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天雨川の主





緋天山には深くて大きな滝川がある。


その川は天雨川てんうがわと呼ばれ、人間は決して足を踏み入れてはならない──




_____________________

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「おい……おーい。おい!お前はいつまで寝ているんだ! 早くー起きーろー」


小風丸の喧しい声に呼ばれ、夏巳は真っ赤なベットの上で目を覚ました。



履いていた靴は脱がされていて、体には誰がかけてくれたのかわからないが、灰色のシーツがかけられている。


「ボクのお師匠さまのベットでスヤスヤと寝るなんて……図々しいヤツだ!」


小風丸は夏巳が被っている灰色のシーツを剥ぐと自分の腕の中で、その灰色のシーツをギュッと握りしめた。



「う、う〜ん……」


夏巳は寝ていた自分の体をゆっくり起こすと、ぼーっとした顔をしたまま、ベッドの上であぐらをかいて座った。


髪は寝癖でボサボサになり。寝すぎたせいなのか、頭もどんより重く感じる。



窓の外に目を向けると、空は紫がかったオレンジ色の夕焼け空になり。

夏巳は夕陽が沈んでいくのをぼんやりと眺めながら、炎焔坊の事を考えていた。



昼間は炎焔坊と二人で他愛も無い話をずっとしていた。


話をしていると夏巳の緊張もほぐれていき、いつの間にか、うとうと寝てしまったようだ。



目を覚ましてから、炎焔坊が自分の近くにいないとわかると、夏巳は少しだけ不安な気持ちになった。



──どこに行ったんだろう?



夏巳は炎焔坊と初めて会った時。最初は妖怪と仲良くなる事なんて出来ないと思っていた。



けど二人で話をしていると、炎焔坊はとても穏やかで、夏巳は一緒にいると不思議と安らかな気持ちにさせられていた。



それはきっと炎焔坊が人間ではない。妖怪という、別の生き物だからなのかもしれない。



夏巳は少しずつ、妖怪の炎焔坊に心を許しているような そんな気がしていた。



「……炎焔坊はどこ?」夏巳はポツリと独り言を言うように、近くにいた小風丸に炎焔坊の事を聞いた。



「フン。炎焔坊さまは仕事に出かけた、スヤスヤ寝ていたお前と違って大忙しいだ。だから今夜はボクが、代わりにお前の子守をしに来てやった」


手に持った灰色のシーツを、バサバサとはたきながら小風丸は自信満々な声で言った。



「うわっ……なんだよ子守って、 自分も子供のくせに」誇らしげな顔をする小風丸を見て、夏巳はうんざりするような声で言った。



「ボクは子供じゃない。もう12歳だ! 妖怪は12で立派な大人になるんだよ」小風丸は灰色のシーツを素早く畳むと夏巳に言い返した。



「12歳で大人って……それ変だからな」


自分と同じくらいの子供にしかみえない小風丸の姿を見て呆れた顔する夏巳。



──コイツといるとなんか疲れるんだよな……



「とにかく! そう言う事だから今夜はよろしく〜」


小風丸はキレイに畳んだ灰色のシーツをベットの上にポンッ!と置くと、乱れたマクラやクッションの位置をテキパキ直しはじめた。


「はぁ……」


忙しそうに部屋の片付けを始めた小風丸の姿を見ると、夏巳は大きなため息を吐いた。


黙ったままベットから降りて、夏巳は炎焔坊の部屋を出ようとした。



「おい、待てよ。どこに行くんだ? また勝手に外に出て迷子になる気か? 迷惑なヤツだ」


洗濯物がいっぱい入った大きな籠をヨロヨロと持ち歩きながら、小風丸は夏巳を呼び止めた。




「オレ 母さんとこ戻らなくちゃ……」夏巳は面倒臭そうに言った。



「お嬢さんならさっき炎焔坊さまが出る時に、一緒に出て行ったよ。お嬢さんは晩ご飯のおかずを買いに行くと言っていた。ボクはパンケーキが食べたいとお嬢さんに頼んだんだ」



「あっそう。晩ご飯がパンケーキとか……つかお前と二人で留守番かよ」夏巳は面倒くさそうに言った。


「二人で留守番ではない。この寺にはおじいちゃんや何十人の修行僧もいるんだ! それに今夜は満月だ。炎焔坊さまは仕事を早く終わらせてすぐに帰ってくると言っていた」



小風丸はニコニコしながら嬉しそうに夏巳に言った。


炎焔坊が早く帰って来る事は、小風丸にとってずいぶんと嬉しい事のようだ。




──早く帰ってくれるなら別にいいや




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メラメラと燃える守火の炎は、陽焔寺の広い座敷で円を描くようにプカプカと宙に浮いている。



広い座敷に集まっているのは、夏巳の祖父 善宗と若い僧侶二人。緋天山の山妖怪三人と、そして炎焔坊だ。


山妖怪の一人【烏大天狗】は、大きな座布団の上に座ったまま、集まった者の中で一番最初に言葉を発した。



「数週間前の事だ! 焔の町で暮らす人間たちが、この緋天山で行方不明になったと山烏たちから報告があった!」


烏大天狗はその名の通り、真っ黒な烏のような頭をした背の高い男だ。高齢ではあるが、善宗のようにハッキリとした口調で話をする。




【緋天山の烏大天狗】


人間たちと共に暮らす事を強く望む、友好的な山妖怪。怪力で強い神通力を持つ。山の烏たちや烏天狗たちのリーダー的存在。





「あぁ、その話ならワシらも聞いたぁ。"天雨川の主"が三人の人間を攫ったとかなんとかなぁ」善宗はタバコを口に加えて、ライターでタバコに火をつけると鼻から煙を吐いた。



「か、川の主さまの目的はなんなのでしょうか?」善宗の隣にいた若い僧侶は、怯えたような声で言った。 華奢で肌の色も白く、気の弱そうな女顔の男だ。



「さぁな。若い女ならともかく 攫ったのは四十過ぎの男一人と、その妻。そして商店街に住んでた身寄りの無い子供が1人みたいだぁ……確か女の子だったかな?」善宗は呆れたような顔をして 若い僧侶に言った。



「川の主さまは人喰い妖怪だったのでしょうか?」もう一人の若い僧侶が善宗に聞くと、善宗はわからないと言うように首を横に振った。もう一人の若い僧侶は、眼鏡をかけた短髪の男だ。



「天雨川には山妖怪もあまり近づかないからな。炎焔坊……この緋天山に一番長くいるお前なら、"天雨川の主"の事を何か知っているんじゃないのか? 」烏大天狗は困ったような声で炎焔坊に言った。



「烏大天狗……私は六葬坊に頼まれてこの緋天山に来ました。それから数十年が経ちましたが、天雨川の主と呼ばれる人物には一度も会った事はありません。"川の主"の存在は、人間たちが作った退屈潰しの御伽噺だと思っていました」



炎焔坊は自分が緋天山に来てから、善宗や修行僧たちと天雨川に行った時の事を思い出そうとした。




天雨川はとても美しい川だ。


山鳥たちはさえずり、流れていく綺麗な川の水や風に吹かれた木の葉が揺れるのを見ていると、自然の力に癒されていくのを感じる。


けど 川底からは常に強い冷気が漂っていて、緋天山にいる山妖怪たちは、川に近づこうとはしなかった。


普通の人間や動物には感じ取る事が出来ない死の匂いが、川の底から酷く漂っているからだ。



おそらく天雨川に来る人間たちは、川の中に身を投げて自ら命を絶っている。

炎焔坊は川の側に近づいた瞬間に気付いたのだ、この川はまるで死人の墓場そのものだと──




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──数週間前。





青い空に浮かぶ 丸い太陽は、暗く冷たい天雨川の底まで微かな光を射した。


凍るように冷たい。深い深い川の底には【一人の男】が、水中に差し込む美しい太陽の光をただ静かに見つめている。


川の水の中で、その男は何時間もの時が過ぎさるのを一人孤独に待っていた。


まるで斬れない鎖で足を繋がれいるかのように、男はその場所から一歩も動こうとはしなかった。


暗い川底に微かに射してくる太陽の光を見つめ、何ひとつ変わらない日々を川の水の中でただ静かに過ごしている。



今日もいつもと何ひとつ変わらない、そんな日だと男はそう思ってい──





コポコポォッ…… コポコポドゴォ…… (水中に誰かが落ちていく音)






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