3章 第18話H 妖精さん(笑)と尊敬に値しそうな宗教家
十六歳になったヒデオがアトリオンに拠点を移した四月の初め、光天教神殿へオーウェンと二人で訪れることにした。目的はガッソーの意図についての確認と、ヴァンを支援していたかもしれない件についての探りである。
「すみません、ガッソー司教はいらっしゃいますか?」
アトリオンの光天教神殿もクーリオンと同様暇らしく、人の姿はまばらだった。その神殿を掃除していた、神官らしき丸眼鏡の男性に声をかける。
「おや、これはヒデオ子爵ではございませんか。光天教神殿へようこそいらっしゃいました」
司祭と名乗った丸眼鏡の男性に応接室に通され、そこでオーウェンと二人でガッソーが来るのを待つ。
「なあヒデオ、司祭って司教のひとつ下の階級だっけか」
「俺に聞くなよオーウェン、宗教なんて関わってこなかったのに知ってるわけないだろ」
ガッソーを知っているというだけで光天教の事を知っているわけではなく、昔一度だけ本を読みに来た際に会ったに過ぎないのだ。
案内してくれた丸眼鏡の司祭とは別の人が持ってきてくれた熱い紅茶をゆっくりと飲みながら待つが、二杯目の紅茶を飲みきってしまっても、ガッソーが来る気配はない。
何かトラブルがあったのだろうかと思っていると、部屋の外から誰かを叱るような声が徐々に近付いてくるのが聞こえ、間もなく応接室の扉が開かれた。
「ヒデオ子爵、お待たせしてしまい大変申し訳ございませんでした!」
そこには開口一番に頭を下げる丸眼鏡の司祭と、バツの悪そうな顔でその後ろに隠れるように立つガッソー司教の姿があった。こちらもソファーから立ち上がり、気にしないよう司祭に告げる。
「おや、確かレイアス君だったね? 大きくなりましたねえ、もうわたくしが見上げるほどではありませんか、ほっほっほ」
「司教様、ヒデオ子爵でございます。く れ ぐ れ も 失礼の無いよう、お願い致します」
こめかみに血管を浮かせた丸眼鏡の司祭はガッソーに強く念を押し、何かを探るような視線を一瞬こちらに向けると礼をして退室していった。ガッソーへと目をやると汗だくで、どこからか走ってきたような様子である。
「ご無沙汰しています、ガッソー司教。覚えていてくださってとても嬉しいです。こちらは俺の仲間でオーウェンと言います。今日はちょっとお聞きしたいことがあって参りました」
そう言って握手を交わし、オーウェンも挨拶を交わすと揃ってソファーに腰掛けた。
「それで、お聞きしたいこととは何ですかな?」
「えーと……アーティオンのファビアンという騎士はご存知ですか?」
「ええ、ええ。存じておりますとも。わたくし神の御使いが降臨なさったと聞いてアーティオンに向かいましてな、そこで友人になったのです。ファビアン殿がどうか……おや? そう言えばレイアス君が昔わたくしに会いに来てくださった時、確か騎士のご子息と……おお、そうでしたか! レイアス君の父君ですな!」
「いえ、ガッソー司教に会いには行ってません、本を読みに行っただけです」
そう言うとガッソーは目を見開き、天を仰ぐと神への感謝の言葉を口にした。話を聞け。そのままこちらの言葉に反応することがないまま興奮気味にこちらへと向き直り、当時の状況を話してくれた。俺の言葉は無視か。
アーティオンで神の御使いが出現した地点を光天教が管理できるよう話を持ちかけたが、ファビアンからその場所に現れたのは光天教が崇める対象ではないと聞いた。更にファビアンから白き女神の話を聞き、信仰の対象として崇めるようになったことを聞くと、白き女神の正体については全て隠蔽し、新興の土着信仰の一つとして広めることを提案したとのことだった。そして宗教団体として必要なことを知っている限り教え、『女神教』の設立に手を貸したということだった。
正直何してくれてんだこのおっさん、と思ったが、どうもこの人の意図が掴めない。
「どうして正体について隠蔽を提案したんですか?」
「神秘性を維持するためですな」
「どうして父に協力して女神教を作ったのですか?」
「信仰の対象は違いますが、信仰心を持つ仲間ですからな」
「どうして前司教はヴァンを匿っていたのですか?」
唐突に全く関係のない質問をぶつけて様子を窺う。しかしガッソーは狼狽える様子を見せず、ただ困ったような顔をしているだけだった。
「前司教は感染するかもしれない病気を抱える戦士に、ヴァンと戦うために逗留する場所を提供しただけであると聞いておりますな。まさかそれがヴァンに関する者とは露とも思わず、しかも巻き添えで亡くなるなど悲しい事故でありましたな」
「なら光天教はヴァンと関係ねえって事か? どうも奴を支援していた存在がいるらしいんだが、心当たりはねえか?」
「残念ながらございませんな。ただ、ヴァンが倒された後しばらくして、光天教本部のあるプロセニア王国で騒ぎがあったと聞いております。何でも隣の大陸へ密出国しようとした一団と大規模な戦闘になり、多くの死者が出たそうですな」
まさかヴァンを支援していた者は隣の大陸から来たとでも言うのだろうか。しかし光天教がヴァンを支援する理由も考えつかない。何れにせよ情報が足りず判断できないと思考を切り替え、話を戻すことにする。
「ではもう一つ。白き女神のことをどこまで聞いていますか?」
「レイアス君は全て知っている、ということですかな?」
質問に質問で返すガッソーだが、その目は真剣であり、こちらも表情を引き締めて深く頷く。
「真の魔王である魔人族の少女、ナナ殿と聞いておりますな。そして恐らくこの地にて、人々に知られること無く偽魔王ヴァンを葬ったのもナナ殿なのでしょうな。商店街で『真っ白な妖精』と噂される少女が、世界樹防衛戦後に様々な店で大量に買い物をしている姿が目撃されておりましたぞ。今のところ『白き女神』と『真っ白な妖精』を結びつけて考える者は他にいないでしょうがな」
「他にいない、ということは誰にも話していないのか?」
「ええ、ええ。ファビアン殿に全て隠蔽するよう助言差し上げたのに、わたくしが新たな事実を掴んだからと言って、むやみに公言するような真似ができましょうか。それにナナ殿はレイアス君と行動を共にしておったのでしょう? 買い物や街を出る際、一緒にいたのを目撃されておりますでな」
飄々としているくせに頭の回る人のようだ。信用できる人かどうか判断できないが、言っていることは道理が通っているように思える。隣に目をやると、オーウェンも自分と同様に判断しかねているようだ。
「ナナ殿の事は、これからも他者に話すつもりはございませぬぞ。ところで話は変わりますが『英雄』のヒデオ子爵にお願いがございます。実はわたくし私財を投じ、小さな孤児院を経営しております。世界樹防衛戦で親を失った子供や、最近増加する魔物に親を殺された子供などの面倒を見ておるのですよ。そこでヒデオ子爵! なにとぞ寄付をお願いできませんかな?」
「あー、もしかしてここに来るのが遅れたのは、その孤児院に行っていたから?」
「ええ、ええ。お恥ずかしい話ですが、わたくしに用があって神殿を訪れる者など皆無ですからな、ほっほっほ。いつもふらふら出歩いたり孤児院にいたりします故、司祭には苦労をかけておりますなあ」
その言葉に肩の力が抜けるのを感じた。どこまで信じていいかわからないが、昔と変わらず悪い人では無さそうだ。隣のオーウェンも呆れ顔で苦笑している。
寄付の条件として子供たちに読み書き計算を教えることを約束させ、金貨五百枚をガッソーに渡す。目を見開いて驚いていたが、子供たちの多くはヴァンの被害者なのだ。ナナなら絶対に放ってはおかないだろうと思うと、この程度どうってことはない。
その後は孤児院の状況やプロセニアの話を聞いて、その場を後にする。
ガッソーに会った翌日、アトリオンの大通りでは『白い妖精の気まぐれ』という、ちょっとしたお祭りのようなものが開催されていた。多くの店が安売りをしており、見物に出ると多くの商人から『ナナ様は今度いつ来られるのか』と何度も聞かれた。何のことかと逆に聞くと、ちょうど一年前にナナがとんでもない額の買い物をしたことから、ナナへの感謝を込めて開催される事になったお祭りらしい。ナナの名前はその時の自分達の会話を聞いていた者がいて知ったそうだ。
「エリー」
「ええ。わかってるわ、ヒデオ。この件はナナには内緒ね?」
にやり、と悪い笑顔を見せるエリー。サラとシンディも良いネタを見つけたと言わんばかりにニヤニヤとしている。
「ナナが驚く姿が想像できる」
「それに先に知っちゃったら、アトリオンに来ないかも!」
「だからまた俺に八つ当たり来るだろ、それ……」
本当に、あの短い滞在期間でよくもこれだけあちこちに痕跡を残したものだと感心する。アーティオンでは女神様、クーリオンでは妖精と来た。今度ナナが地上に来たら、一体何をしでかすのだろう。それがとても楽しみで、それを隣で見ていたいとも思う。
まだナナが異界に帰ってからたったの一年だというのに、こうしてナナがいた痕跡を見つけるたびに、会いたい、声を聞きたいという想いが増していく。見た目は幼女以上少女未満というナナの容姿を思い出すと、自分はいつから変態の仲間入りしたのかと苦笑してしまうが、ナナがもし大人の外見だったなら自分はどうしただろうか。
そんな事を考えながら、ナナのことを話しているエリー・サラ・シンディが視界に入る。とたんに現実へと引き戻され、答えの出ない空しい自問自答を頭から追いやると、今度ナナに会ったときに胸をはれる自分でいよう、それだけを考えることにする。
後日ガッソーの案内で孤児院を訪れた。孤児たちは初めて会ったときから警戒する素振りをほとんど見せず、ヴァンを倒してくれた英雄だと喜んでくれた。実際に倒したのはナナなので素直には喜べないが、以後様子を見るために何度も足を運ぶことになる。そのうち仲間の四人と一緒に勉強を教えたり休みに遊んだり、年長組の希望者に剣の使い方を教えるなどして過ごすようになった。
しかしいつまでも寄付金だけではいけないとオーウェンに諭され、子供たちでもできるような仕事を考える必要があった。この世界では子供であっても、働かざるもの食うべからずというのが基本なのだ。
そこで大きな誤算が生まれた。簡単な『オセロ』なら子供達でも作れるだろうと、ガッソーと孤児院に製造販売権を全て委ねたのだが、あまりの人気にガッソーの手に負えなくなり商業ギルドが介入したことだ。
だが商業ギルドによると、恩のあるナナと親しい自分達と敵対する気はなく、あくまでも友好的にしたいらしい。おかげで孤児院の製造販売権は守られたので、孤児たちが仕事を失うことは当分無く、そこだけは安堵しておく。
そして最大の誤算。それはオセロではなく発案者の名を取って『ヒデオ』というゲームになってしまった事だ。これだけはナナに知られたくない。
「ところでガッソー司教、孤児院の子供たちに神の教えとか説いてないみたいだけど、いいのか?」
「ええ、ええ。それでしたら大人になってから判断すればよろしいと思いましてな。信仰の対象は与えられるものではなく、自らが見つけ出すものですぞ」
「へえ……ほんと、変な宗教家だよな。ある意味正しいのかもしれないけどさ。というかクーリオンでもアーティオンでも、光天教が広まらない理由がわかった気がするよ。ガッソー司教が布教活動や神の教えを説いているところなんて見たことないもんな、よく司教なんて役職に就けたもんだ」
変な人だが、孤児たちと共に接するうち、抱いていた警戒心が完全に無くなっていることに気付く。恐らくオーウェンや他の三人も同じだろう。これで実はヴァンの支援者でした、というのならとんでもない策士である。
「ほっほっほ、昔は多くの人々を信者として導いていたものですから、司教へ推薦されましてな。しかし司教としての修行を行ううち、いろいろと考えさせられまして、今のわたくしができあがったのですぞ」
ガッソーはほんの一瞬ではあるが、奥歯を噛み締めて悔しさを顔ににじませた。何かあったのだろうが、踏み込んで良いものかどうか考えているうちに、話題を変えられてしまう。
「レイアス君。英雄として戦いの道を選ぶ以上、君だけでなく仲間の命も危険に晒される覚悟はおありですかな? そして今後、より強大な敵が現れるかもしれませんぞ。それでも君は戦い続け、英雄の道を進まれますかな?」
「随分突然だな、ガッソー司教。……ああ、俺は英雄としての道を行くよ。この国で危険な魔獣を倒せるのは俺達の他、ほとんどいない。だから俺は、俺達にしかできないことをする。戦うことで救える命があるなら、俺は戦い続けるよ」
「もっと安全に、より多くの命を救う方法を模索することはできませぬかな?」
ガッソーの表情からは、悲しさや寂しさといった感情が読み取れる。宗教といえば戦いを忌むものが多いという印象があるが、ガッソーもそういった思想から話しているのだろうか。
「それはきっと、俺じゃなくてもできることだ。それはできる奴がやればいい。それに英雄として戦いながらでも、こうして孤児院に援助するようなことだってできるだろ?」
「どうあっても、戦い続けるというのですかな」
深く頷くことで、返事を返す。それを見て目を伏せたガッソーは、深く息を吐いて顔を上げた。
「若さとは良いですなあ、わたくしも負けてはいられません! より多くの人を救えるよう、勝負ですぞ! わたくしに勝ったらレイアス君に良い物を差し上げます。書庫の奥から二番目の棚にある、光人族の偉大なる功績の数々とそのお力を記されている資料を贈呈いたしますぞ! わたくしが勝ったら、その資料を無理矢理でも読んで貰いますぞ!」
「おい、それ勝っても負けても一緒じゃないか!」
「ほっほっほ、決着がつくのが待ち遠しいですな!」
「いや、読まないからな!?」
ガッソーはこちらの言葉を無視して立ち去った。どうもこの人の意図が読めない。そもそもこの勝負の判定基準も曖昧すぎる。
悪い人ではないし頭も回る様子なのに、どうしてこう残念な人という感じが強いのだろうと考えつつ、今後も長い付き合いになりそうな予感を感じながらその場を後にした。




