プロローグ
冬、午後四時のパリ。
あたりには雨と霙が混じったものが降りしきっている。
八年振りの寒波のため、もうすぐにでも雪に変わってしまうだろう。
__あぁ、確か、あの日もこんな天気だった。
大通りの角に辻馬車を止め、料金といつもより少々上乗せしたチップを払うと、「お兄さん、それより路地には入っちゃぁいけねぇぜ。身ぐるみはがされたくなきゃ大通りをこのまままっすぐ行くべきだよ。」と、実に有益で、僕にとっては実に無益な情報を教えてくれた。
路地裏の道を歩く。靴の裏に、霙が張り付くような感じがする。
しばらくして、足を止める。
そこにはもう、八年前と同じ、オンボロの煉瓦造りの家はなかった。
代わりに小さな子供達と子犬が走り回って、霙をすくってぶつけ合っていた。
___一体、私はここに何をしにきたのだろう。
彼のような孤児を、また拾いにきたのだろうか。
それとも、彼がいるとでも?
いや、きっと違う。
私は何かに呼ばれた、そんな気がしたのだ。
私はその何かを信じて、わざわざマルセイユから十時間以上もかけてきたのだ。
___何かあるはずなんだ。
私はほぼ確信を持っていた。何かが心を掴んで離さないのだ。
およそ十分ほど、空き地で遊んでいる子供達を眺めていた。
子供達と目が合う。なぜかいたたまれない気持ちになってすぐに路地を引き返した。
___何があるのか。何が私を呼び寄せたのか。
大通りに出れば、街行く人々は皆寒そうに身を寄せ合い歩いている。あと3日ほどでクリスマスであるからだろう、こんな悪天候でも外に出ている人は割と多い。
___その時だった。
見覚えのある、少しくすんだ金の髪の毛の男の子がそばを駆け抜けて言った。
「ミーシャ!」
思わず名前を呼んでしまった。
しかし彼は振り返らない。
追いかけようと足を踏み出した瞬間、少し背の低い茶髪の女の子が、彼の後を追いかけながら、大きな声で
「ケイン、待ってよ!女の子を置いていくなんてどういうつもりなの!」
と、彼を呼び止めた。
振り返る彼は、やはり私の探していた彼であった。
彼はその女の子に笑いかけ、そのまま二人は手を繋いで、大通りの角に消えていった。
___なるほど。
追いかけようとした足を、そっと戻した。
彼はケインになっていた。
もう、もう僕のミーシャ、ミシェルではなくなっていた。
ここに私を呼んだのは、きっと神だ。
そしてこれは、神の罰で、最後の慈悲なのだろう。
___涙が、雪とともに、パリの地面へと染みていった。