4.運命
「かえやん、また変質者みたいになってるよ」
横に列ごとに繋がった机と机の間で、縦に伸びゆく階段状の通路の途中。いつものようにキョロキョロしていた私に向かって、莉子は目をくりくりさせてそう言い放った。
「だってもしかしたら今までサボってたってだけで、『そろそろパンキョーも出てやるか』っていう気分になってるタイプかもしれないでしょ?いつ現れるか分かんないもん」
三百人程は収容できそうな大講義室で、パンキョーと学生が呼ぶ一般教養の講義が始まろうとしていた。
「それにしても、全員の顔をレーダー光線のように見尽くしながら歩くのやめてくれるかにゃ?」
莉子はまるで若干威嚇する猫のように黒目を細め、ウェットなオレンジブラウンのウェービーヘアを肩上で揺らした。
「いやでも、今の私の存在意義って、あの人に会うことだし……ぶつぶつ」
「とりあえず、長身だけチェックしといたらいいでしょーがぁー!」
そう言って私を強制的に座らせた彼女との出会いは、選択第二言語講義であるドイツ語のクラスだった。
「うぇーん!いない、いないよー!今日もあの人はいないよー!」
もはやほとんどネタとなっている私の『初恋の君探し』。
そう、本当は初恋でも何でもないけど、莉子と出会ってから私があまりにも挙動不審にキョロキョロしているため、「いや、何?!誰?!」と肩を揺さぶられる運びになってしまい、そういう設定にすることにしたのだ。
「かえやん、月並みなこと言うけど、その初恋君じゃなくてもいいんじゃない?」
かえやんというのは私のあだ名で、昔からそう呼ばれることが多かったと話したところ、莉子も自然とそうなっていた。
「い、嫌だなぁ……」
だって、だって、私、生まれて初めてだよ。
自分が『自分』で良かったな、って思えたの。
あの日、君から女に見てもらえた28歳の私。
今まで、誰から好かれてもそんな感情になったことは一ミリもなかった。
君にとって、一瞬でもアリだと思われた、私。
きっと、君のことが……。
そうとう好きだったんだと思う。
「そんなに探しても出会えないんだから、運命の人じゃないんだよ」
頬杖をついていた私は、まるで魂のない人形のように瞳さえも動きを止めた。
高い壁に広がる大きな窓から降り注ぐ陽光は、私が作り出した仮想空間で着席している学生たちを包むよう。
……知ってるよ。
運命の人じゃないってことくらいは。