。試しに身体を揺すってみても、腹部でがっちりと抱き締められた腕の拘束は、簡単には緩みそうになかった。


「もう、寝ててもしつっこいんだから……」


 全身が怠い。少しでも身動ぎすると、関節がギシギシと軋む気がする。この有り様は、初めて新月シヅキと身体を繋げた時の事を嫌でも思い出させてくれる。


 あの時の事は、あまりはっきり覚えていない。ただその時に初めて見た、鏡のような銀色の瞳に一瞬にして囚われた事だけは覚えている。そしてルルーディは宣言通り”上”になった新月シヅキに好き放題された。


 可愛い。好き。愛してる。この甘い言葉を何度も何度も囁かれ、明け方近くまで眠らせて貰えず、朝になった時には喉を傷めて声が出せなくなっていた。


「あんな失敗しなければ、今日はゆっくり出来たのにな……」


 諦めて大人しく腕の中に納まったまま、ルルーディは溜息を吐いた。今日は大失敗をした。何も考えずに報告書を持って来てしまったせいで、危うく二人の関係がバレてしまう所だった。それに気づいた新月が急いで追って来てくれたお陰で事なきを得たが、そのせいで強く言えずに自宅に来る事を拒否出来なくなってしまった。


 それならせめてものお詫びに夕食を作ろう、と慣れない手つきで台所に立ったのに、ルルーディの珍しいエプロン姿に興奮したのか台所でいきなり手を出された。


 その相手をするのを拒む事が出来ず、結局疲れてしまい夕食は新月が全て作ってくれた。食事を済ませる頃には疲労困憊だった身体も回復していたというのに、入浴の最中またもや新月にちょっかいを出され、残り少ない体力を完全に奪われてしまった。


 着替えさせて貰った記憶は薄っすらとある。だが抱き上げられてベッドに運ばれた後からの記憶が一切無い。恐らく泥のように眠ってしまっていたのだろう。下手に深く眠ってしまった為に、こんな中途半端な時間に目を覚ましてしまった。


 ルルーディはひたすら壁を眺めながら考えていた。今回の潜入でも新月を始末出来なかった。ならばこの後はどうすれば良いのだろう。今思えば、今回の潜入を強行したのは失敗だったかもしれない。この後すぐに新月が死んだりしたら、おかしなタイミングで『独楽狗こまいぬ』に向かわせたルルーディは監査の対象になる可能性だってある。


(……だって。だってシヅキが悪いんだもの。私の事を好きだなんて嘘をついて、心の中に別の女の人を住まわせていたりするから)


 ──分かっている。自分は二號から聞いた新月の”大切な女”に嫉妬したのだ。だから自分を身代わりにする新月に憎しみを抱き、その衝動のままに周囲の反対を押し切り無理な潜入をさせた。


 彼はそんな思惑を知る事もなく、見事に任務を果たして来た。だがその代償は大きかった。新月が不在の間、ルルーディは二ヶ月に渡る不眠と心労に苦しめられた。そして結果、真に愛されている訳でもないのにその愛を欲しがる惨めな自分にじっくりと向き合う事になってしまった。


 今だってそうだ。虚しくて悲しくてどうしようもないのに、身体の奥にある甘い疼きに必死に縋り付いている。”溺れる”というのはこういう事なのか、とどこか納得をした。溺れて沈んだ先には、想う男はいやしないのに。


「……これからどうしようかしら」

「何が?」


 ポツリと呟いた言葉に反応を返され、ルルーディは身体をビクリと弾ませた。


「お、起きてたのシヅキ」

「いや、今起きた。どうしたルル。喉でも乾いた? 紅茶か何か淹れてやろうか?」

「ううん大丈夫、お水飲んで来るから。ちょっと腕、離して」


 少し、一人になって冷静に考えたかった。けれど新月は腕を緩めてくれない。ルルーディの声が聞こえているのかいないのか、肩口に口づけながら抱き締める腕にますます力を籠めて来る。


「ねぇ、シヅキってば。聞いてる?」

「聞いてるよ。俺も目が覚めたからお茶淹れて来る。寝室ここで待ってろ、持って来てやるから」

「大丈夫。むしろお茶なんか飲んだら眠れなくなっちゃう。それなら代わりに水差し持って来てくれない?」


 お茶を淹れると言った割には、そう訴えても新月は全く動かない。ルルーディは内心で溜息を吐いた。今はきっと『離れたくない気分』なのだろう。この男が甘えん坊だという事はもう十分わかっている。


「ねぇシヅキ、聞いてるの?」


 後ろを向こうと軽く身を捩った時、腰の辺りに何やら怪しい気配がした。ルルーディは半目になり、新月の顔を見る。銀の片目を煌めかせた新月はニヤリと笑っていた。”ソレ”に気づかれた事で開き直ったのか、新月の両手が悪びれもせず腹部を這い上がって来る。


「やだ、くすぐったいってば」


 たったそれだけで甘い期待を覚える自身に苛立ちを感じながら、ルルーディは新月の手を掴んで止めた。


「今日はもうだめ!」

「……一回だけで終わらすから。な?」

「嫌。絶対一回で終わらないもの」

「大丈夫だって。俺、絶倫って訳じゃねーし」


 ──どの口が言うのだろう、とルルーディは呆れる。今日だって既に、キッチンと浴室の二か所で手を出して来たクセに。


「ダメったら駄目」

「……そんなに嫌なのかよ」

「だって、もう眠いんだもの」

「はいはい、わかったよ。お前ホントに体力ねーな。ちょっとはトレーニングしろよ」


 新月はブツブツ不平を呟きながら、上体を起こした。水差しを取りに行ってくれるのだろう。そう思った瞬間、肩に強い衝撃が走った。


「痛い!」


 肩口にガプリと噛み付かれ、ルルーディは悲鳴をあげた。新月は身体の見えない所にあちこち歯形を付けるのがお気に入りらしい。肩や胸、脇腹や背中。さすがに皮膚を食い破るほどではないが、容赦ない力加減で噛み付いて来る為にしばらくの間は身体に痕が残っている。


「ちょっとヤだ! 痛いったら!」

「我慢しろルル。お前が俺のものだって目印つけてんだから」

「目印!? 何よそれ……! そんな事言って、本当は……!」

「あ? 何?」

「な、なんでもない……っ!」


 ──本当は他に大切なひとがいるクセに。そう言いかけたのをギリギリで思い留まった。それはプライドだったのかもしれないし『あぁ、そうだけど?』と肯定されるのが怖かったのかもしれない。


「意地悪しないでよ……」

「でもルルは意地悪な男が好きだろ?」


 そう楽しそうに呟く新月の声が聞こえたかと思うと、今度は耳をかぷかぷと食まれる。ルルーディは抵抗を諦め、全身の力を完全に抜いて新月の好きにさせる事にした。これは子犬の甘噛みだとでも思っていれば良いのだ。


 好きにさせる代わりに、満足したらすぐに水を飲ませて欲しい。そして今度こそ寝かせて欲しい。身体の力を抜いた事で急激な眠気に襲われたルルーディの瞳は、夢と現の狭間をぼんやりと見つめていた。



 ********



 二號とは、署の入り口で待ち伏せされた時以外にも何度か話をする事があった。それはいつも、二號むこうから話しかけて来る事によって始まる会話だったが、ルルーディはその時間が案外嫌いではなかった。


『通名について知りたいの? 別に、この前説明した通りよ。ただそうね、通名は本名を少しもじったものだったりアタシみたいに本名から連想される名前をつける事が多いわ』

『課長さん、物理反射魔法が使えるんですって? へぇ、さすが無駄にキラキラした青い目なだけの事はあるのね』


 確かな実力と美貌。そして裏の世界の更に深い闇に伝手つてを持っていた二號は、傍目から見ても新月に重宝されていた。時折それを鼻にかけた発言をする事はあったが、他の女性職員の様な微妙な距離の取り方はされていなかったように思う。


 ──だが、その二號はもういない。


 聖霊術師の『聖炎』でないと葬れない死霊術師本人と異なり、『屍人形』で蘇った死者達は通常の炎魔法や雷魔法で仮初めの肉体を燃やし尽くす事が出来る。


 新月は敵方の霊眼師だった六號を倒した時の事を「二號を犠牲にして何とか倒した」と言っていた。報告書には本当にサラリとしか書いていなかった為、二號の最後の様子についての詳細は未だにわからない。新月は話して来なかったし、ルルーディも聞かなかったからだ。


 けれどルルーディは密かに思っている。新月が二號を犠牲にしたというよりも、二號が新月を庇ったのではないかと。だから、正しくは二號を犠牲にしたのはルルーディなのだ。


 ルルーディが一時の感情に囚われ、新月を危険の中に放り込むような真似をしたから新月を守る為に二號は消えた。”たかが死者”と侮っていた二號に、結果としてルルーディは救われる事になった。


 勘の鋭い二號の事だ。さすがに”大罪人の子孫を始末する”という密命は知らないだろうが、この強引な潜入がルルーディの感情の荒れによるものだとは気づいていたかもしれない。彼女は消滅の瞬間、何を思ったのだろう。新月への変わらぬ想いか守れた安堵か。それとも、ルルーディへの軽蔑だろうか。


 彼女と話すのは楽しかった。本国ではだれもが『侯爵令嬢』として接して来る。本音どころか、感情をぶつける事の出来る相手さえいなかった。時には笑い合い、時には衝突する。『友人』とはこういうものかもしれない、と思う事すらあった。


 だから二號が消滅したと聞かされた後から、胸に渦巻く感情を急いで心の奥深くにある扉の中に封じ込め、厳重に鍵をかけた。今はまだ、その感情に向き合う覚悟が出来ていない。この先向き合う事が出来るのかどうかもよくわからない。


 ──ルルーディはそっと目を閉じ、心の扉に背を向けた。


 封じられているのは大いなる『後悔』。扉の向こうで暴れるソレを、外に出すまいと鍵を手に取り必死で鎖を幾重にも巻き付けて行く。


 認める訳にはいかない。ルルーディが負った最大の代償は、二號を失った事かもしれないという事を。



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