3章 第16話H 女神様(笑)
「間違いなくナナが絡んでるな……」
頭が痛い。ファビアンからの『白の女神を信奉する宗教の教祖になった』という手紙を読んで、真っ先に思い浮かんだのはナナであった。というか他の候補など考えられない。片手で顔を覆いながら、深くため息をつく。
手紙を読んでエリー達に相談しようと部屋を訪ねただけだったのだが、まさかナナと通話の真っ最中だとは思わなかった。おかげでナナの関与を確信できた。
「じゃあ次の目的地はアーティオンかしら?」
「いや、流石に往復二ヶ月も時間は取れない。それによく考えると白の女神ってのがナナなら、胡散臭い宗教に嵌るのとは違うし止める理由はないな」
「ナナが女神。面白そう」
「はは、ナナ当人は笑えないと思うけどな。まあ夜にカイルさんから話が聞けると思うし、楽しみに待っていようか」
王都アイオンでナナと別れたあと、正式に王城にて国王と謁見を行った。世界樹防衛戦の功績から『ヒデオ家』として子爵位を授爵し、今後も冒険者として好きなように動いて良いとその場でお墨付きを得ている。
今回は里帰りを兼ねてクーリオンへ赴き、朝から領主へ通信魔道具と国王からの書簡を届けに行っていたのだ。王命であるため事実上、貴族『ヒデオ子爵』の初任務であった。
しかし一行と面会した領主コーバス伯爵からは、ファビアンを直属の部下から外したと聞かされただけで書簡を読んでも貰えず、ろくに話もできないままに退去を命じられてしまった。
王印が押された書簡をその場で確認しないという、領主にあるまじき態度にオーウェンが怒り狂っていたが、書簡を読んだら態度も変わるだろうと説得してその場を後にした。そこにサラの父カイルが現れ、ファビアンからの手紙を渡してくれたのだ。
そのカイルは、夜にエリーシアの父マルクの邸宅で会う約束をし、サラとの父娘の会話も程々に慌ただしく去っていった。
「とりあえず夕食をとったらエリーの家に行くとして、クーリオンは明日立つつもりで準備を進めておいてくれ」
「もう食料も水もアイテムバッグに入れてあるよー。ナナちゃん様々かもー」
「時間まで部屋にいる」
シンディがサラの頭を撫でる手を休めて、アイテムバッグを掲げて見せた。そのサラはフード付きのローブを身に着け、ベッドの上で膝を抱えて座っている。アイオンでは国王から正式に「魔人族は敵にあらず」という触れ込みで、「異界から来た本当の魔王の手によって、アーティオンの開放と偽魔王の討伐が行われた」と告知されていたが、ここクーリオンでは未だにその情報は出回っていない。黒髪は魔人族と関わりがあるという間違った情報が広まっているせいもあり、サラが外を歩く際は以前と同様、フードが必須となっていた。
「すまないサラ、もう少しだけ辛抱してくれ」
「ん。大丈夫気にしてない」
サラの綺麗な黒髪を撫でると、少し機嫌を良くしたようで、目を細めてされるがままになっていた。
宿の食堂で軽めの夕食をとり、エリーの家へ向かう。サラはフードを目深に被り、エリーと手を繋いで歩いていた。エリーの家につくと既にカイルが待ち構えており、マルクと話し込んでいる真っ最中だった。
「お、来たなレイアス。さっきは慌ただしくて済まなかったな」
「いえ、カイルさんこそ忙しいところわざわざすみません。マルクさんもご無沙汰しています」
挨拶を済ますと二人にメンバーの紹介をし、面識のないシンディとオーウェンを紹介する。面倒なのでオーウェンの立場は黙っておき、自分の爵位についても気にせずこれまでどおりということで話を進める。
「まずは世界樹防衛戦の終結から報告します」
「それならナナ様から伺っている」
「……ナナ、様?」
カイルの言葉に口に含んだ茶を吹き出しそうになるサラと、唖然とする他一同。カイルから帰り際のナナがアーティオンで何をしたのか詳しく聞くと、もはや乾いた笑いしか出てこなかった。
ナナの事を「神々しいお姿」やら「慈愛に満ちた行動」と褒め殺すカイルだが、その娘のサラは下を向いて肩を震わせている。
白の女神、ナナで確定である。
「それで、光天教のガッソー司教から宗教団体の運営について聞き、父さんが主導して『女神教』を創ったと……」
母オレリアと長兄モーリス、そしてカイルも一緒になって、女神教の運営に携わっているらしい。今回カイルはナナから貰った魔石の換金と、クーリオンで魔族と関わりがあるとされて迫害されている者に、アーティオンへの移住を勧めるために来たとのことだった。移住の斡旋については今後マルクも協力する方向で話がまとまったらしい。
そして俺達がナナと友達であることを話すと、今度はカイルの方が唖然とした顔で固まってしまった。そのカイルを見ているうちに、ナナが女神様に仕立て上げられた事実にだんだんと笑いがこみ上げてくる。必至でこらえて下を向き肩を振るわせるが、ふと仲間を見ると皆同様に下を向いて肩を震わせていることから、思いは同じなのだろう。しかしよく見ると早い段階で笑いを堪え始めていた、サラの限界が近そうである。
「と、ともかく生命魔術を使えるナナのおかげで、俺の問題は全て解決したんだ。マルクさん、心配かけました。ありがとうございます」
これ以上ナナ教の事を話すと笑いを抑えられなくなると判断し、さっさと話題を変える。ファビアンたちのことは本人たちに任せよう。そうしてマルクに魔人族のことや異界のことなどを話し、互いに情報交換を進めていく。
「この後レイアス君はどうするつもりだい?」
「アイオンに戻って冒険者ギルドの改革と、並の冒険者で対応できない問題への対処ですね。あちこち移動することになると思うので、今度はいつこちらに来られるかわかりません」
「少なくとも娘との結婚に関しては、事前に報告してもらえないかな?」
「そうだな、お前さんと会ってからはサラもすっかり俺の手を離れちまって……それで、どっちと先に結婚するんだ? そちらのシンディさんもだろ? 三人いっぺんにか? あ?」
マルクとカイルから目の笑っていない笑顔を向けられつつ、目をそらし肩を震わすオーウェンに心の中で悪態をつく。
「できれば三人同時とは思っていますが、俺はまだ十五歳だし、少し早いかなー、と……」
喜色満面のエリー達三人に抱きつかれ、こめかみに青筋の浮いた大人二人に睨まれながら、我関せずの姿勢を崩さないオーウェンを睨みつける。
真実味が増してきた三人との結婚を考えるが、避妊をどうしようと考え、それもナナに相談しようと考えた自分の浅はかさに呆れる。ナナに頼り、甘え過ぎな事以上に、エリーたちとの夜の生活に関する相談なんて絶対にしたくない。
「さて、最後に一つレイアスにも言っておくことがある」
打って変わって真剣な顔のカイルに、こちらも真剣な表情を返して姿勢を正す。
「ナナ様の事だが、直にお目にかかった者以外には『天を舞う美しき女神』としか伝えず、幼い外見や瞳の色、異界から来た魔王である事などは一切明かしてない。これはガッソー司教様からの提案でな、神秘性を高めるためになるべく不要な情報は隠せとの事だ。レイアス達も協力してくれ」
そもそも光天教のガッソーがなぜ協力しているのか、という疑念はあるものの、ヴァンと繋がっているという確信もない事もあり、快諾しておく。そのガッソーはアトリオンへと異動が決まり、既にクーリオンを離れたあとということだった。
このあとカイルは予定があるそうで、席を立つとサラをぎゅっと抱きしめたのち、こちらへ近付いてきた。
「初めて会った時からおかしな子供だったがよ、それが今ではティニオンの英雄か。娘の事頼んだぜ」
カイルに肩を強く叩かれるが、びくともしない様子にカイルは満足げに笑っていた。夜も遅いので自分達も今日はこの辺で宿へ帰ることとし、マルクと、会話に加わっていなかったエリーの母ニネットに挨拶をして退出することにする。その際マルクとニネットもカイルと同様、エリーを抱きしめ別れを惜しんでいたが、去り際のエリーの一言で二人共凍りつくことになる。
「そういえばそのうちナナが尋ねてくるかもしれないから、いろいろ教えてあげてね、お父さん」
「なんつーか、光天教の意図が読めねぇな。ヒデオはガッソーって司教と知り合いなのか?」
「ああ、何か人の良さそうな、というか……悪いことをしてもすぐ顔に出そうな感じの人だったな。話し相手がいないって寂しがってた記憶がある」
「アトリオンへ行ったら顔出してみるか、探りの意味も込めてよぉ」
宿へと向かう道すがら、そう言って思案するオーウェンだが、悪巧みをする悪人にしか見えない。そんな自分の視線に気付いたのか、軽く睨まれてしまった。
「それにしても、ナナが女神ね。居なくても問題起こすのね」
そう言ってけらけらと笑い出すエリーに続いて、サラとシンディも笑い出す。
「女神教の件はナナに言わず、地上に来たときのサプライズに取っておくんだったな。早まったよ」
「きっと叫びながら転げまわる」
「膝から崩れ落ちるほうじゃないかしら?」
「おいやめろ、ぜってぇオレに八つ当たりが来るだろうが」
「良いお酒用意しとけば大丈夫かも?」
全て知ったときのナナの反応が鮮明に想像され、頬が緩むことが自覚できる。滅ぼすと言い出さないよう気をつけないとな、と言うと全員が納得したように笑いだした。
まだナナが異界に帰って二ヶ月なのだが、ナナと暮らした二ヶ月が濃密過ぎて、自分だけではなく全員が強い喪失感を感じていたようだった。こうしてナナの話題を出すことも微妙に避け気味だったのだが、今日エリー達はナナと通信を行ったことで吹っ切れたのだろうか。堰を切ったようにナナの話題でもちきりとなり、ナナが今度地上に来た際にやらかしそうなことなどを話しつつ宿へと歩くのだった。
この後ヒデオらは王都アイオンに仮の住まいを構え、冒険者ギルドの改革から手を付けた。まずは新人冒険者への支援と戦闘訓練といった基礎から手を付け、ギルド長の一族と険悪になりながらも、潤沢な資金と自身の貴族位、オーウェンの立場をも活用して冒険者を煽り、ギルドの変革を求める声を高めていった。
そしてその戦闘訓練だが『常に体に魔力を流し続けながらの訓練』が、ナナのおかげで高い効果を得られることがわかったため、『魔石から体に魔力を流し続けながらの訓練』を試したところ、十分に代用できることがわかった。
この訓練法を魔力過多症への注意と併せて冒険者から広め、オーウェンを通して国王にも進言すると騎士や兵士もこの訓練法が広がり、三ヶ月もすると効果を実感した者達の口コミで爆発的に広がったため、魔石の値段が大きく高騰してしまった。
これは戦闘のみならず、生産職に従事する者まで技能習得速度の向上が見られたことも、原因の一つであった。
その時冒険者ギルド長の親族である侯爵が、死蔵していた膨大な量の魔石を市場に放出したおかげで、大きな混乱には至らなかった。これにより大きな利益を上げた侯爵はこちらと和解する選択をし、冒険者ギルドの改革を大きく推し進めることに協力することになる。
さらに需要が高まった魔石を求め、冒険者を目指すものが急増したことに起因し、冒険者ギルドに『ランク制度』を提案する。冒険者の経験と能力に見合ったランクを付与、さらに依頼や討伐対象となる魔物にもランク付けをすることで、未熟な者が上のランクの依頼を受けることができないようにし、死者を減らすことが目的である。
これには王族と侯爵が理解と興味を示したため、おおよその骨案を作ったのち国王に委ねる。その後ヒデオとしては改革さえされれば自分の功績などどうでも良かったので、実質的な手柄の全てを侯爵へ譲り、あくまでも協力者という立場をとることで貴族としての後ろ盾や立場も固めていた。
ヒデオが十六歳になり寒さの和らぐ三月、冒険者ギルド改革の全てを侯爵に任せ、自身は世界樹都市アトリオンへと戻り、狼型ゴーレムのラッシュが出迎える屋敷に帰ってきた。今後はここを拠点とし、魔道具作成や自身の鍛錬、そして旧小都市国家郡方面の魔物増加への対処を行うこととする。
また、この魔物増加により新人・ベテラン問わず冒険者がアトリオンに集結しているのも理由である。
「つーかなんだかんだ理由つけてアトリオンに戻ったけどよ、結局風呂に入りたかっただけとか言わねぇだろうな?」
「はは、否定はしないよ。でも侯爵のおかげで形になりそうだし、任せて大丈夫だろ。それに何かあったら領主から冒険者ギルドを通して連絡を貰える手はずも整えたし、無理にアイオンにいる必要が無くなった」
そこには久しぶりの風呂に、だらしなく手足を伸ばして肩まで浸かるヒデオとオーウェンの姿があった。
「だいたいオーウェンだって気持ち良さそうにしてるじゃないか、お互い様だろ」
「まあな、否定はしねえ。そんで、嬢ちゃんとは最近連絡取ってるのか?」
「何で突然話が変わるのかわからないけど、俺は話してないなあ。エリー達はちょくちょく連絡取り合ってるみたいだけどな」
突然ナナの話題が出た理由は、想像がつく。この屋敷に戻ってから、あちこちで活動する家事スライムやゴーレムのラッシュを見るたび、そしてキッチンに隠されていた蜂蜜を見つけた時等、ナナの事を何度思い出しただろうか。しかしそれでも知らないふりをして、とぼける事にする。
「異界には転移できねぇのか? ヒデオも竜車ごと転移できるようになったじゃねぇか」
「それは無理だよ、行ったこともない場所だし、そもそもナナと俺とじゃ転移できる距離が違いすぎる。アイオン~アトリオンの距離をナナは三回、俺は十五回転移してやっと着くんだぜ。ザイゼンから空間魔術を教われば教わるほど、ナナの規格外っぷりが理解できるよ……」
「確かに規格外だなあ……空間障壁を足場にするとか、盾にするとか、嬢ちゃんは息するみてえにこなしてたもんな。強くなればなるほど、嬢ちゃんに近付くどころかどんだけ離れてんのかわかるってのも、皮肉なもんだぜ」
寂しげな顔でため息を吐くオーウェンを見て、浴槽の水面に移る自分の顔へと視線を移す。そこにあったのはオーウェンと同様、寂しげに俯く自分の顔であった。
風呂から出て部屋に戻ると、そこにはエリーが待っていた。アイオンに長期滞在していた頃から、エリー・サラ・シンディが代わる代わる一緒に寝るようになっていたのだ。とはいえ借り物のレイアスの体で『致す』ことに抵抗があるため未だ童貞であり、下着姿で添い寝されるという幸福な拷問に耐える日々であった。そしてここアトリオンでの初日は、エリーとの添い寝からである。
来るのが遅いとむくれるエリーは、ザイゼンのバックプリントがされた綿のパンツとキャミソールという格好である。いつもの事ではあるが、目のやり場に困る。一通り文句を聞いたあとしばらく他愛も無い話をしていると、エリーが急に真剣な顔を向けてきた。
「ねえ、ヒデオ。ヒデオのいた世界での、結婚式ってどんなふうだったの? その、参考に聞きたいだけなんだからね……」
真っ赤な顔でうつむきながら話すエリーはとても可愛く、自制心が揺らぎそうになるのを感じながら、神の前で誓いの言葉を交わし、指輪交換とブーケトスをする程度しか知らない事を正直に話す。
「ブーケは結婚できるおまじないみたいなものかしら? それに指輪ね……。いつも付けるのなら、装飾よりも魔道具としての実用性があった方がいいわよね。それに……新しい繋がりができるのって、いいわね……」
エリーがこちらへと手を伸ばし、火傷痕の無くなった右手の甲を優しく撫でる。痕跡はなくなったが、これまで守り守られ、支え支えられてきた思い出は消えない。目の前ではにかんだ笑顔を向ける幼馴染に視線を向け、自分が大事にしたい、大事にしなければならない相手は誰なのかを改めて認識する。サラとシンディも同様である。
そして恥ずかしげに俯いたエリーの顔を持ち上げ、唐突にその唇を奪う。一瞬驚いた様子のエリーだが、すぐに体の力を抜き、身を委ねてくる。唇を貪るように舌を絡ませるとエリーもそれに応え、舌に吸い付くようにしながら、互いの息が続くまで接吻を続ける。
唇を離し、ぷはぁ、と小さく息を吐き、次いで新鮮な空気を肺に取り込む。二人の唇をつなぐ銀の糸の存在に気付き、顔を赤らめるエリーにもう一度軽い口づけをすると、エリーの身体を抱き寄せて耳元に口を近付ける。
「俺も三人分の指輪を用意しないとな」
その後はいつもより体温の高いエリーを抱きしめながら横になり、眠りにつこうとする。間もなくすやすやと寝息を立てるエリーの寝顔を見ながら、四人目の顔を思い浮かべてしまった自分に軽蔑の言葉を投げつけつつ、熱くたぎる体の一部が治まるのをひたすら待って眠りについた。




