ウル君の語る昔話
「魔王様はその類い稀なる才覚によって、数多の種族が住むこの大地に、平和と安寧をもたらしました。」
熊のぬいぐるみのウル君は、低く見せようとしている声でゆっくりと語り続ける。すると、語りに合わせて、周囲の壁画らしきものが切り替わっていく。かなり簡略化されているが、たくさんの二足歩行の生き物にそれぞれ長い耳や豚の鼻や蝙蝠の翼がついている。彼らは中央の王冠を持った人物を取り囲んでいて、恐らくこれが魔王なのだろう。薄紫色の肌と銀髪,金色の飾りが散りばめられた黒衣を纏い、そしてただ一人、綺麗に研磨された黄色い宝石がその瞳に嵌め込まれている。
それから暫く、魔王様の治世を称える美辞麗句が紡がれた、それに合わせて壁画のシーンも建物を建てたり、果物を収穫したりと生活を写すように移り変わっていく。また、上を見ると空の青に浮かんだ緑色の図形に白黒の花が咲き、それが互いに線で結ばれた。この図形が地図だとすれば、未開の大地に都市が生まれたことの比喩だろうか。
「やがて魔王の治めるこのレーヴァテラスに住む者は、いかなる種族であれ魔王さまの治める民であるとして、魔族と呼ばれるようになりました。しかし」
その一言で、空気が変わった。壁画は夕日が射したように赤く染まり、天井の地図も壁との境目から黒ずんでいく。 キン、キンと金属の打ち合う音が聴こえだした。いやそれだけではない。怒号や悲鳴、炎の燃える音、何かが切り裂かれる音。地面はいつの間にか焼け焦げと建物の残骸が現れる荒れ地となり、時折真っ赤な飛沫がそれを染めては消えていく。これは、つまり、
「戦争が、起こった」
「その通りです。」
黒が地図の三割ほどを染めたところで、ウル君の視線が一旦は下に落ちたが、再び顔を上げて続ける。
「東より人間がこの地に攻めてきたことにより、平穏の日々が破られることになったのです。」
この後戦争の広がる様子は、断片的な情報になりますが、との前置きで語られた。当初は個々の能力で上回る魔族の戦士たちにより、数十年の間に綿って戦線は食い止められていたそうだ。しかし、人間側の勇者により、その均衡は崩されることになる。
「その力は凄まじいもので、巨龍族の者が一刀に斬り伏せられた、不死王が魔法の光で焼き尽くされた、などと言われています。」
その他にも、人間のみが行使できる神聖魔法の登場、一部のエルフ族やドワーフ族などの離反などにより戦況の悪化が進み、魔王の支配領域はついに全盛期の四割にまで削られてしまったそうだ。
「それゆえ、魔王さまはとある決断をなさいました。各種族の族長と共に、『アーク』と成られると。」
その時点で、魔族で満足に戦えるものはほとんど残っていなかったという理由が付け足されると、壁画は夜空を思わせる配色の背景となった。そして壁一面に整列した壁画の族長たちは祈るような仕草をしている。天井も満天の星空になったが、緑と黒に塗られた大陸地図は残っているため、半分以上が隠れてしまっている。
ところで、『成る』とは。その答えは壁画に現れた。族長の一人が瞠目すると、光の玉となって天井に吸い込まれていく。そして幾つもの光が緑と黒の境目、その中央に集まると、一つの大きな赤いヒトガタとなった。つまり族長たちはその身を捧げて、巨人であるアークを形作ったのである。最後に残った魔王が瞠目しようとしたところで、闖入者にその行動は遮られる。金髪、青い目、白銀の鎧、輝くばかりの光の剣。あ、これ勇者かな。
「そして『アーク』が今まさに目覚めようとしたその時、ついに勇者が魔王さまの前に現れたのです。」
それぞれが蒼い光と金色の光の塊となり、壁と天井を縦横無尽に駆け巡ってはぶつかり合う。数日に及んだと言う戦いの末、蒼い光が半ば混じり会うように金色の光を飲み込み、共にヒトガタに吸い込まれていった。この時、魔王と勇者が半ば相討ちとなる形でアークに取り込まれたことで、アークは本来の力を発揮するに至らなかったらしいとウル君は語る。が、それでもその力は凄まじいものだった。ヒトガタが拳を大きく振りかぶって地面に叩きつけると、地図が黒と緑の領域に両断されたのだ。
「アークはその力を以て、魔と人の領域を別ちました。」
大きく大地を裂いたこの一撃。力を使い果たしたアークの躰は崩れ落ち、今ではアークマウンテンという山として残っているそうだ。大地の裂け目と共に、魔と人の領域を今でも隔てているのだというが、飛んで裂け目を超えられないのか、山を越えたりトンネルを作った者はいないのかと問うと、不思議な結界に阻まれるために、いずれも成功した者はいないと答えてくれた。
以降、魔族は緩やかに群雄割拠していくこととなる。大きな氏族や力ある種族はそれぞれ集落、都市を形成してゆく一方、知恵を失って魔獣・魔物と化した種族や部族も少なくないという。
そして時は流れてこのアークマウンテンの麓、ファルシオンの街から冒険者たちの物語は始まるのだ。