3章 第30話N みーつーけーたーのーじゃー
小都市国家群跡から西へ飛ぶと、深く険しい山岳地帯にたどり着いた。
この山は大河セドリューと呼ばれる、下流では川幅が数キロメートルにも及ぶ大河の始まりであり、深い森や切り立った崖のような山肌を見る限り、まともな神経をしていればこの山を越えようとは思わないであろう代物だった。
そうしてついでとばかりにわっしーから景色を眺めつつ山脈を越え、ゆっくりと高度を落としながら山沿いに広がる森林地帯を抜けて少し経った頃、地上に数百人の兵士が見えた。
兵士達は馬車らしきものを取り囲み、その中心にいる何者かと戦っているようだった。
訂正。甚振っていた。中心にいる者達の姿を確認した瞬間セレスとリオから離れ、リオがこちらに伸ばした手よりも早く、騒ぎの中心へと転移する。
「見つけたのじゃ、この馬鹿猫があああ!」
「ぎにゃああああ!」
兵士達の代表らしき男と戦っている最中の、ずたぼろの馬鹿猫ミーシャを容赦なく蹴り飛ばした。
それにしてもスカートの中が見えないように、いちいち裾を手で押さえなければいけないのが、少々面倒である。
その時馬鹿猫と戦っていた兵士の持つ柄の長い斧が、ぶおん、という風を切る音とともに地面を叩いた。当たらないと判断して障壁を張らなかったが、ヒラヒラと舞うピンクのワンピースのスカートの裾をかすめてしまい、眉間に力が入る。すぐに直せるとは言え腹立たしい。
ずしゃあっ、という音を立てて顔面から地面に滑り落ちた馬鹿猫を見届け、満足して周りを見渡すと、木の檻がついた馬車の周りに十数人の兵士の死体と馬の死体、そして剣を突き立てられた三人の森人族の子供の遺体があった。
さらに左腕の肘から先と、右肩から先を失い顔から血の気の引いた地人族の娘、そして死にかけている様子の森人族の子供二人を抱え、庇うようにこちらの視線から隠そうとする巨漢の男性の姿を瞳に捉え、眉間に入る力が増す。
「なんてこと……魔王が、なんでここに……」
巨漢の男性が呟きを漏らしたが、その声に聞き覚えがある。以前会ったときは厚化粧だったはずだが、今はスッピンで無精髭、長い紫の頭髪はぼさぼさである。抱えている二人の子供は十歳くらいだろうか、意識はあるようだが腹部の傷からの出血が激しく、呼吸が徐々に弱まりつつあった。
地人族の娘の左腕はこの戦闘以前から失われていたようだが、右肩からの出血が激しく、生気のない顔をこちらに向けていた。
さっき蹴り飛ばした馬鹿猫は起き上がり、血まみれの顔でこちらを見て震えている。
「なんだ小娘、お前も奴隷共の仲間か? どっから出てきやがった?」
兵士の男の言葉を無視して、スライムを頭上から降ろして地人族へと移動させ、義体は元厚化粧の元へと向かう。
「魔王、お願いにゃ、あたしはどうなってもいいにゃ、みんなの命だけは助けて欲しいにゃ……」
ミーシャの震える声を無視し、地人族の右肩の切断面にスライム体で張り付いて止血する。義体側は子供を庇う元厚化粧に笑顔で「大丈夫」と一言声をかけ、より重篤な子供から順に治療魔術で応急処置を行う。最初は怯えていた子供達だが、治療魔術をかけられているのがわかると、かすれる声でありがとう、とつぶやいた。
子供達に笑顔を見せて安心させながらも、心に怒りの炎が灯ったのがわかる。
よく見ると元厚化粧も大きな傷をいくつも負っており、その多くが背中に集中しているようだ。恐らく子供達を守っていたのだろうか、その元厚化粧にも治療魔術で応急処置を行っておく。
「事情を話すのじゃ」
「……森人族の集落が奴隷狩りにあって、連れ去られた子供を助けようとしたのよぉ。お願いよぉ、魔王……様。子供達だけは、どうか……」
「子供は誰がやったのじゃ」
その時周囲の兵士から笑い声が聞こえてきた。それぞれが俺だ、いや俺だ、もっと痛めつけてやりたかった、犯す前に殺しやがってこの馬鹿が、等と口々に囃し立て、ちらほら見える女性兵士も一緒になって下卑た笑い声を上げていた。
よくわかった。この兵士達は全員、子供を殺すことを何とも思っていないゴミだ。今すぐにでも皆殺しにしたいところだが、今は命を救う方が先だ。
その時空から降ってきた人影が、とん、と軽快な音を立てて自分のすぐ後ろに着地した。
「姉御、スカートの裾が切れてる。やったの、そこのハルバード持った男だよね?」
直後に『ぱん』という風船が破裂したような音が響き、ハルバードとかいう武器を持っていた男の頭が消滅した。
頭があった場所には赤い霧状のものが漂い、音もなく移動していたリオの、高く上げた足にまとわりついていた。こちらの返事も待たずに行動する辺り、珍しくキレているようだ。
「子供達は意識があるのじゃ、なるべくグロい殺し方は避けて欲しいのう」
「あ、うん。姉御ごめん、つい。えへへ」
無表情のまま回し蹴りを放ったリオだったが、注意を受けていつもの様子に戻ったようである。だが少しだけ、その顔には怒りとも取れる表情が浮かんでいるのが見て取れる。
どさっ、という頭の無いハルバード男の死体が倒れる音を聞いてなお、何が起こったのか理解できない兵士達が、言葉を失って呆然と立ち尽くしていた。リオに続いて四体の狼ゴーレムと、それにまたがるアルトら三人が音もなく降り立ってもなお、状況が理解できないようだ。
セレスは三人の森人族の子供の遺体に駆け寄ると、遺体を抱きしめて涙を浮かべ、ダグとアルトはその様子を無言で見ながら、怒りに顔を歪ませていた。
子供への治療を続けながら、空間庫のヴァルキリーから仮面だけを取り出して装着し、四人に顔も向けずに声をかける。
「話は聞いておったの? わしは治療に専念する。任せてもよいかのう?」
「むしろやらせてください。ご命令を、ナナさん……いえ、魔王様」
フレスベルグの腕輪も取り出し、装着して子供二人と元厚化粧、地人族に拡散した治療魔術を施しながら、深く呼吸をする。
子供を手に掛けたこの者らを、生かしておく気は、無い。
「アルト、ダグ、リオ、セレス。皆殺しにするのじゃ。わしの敵を、滅ぼせ」
その言葉が終わるやいなや、たったの四名による、数百にも及ぶ兵士への一方的な蹂躙が始まった。
リオとダグは兵士達の間をすり抜けるように走り抜けながら、的確に首の骨を折って回っており、二人が駆け抜けたところは死体の道ができていた。
アルトとセレスは一人も逃さぬよう、そして中心部にいる自分達をを守るように、地面を操作して高い壁を作っていた。
完成した壁の向こうから兵士達の怒声と悲鳴が響く中、ミーシャと元厚化粧は呆然と口を開け、地人族はいつの間にか完全に意識を失っていた。
「馬鹿猫、こっちに来んか。まとめて治療してやるでの」
「あ、あたし、達を……助けてくれるにゃ?」
「……子供のついで、じゃ」
ヨロヨロとふらつきながら歩いてくるミーシャも拡散した治療魔術の対象とすると、スライム体の方へと意識を向ける。
地人族は血を流しすぎており、顔色は青を通り越して白く、既に生死の境であった。治療魔術では失った血液や体力までは補うことができないが、自分ならできるかもしれないと考えスライム体を周囲に広げる。
そのままスライム体で地人族の血液と思われる血溜まりを吸収すると、それをキューの力を借りて再構築し、地人族の体内へと流し込む。足りない分はこれまでに吸収した他人の血液を、地人族と同じ血液に改変して再構築し、地人族の体に流し込んだ。
徐々に顔色が戻る地人族を見て、ひとまず峠は超えたと安心し、地人族の右腕と武器も回収して空間庫に入れておく。
次いで子供達も同じようにスライムで血液を再構築して輸血しておく。
「もう大丈夫じゃ、疲れたじゃろう? ゆっくり休むとよいのじゃ」
森人族の子供達の頭を優しく撫でてやると、小さく頷いてゆっくりと目を閉じた。
「もう命の危険は無いのじゃ。しかしどこかで休ませてやらんとのう。……仕方がないのじゃ」
その場でゲートゴーレムを呼び出し、アトリオンへと繋いでマリエルとヨーゼフを呼び出し、子供らと地人族を休ませるように命じる。
「これは……転移門?」
頭がついていかない様子の元厚化粧に、アトリオンの屋敷で三人を休ませる事を伝え、詳しい話は後だと言って黙らせる。
「よろしいのですか?」
「アルトか。終わったようじゃのう? ご苦労さまなのじゃ」
そこには息一つ乱れていないアルトが戻ってきていた。よろしいもよろしくないも、子供を休ませるにはアトリオンの屋敷しか無い、異界には連れていけないし新都市も建築中だろう。
「ありがとうございます。敵兵およそ四百の殲滅、完了していますよ」
「ではアルトは壁の片付けと、終わったらわっしーを降ろしてくれんかの」
アルトの返事と共に、周囲を囲っていた土の壁がサッと崩れて消えていった。大半が魔素で作られた壁だったのだろう。
視界が開けるとそこには首を折られて転がる死体と、頭だけ氷漬けにされて転がる死体と、プスプスと音を立てながら煙を上げる死体の絨毯が広がっていた。
「リオ、セレス、ダグもご苦労様なのじゃ。兵士は全てわしが喰らうでのう、みなこっちに集まるのじゃ」
「喰らう……ですって?」
「そうじゃ、元厚化粧よ。こう見えてわしはスライムなのじゃ。そしてわしが殺した者と殺させた者は、なるべく喰らうことにしておる」
リオ達三人が戻ったのを確認すると、周囲に膝くらいの高さまでのスライムを呼び出し、兵士達の死体を飲み込み吸収していく。馬車近くの兵士の死体は、義体でスライム体へ投げ込んで吸収し、荷物や馬車は全て空間庫に放り込み、生きていた馬はその辺に放逐する。
ミーシャと元厚化粧が腰を抜かしたのかへたり込んでいるが、まだ終わりではない。もう一働きしてもらおう。仮面を外して空間庫に入れ、二人へと向き直る。
「馬鹿猫、それと元厚化粧。奴隷狩りにあったという集落はこの近くかのう? 他には生き残りや怪我人はおるのかの?」
別に人助けのためではない。今はただ単に、アトリオンに戻るのを少しでも遅らせようとしているだけなのだ。ついでに、治療や子供を返してやるだけなのだ。
その時ミーシャと元厚化粧が、並んで目の前に跪いた。
「魔王様、過去の無礼につきまして、お詫びのしようもございませんわ。ですがどうか、ワタシ達の恩人を助けるため、お力をお貸し願えませんでしょうか」
「魔王様、お願いにゃ。集落には怪我人がたくさんいるにゃ。過去の無礼の責任は全部あたしにゃ、あたしの身体も命も全て捧げるにゃ。だからどうか、みんにゃを助けてほしいにゃ」
「過去の件は、さっき馬鹿猫を蹴り飛ばしてスッキリしたからもういいのじゃ。それにわしもあの時、八つ当たりしてすまなかったのう。では集落まで案内頼むのじゃ。……遺体も返してやりたいしのう」
視線の先には、上空から降りてきたわっしーに乗せるため、セレス・リオ・ダグの三人が、それぞれ子供の遺体を大事に抱えて待っている姿があった。
その姿を見て、この国に対する怒りが湧いてきた。
サラやシンディの両親の件もある。
子供を殺す者は、自分の敵だ。




